12 何故誰も月に来ないのか?
何故誰も月に来ないのか?と時々考えていて家でも話題にしたりするけどそんなことに関心が有るのは家では映美と私ぐらいであった。
「修様は少し考えすぎ。ヨーロッパの新人類の始祖は少ない所でも数十万人の眷族を抱えているから行き成り月には逃げないわ。日本人が月でコソコソと何かしているのはバレているけどその規模は分からないからまず探りを入れてからになるわね」
「その探りの兆候すら欠片も無いから心配なんだ。パニックになったら人が如何動くかなんて判らないだろ?」
「確かに。だからそうならない様に裏でロシアの始祖達と対応している所よ。原理主義者達はエルサレムにでも行くように仕向けて残りを如何するかの話になるわ」
「以前の君達からの報告ではヨーロッパ諸国が原理主義者の始祖達を上手く抑え込んでいる筈だけど?」
新人類の分岐点に当たる人達は私が自らを真祖と言っている様に分岐点の事を思い思いの名で呼んでいて同じ呼称で名乗る者も多くて煩わしいので私の家ではどこどこの始祖と呼ぶようになっていた。
「国々が難民対策に手を焼いている間に勢力が拡大していてもう止める術がないのよ。難民を抑える最前線で彼等の眷族が活躍しているから政治的な基盤も強固になる一方なの」
「エルサレムを奪還するとか言っているみたいだけど?」
オーストラリアの件について健ちゃんと話しているときそう聞いたぞ?
確かヨーロッパが内側から瓦解する様な雰囲気だったような……
「確かに一部の過激な原理主義者が主張はしているけどまだ少数派で政治的には躍進中ってところね。一番過激な始祖はオーストラリアに拠点を移して活動中よ」
「オーストラリアの話は聞いたけどそれが一番過激な奴等なのか。眷族を引き連れてエルサレムに向かうだけなら良いけど……内戦に発展する可能性は?健ちゃんはヨーロッパが瓦解する感じで話していたけど?」
「瓦解は言い過ぎ……彼等が聖地争奪戦に加わるにしてもヨーロッパは拠点として現状維持の方が都合が良いから私は内戦に発展する可能性は低いと判断しているの」
「なら良いけど。オーストラリアは?」
「原理主義者の目的はあくまでエルサレムの奪還でヨーロッパやオーストラリアの支配ではないの。だからそれを利用してエルサレムに上手く追い出せないか探っている所よ」
「上手く抑え込めないならその方が良いかな。内戦よりは遥かにましだ。地球では何とか内戦にはならない様に動いている訳だな。……それにしても何故誰も月まで来ないんだ?探りぐらいは入れてもおかしくないだろう?」
「一番の理由は余裕がない事でしょうね。あとは月まで行くぐらいなら地球で難民を相手する方がましだとの判断ね。火星の開拓状況までは知らないから月は袋小路だと思っているのよ」
「でも日本の情報がまるっきり流れない訳では無いだろう?種が分岐して主たる魔素生命は分かれたけど犬や猫の魔素生命とは繋がっていて情報は洩れるから」
「ペットに地球と月や火星の違いが分かると思う?犬の魔素生命に蓄積された故人の情報も犬の情報の様に蓄積されているから人が解析するのは困難ね。犬の魔素生命の記録情報を使い熟している人はいないわ」
そう言えば故人の情報を解析する事すら専門家でないと困難だった。
旧人類の魔素生命に蓄積された故人の情報は人の知識量を増やしたけどあくまで人の理解できる範囲の知識の話であった。
言語が違うだけで解析が必要となる為、多くの人が普段活用できていたのは記録のほんの一部だった。
それでも莫大な情報量なのでデータベースとして充分に有用であった訳だが、新人類に分岐して以降は旧人類の魔素生命とは繋がっていないのでその恩恵は受けられない。
犬の魔素生命に繋がっていれば蓄積された旧人類の情報は使えるが犬の感覚情報として蓄積しているためかそのまま受け取っても普通の人には理解できない。
使い魔の感覚情報を受け取っても慣れない内は殆ど理解できないのと同じだ。
「そうすると日本が月や火星の状況を公表しない限り今の世界状勢では誰も来そうにない訳か……下手に情報を開示すると却って不味そうな状況だな」
「機を逸したか時期尚早なのかは分からないけど公表する時期でない事は確かね」
「下手に情報を開示したら月や火星に人が押し寄せて来るかもしれんな。でもパニック状態で来られるよりはましな気もするしなぁ。相手に余裕がないと行き成り戦闘状況に成り兼ねないから面倒だよ」
「修様の予想ではアメリカ合衆国かロシアあたりが月に人を送り込む筈だったのよね」
他国が日本よりも先に動く可能性もあったから監視もしていたけど結局は種の分岐前もその後も月に向かう勢力は無かった。
アメリカ合衆国なんか以前は火星探査もしていたから技術的には充分可能だと思うし、宇宙開拓とかも好きなイメージがあるのだけど。
私の世代は覇権国家だった頃のアメリカ合衆国のイメージが強くて判断がズレているのかもしれないな。
「そうなんだよ。アメリカ合衆国が覇権国家だった頃のイメージが強いからそう思うんだけど。ズレているかな?」
「アメリカ合衆国は強国だけどアメリカ軍は自国を纏めて守るので手一杯な感じね。私には覇権国家のイメージはないわよ」
「そうか……でも技術的には宇宙開拓が可能な筈だし注視する必要があるのは確かなんだよ?」
「注視は必要だけどアメリカ軍にその意志はないみたいね。少なくとも今の所は」
「そうなのか。健ちゃんにも色々聞いたけどアメリカ軍が難民対策や独立した国への対策で手一杯なのは本当なの?」
「それは本当なんだけど国を纏めるために利用している節もあるのよ。昔は覇権国家として国を纏めるのに外敵を設定していたけど今はそれな訳ね。それで昔の宇宙開発もソ連との対抗上とか国家の威信とかで国を纏めるのに有効だったけど今は必要ないのよ。私はそれで国防以外の宇宙開拓の優先順位が下がっていると思うのだけれど修様はどう思う?」
「日本が宇宙開拓を公にしていないから切実な問題を優先しているってこと?」
「そう!日本が公にしていないから国家の威信も傷ついてはいないし難民や独立した国の問題が切実で優先したいから日本の宇宙開拓に気が付いていても公表はしていない感じかな?」
「それにしても月に人を送り込むぐらいはしても良さそうなものだが」
「今迄の技術と魔法を併用すれば月に行くぐらいはいつでも可能だから後回しにしている事と日本の宇宙開拓がこれほど進んでいるとは思っていない事が理由だと美里さん達は判断しているわね」
「まぁ、外宇宙の探索はともかく火星の開拓がこれほど急速に進むとは私も予想していなかったからな」
「そうね。沃土教授もそんなことを言っていたわ」
「全て植物の御蔭だからこれからも植物との良好な関係を維持しないとな」
日本では植物については兵器利用は停止して研究のみ続けることになっている。
他の勢力がどうしているかは分からないが仮にどこかの勢力が兵器利用に採用して植物との関係が悪くなっても種が分岐したことにより植物が全ての人を敵とする状況にはならないと判断していた。
宇宙開拓をしていると植物の状態が生態系の維持に直結していることが目の当たりにできる。
人と植物との良好な関係の維持は火星にいる人々の共通認識なので植物と使い魔の様に直接繋がっている人も多い。
それで植物の意思が分かる訳でもないけど植物との関係が良好なことは分かる。
植物との繋がりは人に安心感を与えるためか火星では繋がる人が増えている。
「日本の宇宙開拓に少しでも関わっている人達の共通認識ではあるわね。地球に住んでいると植物の存在が当然すぎて有難みが認識し難いけど」
「地球上では大気中の酸素の存在は当たり前だからね。環境破壊と言っても酸素が無くなる事は想定外だ」
地球では植物が大気中の大量の酸素を維持しているから人が生存可能なのだが、人はそれを当然だと思っていて地球上にいる限り意識する事はまずない。
酸素自体は宇宙ではありふれた元素だけど殆どが酸化化合物として存在している。
酸素は他の元素と化合し易く化合物である方が物質としては安定しているので酸素として存在する事は稀なのだ。
火星も例外ではなく大気中の酸素も当然希薄でそのままでは人の生存は不可能だった。
それで化合物として存在する酸素を取り出して利用するのだが生存可能な環境を維持するのがかなり面倒で植物を利用した方が圧倒的に効率が良く楽なのでそうしている。
そんな訳で火星開拓自体が植物なしでは計画通りには進まない状況にある。
月は更に過酷な状況で地下の閉空間で環境を維持しているのだが植物なしでは維持は不可能だろうな。
環境の維持から擬似重力の発生まで全て植物を利用していてそれらを人の手だけで行おうとしたらこんな大規模な開拓は不可能だった。
ああ、そうかロシアやアメリカ合衆国は日本ほど植物の利用が進んでいないから以前の延長上で宇宙開拓を捉えているんだ。
魔法を使えば開拓可能と考えていても魔法使いしか居住できない環境では今の群れは維持できないからな。
それでは地球に生存圏を確保する事が優先するに決まっている。
群れの維持の事を考えると地球上の今の国土を維持する方が楽に思える筈だ。
彼等の国土は魔法を使えば現状の群れの倍以上の人口を充分に養えるほど広大なのだから宇宙開拓に手を出す程には切羽詰まってはいないのだな。
日本でも最初はコソコソと私一人で宇宙に出ていた話だから下手をすると今頃は私と眷族の魔法使いだけで月や火星で細々と開拓を進めていた可能性が無きにしも非ずだ。
でもその方が今よりは楽だったかもしれないな。
いざとなったら自分と眷族だけが地球から抜け出す事を考えていれば良いんだから。
そう考えると月に来る勢力が無くてもそんなに不思議ではないのか。
日本だって隣がシナで無ければ宇宙開拓なんて話は見向きもされなかっただろうし。
「考えてみたら誰も月に来ないのは当然かもしれない。日本も植物の利用が上手く行っていなければこうまで宇宙開拓は進んでいなかったろうから他の勢力からは想定外の状況の筈だ。種の存続を考えた場合に他の勢力が宇宙に目を向けず今の地球上の生存圏の確保を優先するのは当然に思えてきた」
「日本でも初めは保険程度の計画で修様一人で宇宙開拓を進めていたのでしょう?それが予想外に上手く行って本命になったけど植物の利用が無ければこうまで上手くは行かなかったわ」
「そうだな。特に植物が亜空間系統の魔法を使う様になったのが大きかった。植物がバリアを使う様になった御蔭で火星開拓が一気に進んだし外宇宙の探査も楽になった」
「日本国内の防備体制も一新されたわよ。バリアの展開で植物に切り替え可能な所は全て切り替えたわ」
他にも色々と可能になった事が有って日本の支配領域では便利に活用されている。
当然の事ながら植物の変化に気付いている勢力もあるだろう。
日本では植物がゲートを使って火星に昆虫を転移させて頃から植物のゲートを利用して月や火星に来る者がいないか監視していたのだがそれらしき兆候はまだない。
「健ちゃんとも話していたんだけど植物のゲートを利用して月か火星に来る人がいてもおかしくないんだけど地球ではその兆候はないかな?」
「植物に親和性のある新人類の勢力の兆候の話?気になる話はあるけどまだ調査中ね」
「どんな話?」
「森に棲む原住民が槍でゲリラ兵を追い払った話とか自然信仰の始祖の勢力が急拡大している話とか?植物が亜空間系統の魔法を使い始めた時期と重なるのよ」
「へぇ~植物が関係していそうだな。でもそれなら何故月にも火星にも人が送られてこないんだろう?」
「月にも火星にも人はいるから必要ないでしょ。昆虫は植物が必要としたから送られたのよ。人は不足していないのよ。人に月や火星に行く意志が無ければ植物が送る理由が無いわ」
確かに植物には人を火星に送る理由が無い様に思える。
でも何か引っかかるな。
「それは植物に人を送る理由が出来たら火星に送られてくると言う話だよな」
「その通り。でも火星に送る理由はないでしょ?」
「今はないけど。火星の条件が整って地球の植物が人が過剰だと判断したら人の少ない火星に送り込む可能性は有るよ」
「確かに」と映美は頷いている。
「もし送る条件が整っていなかっただけならいつ送られてきてもおかしくはないな。居住空間は絶賛拡大中だ。大半の日本人が移住しても問題ない様にしているんだから」
植物が何をもって判断するかは分からないけど私の考えが正しければ人が火星に送り込まれてもおかしくはない状況にある。
さてどう対処しようか。
行き成り送り込まれても困るけど植物には関係の無い事だよな。
何故誰も月に来ないのか?
色々考えてみて見当はつけたけどいつ来てもおかしくない状況にある事が分かっただけだったな。
人への対処は如何とでもなると考えているけど植物の動向だけは見当もつかない。
火星に人が来ても平時なら混乱は小さくて済むから来るなら平時に来て欲しいけど有事でないと人は逃げようとは思わないからきっと来るなら有事の混乱した時になる。
例えば地球に何かあって日本人が火星に逃げて来た時とか。




