- 5 奇才 -
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いつの世も闇は存在し、身を潜め、足元をすくう。
シルネと俺はその存在に気づくのが一歩遅かった。もう少し早く気づけば戦線を離脱できただろう。
闇はいつの世も貪欲であった。
*
地に咲く野花を踏みつけ巨大な体躯を悠々と動かし向かってくる者。
それは、8メートルを優に超える大きさで無言の圧力を感じさせる。
全身は布のようなもので覆われ、顔すら拝見できない人型の怪物は、こちらを見下ろして嘲笑するかのように横に身体を揺らし始めた。
異様だった。まるで見ているだけで命をむしり取られてしまう様な…
「シルネさん…何なんだこいつ?」
「……上級レイドボス………terror's」
シルネはそう言った、顔色が良くない。
レイドボスってあの、あれか?ゲームじゃあ、道中で出るうざったい奴。
「こうなったらにげられない…私がどうにかする。だからあなたは私が手渡しておいた魔法陣を使って逃げて。」
「なに言ってんだ。一人でどうにかするのは難しい相手なんだろ…?」
だったら俺も、というのを遮ったのは黙ったまま下をうつむいて首を横に振る動作だった。
「あれは本来ここに居ないはずのレイドなの…この前見せたでしょ?あの空の上にあるあそこのレイドボスなんだ…」
あの遺跡に行く事が、俺と契約したシルネさんの目的、いまだ到達していないその領域のモンスター。
実力じゃ及ばないって言いたいのか…
確かにそうだ。俺なんかじゃシルネの助けにならない。
けど、このままじゃシルネさんを見殺しにする。彼女がどういう思いで囮になるのかも分かっている。だからって何もしないのは納得がいかない。
“ 恐怖達 ”、そう呼ばれた怪物は揺れる身体を止め、何かを感じ取ったのか背中を丸くしだした。
「このモンスター、最初に受けた攻撃に合わせて姿を変えるの。何もしないと分かったから多分、何もしないはず。こんな劣勢の状況になった時、拍車をかけないよう学んでおいて良かった…さあ、行って、後で追いつくから…ね?」
こちら見て優しい微笑みを見せたシルネは、腰に挿している細長い長剣を抜き、構える。俺は彼女に背を向けて走ることで精一杯だった…
*
彼、助かるかな?うまく時間を稼げる自信は無いけど、全力を出して戦えば分からない。やるしかない…私しか今、彼を守れる人はいないんだから…
布にくるまれた怪物は腹に、二つの手から伸びる指先をめり込ませ始めた。布に力が加えられ、指先の当てた箇所に穴が開く。
そして自らの腹を布ごと引き裂き始めた。ブチブチと裂ける音は布からのもなのか定かではないが、重要なのは怪物が引き裂いたところから大量の黒い人型の怪物が濁流のように溢れだして来た。
*
–––––無理だった。
シルネの、優しい笑顔をただ見送ることしか出来なかった…
ああして誰かの犠牲になれる人の思い、それを踏みにじってでも戦う事を、自分に許容できなかった…悔しかった。助けようとしても足手まといになる。分かってる。
でも、どうにかしたかった…助けになるならしてやりたい。このまま諦めるのか…?あの元の世界で、出来なかったときと同じように…?
引くのか向かうのかどっちかにしろ…俺…‼︎
『少年には、答えがあった。』
足手まといでも何でもいい、置き去りにして何が仲間だ‼︎ 例え、会ってから間も無い繋がりでも…
『勝つ事への道順を、何処かで知った。』
(「うん、今更名前を聞いていない事に気づいた仲だけど、これからよろしくね?」)
人の約束を守れないで何が男か…っ‼︎‼︎‼︎‼︎
『少年は、勝利のみを知っていた。故に、英雄足り得る者となった。』
*
「やっぱ、強い…‼︎」
黒い化物の群れを一掃型魔法を行使し、突破出来たが、巨大な本体は一筋縄ではいかなかった。
化物は腕を振り上げる。
捻り潰すのには十分という程腕を振り上げる。ゆっくりと上に向く拳は、まるで死を迎えるまでの時を刻んでいる様にも感じた。
(もう魔力もない…………………終わった。)
死を迎えるにはあっさりとし過ぎる気分だった。勿論、その場から駆けて逃げる事もできた。しかし、身体から溢れる疲労に気力が敵う訳はなく、跪き、素直に受け取るしかなかった。
「うおおぉぉぉぉおおおお…っ‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎」
確かに聞こえたその声は、逃した筈の友のものだった。
*
走った。全力で走った。
生涯でこれ程までに躍起になり、疾走した事はなかったはずだ。
魔力のコントロールをヒルデさんから教わって、脚力も今までとは比べ物にはならない。
やがてシルネの姿が見える。怪物の猛威に晒され、今にも殴り潰されそうになっているシルネの姿が見える。
間に合え、
間に合え、
間に合え、
間に合え、
間に合え、
間に合え…‼︎
「うおおぉぉぉぉおおおお…っ‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎」
降ろされる巨椀、シルネとその拳の間に割って入り、突き飛ばす形でシルネの身体を吹っ飛ばした。
しかし、俺の身体、掠った左腕は吹っ飛んだ。追撃が俺の身を襲い、とうとう身体が宙を舞って、何メートルか分からないがその高さから落下した。背中を強く強打する。
息が出来ない…
視界が途端に暗くなる。
舞台のスポットライトが突如として消えたかの様。
終わった。
遠くで庇ったシルネが名前を呼んで、泣いている。それは分かった。でも、
動けなかった。
だが、意識はなかなか離れていこうとしない、往生際の悪い俺はまた直ぐに目を覚まし、立ち上がった。
息が出来なかったのが嘘の様に肺に空気を送り込めるようになり、そして左腕も何もなかった様に存在していた。
寧ろ、身体に痛みもなければ、不調な所が無くなっていた程だ。
何がどうなっているか分からない。
そして、消えた痛みの代わりに湧き上がった物は疑問だけじゃない。
怒りに近い。心の根底から全てがその思い一色で染まり上げてゆく。
頭には、一つの単語が浮かんでいた。
そうしてそれを呟けばどうなるかも知っていた。
「一思いの恐怖……‼︎」
戻った左腕は、化物と同質で、同等の大きさの腕に変わる。
「これでも喰らえ……‼︎」
その左をただ振り下ろしぶつける。
驚く怪物は何が起こったのか分からず、ただ自らの左腕が吹き飛ぶのを許した。
「グォォォォオオオオオオオッ…‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎」
もっかい喰らってろ…てめえの腕で俺は超える‼︎
「いくぞぉおお‼︎ 思っきし、ぶっ飛べえぇぇええええええええっ‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎」
俺の左腕は、奴の頑丈な巨体を、大木が風で倒された時の様に、凄まじい音と共にぶち抜き、怪物の身体からは眩しい光がシャワーの様に吹き溢れた。
やがて怪物は崩れ、光の粒になって弾けた。
*
「何で、来たの…?」
「足手まといでも来たかった。一度、後悔した事があったから…」
それだけ言うと気付いた時に俺は、首元に細い腕を回されて、抱きしめられていた。
今回の報酬はもう、これで良いです。
もうちょっと強く、もうちょっと強く、うん悪くない悪くない。
「で、いつまで泣いてるんだ、シルネさん?」
こうして俺はどうやら足を挫いてしまっているシルネを背負って、シルネ監修の元、紙に書いている魔方陣を手のひら目一杯に広げ、行使し、帰る事になった。
*
「あ、ランク上がってる。」
「え」
自宅に帰り、リビングのテーブルでステータス表示をした。丸い透明な、皿の様な物が空に浮かび、シルネはそれを眺めて呟いていた。
聞き逃さなかった俺はすかさず問い掛ける。
「上がったって、上がるものなのか?」
「うん、ランクは上昇する事もあるよ?」
珍しいけどね、と言って上昇されているという通知履歴から辿って上昇したらしい項目を俺に告げる。
「………嘘、…SR…に成ってる。」
*
SRに俺が成っているのは俺の発現したスキルのせいらしい。
このせいでまたも窮地に追い込まれる事になる訳だが、拒む権利はいつも無い。