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オープニング2-2 役者は舞台に招かれる

 早朝の空気はからっと冷えていて清々しい。太陽がちょうどビルの隙間から顔を出す時間帯。街は静かに少しずつ覚醒し始めているらしくいたるところから車のクラクションや、人のざわめきが目立ち始めていた。こんな時間に俺が外にいることは珍しい。いつもなら家で、もそもそと食パンをかじりながらテレビを見ているところだ。それがすでに学校の校門前にいるなんて奇跡に近い。

 しかし、朝の爽やかな景色とは裏腹に俺は全身全霊で不満を表していた。別に早起きしたことが気に食わなかったんじゃない。そりゃあ、朝が早くて不機嫌なのは多少あるが、それが最大の原因ではない。

「なあ山手……、いい加減機嫌直してくれよ」

 むすっと腕を組む俺の前ですまなそうな顔で手を合わせているこの男、すべては後藤暁良ごとうあきらのせいだった。


 時を遡ること先週の金曜日。

 夏休み前最後の学校の日、放課後にオカ研に顔を出していた俺がそろそろ帰ろうとした時だった。

「何言ってんだよ山手。お前も行くんだよ」

 突然後藤にそう言われ、俺は一瞬なんのことかわからず固まった。だがすぐにそれが旅行のことを指していると思い至りますます混乱した。

「“何言ってる”はこっちのセリフだっての。俺、オカ研のメンバーじゃないぜ?」

「そんなこと知ってるよ。けど、山手も行くんだよ」

「なんでだよ!?」

 全く関係のない自分が行く意味がこれっぽっちもわからない。俺の顔を見て後藤はまるで頭の悪い子供に言い聞かせるように優しげな顔で説明を始めた。

「考えてもみろよ山手。俺たちはこれから向かう旅行先は怪奇・怪異現象の発生する頻度がかなり多い危険極まりない場所なんだぜ? そこに向かうのになんの準備も無しってのはちょっと無謀だろ?」

「……まあそうだな。で?」

 後藤の方を嫌な予感を感じながら見ると、相変わらずの笑みで爽やかに答えてくれた。

「だから、そうゆう専門家が一人くらいいないと話にならないだろ」

「……その専門的立ち位置になぜ俺がいるのか説明してもらいたいんだが」

 遺憾の意! 全くもって意味不明である。次に言うであろう後藤のセリフはあらかた予想がついていたが、それでも聞かずにはいられなかった。案の定、想像通りのセリフを後藤が喋る。

「だってお前は霊……」

「違うっつってんだろ!! いい加減分かれよ!」

 最後まで言わせることなく怒鳴る。毎度毎度変わらないパターンに実はこいつわかってて言ってんじゃないだろうかと勘ぐってしまう。もしそうなら何を考えているのかまるでわからない。わかってなくて言ってんのも充分迷惑な話だが、俺が偽物と知っててなおも俺に嘘を共有してくるのならことさら迷惑だ。ていうか不気味だ。後藤が何か言う前に長浜が横槍を入れた。

「なに言ってるの! 山ちゃんが自分で言ったんだよ? 1年のはじめにクラスの自己紹介で」

 う……、それを持ち出すなよ。黒歴史なんだから。

「だからそれは―――」

「俺も人づてに聞いた。初めてそれ聞いたときはとんだイカレやろうがいるもんだと思ったが、本当だったんだよな」

 俺が弁解するより早く今度は衿間が乱入してきた。君らは、ホント人の話は最後まで訊けよ。というかちょっと待て。なんか今、すごくひどいことを言われた気がする。

「違うってだから―――」

「俺はすでに1回、お祓いしてるところを見てるんだぜ」

 後藤がさらに遮ってきた。わざとだろ。お前のは絶対にわざとだろ。後藤は睨みつける俺を気にした風もなくすまし顔だ。そもそもお祓いしてるところって、いつの話だよ。全く身に覚えがないんだが。後藤の話に長浜が勢いよく食いついてきた。

「おおお~~! 山ちゃんすっご~い!私にも旅行先で見せてよ!」

「あのね、君たち話をちゃんと……」

「これで嘘だったなんて言われりゃ、山手の人気もガタ落ちだっただろうが、本当なんだよな」

「聞けーー!! って……に、人気?」

 衿間のセリフに俺は叫んでいたのをピタリと止めてしまった。妙に気になる言葉を聞いた気がする。衿間が妖怪大百科から顔を上げ俺を見た。チラリと本に視線を送ると、『ぬらりひょん』という文字とひしゃげた顔のおじいさんがポーズをきめて立っていた。本の中のおじいさんのうろんな目と視線が合った。こっち見んな。

「あれ。知らないのか。けっこうお前の隠れファンこの学校にいるんだぜ?霊媒師なんてかっこいいって」

「あーそれ私も言われたよ。山手君って本物なんだよね? って友達に。“もちろんだよ”って言っておいたけど」

 長浜が楽しそうに言う。俺はどう反応を返せばいいのか分からず口をパクパクと動かすだけで何も言えないでいた。代わりとばかりに後藤が口を挟む。

「なんだモテモテじゃないか山手。それで?さっきから何か言ってたけど、なんの話だって?」

 こいつ……。

 くそ。いまさらこの状況で『あはは。実は嘘でしたー』なんて言ってみろ。俺の隠れファンとやらがみんないなくなっちまうじゃねえか、それはもったいな……ゲフンゲフン! い、いや、こんな目を輝かせた子供(長浜)の夢を壊すのは気が引ける。仕方がないな、うん。

「いや! なんでもない! 朝は何時集合なんだ?」

「朝8時の予定だよ」

「よしわかった!」

 じゃあ今日は帰るぞ、と告げて俺は荷物を取り足早に扉へと近づいた。

長浜が笑いながら手を振ってくれた。

「土曜に学校でね! 山ちゃんっ」

 こうして俺はこのオカルト研究部の旅行になぜか参加することとなったわけだが……。


「なんでよりにもよって上弦(じょうげん)(ちょう)なんだよ…」

 むすっとしたままつぶやいた俺に後藤は曖昧に笑ってみせた。

 俺が不満、というか不安だったのは、これから向かう場所が以前訪れたことのある上弦町という町だとつい先ほど聞かされたことにあった。そりゃあオカルト研究部の旅行なのだからやはり、そういったポルターガイスト現象の起きやすい名所がある場所に行くだろうと踏んではいたが、よりにもよってSランクばりにヤバイあの場所を選ぶなんて正気の沙汰とは思えない。

 どおりで場所を最後まで言わなかったわけだよ。知ってたら、絶対に拒否してただろうからな。


 これから向かう町、上弦町は俺と後藤の2人で以前訪れ、世にも奇妙な体験をして帰ったとんでもない町だった。

 俺の中では、すでに近づいてはならないエリア、レッドゾーンに認定されている。ヤバイなんてもんじゃない。あそこにもう一度行くとか、後藤(こいつ)、馬鹿だろ。絶対馬鹿。ていうか馬鹿。

「そんな睨まないでよ。黙ってたのは悪かったけど、あそこに行くのを決めたのは俺じゃなくて弓道道場の師範代だから仕方ないじゃないか」

 後藤が肩をすくめて言う。俺は依然として変わらぬ態度で後藤を睨んだ。

「やめといた方がいいとか、染井に助言の一つくらいできたはずだろ。お前だってわかってんだろ?あの時見たんだから」

 後藤は『あの時』という俺の言葉にキラキラと目を輝かせた。なんでやねん。

「だからこそ、今回の旅行の場所にピッタリなんじゃないか! みんなもきっと気にいるよ」

 そう言いながら、背後の部員たちに目をやる。竪山先輩と染井を残し、あとのメンツはすでにこの場に集まっており、雑談に興じていた。といっても、長浜と衿間は相変わらず口げんかによるコミュニケーションだったが。

 集合時間まで残り数分なのでまだ遅刻ではないが、染井はともかく竪山先輩が来るのかがじつに不安だ。常に寝ている印象があるために寝坊したんじゃないかとヒヤヒヤもんだ。そんな心配事の傍で長浜と衿間のいつも通りなやり取りを見る。今は、昨日のテレビの特番、『この夏1番!恐怖映像ベスト50』について討論を繰り広げている。確かにあいつらなら、あの町に行ってもはしゃいでそうだ。呆れて2人を見守る俺を見ながら、後藤がニヤリと含み笑いをした。

「……なんだよ」

「山手だって、じつはそんなにいやじゃないだろ」

「は!?」

 どうやったらそんな発想になるんだ。俺の全身全霊の嫌がりようが見えないのか?

訝しむ俺に後藤が、だってさ、と楽しそうに笑う。

「本当に嫌なら今からでも帰ればいいじゃないか。先生はまだ来てないし、山手が本気で嫌なら俺だって無理やり連れてこうとはしないよ。けど、文句言っても逃げようとしないってことは満更でもないんじゃないか。……まあ、あそこには未希さんや結美さんがいるしひょっとしてまた会えないかなあなんて期待してんじゃない?」

 ニヤニヤと笑う後藤がうざったい。

 クールに「なわけないだろ」とそっぽを向きながら言い返したが、見事に図星をつかれ、内心は穏やかではなかった。

 あの2人とはメアドを交換して以来、ほとんど連絡をとっていない。お互いよくわからないまま別れたため、なにを話せばいいか分からず、俺からは連絡しなかったし、向こうからメールが来ることもなく、一夏の思い出として見事に昇華しかけていた。

 だから再びあの2人に会えるなら、俺は是非とも会いたいと思っていた。恐怖体験なら二度とごめんこうむるが、普段は会わない友人に会えるのなら、悪くないかも、なんてうっかり考えちゃったのである。悪いかっ。

 言い訳を胸中でつぶやいていると、そっぽを向いた先に黒いセダンが向かってくるのが見えた。ブロロロロ…と唸りを上げていたセダンは近くまで来ると減速し、俺たちの前に止まった。エンジンが切れて運転席からひょいと染井が顔を出す。なんだか普段と雰囲気が違う。スーツ姿じゃないせいだろうか、白い半袖のブラウスがやけに若々しく見えた。

「よっ! 待たせたな野郎ども!」

 ……今の挨拶で台無しだけど。おっさんは言動の根っこの部分までもがおっさんだった。バタンとドアを開け放ち、地面に下りる。長浜と衿間は、すでに言い争いをやめていた。

「先生……、私女の子なんですけど」

 ぶすっとむくれる長浜に染井は悪りぃと一言謝りながら、後部座席のドアを片手で開け手招きした。

「ほら。レディーファーストでどうぞ? お嬢さん」

 お、おっさんくせー! クサすぎる! なんだそのキャラじゃないセリフは! 本気で寒気がしている 俺をよそに長浜は笑いながら「またそれー?」と言ってから車に乗り込んだ。

 ま、また!? またってことは普段からあんなクソ寒いセリフを女子には言ってんのかあのおっさんは!? 男子に対する態度と贔屓が過ぎるぞ! てか、なんかウケてたし!なぜだ! 呆気にとられてなにも言えない俺ははんば放心状態で染井を見ていた。俺の視線に気がついた染井が眉を寄せる。

「なにほうけてんだ?山手。お前も準備できてんなら早く乗れ」

「先生!まだ竪山先輩が来てないんですけど……」

 答えたのは俺ではなく、隣にいた後藤だった。そう言われればそうだ。俺はハッと我に返りうなずいた。やはり先輩は寝坊だろうか…。

 しかし染井は慌てる様子もなく、「竪山ならここにいるぞ」と運転席の窓をコンッと叩いた。

「は?」

 ぽかんとする俺たちに染井は運転席のドアを開けてみせた。

「ほら」

 言われるままに見ると、確かに運転席の奥の助手席に竪山先輩が座っていた。眠たげな目を擦りながら、俺たちに気がつき手をあげる。俺たちも戸惑いながら挨拶をする。

「なんで先輩が先生と一緒に居たんです?」

 後藤の質問に染井は軽く腕を組み竪山先輩を顎でしゃくった。

「竪山のことだから絶対寝坊するだろうと踏んでな。先にこいつの家に寄って引きずり出して来たんだ」

「な、なるほど…」

 さすが先生。抜かりがない。

 染井は「わかったら出発するぞ」と俺たちを急かし、後部座席に押し込むと自分も運転席に乗り込んだ。


 先生の愛車の黒のセダンはどうやら新品らしく、中も綺麗なものだった。少し狭いが連れて行ってもらう手前、文句は言えない。とりあえず、こんな密着した空間で喧嘩をされてはたまらないので長浜と衿間は離して間に俺と後藤を入れた順番で座る。助手席の竪山先輩はすでに眠りに入る姿勢になっている。助手席の人間は1番寝てはいけないはずなんだけど。そんなことを竪山先輩に期待する方が間違っていると言うもんだ。

 俺たちの乗車を確認して染井がカーボックスからサングラスを取り出した。

「せ、先生……?」

 カチャリとグラサンをかけた染井がミラー越しにニヤリと笑う。

「ガキども……シートベルトをしてろよ。ちょっとばかし揺れるからな」

 エンジン音が鳴った瞬間気づいた。あ。この人、ハンドル握ると走り屋になるタイプだ……。

 俺が青くなるより早く、唸りを上げてセダンが発進した。車内は悲鳴と、(なぜか)スピーカーから聞こえてくる軽やかなビートルズの歌で包まれていった。


「着いたぞ」

 荒ぶる運転の嵐の後、こともなげに染井が告げた。生きてる……! 俺はまだ生きている!!

 俺は生の喜びを噛み締めつつ、ドアを開けてこちらを眺める悪魔のようなおっさんを弱々しく見上げた。とてもじゃないが、今はうまく喋れる気がしなかった。ちなみに俺以外のメンバーも似たり寄ったりの状態でぐったりとうな垂れていた。みんなそれぞれ頭を抑えながらむくりと起き上がった。

「せんせい……酷い……っ」

 涙ぐんでそのセリフはやめようか長浜。すごく犯罪臭がするから。

「死ぬかと思った……」

 同感だ。衿間。青ざめる衿間の横で後藤が染井の方を見上げた。

「せ、先生……生徒が乗ってるっていうのに、あんまりですよ……」

 ぐったりしながら言う後藤に対して、言われた本人は心外だと言わんばかりにグラサンをとりながら眉を寄せた。

「なにいってんだ。お前らが乗ってるからこそ安全運転に徹していただろうが。竪山なんて爆睡してたぞ?」

「うっそ! マジで!?」

 染井の言葉にギョッとして身を起こすと、ドアの向こうを見た。外で竪山先輩が伸びをしながら、歩いていた。

「先輩……平気だったんですか……?」

「ん……? どうしたお前ら。元気ないな」

 竪山先輩はピンピンしていた。それこそ寝不足がすっかり解消されてすっきりした顔立ちをしている。

「元気ないな……って、むしろ先輩はなんでそんなに元気なんですか……」

「そりゃあ、寝たからだろ」

 不思議そうな顔で答える先輩に染井が笑いながら肩を叩く。

「お前は本当に……、走り出した途端に寝やがって。助手席の人間は運転手を退屈させないという義務があるんだぜ?それを早々に放棄するとはな」

 竪山先輩は腕を肩に乗せたまま嫌味ったらしく笑う染井を鬱陶しげに押しやった。

「そんなの初めて聞きましたけど……。てか、暑苦しいんで離れて下さい」

「ったく、可愛げのねぇ」

「俺に可愛げがあったら気持ち悪いでしょうが」

 ツンとして答える先輩に染井は全くだ、と笑いながら腕を離した。野郎同士でいちゃつくのはやめてもらいたい。今は、ただでさえ吐き気に襲われているのだから。

 俺は深いため息を吐いて、ゆっくり地面に降り立った。まだフラフラする……世界が回っているようだ。いや、地球は実際回ってんだけど、まさか体感できるとはね。

 ぼんやりとしている俺の背後ではいまだに呻いているオカルト部のメンバーたちを染井が引っ張り出しているところだった。

「おい、お前ら。いい加減出て来いよ。目の前に立派な旅館があるんだからもっとガキらしくはしゃげ」

 無茶をいう染井にこうなったのは誰のせいだよ、と文句を言いたいのを堪えて前方を見た。染井の言うとおり、そこには見事な旅館が聳え立っていた。入り口の門構えは木材で出来ており、下には綺麗な石造りの道が並んでいた。昔ながらの銭湯のような雰囲気に、時代錯誤を感じながら一歩近づいてみる。

 門の横には松の木が綺麗に刈り取られた状態で並んでいて、屋根の黒い瓦と綺麗にマッチしている。見上げると煙突のような白い柱が見える。湯気が出ていることからおそらくは温泉があるのだろう。おそらくこの旅館はかなり昔からあるのだろう。風流、というべきなのか趣きがある気がする。

(いいところだな)

 漠然とした感想がそれだった。

 後ろからザッザッと砂を転がしながら、竪山先輩が近づいて来て俺の横に並んだ。

「……いいな。雰囲気あって」

「ですね。先輩は旅館よりホテルってイメージですけど」

俺が言うと先輩は、こっちを向いて苦笑した。

「なんだそれ」

「いやなんか、先輩が泊まるなら旅館より、ビジネスホテルの方が似合いそうだなって」

「どんなイメージかわからんが、俺はけっこうこういう場所は嫌いじゃないんだぜ」

 ……そうなのか……。

 意外な思いで先輩を横目に見ていると、ようやくうな垂れていたメンバーがこちらに近づいてきた。先生に文句を言っていたメンバーも旅館を見上げるとすぐに目を光らせてはしゃぎ出した。全く、現金な奴らだ。

 染井がゆっくり俺たちの前に立つ。パンパンッと手を叩き注意を向けさせる。

「はい注目! 今日から3日は、お前らは自分たちで行動してもらうぞ。自分たちで計画し、話し合い、動くことになる。まあ、この旅館で朝昼晩の飯はついてるし、風呂だって温泉がある。不自由はしないどころか、お前らには贅沢過ぎるほどの生活が送れるだろう。俺は、言った通りこの近くの弓道道場の指導に行く。泊まるのも弓道道場の奴らと同じ場所だからお前らと次に会うのは4日後の朝だ。なにかトラブルがあれば俺の携帯に連絡しろ」

 そこまで一気に言って染井は息を吐いた。修学旅行なんかで言うような注意事項などのお決まりのセリフをそのまま言っただけのようだ。たいていの奴は修学旅行前にそんな長ったらしいつまらない注意事項なんて聞いちゃいない。今回も例外ではない。

 ぽけ〜っと聞き流していると、染井が底意地の悪い不気味な笑い顔をした。

 怖ッ! 健全な高校教師の笑い方とは思えない。訝る俺たちを見ながら染井は続けた。

「……とまあ、今のは言っとかなきゃならねぇ決まり文句なんだが、常識的に考えて生徒を教師の目の届かない場所に放置するなんて、世間一般じゃあ『監督不行き届き』だとかで叩かれても文句は言えねぇ。お前らも知ってるだろうが、俺は自分が大事だ。『自分に甘く人に厳しく』が俺のモットーなんだが、そんなことを言えばとんだクズ野郎だとなじられる。だが、真面目に生きてりゃそう言いたくもなってくるさ。そんな自分が1番な俺がこんな危ない橋を渡ると思うか?」

 …………教師の風上にもおけねぇ。

 なにを自慢げに最低なことを言っているんだこいつは。

「いいえ。思いません」

 俺は辛辣な目で染井を見る。染井の質問に答えたのは後藤だった。染井が満足げに笑う。

「ならなんで俺がこんな危ない橋に足をかけているか、分かるか?山手」

 名指しで呼ばれ俺は眉間にシワを寄せた。

「さあ?全然検討もつきません」

 染井は俺の嫌悪感むき出しの態度に苦笑いした。

「そう邪険にするなよ。俺が熱血タイプの教師じゃないことは知ってただろ? それともお前はそんな風に、真っ正面から向き合ってくれる教師の方が良かったか?」

「どっちもクソくらえです」

 俺の答えに染井は目をしばたかせ、爆笑した。


「ぶッ、ククク……はー……っおかし……やっぱり、捻くれてんなぁお前。だから俺、お前が大好きだぜ」

 にっこり笑う染井の笑顔ほど守りたくないものはない。むしろ壊したい。

「俺は先生のこと割と本気で苦手ですけど」

「"苦手"、ね。正直だな山手。まあお互いの印象について語るのはここまでにして…俺が橋を渡る理由だが、まさにそれだよ」

「はい?」

 それ、とは何を指しているのか。俺は首を傾げた。染井が俺だけでなく、ここにいる全員を見ながら言う。

「俺はな、大半の高校生はガキだと思ってる。別に体がまだ発育段階だからってわけじゃなく、精神的にガキだからだ。社会に出たこともない甘ちゃんばっかだから仕方がねぇのかもしれねぇが、未成年は守られる存在だと思って安心している馬鹿が多すぎる。子供(おまえら)の安穏の生活なんざ、ルール破りの大人が居たら一瞬で砕け散るってのによ。大人がルールを守ることは疑わねぇくせに、自分たちは学校っていう小さな社会のルールすら守れねぇ。その矛盾に気づかねぇで文句しか言えねぇから高校生はガキなんだ。だがな、ここにいるお前らはそんな馬鹿なガキじゃねぇと俺は思ってる」

 突然の染井の評価に俺は面食らった。今の染井の弁はこの平和な日本国内においてあまり推奨されるべきでないものだ。染井は大人が決していい人ばかりではないから、簡単に身を任せるべきではない。子どもも自分で自分を守れなければダメだと言いたいのだろうが、それでは大人の中には悪い奴がいると言ってしまっているようなものだ。

 それはダメなのだ。

 もちろん悪人がいることくらい知っているが、子供が大人に対する不信感を持ってしまっては、大人に頼り切ってしまっている今の社会で、子供はどうやって安心すればいいというのだ。それに、俺はまだ自分が染井の言う馬鹿なガキではないと断言できなかった。

「先生はどうして俺たちが違うと言えるんです?」

 黙って聞いていた後藤が真剣な顔で染井に問いかけた。俺も便乗してうなずく。染井はそんな俺たちに不敵な笑みで返した。

「お前たちは山手が言ったように俺にあまりいい感情を持ってないだろう?」

「そんなことないよ!」

 長浜が間髪入れずに答える。染井もこれには予想外だったのかおもわずというように苦笑いした。

「ありがとな長浜。けど、お前だってさっきの俺の言葉にムカつきを覚えただろう?」

「そ、それは……けど! 先生のこと嫌いなんかじゃないよ!」

「信頼は出来ませんが、信用はしています」

 衿間が平然と答える。竪山先輩は聞いているのかいないのか、全くの無反応だ。目の前の生徒の意見に染井がうんうんと頷く。

「衿間の言うとおり。それでいいんだ。子供は弱いまんまじゃ一生ガキだが、強かに相手を利用してやればそれはもう立派な大人だ。お前らにはそれができる。気に食わない相手がいるからってそいつと関わることを避けてちゃ、社会に出てやってけねぇんだよ。お前らが想像するよりずっと気に食わない奴はそこいら中にいるんだぜ。面倒ごとを避けてきた奴らは今まで通りそいつら全員と関係を絶って仕事すんのか? って話だ。ようは割り切れってことよ。嫌いな奴がいようと表面上は普通に会話をする強かさ。そいつがあればもう歳は関係ねぇ。そいつは大人だ」

 大人のイメージがどんどん酷いものになっていくな……。でも仕方ない。目の前の大人が、そう教えてくるのだから。俺はため息をついた。

「で、先生は俺らに何を求めてんです? 前置きが長すぎやしませんか」

 竪山先輩がつまらなそうに口を挟んだ。いい加減退屈だったのだろう。

「悪かったな。俺は数学教師なんでね。スピーチは苦手なんだよ」

 染井はムッとした顔で竪山先輩を見てから人差し指を自分の鼻先に立てた。

「お前らは大人ということがわかった上で、だ。大人どうしの約束をしようじゃないか」

「どういうことです?」

「察しが悪いな山手。俺との約束は一つ、"俺の携帯を鳴らすな"。以上だ」

「え? それだけ?」

 長浜はそう言ったが、俺は瞬時にそれが何を示すかを理解した。トラブルがあれば携帯に連絡しろと先生は言った。それを鳴らすなと言うってことは、トラブルを起こすな、もしくは起こしても俺に頼るなと言っているのだ。

「その一言を言いたいためにあんな無駄話したのかよ」

 呆れ声を出す竪山先輩に染井は「教訓にしろよ」と笑った。

「冗談でしょう。そんな面倒な生き方俺には無理です」

「ニート予備軍め。お前みたいのが増えてるから俺の仕事がなくならねぇんだよ」

「働き口がなくなるよりマシでしょ」

 罵り合う2人に構わず、後藤が染井の方を向いて口を開いた。

「わかりました。先生の携帯を鳴らさなかったらいいんですね?」

「ん?あぁ。4日後には迎えにくるからそれまでおとなしくしててくれりゃそれでいい」

 まあマジでなんかあれば、すぐ連絡しろよと染井は矛盾を素で言ってのける。

「先生。携帯鳴らすなって言ったそばからなに言ってんですか」

 呆れる俺に染井はハッと高笑いした。

「散々お前らは大人だと言ったが、山手、やっぱお前はガキだな……」

「はああ!?」

 マジで意味がわからない! なんだこいつ! 何が言いたいんだよ!

「正直さっきのは、ただの詭弁なんだが、改めてお前がガキだと言うことがわかった」

 詭弁かよさっきの! てかなんで俺だけガキ扱い!? 染井は衝撃を受ける俺をよそにスタスタと車に向かっていた。

「じゃ、4日後に会おう!」

「ちょっと待て! なんなんだよさっきの一言は! 説明して下さいよ!」

 俺が慌てて追いかけるも無慈悲に染井はバタンとドアを閉めてエンジンをかけた。

「聞けよッ!!」

 ウィーンと窓が開いて運転席からグラサンをかけた染井が顔を出す。

「それが分かればお前も少しは大人に近づけるんじゃねぇの?じゃ、あばよ」

「待っ……!!」

 言い終わらないうちに染井はエンジンをふかして行ってしまった。

 なにこのモヤモヤ感……。唖然と染井がいなくなった方を見つめる俺に後藤が横から肩を叩いた。

「山手、行くよ。先生が言ったじゃんか、割り切れって」

「なにをどう割り切れってんだよ…」

 納得がいかない俺に後藤が荷物を背負い直しながら言う。

「たとえば、先生の話だからって全部を全部間に受けないとか」

「は……?」

 ぽかんとする俺をよそに後藤はすでに歩き出していた。後ろにいた竪山先輩が同じように俺の肩を叩いてくれた。

染井(あいつ)の話の大半は虚偽(うそ)だ。真に受けると馬鹿をみるぞ」

 そう言ってから同じように歩き出す。長浜が笑いながら俺の背中を叩いた。

染井(さくら)先生が真面目な話してる時はたいてい法螺(ほら)話だから気にしない方がいいよー山ちゃん!」

 ダッシュで旅館に向かう長浜の後ろから衿間がぽそりとつぶやく。

「安心しろ。俺も過去に一回騙された」

 みんなの背中を見ながら俺は1人、立ちすくみ思考する。

 えーと……、つまり…………。

「あの長話全部嘘かよッ!!!」

 後に俺は染井が学校内で、『詐欺師(さぎ)染井(ざくら)』と呼ばれていることを知った。

もう一話、続けて更新します。これじゃ、何がなんだか分からないですから…!

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