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後編:show must go on.(下)

 巻島まりあとアンナ=バルバラ・ローゼンハインは早足で学院の廊下を歩いていた。その顔はともに険しい。

「学院にテロリストが入り込んでいるというのは本当でしょうか?」

 まりあは先を行くアンナに問いかける。

 電話をかけてきた幼馴染の指示に従いながらも、どこか懐疑的なのは不安によるものだろう。彼の言によると、今そのテロリストを追っているのだという。

「きっと本当でしょう。嘘を言う理由がありません。これが嘘なら悪質です。明日の特訓はいつもの2倍ですね」

 それに――とアンナは思う。このところ科学の秘密結社によるテロ活動が活発になってきているのは確かだ。まさかついこの間久瀬伊織とその話をしたばかりで、その標的にされるとは夢にも思わなかったが。

「今日は学校見学に来客の予定があったようです。私には直接関係ないので詳しくは聞いていませんが、後で確かめて見ましょう」

 アンナは早口でそう言い加えた。

「ところでアンナ先生」

「何ですか、巻島」

「先生のその格好はいったい……」

 まりあは改めてアンナの後ろ姿を眺める。

 桜色の小袖に朱色の袴。薄茶色の髪にも赤いリボンがついている。雰囲気は大正浪漫か女子大の卒業式だ。

「変ですか?」

「いえ、でも……」

 変ではない。むしろ似合っているのだが、ドイツ人のアンナがなぜにと思わなくはない。

「私がなぜ日本で教師をしていると思っているのですか?」

「日本が魔術先進国だからでは?」

「違います。ドイツも日本に勝るとも劣らない魔術大国です」

 ドイツはかつての指導者がオカルトに傾倒していたため、いち早く魔術を取り入れた歴史がある。おかげで今では魔術大国の一角として名を連ねているのだ。ただ単に教鞭をとる傍ら、研究し、知識を深めるだけなら、母国ドイツも最適の環境だ。

「私が書籍館学院への招聘を引き受けたのは、日本が好きだからです」

「……」

 日本オタクだったらしい。

「因みに、久瀬は似合うと言ってくれましたよ」

「……」

 りっくんめ……――まりあは思わず握り拳を固めた。

 

 

 

 伊織は歩きながら自分の中で整理する。

 ――勝利条件は何だろうか?

 必要なのは相手を倒すことではない。逃がさないことだ。

 何が目的かは知らない。だが、この学院で好き勝手し、簡単に銃口を人に向けるような輩を、そのまま黙って帰すつもりはない。

 そのための手は打ってある。

「……」

 が、まだ充分ではない。

 相手は、今はまだ躍起になってこちらを狙ってきてくれているが、どこかで見切りをつけて逃げの一手に出られたら、きっと追い詰め切れない。

 その可能性を潰したいところだ。

 突如、伊織の前方にタクティカル・トルーパーを身にまとった南郷が滑り出してきた。階段部で待ち伏せしていたようだ。

 南郷はリニアライフルをフルオートで撃ち出す。

「うおっ」

 それを咄嗟に身を屈めて避ける伊織。そして、低い姿勢のまま、バーストするライフルの弾を掻い潜り、獣のように南郷へと迫る。

 一定数の弾を吐き出してライフルが沈黙すると、床を蹴って跳び上がった。

 空中から強襲。

 側頭部を狙って蹴り上げるが、それは男の腕に防がれてしまう。

 着地すると同時、今度は上段回し蹴りを繰り出す。

 だが、南郷は上体を反らせてそれをスウェー。その瞬間、まるで耳元で青龍刀でも振られたかのような重い風切り音が耳朶を打ち、ぞっとした。

 伊織は続けて逆足での中段後ろ回し蹴りを連携で放つが、南郷は反重力装置による滑走で逃げ、空を切らせた。

 再び間合いが開き、一瞬の攻防の後の静寂の中、ふたりは対峙する。

「あんた――」

 伊織は油断なく構えながら口を開く。

「科学アカデミーって秘密結社のメンバーだろ?」

「! 小僧、なぜそれを……」

 南郷の顔色が変わる。どうやら正解だったようだ。アンナとの無駄話がこんなところで役に立とうとは。伊織はあえて不敵に笑ってみせる。

「さてね」

「やはりお前はここで消しておかねばならんようだな」

 その言葉に伊織は心の中でほくそ笑む。

 逃がしたくないのなら、こちらから追うよりも自分を追わせればいい。――そのほうが確実だ。

 

 

 

「ひとつ仮説があります」

 体育館の鍵を開け――これにどういう意味があるのか、さてこれからどうするべきか、と思案しているときだった。巻島まりあが口を開いたのは。

「久瀬君のことです」

「久瀬の?」

 アンナ=バルバラ・ローゼンハインは問い返す。

「高い素養をもつとされながら魔術をいっさい使えないその理由です」

「……聞きましょう」

 広い体育館の中で、まりあとアンナは向かい合う。

「魔力はちゃんとある。構文の構築は正確。にも拘らず魔術は効果を現さない。それなら答えはひとつです。魔力をもってエーテルに構文を記述するというシークェンスに欠陥があるに違いありません」

「……なるほど」

 アンナは静かにうなずく。

 確かにそれなら納得できる。魔術を発動させるまでには大雑把に、セカイの知覚と把握、構文の構築、エーテルへの記述、という工程を経て行われる。最終工程に欠陥があるなら、それまでの過程がどれほど正確に行われようとも、魔術が発動することはない。

「でも、先日の一件はどうします? 巻島が見たという異常な瞬発力をどう説明するつもりですか?」

 その通りだ。まりあは先日の事件で、伊織が尋常ならざる速さで動いたのを見た。魔術にはそれを可能にするものがいくつかあるが、彼に魔術が使えないというならそれはあまりにも不可解だ。説明がつかない。

「簡単です」

 まりあはさらりと言ってのける。

「エーテルを介さず魔術を使えばいいのです」

「エーテルを利用せずに?」

 首を傾げて繰り返すアンナ。

「はい。自分の内部に魔力を走らせて、同様の効果を得れば可能です」

「待ちなさい、巻島。それではまるで――」

 新時代の魔術――『自然式強制干渉改竄構文』はエーテルを利用して行使される。それは見方によっては科学と構図が似ているのだ。科学技術は誰でも同じ結果が得られることを目的としている。車を使えば誰でも短時間で遠くまで移動ができる。計算機を使えば誰でも複雑な計算が間違うことなくできる。

 現代の魔術もそれと同じだ。まだまだ素養によって人を選ぶところはあるが、かつてはひと握りの人間にしか使えなかった魔術が、エーテルを利用することでその裾野を広げた。今では科学と共存するまでになっている。

 だが、久瀬伊織がエーテルを介さず魔術を使っているというのなら――、

「それではまるで古い時代の魔術師ではありませんか」

 そう。それは多くのオカルティストや神秘学者が追い求め、そのほとんどが手にするに至らなかったもの。空想や物語の中にだけ存在した"本ものの魔術"だ。

「いえ、たぶんそんなにいいものではないと思います」

 まりあは複雑な表情で否定する。

「現代の魔術においてエーテルへの記述ができないということは、魔力が体の外に出ないということでしょう。ならば古い魔術においても、自分の内部で完結するようなもの――身体能力の強化や治癒といったものしか使えないはずです」

 つまり自分の外に効力を発揮する魔術は使えないということだ。

「く、久瀬……」

 アンナは思わず脱力した。

 落ちこぼれが一転して稀代の大魔術師になるかと思ったら、まさかこのような致命的な欠陥があるとは。

「そして、もうひとつ。このことは先日の一件を見てもわかるように、彼自身とっくに気づいているものと思われます」

「そのようですね」

 まりあから聞いた話でしか知らないが、もし伊織が咄嗟と無意識によって魔術を使ったのでなければ、自分の能力を熟知していることになる。それに時々彼自身が言っていたではないか。学院の望むかたちで期待に応えることはなさそうだ、と。裏を返せばそれは、望まないかたちでなら期待に応えられるということではないだろうか。

「しかし巻島、久瀬はなぜそれを黙っているのでしょう?」

「彼は昔から平穏を望む子でしたから」

 まりあは幼いころを思い出し、やわらかく苦笑する。

 アンナはそんな彼女をいろんな感情の入り混じった思いで見つつ、先日の事件で伊織が「一緒のクラスのやつが脱落なんてつまんないだろ?」と言っていたのを思い出した。あれも変わらぬ日常を望むが故の発言だったのかもしれない。

 しかし――と彼女たちは思う。

(私には言ってくれてもいいのに……)

 まりあとアンナは、小さな怒りに口の端を歪めた。

 そして、黙り込んだお互いを同時に見――目が合うと、誤魔化すようにして慌てて顔を逸らした。

「あれ?」

 そう発音したのはまりあのほう。

 ふと疑問が湧いたのだ。あの平穏を望む伊織が、なぜ道場になど通っているのだろう? いつ頃から格闘技を習いはじめたのだろう、と。

 記憶の糸を手繰り寄せ、思い出そうとするまりあ。

 

 しかし、そのとき、彼女の思考を邪魔するように轟音が鳴り響いた――。

 

 

 

 ブォン、とコントラバスの弦を弾いたような、それでいてどこか電子的な音が響き、南郷の左腕を覆う装甲から、一条の光が飛び出した。伊織はそれを辛くも避ける。

 隙を見て懐に飛び込んだところ、近接戦用ブレード、レーザーエッジで迎え撃たれたのだ。

「そんなもの隠し持っていたのかよ」

「当然だ」

 とは言え、南郷はこれをあまり使いたくなかった。

 光学兵器の多くは、架空科学と呼ばれる分野に携わる6人の科学者から技術供与されたものだ。技術供与と言えば聞こえはいいが、その実、突出した才能を持つ彼らにしてみれば、まるで猿に道具を与えて観察しているようなものだった。そして実際に、現代の科学ではその高度すぎる技術をほとんど理解できず、再現できないでいる。このレーザーエッジはどうにか実用にこぎつけた数少ない例だったが、これほど屈辱的なことはない。

 伊織は南郷の腹を蹴り、バランスを崩すと同時、その場を離れた。さらには転進して駆け出す。無論、南郷もそれを追ってきた。

 こうして追われる身になって、改めて伊織はタクティカル・トルーパー"アーバンファイター"の脅威を実感していた。

 兎に角、走破性能が高いのだ。

 先ほど階段を駆け下りたが、向こうは段差に関係なく平地と同じように滑走してくる。しかも、学校の校舎は構造上、方向転換は直角ばかりだが、そこも難なく曲がってくる。小回りも効くようだ。市街地戦を想定した"アーバンファイター"の名は伊達ではないということか。

 駆ける伊織の目の前、廊下の突き当たりに扉が見えてきた。防火扉のような壁一面の扉だ。彼はそこに飛びつき、どうにか開かないか試してみるが無駄のようだった。

「だろうな」

 伊織は苦笑する。

「まさに袋の鼠だな、小僧」

 そこに南郷の声。

 不意に伊織の膝が崩れそうになった。

「ずいぶん疲労しているようじゃないか」

「ああ、燃料切れが近いらしい」

 少し調子に乗りすぎたか、と伊織は後悔する。確かに普段ではできないこと可能にしてしまう万能感に気をよくしていた部分もあったが、それらを駆使しなければここまで張り合えなかったのも事実だ。

 だが、それももう枯渇しかかっている。おかげで弾道予測や反応が遅れ、少しずつかすり傷が増えてきていた。腕や足など、制服のいたるところが擦り切れ、血が滲んでいる。

 一方の南郷にも不安要素はあった。擬似魔力を核としたエーテルコンバータの稼働時間に限界が近づきつつあるのだ。案外後がない状況は似たり寄ったりなのかもしれない。ここで決着をつけるべきだと南郷は判断した。

「さあ、これで終わりだ」

 南郷がライフルを向け、伊織が身構える――が、銃口は沈黙したままだ。

「ちっ、弾切れか」

 舌打ちする南郷。

(今だ! 持てよ……)

 即座に伊織は覚悟を決めた。もしかしたら予備兵装サイドアームがあるかもしれない。だが、それがあろうがなかろうが関係はない。一気にたたみかける。ゴールはすぐそこなのだ。

 床を蹴り、踏み出す一歩。

 驚いたことに伊織はその一歩で、滑るように南郷の眼前へと迫ったのだ。――活歩と呼ばれる歩法だ。こんな愚直な突進は銃が弾切れを起こしていなければできるものではない。

 南郷が左腕を振るい、レーザーエッジで迎撃しようとしているのが見えた。身が竦む。あのレーザー光線にはどれほどの切れ味が備わっているのだろうか。人体などあっさり両断してしまうのかもしれない。―― 一度下がってやり過ごすべきか?

(思い出せ!)

 だが、伊織は自分を奮い立たせる。

 自分はなぜ強くなろうと思った? 明日の平穏を脅かす敵を、今日討つためではなかったか。「明日も平和だといいね」と何気なく言った少女の言葉が、この上なく大切なものに思えたからではなかったか。

(ならば怯えるな!)

 まずは拳で相手を突き上げて打つ、揚砲。その一撃は敵を打つと同時に己が恐怖心をも打ち砕いた。

 南郷がよろける。

「しめた!」

 伊織はその隙を突き、南郷の横をすり抜ける。

「逃がすか、小僧!」

「逃げるつもりはない!」

 何とか踏みとどまり、伊織を追おうとする南郷。だが、伊織は振り返ったすぐそこにいた。

 震脚で踏み込み、背中でもたれるようにして体当たりを喰らわせる。至近距離で放った必殺の鉄山靠は爆発的な破壊力を生み、南郷の体を鉄扉まで吹き飛ばした。鉄扉の各部が軋み、悲鳴を上げる。

「ぐ、お……」

 鉄山靠の直撃に加え、背中から鉄扉に叩きつけられ、そうとうのダメージを負ったであろうが、南郷はそれでも動こうとする。

 伊織は道場の師範の言葉を思い出していた。曰く「相手を吹き飛ばせば、それだけ力が分散する」。つまり技は敵を吹き飛ばさないように放てというのだが、さすがにそれは達人の領域。伊織には土台むりな話だ。

(だったら!)

 そうならない状況で喰らわせればいい。伊織はそう考えたのだ。

 再び南郷へと迫る。

「おおっ!」

 裂帛の気合いとともに、渾身の靠撃が炸裂した。

 2度目の鉄山靠は鉄扉との挟撃。南郷を磔刑に処する。

 そして、ついに鉄扉の耐久度が限界を超え、壊れた。ふたりはもつれるようにしてその向こうへと転げ出る。

 

 そこに巻島まりあとアンナ=バルバラ・ローゼンハインの姿があった。

 

 校舎から体育館へとつながるこの扉は、普段からほとんど使われていない。入学式や卒業式などの重要な式典や、各界の大物を迎えての講演会などのときに利用されるのみだ。故にまりあもアンナも、ここを開けるという発想が抜け落ちていたのだろう。

「りっくん!」

「久瀬!」

 ふたりが同時に発音する。満身創痍、傷だらけの伊織を見て、その声はほとんど悲鳴に近い。

「よう、ふたりとも。悪い。さすがにもうむりだ。後は、頼む……」

 伊織はそれだけを言うと、自分の仕事は終わったとばかりに倒れ込んだ。

 南郷がよろよろと立ち上がる。状況を確認しようと辺りを見て、そこでふたりの女の姿を認めた。ひとりはこの学院の生徒らしき少女。そして、もうひとりの顔を見て驚愕する。――アンナ=バルバラ・ローゼンハイン。ドイツ魔術庁公認の"魔術師マギエ"だ。今回の任務で最も出会ってはならない危険人物だった。

「貴方が学院に入り込んだというテロリストですか」

 問う彼女の声には、隠しきれない怒りが含まれていた。そして、その隣の少女は目に見えて激怒していた。

 南郷は、今度は自分自身を確認する。まだ戦えるかどうか。この状況から逃げ出せるかどうか。

(エーテルコンバータがやられたか……)

 だが、先ほどさんざん扉に叩きつけられたためか、動力源であるエーテルコンバータが機能していなかった。自身へのダメージも大きい。これでは戦闘能力は皆無だ。おそらく逃げることも叶うまい。

「悪いが、捕まるわけにはいかんのだよ」

 生きた情報源として捕虜になるのは勿論のこと、保有する技術の一端とは言えタクティカル・トルーパーやエーテルコンバータといった超科学をまだ知られるわけにはいかないのだ。

 南郷は量子変換して格納していたそれを取り出した。

 それが小型化された高性能ナパーム弾であることは、まりあもアンナもすぐにはわからなかった。だが、男がそれを抱え込んでうずくまったことで、自爆することだけはわかった。

 アンナが両の掌を男へと向ける。

 魔術で男の四方に半透明の壁が築かれるのと、爆発とともに男が炎に包まれるが同時だった。

 他方、まりあもただ黙ってそれを見ていたわけではなかった。男の意図に気づいたときにはもう、彼女は走り出していた。男のそばで気を失っている伊織を抱え、そこから離れる。

 四面を壁に囲まれた中で炎が吹き上がる様はさながらキャンプファイヤーだったが、そう表現するにはあまりにも不吉すぎた。

 ふたりは黙ってそれを見つめる。

 やがて炎が消えると、そこには黒く焼け焦げた跡しか残っていなかった。男の体は完全に焼き尽くされたようだ。

「……」

「……」

 言葉はなかった。

 せっかく伊織が体を張ってテロリストをここまでおびき寄せたというのに、それを捕らえることもできず、情報を得ることすらできないまま死なせてしまったのだ。後味の悪さにふたりは押し黙る。

 と、そのとき、何ものかが体育館の扉を破壊して飛び込んできた。

 それは白銀のタクティカル・トルーパーだった。"アーバンファイター"のような戦車を思わせるような無骨なデザインではなく、もっと曲線の多い芸術性をも求めた意匠をしていた。

 そして、何よりも違うのは、それが空中に滞空していたことだ。背部にはフライトシステムのウィングが展開し、各部の姿勢制御用のバーニアからは光の粒子が絶えず飛び散っていた。さらにそばには湾曲した鏡のようなものが、従者のようにつき従って飛んでいる。

 目を覆うバイザーはミラーシェードになっているため、その相貌は窺えない。ただ、長い髪から女であろうと想像でき、桜色の唇の下の艶ぼくろが目を惹いた。

 彼女――冬部は、空中から辺りを見下ろす。

 この学院が擁するドイツの国家魔術師アンナ=バルバラ・ローゼンハインに、その隣にはうつ伏せに倒れた少年と、それを身を挺して守ろうとする少女。少年のほうは顔が見えないが、どちらもこの学院の生徒だろう。そして、そこから離れた床には激しく焼け焦げた跡……。きっと南郷だ。当初決めていた通りに自決したのだ。

 冬部は抱えていた長砲身のランチャーを構えた。

 と、同時にアンナも行動を起こしていた。彼女の周りに無数の波紋が現れ、そこから硝子の短剣が撃ち出される。

 だが、白銀のタクティカル・トルーパーを狙った硝子の短剣は、すべて湾曲した鏡状の飛翔体に防がれてしまった。短剣が砕け散り、破片は床に落ちるまでに霧と溶けて消えた。

 この随伴兵器は、高性能タクティカル・トルーパー"ハイペリオン"の固有兵装だった。作戦内容によって遠隔攻撃ユニットや広域バリアの発生装置などに換装できる。今は対魔術鏡面加工を施したディフェンダーだ。

 冬部は改めてランチャーでアンナに狙いをつけ――やめた。

 ここでことを構えても南郷の敵討ち以上のものにはならないだろう。それにこの"ハイペリオン"が戦うべき相手は魔術師ではなく、あの6人の科学者なのだから。

 冬部はもう一度黒い焼け跡を見やり、目礼してからこの場から飛び去った。

 残されたまりあとアンナは、何もわからないままではあるが、ようやくすべて終わったのだと思った。

 

 

 

 数日後のこと。

 冬部莉音ふゆべ・りおんは未だ深い後悔に囚われたままだった。

 有用な情報を収集して任務はいちおうの成功を収めたものの、部下を失い、その仇もとれないままに帰還した。もっとどうにかできたのではないか。たとえ無意味でも仇を討つべきだったのではないか。そんな思いが彼女を捕らえて離さない。

 傷心の莉音は今、無性にひとりの少年に会いたいと思っていた。

 かつて一度だけ気まぐれにコースを変えた朝のロードワークで出会った少年だ。あのときからずっと彼のことが忘れられず、今その思いは振り切れかけている。無力感に打ちひしがれた心がそうさせるのかもしれない。だからなのか、今朝は気がつけば無意識のうちに、あのときと同じコースを辿っていた。

 またここで会えるかもしれない。

 彼に会いたい。

 覚えてくれていなくてもいい。

 彼とすれ違い、その姿だけでも見たい……。

 そして、その淡い期待は天に届いた。前から走ってくるのは、確かにあの少年だった。それはまさにあのときと同じ場所。あの日の再現だった。

 一方、少年――久瀬伊織もまた、少女の姿を認めていた。

 伊織は前に一度ここで彼女と会い、以来、わけもなく彼女のことを思い出しては、気もそぞろに授業を聞くことが何度かあった。

 これで2度目の邂逅。

 自分はまた彼女に会いたかったのだと、今、初めてわかった。不思議なほど惹かれる。

 ふたりは次第に走るのをやめて、目に見えない何かに引かれ合うように歩きながら近づいていった。

 やがて手を伸ばせば届く距離で足を止め、黙って見つめ合う。

 ふと、伊織は少女の艶ぼくろに気づき、そういえばこの前はゆっくり顔を見る余裕もなかったなと思った。

「あ、あのさ」

「は、はい……」

 莉音は少年の発音を機に、自分が彼の顔をじっと見つめていたことに気づき、慌てて目を伏せた。顔が赤くなるのが自分でも感じられる。

「今日の夕方、会えないかな?」

「あ、はい。実はわたしも、そう思っていました……」

 それでわかった。相手も自分と同じ思いでいたのだと。

 互いの想いに触れたふたりは、はにかみながらも笑顔を交わした。



 

 かくして運命の輪は廻り、

 ミスキャストのまま物語は紡がれていく――。

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