第九話 「油性マジックは永久に落ちない」
第九話「油性マジックは永久に落ちない」
「むにゃむにゃー、英子ちゃーん、もー食べられないよー」
漫画やアニメの中でしか聞いた事が無いような、そんなテンプレートなセリフを吐きながら、びーこはすやすやと寝息を立てている。
食いたいだけ食って、言いたいだけ言って、遊びたいだけ遊んで。疲れたらその場で寝る。
お前はガキか! そう突っ込みをいれたいのを何とか堪えるあたし。
ここで起こしちまうのも無粋ってもんだ。
びーこが一体どんな夢を見ているのか? んなことは別に知りたくもねーし、そもそも興味が無い。
まぁ、確かに興味はねーが… ったく、幸せそーな顔しやがって。
あたしは、そんなびーこの横顔を暫く眺めた後、起こさないよう注意しつつ、彼女をそっとをお姫様抱っこした。
「こんなところで寝たら風邪ひいちまうだろーが。ただでさえお前は、お嬢様体質ってやつなんだからよ」
こいつの体調管理も、認めたくねーがあたしの仕事の一部と言えなくも無い。
あたしの仕事がお守だと揶揄されるのは、とどのつまりこういうところにあるんだろうな。
まぁ、愚痴っても仕方ないが。
あたしは、びーこをそのままゆっくりと彼女のベッドルームに運んだ。
起こさないよう注意していたとはいえ、相変わらずぐっすりと眠り続けるびーこ。
つーか起きる気配は微塵も無い。
ベッドに寝かせてやった後も、逆に気を使ったのがアホらしいくらいに、ぐっすりと涎を垂らしつつ眠るびーこ。
そんな顔を見て、あたしは……… やべぇ、無性にイライラしてきた。
はぁ。
つーか何であたしは、こんなお嬢様のお守なんてやってるんだろう。
今でも、この仕事を引き受けた自分自身を、信じられなくなる瞬間がある。
どう見てもあたし向きの仕事じゃねーし、どう考えてもあたしの柄じゃない。
だからってわけじゃ全然ねーが、たまには 「こんな事」 をしたって、決して罰はあたらねー筈。むしろ許されて当然の行為だと言える。
だからこそ…… あたしは、ポケットからあるものを取り出した。
◆
びーこが眠ってから数時間、時刻は深夜。
基本的に夜行性であるこのあたしも、いい加減眠くなるような深夜帯。
辺りは不気味なくらいに静まり返っている。
時間帯を考えれば当たり前のことなのだが、何分びーことの日常に当たり前や常識なんて言葉は通用しない。
人が想像できる全ての出来事は、実際に起こりうる現実である。なんて格言もあるが、びーこの場合は正にその逆。
あたしが想像も出来ねーようなことばかりが次々と起こる。
そんなおかげで、退屈しない、退屈知らずの日常生活ってやつが今も続いている。
だが、どうやら今夜は、そんな非日常とは無縁の夜らしい。
あたしだって人間だ。いくら夜行性であるとは言え、1日仕事をこなしてきた身である。そりゃー、疲労もたまるし、眠くもなる。
つーわけで夜も更けた… そろそろベッドに向かうとするか。
あたしがそんな結論に至りソファーから立ち上がった、まさにその瞬間、部屋のドアが勢い良く開かれたのだった。
忌々しい事に、あたしが眠りの世界へこの身を投じるのは、まだまだ先の話らしい。
「英子ちゃん英子ちゃん英子ちゃーん」
「英子ちゃん英子ちゃん英子ちゃーん」
いつものびーこのすっとんきょーな声が、何故か今日に限って二重に聞こえる。
こだまだろうか? いや、むしろ仕事のしすぎて幻でも見てるってか?
つーか、これ、声だけじゃなく、びーこの姿まで二重に見える。
…… 成る程、いつの間にかあたしは寝ちまったらしい。
つまり、これは夢だ。夢に違いねぇ。
「時にびーこ。スマンがあたしのほっぺをちょいとつねってみてくれねーか?」
あたしのそんな呼びかけに対し、二人のびーこは、それぞれ両サイドからあたしの頬を思い切りつねる。
「い、いふぁいふぁい、もういいふぁらもうふぁふぁっふぁら…… って、もういいつってんだろーがよ!」
あたしは、赤く腫れた頬をさすりながらそう叫んだ。
実に残念な事に、こいつは夢じゃねーらしい。現実。よりにもよって現実だ。
よーするにいつもの事、いつもの事態って事らしい。
びーこのやつ、またよからぬものを惹きつけやがって。
まったくもってやれやれな事態だぜ。
「あのねあのね、私、目が覚めたら隣に私が居て、でも私もここにいるから、私が二人になっちゃいまして」
「あのねあのね、私、目が覚めたら隣に私が居て、でも私もここにいるから、私が二人になっちゃいまして」
見事にハモるびーこ達。
騒がしさが2倍なら、苦労は2乗。あたしは既に、頭が痛くなっていた。
「あーあー、何となく事態は飲み込めたから、てめーら騒ぐな。いいか? 確かにこの世には自分と似た姿の人間が3人はいるなんて逸話があるが、普通、人間は分裂したり分身したりしねーんだよ。つ、ま、り。お前ら、どっちかが偽者ってわけだ」
恐らく、ドッペルゲンガーとかそんな類だろう。
この手のやつらは、やる事が単純なだけにその力は洗練されていて厄介だったりする。
ぶっちゃけ、瓜二つってレベルじゃねーぞ、これ。
背格好はおろか、声も髪型も、御丁寧に服装まで一緒ときている。
とはいえ、解決方法事体は至ってシンプル。
どっちかが偽者だというならば、その偽者をぶった切ってやればそれで終了。
簡単だろ?
まぁ、問題はどちらが本物のびーこで、どちらが偽者野郎かってことなんだが。
「うぇええええん、英子ちゃーん。私が本物です、あっちが偽者なんですー。信じてよー」
「うぇええええん、英子ちゃーん。私が本物です、あっちが偽者なんですー。信じてよー」
………… さっぱり分からん。
何から何まで一緒の二人。びーびーと泣くその姿まで一緒なのだから始末が悪い。
一瞬、別にこのままでもいいんじゃねーかなんて思ったものの、一人でも糞面倒で苦労のたえないこのびーこの子守が、単純に2倍になったらと思うとゾっした。
それだけはまずい。
一刻も早く解決しねーと。あたしの命に関わる。
あたしは、何かヒントを探ろうと、手で顔を覆いびーびー泣き叫ぶ眼の前のびーこ達を、必死に凝視した。
服装は二人ともパジャマ。ふりふりのフリルのついた、胸焼けがしそうな感じの可愛らしいパジャマ。
肌は二人とも透き通るような白。白人のガキ特有の高級陶器のような白さ。
顔はまるで人形のように整った小さな顔。今は、その長い金髪を揺らしながら目を腫らして泣いている。
ん? 顔? ……………… !!!
見つけた! 圧倒的で、確実な、二人のびーこの相違点。
間違ねぇ。まさか「アレ」がこんなところで役に立つとはな。流石はあたしだぜ。
さて、それさえ分かっちまえば話は早い。とっととこんな茶番を終わらせて、ベッドにダイブしようじゃねーか。
あたしは、ポケットをまさぐり、手に触れた1本のマジックペンを取り出した。
ああ、そうか。今日はナイフを携帯してなかった。
仕方ねーな。こうなったらこいつでカタをつけるしかない。
まぁ、格好はつかねーが、何だかんだいっても今回の場合、これはこれで御誂え向きかもしれない。
あたしは、一本のマジックペンを片手に持ち、ゆっくりと精神を集中し始めた。
「月は村雲花に風、月夜に提灯夏火鉢。… 今宵の我が月は、初月」
直後、あたしの手にしたマジックペンが青白い光に包まれ、やがてビームサーベルよろしく、その光の刀身をすらりと伸ばした。
「へぇ、悪くねーな。… さて、それじゃあ、準備はいいかよ? びーこ」
あたしの光剣を見て、がくがくと震え言葉も出ない様子のびーこ。
… ったくしょーがねーな。
「びーこ。心配すんじゃねーよ。あたしはあんたのお守役だぜ? と言っても、あたしがあんたの面倒を見ているのは、何も仕事だからってだけじゃない。前にも言っただろ? あたしは、嫌いなやつとわざわざ一緒の部屋で暮らしたりしない。あたしは、あんたのことを特別だと思ってるんだ。びーこの事を気に入ってるんだ。それともびーこは、そんなあたしのことを信じてくれねーのか?」
そんなあたしのクサイセリフに対し、物凄い勢いで首をフルフルと横に振って答えの代わりにするびーこ。
よし。びーこの覚悟も決まったようだし、もう一踏ん張りしてやるか。
あたしはニヤリと口元を歪ませながら、一方のびーこに対し、思い切りペンセイバーを振り下ろした。
例え見た目がびーこそっくりだろうと、それはびーこではない。
あたしが守りたいのは、びーこの外見や外側なんかじゃない。
だからあたしには、躊躇も戸惑いも一切無かった。
あたしの一撃を受けた偽びーこは、青白い光に包まれつつ、やがてその正体である黒い影のような体を露にしつつ、音も無く闇夜に消えていった。
二つに一つ。
あたしの選択は、どうやら正しかったらしい。
ほっと胸を撫で下ろしたあたしに向かって、びーこが涙と鼻水まじりのぐしゃぐや顔を携えて飛び込んできた。
「私、わたし、英子ちゃんのこと信じてましたから。英子ちゃんならぜええったいに本物の私を選んでくれるって信じてましたから。私たちは以心伝心だって信じてましたから」
「あ、ああ。んなもん当然だろ。なんつってもあたしとびーこの仲だからな。あ、あははははは。よし、びーこ。今夜はもう遅い、一緒に寝ようぜ、な?」
「はい!」
そう言って、眩しいくらいに純真で無垢で穢れの無い笑顔をあたしに向けるびーこ。
……… 言えない。
びーこが寝ている間に、このマジックペンで、その白い額に 「肉」 というイタズラ書きをしたなんて、口が裂けても言えない。
そして、そんな腹いせレベルのイタズラ書きが、本物と偽者を見分けるための決定打だったなんて事実、言えるわけがない。むしろ言わぬが花ってやつだろ、そんなのは。
終わりよければ全てよし。無事解決したんだから、そんなことは些細な問題。
そうだろ?
END