第八話 「電車の寝心地の良さは異常」
第八話 「電車の寝心地の良さは異常」
がたんごとん。がたんごとん。
オレンジ色の夕日に照らされながら、あたし達は揺れる電車の中にいた。
ここ最近のびーこの送迎には、もっぱら電車を利用している。
何故かって?
理由は簡単。
あのゾンビ事件で、あたしのスクーターがスクラップになっちまったからだ。
一応修理に出しちゃあいるが、当然ながら時間が掛かる。
つーわけで、その間の足として、あたしとびーこはこのローカル線を利用しているのだった。
まぁ、そんな事情はどうでもいい。
この際、あたしが言いたいのは一つだけだ。
…… 電車って、何でこんなに眠くなるんだろう。
あたしに寄りかかりながら、すぅすぅと寝息を立てるびーこ。
そんなびーこを見つめつつ、あたしの瞼もまた、いつの間にか降りてきて…
◆
ふと、目を覚ますと、車窓はオレンジ色から闇色へとその姿を変えていた。
くっそ。
どーやら、びーこにつられてあたしまで眠っちまったらしい。
慌てて窓の外を確認する。
あたしの目に飛び込んできたのは、全く見たことの無い風景。
… 最悪だ。完璧に乗り過ごしちまった。
とはいえ、ここで毒づいていても仕方が無い。一先ずあたしは、隣で未だに眠ったままのびーこを揺り起こすことにした。
「おい、起きろびーこ。どーやらあたし達、随分と寝過ごしちまったようだぜ… ってあたしの服によだれをたらすんじゃない!」
「ふぇぇ? あぁ、お早うございます英子ちゃん」
そう言って、あたしの服で垂れ流しのよだれを拭くびーこ。
「だぁあああ、垂らすのも拭くのも禁止だバカ。ったく、しょーがねーな。ほら、こいつを使え」
あたしはポケットからハンカチを取り出し、びーこに手渡す。
ファンシーなウサギちゃん柄のハンカチで、口元をぬぐうびーこ。
…… 言うな。何も言うな。
「え、英子ちゃん、英子ちゃん」
ぐいぐいとあたしの袖をひっぱるびーこ。
「あ? 今度は何だ? トイレか?」
「違います! あ、あああ、あれ、あれを見てください」
そう言ってびーこが指し示すその先にあるもの、それは。
車内に佇む複数の骸骨、シャレコウベ達の姿だった。
「こ、こいつは…」
焦ったあたしは、改めて車内を見渡す。
先程まであたし達と一緒にいた乗客達は尽くその姿を消し、代わりにいるのは何故か骸骨軍団。
それだけでも失神したくなるくらいの事態だが、問題は車内だけにとどまらない。
車窓から見える風景。
さっきあたしは、見た事が無い風景って言った。
どうやら、早くもその言葉を訂正せざるを得ないらしい。
窓から見えるその風景は、見慣れぬ風景どころか、そもそも日本の風景であるかも怪しい。
辺り一面、水面。視線の先にはレールすら存在していない。
この電車は、そんな水面の上を、まるで浮かぶようにして進んでいた。
ジーザス。
これらから導き出される答え。それは。
「英子ちゃん、私達…… 死んでしまったのでしょうか?」
「バカ言うんじゃねー。そんなわけねーだろ……… たぶん」
少なくともあたしは、誰かに殺された記憶はない。
ないっつーか、そんなのあってたまるかよ。
恐らくだが、これは黄泉列車だ。
死者を黄泉の国へと運ぶため、一路、三途の川をひた走る黄泉列車… なのだろう。
憶測の域をでねーのがもどかしいが。
「一先ず様子を見て回ろう。このままこいつに乗ってちゃ駄目な気がする」
震えるびーこにぎゅっと腕を掴まれながら、あたし達は列車内を徘徊する。
「ほねほねさんが一人、ほねほねさんが二人、ほねほねさんが三人」
「シャラップ! いちいち数えんでいい。つーか、ほねほねさんって何だよ。そんな可愛らしい見た目じゃねーだろ、これ」
シャレコウベ共は、何故か皆一様にうなだれ、俯いている。
まぁ、これからあの世ってやつに逝くわけだし、そもそも浮かれてるヤツがいるわきゃねーんだけど。
そして、暫く見て回ってもう一つ分かった事がある。
こいつらは、一様にして五体満足では無いという点。
腕の骨の無いもの、足の骨の無いもの。ひび割れているもの、砕けているもの。
大なり小なり、こいつらには欠損が見受けられた。
恐らく、死ぬ直前に負った傷や怪我なのだろう。まぁ、それらが死因かどうかは判断しかねるが。
成る程、これはつまり…。
怖いもの見たさってやつなのだろう。びーこはそんなシャレコウベ達を先程からじーっと見つめている。
これだけヒントがあるんだ。流石のあいつも、気がつくレベルの筈。
あたしは、びーこの口から真相が語られるのを待った。
「英子ちゃん、私、分かりました!」
ほら。きた。
「よし。聞かせてもらおうじゃねーか、びーこの回答ってやつを」
自信満々に頷いた後、びーこはその口を開いた。
「私達、ほねほね星人さんの」
「違う! ぜんぜん違う! ふざけんなエセシスター」
「え、エセシスターじゃありません。ぷちシスターです」
いや、意味分からんから。
「時に落ち着け。そして聴け。良いか? あたしたちはこうなる前、何処で何をしていた?」
「学園から電車で帰る途中、その、あまりにも気持ち良くなって寝てしまったような、そうでないような」
「いやいや完璧に寝てたからな? むしろあたしより先に寝てたからな?」
そんなあたし達の漫才のようなやりとりを見て、カタカタと笑うシャレコウベ達。
笑ってるんだよな? あれ。
「でもでも、がたんがたんって規則的に揺れて、どうして電車に乗ると眠くなってしまうんでしょうか?」
いや、知らねーよ。
確かに眠くはなるが、今そんなことはどうでもいい。
「どーやらあの電車。あたし達が眠りこけちまってる間に事故を起こしたらしいぜ。しかも相当でかい」
そう言ってあたしは、後方車両を指し示す。
「見ろよびーこ。後ろの車両がないぜ。まるで千切れたみてーに、連結部分が壊れてる。しかもこの列車、よくみりゃあたし達の乗ってた列車そのものじゃねーか」
何というか、全体的に黄泉仕様になっちゃいるが、確かにあたし達の乗っていた列車そのものだった。
「うぅうぅう、やっぱり皆死んじゃったんですか? 英子ちゃんも死んじゃったんですか?」
… まったく、ちょっとは自分自身の心配もしろってんだ。
「安心しな。あたし達は死んじゃいねーよ。びーこはそう簡単に死ぬたまじゃないだろ? あたしだって、そう簡単に死ねるわけがない」
今までやってきたことを考えるのなら、あたしは間違いなく地獄逝きだろうし。
ったく、やれやれだぜ。
「それによ、幸いあたし達の姿はシャレコウベになっちゃいねーだろ? こいつがあたし達がまだ生きてる何よりの証拠だ」
そう、まだ、今は。
骨でないあたし達は、まだかろうじて生きている。
だが、断じて談笑していられるような状況じゃない。
「つまり?」
「つまり、あたしたちは生死の境にいるってことさ。かなり曖昧で中途半端な位置だ。それこそ、生身でこんな異様な列車に紛れこんじまうくらいにな」
あたしとびーこは死んじゃいない。だが、確実に死に掛けている。
というか、このままここにいれば、マジで黄泉の国ってやつに逝っちまうかもしれない。
つーか、あーだこーだと言ってる時間は、もはや無い。
「びーこ。あたしに考えがある」
「それは危険な事ですか? 英子ちゃん」
…… こいつ、どういうわけかこういう時の感だけは良いんだよな。
「危険かどうかは考え方による。で、簡単に言うとだな。あたしはこいつで自分を刺す」
そういってあたしが懐から取り出したのは、一本のハンターナイフ。
これもあたしのコレクションの一つで、その禍々しいまでに研ぎ澄まされた刃先が特徴の一品。
今日に限ってこれを持って来たってのは、果たして幸運なのか不幸なのか。
だがまぁやはり、迷っている時間は無い。
「実のところ、あたし達はまだ眠っているのさ。あたし達の魂は現実世界では眠ったまま。だから、こいつでサクッと切って目を覚ます。無理やり目を覚ます。言わば、目覚まし代わりだ」
自分で言っておいてなんだが、世にも恐ろしい目覚ましがあったものだ。
「で、でもそんなことしたら英子ちゃんが」
「分かってる。ただでさえ、現実世界のあたし達がどんな事になっているか想像もつかねーからな。勿論手加減はするつもりさ。で、あたしが現実世界で目をさましたら、びーこを病院へ叩き込む。以上だ」
「でもでも!」
未だ納得をみせないびーこ。だが何にしろ、選択肢はない。
これは、あたしにしか出来ない方法なんだ。
「でもは無しだって、いつも言ってるだろ? 考えてみろよ。こんな荒療治、あたしにしかできねーだろ? ましてや、あたしがびーこを刺せるわけがない」
だからこそ、これはあたしにしか出来ないやり方。
「時間がねー。びーこの許可を貰ってちゃ日が暮れちまうどころか、本当に逝っちまいかねないからな」
今回は、かつての鏡の世界に迷い込んだときとは訳が違う。
このナイフで刺すのは、あたしの体、魂そのものなのだ。一歩間違えば、正にトドメになりかねない。
あたしは、最後にぽんぽんとびーこの頭を撫でた後、ナイフに力を込め… 自らのわき腹に突き立てた。
そして、突き立てた後に後悔した。
これ、目覚まし代わりなんだから、別に刺す所は腕でも足でも良かったんじゃないだろうか、と。
カッコつけて腹に刺しちまったけど、その必要は全くなかったんじゃないだろうか、と。
ザ・後の祭り。
あたしは、苦笑いを浮かべながら、目を瞑った。
目を覚ますため、目を瞑った。
◆
地獄絵図。
むしろ、さっきまでの黄泉列車内が天国にさえ見える。
あたしの眼に飛び込んできたのは、正にそんな表現がしっくりくる、そんな凄惨な光景だった。
どう贔屓目に見ても、この中に生きている人間がいるとは思えなかった。
無造作に床に転がる人体のパーツ。いや、パーツと言うのも憚られる、生物の肉片、元は何かだった肉片達。
これまで、びーこに巻き込まれ様々な怪奇現象や、オカルト、魑魅魍魎や超常現象の類に出くわしてきたが、この光景は、明らかに異質だった。
床が真っ赤に染まっている。
血生臭いとは、こういうことを言うのだろう。
あたしは、眼の前の光景に聊かの吐き気と頭痛を覚えながらも、びーこを探すため、何とか自分を奮い立たせる。
ガラス片が幾つも突き刺さり、打撲や擦り傷は幾つもあるものの、不幸中の幸いにも、一先ずあたしの体に致命傷や四肢の破損はないようだった。
勿論、黄泉列車内で自分で刺した傷を除いて、だ。
びーこ、あんたは今、どこにいる?
わき腹に応急処置を施した後、あたしは辺りの捜索を始めた。
が、あたしが探すまでもなく、びーこはそこにいた。
白い肌を紅く染め、びーこは確かにそこにいた。
あたしは、自分の鼓動が早くなるのを感じた。
… これは、どういうことだ?
あたしは かつて人であったもの達 を丁寧に払いのけ、びーこを抱え起こした。
びーこの体は鮮血により赤く染まっていたものの、それはびーこの血ではない。
それどころか、驚くべき事にびーこのその体には、ただのかすり傷一つさえ無かった。
こんな異常事態において、大事故において、凄惨な現場において、びーこの体にはかすり傷一つさえ無かったのだ。
そんな、あたしの見た光景。それは………
まるでびーこを護るかのように、びーこの周りに壁を作るかのように、幾人もの人達が彼女の周囲に折り重なっていた。その様子はさしずめ肉の壁。人間による壁、ドームである。
果たしてそれが何を意味しているのか?
残念ながら、今のあたしはそれを考える時間も余裕も持ち合わせてはいない。
改めてあたしは、そんなびーこの恩人達に一礼をした後、びーこを連れて列車から脱出した。
そこからの記憶は、正直よく覚えていない。
気がつけばあたしは病院にいて、むしろびーこに看病される結果となった。
勿論、原因は腹のあの傷だ。
どうやらあの車両で助かったのは、あたしとびーこだけだったらしい。
原因は機体の老朽化による脱線事故。そんなツマラネー事故。
それでもあたしは、あの時見た全ての光景を、決して忘れる事が出来ないだろう。
あの光景の意味を、あたしとびーこが理解出来る日がくるかどうかは別として。
だからこそ、今、あたしが言える事はたった一つだけ。
暫くは自転車通学にしよう。
そう心に固く誓ったあたしなのだった。
END