第三十六話 「酒は呑んでも飲まれるな!(ドヤッ」
第三十六話「酒は呑んでも飲まれるな!(ドヤッ」
時刻は、草木も眠る丑三つ時。
一説では、妖怪・魑魅魍魎供が一番血気盛んになる時間帯だとか云われている。
まぁ、真実の程ってやつは一旦置いておくとしても、出来るならば、そんな時間帯にわざわざ夜のお散歩なんてしたくはない。
そんなの、誰だってそうだろう? 勿論、あたしだってそうだ。
「こんな夜遅くに、一体どこに行くんですか? 英子ちゃん」
「あらら。何だよびーこ、お前まだ起きてたのか。今何時だと思ってんだよ、夜更かしは感心しねーな」
「はぐらかさないでください! その上、またそうやって私に内緒で!」
「… 念のために花子を呼んでおいた。なに、ただ宴会にお呼ばれされちまっただけさ、心配すんな… それじゃ、逝ってくるぜ」
「英子ちゃん、英子ちゃん!!」
そう言い残し、あたしがマンションのドアを出た次の瞬間、あたしの体は、とある山奥へと瞬時に移動していた。
どうやら、あたしの登場を待ちきれない何者かが、わざわざあたしを転送させたらしい。
こんなことが出来る輩はそう多くはない。そうだ… 「伝承クラス」の何者か。
だが今回の場合、考えるまでもなく、アイツの仕業だろう。
あたしが、「酒呑童子」からサシでの勝負を持ちかけられたのは、数日前の事だった。
酒呑童子。
鬼族の中でも特に悪名高い悪鬼。真紅の体、髭、髪を持つ、熊の数倍はあろうかと言う巨躯の赤鬼。その昔、京都の大江山に住み着き、京の女子供を悉くさらい、そして喰らい尽くしたという筋金入りの糞野郎だ。とある文献によると、九尾の狐・大天狗と並び、日本の三大悪妖怪などと揶揄される存在であり、言わずもがな伝承クラスの存在。
正直に言うと、あたしの今の実力と新たな秋艶の力をもってしても、勝率は5割程度といったところだろう。
…… イヤ、今のは嘘だ。しかも大嘘。
あたしの目算では勝率は恐らく1割切ってる。それだけ奴の力はデタラメだということ。鬼の力は、決して伊達や酔狂なんかじゃない。
だが、あくまでそれは、まともにやりあった時の話。
そして、今回の勝負は…… 言わずもがな、まとも何かじゃーない。
「ヨォ、待ってたぜぇ。法楽英子」
「わざわざ転送してくれるとは、随分と気が利いてるじゃねーか。酒呑童子」
「アァ。一刻も早く、アンタと呑みたかったからな。それに、あの嬢ちゃんを…」
「おい。御託は良いだろ。さっさと始めようぜ」
そう、奴が指定した勝負方法は、「飲み比べ」。
先に意識を無くしぶっ倒れた方の負け。勿論、相手はあの酒呑童子だ。気を失って倒れた時点で、命なんて無い。
奴から仕掛けられた奴のフィールドでの勝負。賭けの対象は勿論、びーこの命。
あたしが負ければ、それはそのままびーこの死を意味している。
例えこの勝負を断っていたとしても、一度びーこに目をつけた酒呑童子は、決して諦めることは無いだろう。それどころか、問答無用でどんな手段を使ってでもびーこの強奪をしてくるはず。
だからこそ、これは同じ土俵で奴を叩く一世一代のチャンスでもある。イヤ、違う。どんな手を使ってでも奴をこの場で屠る必要があるんだ。このチャンスを逃したら、次は恐らく無い。
「フン。最近の若いモンは忍耐ってやつを知らんから困る」
「あぁ? てめーがそれを言うかよ」
「ガハハハハッ。喜べ、法楽英子。銘柄は貴様が指定したものを用意してやった。それがこの勝負を引き受ける条件だったよな?」
「…… そうだ。あたしは、その銘柄に目がなくてね。それを呑むなら、例え相手が鬼だろうと負ける気がしねーからな」
「結構、結構」
ここは、一体どこなのだろう。どこかの山奥なのは確かだが、辺りには人っ子一人居ない。あるのは互いの側で真っ赤に燃える松明が一対。加えて、赤の杯が一対。そして、あたしの指定した酒ビンの山。
「フーム、さてと。そろそろ始めるかのぅ」
あたし達は、地面に敷かれた古めかしいゴザの上に座り、松明に照らし出されながら互いに杯を手にする。
「では、ワシの勝利に!」
「ざけンな!」
あたし達のたった二人きりの宴会が、今、幕を開けた。
◆
酒が好きって奴が、総じて酒に強いってわけじゃない。それどころか、日本人の約半数近くは酒に弱いか下戸らしい。厳密に言えば、アルコールを分解するなんちゃらって酵素を持っていないか、持っていていも代謝速度が極端に遅いのだそうだ。
幸い、あたしは酒に強い。無論、それはあくまで人間の中ではって話。鬼が酒に強いかどうかなんて、言うまでもないだろう?
あぁ、不味いな。これは。
「ワシが勝った暁には、そうじゃな、まずはあの譲ちゃんの手足をもいで…」
「おい。喋るんじゃねーよ、酒が不味くなる」
「ガハハハッ。怖い怖い、そう睨むな。これではどちらが鬼だか分からぬではないか。それとも、まさかとは思うがもう限界ではなかろうな? あまりこのワシを失望させてくれるなよ?」
「限界? てめーこそ、酔いが廻ってんじゃねーのか? 自分のことは自分が一番良く分かってる。てめーに言われる筋合いは、断じて無い」
こんな不味い酒を飲んだのは、生まれて初めてだった。勿論、味の話なんかじゃない。
他の伝承達がそうであるように、この「酒呑童子」という鬼の伝承もまた、かなり有名な話。だからこそ、奴の弱点、対策を立てることはさほど難しいことではなかった。
その昔、四天王と呼ばれた朝廷の戦士達は、酒呑童子に酒を飲ませ酔わせたところを、4人がかりで切ったのだという。その上、ご丁寧にもその酒には毒まで入れていたという念の入れよう。何を言いたいかと言えば、要は、そこまでしなければ倒せない相手なのだ。
同じ事をして、勝てるとは到底思えない。何しろあたしはたった一人だし、朝廷の戦士達のような用意周到な事前準備をする時間すら、あたしにはなかったのだから。むしろ、今回は逆のパターン。あまつさえ、あたしが酒を呑まされている立場なのだから。
だからこそ、これは、あたしの精一杯の手段。これが、あたしなりのやり方ってやつだ。
この体格差で、何より天と地のスペックの違い。
そもそも、酒呑み比べであたしが勝てるわけがないのさ。最初っからな。
だからこそ、奴はこんな勝負を持ちかけてきた。あたしが断れないのを知っていながら。いや、奴にとってあたしとの勝負なんて、どうだっていいのだろう。単なる通過点。あいつのちっぽけな脳みその中は、既にびーこをいかにして喰らうかでいっぱいなんだろうさ。
だが、例えどんな時代であろうと、例えその姿形を変えようと、伝承達の本質そのものは変わらない。変わりようがない。
…… そんな事を考えながらも、やがてあたしは、意識の手綱を手放してしまった。
◆
「フン。噂通り、存外しぶとい女ではあったな。が、毒が廻った今となってはそれも終わり。小娘、正直言ってワシはほっとしておるのだ、貴様のような輩を早々に始末できたことをな。どれ、ここは一つ、腕の一つでももいで、貴様の死を確信へと変えてやろうではないか」
グググググ、バギャッ。
…… ベチャっ。 グチャっ。 ぼとっ。
「ガハハハッ。ピクリともせん。確かに死んでおるわ。このまま残りの四肢をもいでやってもよいが、何しろワシは人間をそのまま生で喰らうのが何より好きでな。なーに、貴様に盛った毒は特製だ、我ら鬼一族には無害の代物。安心してワシに喰われるがいいぞ。では、あーーーーーん」
スパーーーーーーーーーーーン。
鬼の口があと数センチまで迫ったその刹那、あたしは、瞬時に秋艶を召還すると、残された右腕で、驚き固まっている鬼のその首をためらう事無く、両断した。
「おいおい、冗談はその顔と口臭だけにしてくれよな、酒呑童子さんよぉ。あたしが死んだって? 馬鹿言っちゃいけない。あたしはな、死んだ振りをしていただけさ。それこそ、とびきり究極の死んだ振り、ってやつをな」
鬼は、首だけになって尚、その視線をあたしに向け、言葉を投げ掛ける。
「こ、小娘ぇええ、き、貴様、一体、どう、やって」
「悪鬼で名の通ったてめーが、あたしとの勝負を真っ当に真っ向から受けるはずが無い。そんな事は、最初から分かっていたことだ。てめー自身が昔、やられた手口、毒を盛るくらいのことをやらかすだろう事も、最初からあたしに勝ち目がないことも。だから、あたしも賭けに出るしかなかった。あたしの力量であんたを屠るには、一番無防備な一瞬のチャンスを狙うしかなかったからな」
あたしは、酒呑童子にもがれた左腕を拾うと、無理やり左肩へとねじ込む。
「あぁ? 何驚いてんだよ。てめーが毒を使うなら、あたしはその毒そのものになるしかなかった。今のあたしは、人間じゃない。それだけの話さ」
一歩、また一歩、あたしは、体全体を引きずるように、ゆっくりと鬼の首へと近づいていく。そう、まるでゾンビのようにゆっくりと。
「まさか、貴様… 死人に?」
「大正解。ファンファーレの一つでも鳴らしたい気分だが、生憎今は真夜中。悪いが割愛させてもらうぜ。そして… 今のあたしは、あんたの言うとおり、ゾンビ。まぁ、半ゾンビ状態ってやつだ。てめーの毒・人間一人の摂取量を超えたアルコール・失うことの出来ない意識・痛覚の遮断・そして、一瞬の隙を狙うための究極の死んだ振り。これらの問題を解決するにはどうすればいいか? … あたしの知り合いに、ヘンテコなゾンビキョンシーがいるんだ。あたしだって必死さ、勝つためなら何だってやる。そもそも、勝負に綺麗汚いなんて概念は存在しねーからな」
あたしは、懐からいつものナイフを取り出すと、精神を集中させた。
「外面如菩薩、内心如夜叉」
紅く煌くあたしのナイフ。人間の「異端」を取り除く紅の煌き。
あたしは、ためらうことなくそのナイフをあたしの腹部へと突き刺した。
「………… ふぅーっ。何とか、ぎりぎりセーフだった。完全なゾンビ化ってやつは防げたみてーだな。本当、やれやれだぜ。こんな危ねー賭け、もう二度とするもんか。そして、待たせて悪かったな、いよいよてめーの最後だ。…… そうだな、冥土の土産に一つ良い事教えてやるよ。酒は呑んでも飲まれるな。良い酒飲みってやつはな、常に自分の力量・限界ってやつを理解しているものなのさ。自分の力量に自信過剰なうちは、立派な酒飲みとは言えねーぜ。それじゃ、あばよ」
あたしは、右手の秋艶と左手のナイフに全神経と力を込め、奴の頭部を粉みじんに切り刻んだ。
奴の顔が音も無く消えると同時に、奴の体もまた、この世から消え去る。
自らの肉体のゾンビ化。
我ながら馬鹿馬鹿しい手だったと思う。一歩間違えば、あたし自身が究極のプロレタリアに成り下がっちまうところだった。まともな思考回路を持った奴なら絶対に用いない手段。
だが、幾つかの偶然が重なり、あたしは、この手段を思いつき、決行するに至った。
例えばフランの存在や、酒呑童子がわざわざあたしに酒の銘柄を選ばせたこと。まぁ、奴からしてみれば、あたしに選ばせることで警戒心を無くそうって単純な考えだったんだろうが、それがむしろ好都合だった。何故なら、あたしの選んだ酒は、所謂、神酒と呼ばれる類の酒だ。別名、聖水酒。これには、あたしの完全なるゾンビ化を遅らせ防ぐ意味があった。
ちなみに、あたしの愛刀秋艶の刀身の一部には、かのユニーコーンの角が埋め込まれている。つまり、こいつを持っているだけでもある程度の毒を中和する能力があるってこと。こいつの力もまたあたしの完全なゾンビ化を影ながら防いでくれていた。だがまぁ、あの鬼野郎の仕込んだ毒は、そんなある程度なんて量を逸していたし、そもそも例えユニコーンの角でもアルコールは分解してくれない。だからこそのゾンビ化。
全ては、奴の一瞬の隙を突くために。
だが、奴の最大の敗因は、その自信過剰な性格にあった。奴がもし、あたしとの勝負を単なる通過点だと考えず、かつての怨念をはらすかのような、こんな余興染みた下らない勝負方法を選ばず、あたしとのサシでの真剣勝負を指定していたならば、恐らく今頃あたしはこの世に居なかっただろう。勿論、びーこも。
奴は、自分のその力量に呑まれていたのさ、最初からな。
さてと、びーこの奴も今頃心配しているだろう。そろそろ帰るとするかな、ぴょン。
…… え?
???
……………… ?!!!
END