第三十四話 「眠れる鼠のタスラム」
第三十四話「眠れる鼠のタスラム」
「はぁ… ハァ……。っ糞、いきなりかよ」
ここは町外れの一角、とある寂れた人気の無い廃屋。忘れ去られた廃墟。
普段は治安の良いこの街にとっての、唯一の例外。未だ整備の届かぬグレーゾーン。所謂、この街のスネといったところだ。
完全完璧全知全能の人間が存在しないように、この街もまた少なからず負の部分を抱えている。
だからこそ、こんな人気の無い場所、あたしだったらまず近づかない。近づこうとしない。
君子危うきに近寄らず。びーこ流に言うならそういうことだ。
だが、今日のあたしはちょっとだけ事情が違った。
いつも通り、朝のびーこの送迎を終えたあたしは、その足で別件の仕事に向かった。
なに、仕事自体は語るに足らないツマンネー内容だった。ツマンネー割に、時間だけは食うっていう実にメンドクセー仕事。最悪だろ?
だが、本当に最悪の事態ってやつはいつも最後に待ち受けてるもんだ。
一仕事終えた頃には、帰りのびーこの送迎の時間が迫っていた。
いつものあたしなら、例えどれだけ急いでいたとしてもこんな判断はしなかっただろう。何しろツマラン仕事を押し付けられた後だ、この時のあたしは多少気が立っていた。
この廃墟を突っつきれば時間的にかなりのショートカットが出来る。
やれやれ… 急がば回れとは良く言ったもんさ。
多少遠回りになったとしても、こんな道、絶対に選ぶべきじゃなかった。
そんなあたしが、何者かに狙撃されたのは、丁度廃路を半分進んだ時点のことだった。
「よりにもよって足を撃たれるなんてな」
あたしは、一旦廃屋の中に隠れ、自らに応急処置を施しながら毒づいていた。
「ったく。あたしは銃で狙撃される程、恨まれれるような真似してねーっての…… いや、嘘。してるな。かなりしてる」
正直、思い当たる節がありすぎて誰から狙われてるのか分からねーってのが、まず笑えない。
そして、もっと笑えないのが今のあたしの状況。
初弾で右足を狙われたのがまずかった。場所が場所だけに、何が起こっても可笑しくは無かった。コーラを飲んだらげっぷが出るくらい確実だったってのに、迂闊だったとしか言いようがねーぜ。
まぁ、今更何を言ったところで後の祭り。今考えるべきことは、どうやってここから脱出するかだ。
… いや、違うな。
正しくは、どうやってあたしを狙撃した糞野郎を見つけてぶちのめすか、だ。
何にしてもこの足だ、逃げ切るなんて考えは捨てたほうがいい。今更遅いが、急がば回れってやつだ。元を断つ意外に方法は無い。
それよりなにより、やられっぱなしなんてのはあたしの性に合わないからな。
幸い弾丸は貫通していた。応急処置を施したあたしの右足は、短時間なら何とか無理が利きそうだった。
「まずは… 奴の居場所を特定するのが先決か」
そう言ってあたしが、廃屋から姿を現した瞬間、次弾があたしの顔を掠める。
後一歩、反応が遅れたらゲームオーバーだっただろう。
「おいおい、やってくれるじゃねーか」
とは言ったものの、今のあたしには速攻で物陰に隠れる以外の選択肢はないわけで。
例えば、漫画やアニメなら刀で弾丸を真っ二つなんて芸当を平然としてのけるが、そんな真似が出来ればあたしだってとっくにしてるし、あんなのは所詮フィクションだけの世界さ。
何とも情けねーが、焦りは禁物。少しずつで良い、奴に近づいてぶちのめすことだけを考えろ。
ギリギリで3発目の弾丸をかわしたところで、ようやく奴の居場所をつかむ事が出来た。
弾道からみて向かい側の廃ビルの屋上。
成る程、確かにあの場所なら、この忘れられた領域のどこにあたしが居ても狙撃可能だろう。
そして、スナイパーの場所さえ分かっちまえばこっちのもんだ。
最も、奴がこのままおとなしく、あたしが来るのをぼけーっと待っているなんて事があるはずもねーんだがな。
あたしは件の廃ビルの屋上へと続く階段を駆け上がる。
そんなあたしに襲い掛かったのは、予想外の無数の弾丸だった。
「嘘だろ!? ここはビルの中だぞ? 曲がる弾丸? 追跡する弾丸だと!? まさかアイツ…」
◆
あたしは、滴る右足からの出血による血の道程を描きながら、屋上へと続く最後のドアを開けた。
日差しが眩しい、吹き抜ける風が心地いーぜ。だってそうだろ? これからやっと奴と対面できるんだ。気分が悪いわけねーよな。
「よう。よーやく拝めたぜ、てめーのそのツラ。… あん? なに驚いてんだよ」
「ど、どうやって…」
「あぁ? どうやって? どうやってだと? ふん、そうだよな。お前は、悪魔と契約した魔弾の射手。その能力を使って放たれた弾は、例え相手がどこにいようと、ターゲットを追尾し、必ず命中するって代物だ」
あたしは、目の前の顔面蒼白男に、一歩また一歩近づいていく。
「きっとお前は、これまでもこうやって何人もの罪なき人間達を殺してきたんだろうな。自分の欲望のためだけに」
あたしは、赤き血に塗れた秋艶を一振りし、血潮を薙ぎ払う。
「安心しなよ。あたしは正義の味方なんかじゃない。その罪でてめーを糾弾しようなんて気はさらさらない。それに、あたしは人間だけは裁けねーからな」
窮鼠猫を噛む。
あたしの目の前にいる哀れな男は、この期に及んであたしに向かって、魔弾を放つ。ったく、懲りねーやつだ。
あたしの心臓に向かって一直線に飛んでくる魔弾。
あたしは、その弾を瞬時に……… 切った。真っ二つに。
「どうだ? 大分上手くなっただろ? 最も、ここまでくるのに大分血を流す羽目にはなったがな。ま、流石のあたしも弾丸をぶった切るなんて芸当、まさか本当に実践する日が来るとは思っちゃいなかったさ」
そう。秋艶に付着したこの鮮血は、全てあたし自身の血によるもの。
最初あたしは、弾丸をぶった切るなんてまね出来るわけがないなんて言ったが、ありゃ嘘だ。
確かに普通の弾丸を切るなんて芸当は出来ない。出来るはずがない。
だが、事、相手が魔弾なら話は別。
そう、逆に言えば、この芸当は相手が魔弾だからこそ通じる技。
「あたしのこの秋艶はな、こう見えて元妖刀なんだ。だから、魔力や霊力の類には殊更敏感なのさ。てめーの弾丸があたしの心臓を捉えるように、あたしの秋艶もまた、てめーの魔弾そのものを捉えることが出来る。それでも、慣れるまで相当苦労したがな。ほら、この通り」
両腕、両足を始め、あたしの体にはいたるところに逸れた弾丸による傷跡が生々しく発生していた。幾ら秋艶が魔弾の魔力を捉え、通常ではあり得ない速度での反応が可能とは言え、そもそも刀で弾丸を切るなんて事そのものが、超A級難易度の技なんだ。
「どうだい? てめーの疑問は解けたか? 最初こそ、普通の弾丸であたしへの狩りを楽しんでいたつもりだろーが、あたしがてめーの場所を突き止め、このビルに入った瞬間、てめーは通常の弾丸から魔弾へと切り替えた。よほど焦ったか業を煮やしたのかはしらねーが、山ほど打ち込んできやがって」
あたしは、そう言い終えるのと同時に、スナイパーの右手を銃ごと切り捨てた。それはもう、スパっと。
「そうそう、忘れるところだった。この魔弾の厄介なところは、その本体は銃じゃなくて弾自身、いや、契約者自身ってところだ」
懐から予備の六段式リボルバーを取り出したスナイパーの首元に、秋艶を突きつける。
「だからこそ、悪魔と契約しちまったお前自身を切り刻まない限り、魔弾が尽きることはない…… おっと、動くなよ?」
… さて、そろそろか。
あたしは、奴から数歩遠ざかり、ぽつりと呟く。
「お前、魔弾って言葉の持つもう一つの意味を知ってるか? 知らなきゃ教えてやるよ。意味は… 都合良く存在してくれないもの、だぜ」
辺り一体に嫌な霊圧が漂う。空気がピリピリするっていう感覚。何度感じても、到底スキにはなれねー感覚。間違いない、来やがったぜ。アイツが。
音も無く、男の背後に出現したもの、それは………
「悪魔はな、強欲で狡猾でしたたかなのさ。お前がその魔弾で殺した者達の命は、そのまま契約した悪魔の元へと逝く。だが、今回お前はあたしを殺すのに失敗しちまった。いいか? 悪魔はどこまでいっても悪魔なんだよ。つまり、一度失敗した人間に、わざわざ温情をかけるような悪魔はいないって話さ。そろそろ、あたしが何を言いたいのか分かるよな?」
悪魔。
言うまでもなく伝承クラスの相手。戯れに人間と契約し、その人間の運命を弄ぶ最低な伝承達。
「た、助けてくれ、た… たった一度の失敗じゃないか。こ、これまでどれだけの魂をお前の元へ捧げたと思ってるんだ、お、お、俺は、まだ、まだ、この魔弾で人間達を」
無駄だ。悪魔に命乞いが利いたなんて話、どこの世界の逸話にも残っちゃいねーぜ。
「お、おいあんた。助けてくれ、あんたのその刀ならこいつも切れるんだろ? なぁ、おい」
やれやれ、これ以上聞いちゃいられねーな。
「お前はな、その悪魔と契約しちまった時点で詰んでたんだよ。とっくの昔にな。それに、残念ながらあたしには、お前を助ける義理も義務も、これっぽっちの正義感も持ち合わせちゃいねーのさ。じゃーな、その悪魔と仲良くやんな」
あたしは、そのまま二度と振り返る事無く、ビルの屋上を後にする。
男の口から鬼、悪魔などという罵詈雑言があたしに浴びせかけられ、その数刻後に、男の断末魔が辺り一体に響き渡ったのは言うまでもない。
あーらら、ご愁傷様。
因果応報。自業自得。
しかし、この期に及んでこのあたしに向かって悪魔だなんて、なんて口の悪い野郎だ。… ま、あたしが言うのもなんだけど。
……… 今回の件、実のところ男を救う手段が本当に無かった訳じゃない。
人喰いシリアルキラーや、人魚のしぃの時同様、あたしの「紅の力」を使えば、恐らく奴の殺人思考や悪魔との契約そのものすら断つ事が出来た筈だ。
だが、あえてそれをせず、奴が悪魔に喰われるよう仕向けたあたしもまた、やはり奴の言う通り「悪魔」なのかもしれない。
「…… おっと、いけね。こりゃ急がないとびーこのお迎え、間に合わねーぜ」
だが、きっとこれで良かったのだろう。何といってもあたしは正義の味方なんかじゃなく、あくまで「びーこの味方」なんだからな。
END