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第二十話 「人魚は魚類ですか? いいえ、ナマモノです」

第二十話「人魚は魚類ですか? いいえ、ナマモノです」




「あ、あちぃ…… 死ねる。軽く死ねるな、これは」


 あたしは、今、太陽がさんさんと照りつけるまるで砂漠のような砂浜で、一人、佇んでいる。

 

 基本的に、あたしはこの時期の海が嫌いだ。

 何が悲しくてこんな糞暑い中、汗を垂らしながら、塩水なんぞ浴びにゃいけねーのか。

 

 いいか? 海は泳ぐもんじゃない。叫ぶもんだ。

 こう、胸に溜め込んだ色んなもんを、海に向けて全力投球してやるのだ。

 海は多くを語らない。だが、様々なことをあたしに教えてくれた。

 

 けどまぁ、そんな母なる海ってやつも、一つだけあたしに教えてくれなかった事がある…。


「えーいーこーちゃーん。一緒に泳ぎましょーよー。気持ちいいですよー」

 白のワンピース型の水着とサメ型の浮き輪を装備したびーこが、これみよがしに、満面の笑みであたしに向けて手を振っている。

 はっはっは、びーこの野郎。あんなにはしゃいじゃってまぁ。

 ったく餓鬼だな。



 ……… ああそうさ、泳げないさ。カナヅチさ。で、何か文句ある?


 あたしはびーこに軽く手を振り替えした後、すぐにパラソルの下に戻った。

 まぁ、何にしてもこの分なら暫くは大丈夫そうだ。

 それにしてもびーこのやつめ、急に海に行きたいなんて言い出しやがって。

 もう少し自分の境遇や体質ってやつを考えて欲しいと切に思う。  

 海なんて、それこそ魑魅魍魎・妖怪・怪異・超常現象の類の宝庫だろーが。

 何が起こるか分かったもんじゃねー。

 

 だからこそ、あたしは海を満喫中のびーこお嬢様を四六時中監視……… っていねえええええええええええ!!!

 は? え? さっきまで浅いところででばしゃばしゃやっていた筈なのに!

 

 あたしは急いでパラソルから飛び出し、浅瀬へと駆け寄る。

 こう言っちゃなんだが、びーこはあれで結構目立つ。 

 見間違える事も見失う事もありえない。

 そもそも、ここはとっておきの穴場。あたしとびーこ以外に人の姿は無い。

 

 あたしは必死になりながらびーこの姿を探す。


 …………… ! 

 

 最悪だ。

 あたしの目に飛び込んできたのは、ぶくぶくと音を立て沈み行くびーこの姿だった。

 恐らく波にでも流されたのだろう。いや、びーこのことだ。もしかするとそんな単純な話ではないのかも知れねー。

 だが、今大切なのはそんなことじゃない。眼の前でびーこがおぼれかけてるってことだ。


 遠い。

 果たしてカナヅチのあたしがあそこまでたどり着けるだろうか?

 

 違うだろ。

 馬鹿かあたしは。

 辿り着けるかどうかじゃない。死ぬ気で辿りつくしかねーだろうが。


 あたしが意を決して、海へと飛び込もうとしたその時、必死の形相のあたしの横を華麗に通り過ぎ、そのまま海へとダイブする女性が一人。


 さっきまで誰も居なかったはずなのに。

 しかも、何て見事なフォーム。速く、美しく、華麗。


 おいおい、あれじゃまるで… 人魚じゃねーか。



 あたしがぽかんと呆気に取られているうちに、女性はびーこを抱えてあたしの元へと戻ってきた。

「びーこ無事か? 怪我ないか?」

「げっほ、げほ。うぅう、うええええん、こ、怖かったーー。ざぶーん、どばーんって」

「だからあれほど気をつけろって言ったじゃねーか。ったく、まぁ、無事でよかったぜ。それと」

 あたしは改めて眼の前の人魚もとい、びーこの命の恩人に頭を下げる。

「どこの誰かは知らねーが、スマン。助かった。恩に着るよ。……… で、あんた一体何もんだ?」

「え、英子ちゃん!」

「びーこは黙ってろ。んで、ノーコメントってわけか?」

 あたしは、ハーフパンツのポケットに忍ばせているナイフに手を掛けながらそう言った。

 分かってるさびーこ。仮にも眼の前の人物はびーこの命の恩人だ。あたしだってこんなことは言いたくねー。

 彼女が居なかったら、今頃びーこがどうなっていたか分かったもんじゃない。何しろあたしは泳げないから。

 だが、だ。

 びーこが溺れかけたのも、こいつの仕業だったらどうする? 

 それにあたしは、さっきからこの女性に対し、人間のものとは違う何かを感じている。


 眼の前の女性。

 あたしも背は高い方だが、あたしを凌ぐスケールの持ち主で、かつてのびーこの髪型を連想させるセミロング。

 年は… あたしより下、びーこより上といった程度だろう。

 着衣のまま、しかもびーこを担いで泳いでいたにも関わらず息一つ切れていない。

 それどころか、終始無言でニコニコ顔。

 不気味なくらい、ひたすらにあたし達を見つめている。


 が、ひとしきりあたし達の顔を見つめ終えた後、彼女は恐らく私物であろう小さなホワイトボードを取り出し、手馴れた感じでキュッキュと何かを書き出した。

「英子ちゃん英子ちゃん、もしかしてこの方喋れないのでしょうか?」

「さぁな」

 喋れないだと?

 びーこは極たまにだが、核心をつくような事を言い出すから侮れない。 

 成る程、それが確かだとするとこいつは…。


 マジックペンの蓋を閉じ、再び、満面の笑みであたし達に顔を向け、ホワイトボードを見せる女。

「えーっと、なになに。こんにちワ、わタシの名前はしぃです。 わぁ、可愛いお名前ですねー」

 そんなびーこのリアクションに対し、こくこくと嬉しそうに頷くしぃと名乗る女。

 と、ポケットからクリーナーを取り出し、再び何かを書き出した。

 今度はびーこの代わりにあたしが読み上げる。

「びーコちゃん、海はたのシいところダケど、キケんなところデもアリマス。もっときをつけヨウね?」

 正論だ。

 どこかたどたどしい字で書かれたその文章は、びーこに対しあまりに正論だった。が、あたしが気になったのはそんなところではない。

 

 びーこの事を知っているだと?

 こいつも、びーこに惹き付けられたアホ共の類ってわけか? 

 … いや、つーかびーこって名前はそもそもあたしがつけた渾名だ。あたしは、びーこの事を本名では一度たりとも呼んでいない。

 だとしたら、何だ?

 

 そんなあたしの疑問も、次のしぃの言葉で直ぐに解決することになる。


「わタシは、人魚デス。いえ、セイかくには、もと、デスが」


 人魚。

 流石のあたしも実物は初めてみるな。

 やれやれ、何ともまたレアなヤツが惹き寄せられたもんだ。 


「で? その人魚さんがわざわざ何の用だ? びーこを助けてくれたのは感謝してるが、当然それだけってわけじゃねーんだろ?」

 人魚は、あたしの言葉に深く一度頷いた後、先程と180度異なり深刻な顔つきでホワイトボードに書きなぐる。

 そんな人魚の文章を、今度はびーこが読み上げる。

「ふむふむ。わタシは、エイコさんに、あいニきまシタ。へぇー、英子ちゃんにですか? 珍しい事もあるものですねー、英子ちゃんにお客さんとか。 えーと、エイコさん、わタシを…」

 びーこは、そこで言葉を止めた。

 

 結論から言えば、この人魚、やはり只者ではなかった。

 びーこの事を知っているどころか、このあたしの事も知っていた。いや、むしろこの場合、目的はびーこより、あたしということになる。

 

 ……… どうやらこいつ、あたしに消されたいらしい。

 

 比喩的な意味でも、あたしの感情任せのセリフでもなんでもなく、文字通り、ホワイトボードにそう書かれていたのだ。

 そう、あなたの手で私を消してください、と。


「そんな! どうしてですか? しぃちゃん、どうしてそんな事を言うのですか?」


 理解できないという風に、びーこが声を上げる。


 生憎だが、あたしには何となく事の次第が読めてきた。

 

 これだから、女って生き物は嫌なんだ。


「エイコさんは、わタシたちのようなそんザイのあいダでは、ゆうメイじんなんですよ。モチろん、びーコちゃんモ」


 糞が。

 元々この手の商売は暗躍が基本だ。あたしは元々目立たず跡を残さずやってきた。そのつもりだった。

 だが、事びーこのお守役を引き受けてからは、どうしてもそう言っていられない状況が頻発する。あたしもむやみに動きすぎた。目立ちすぎちまった。

 遅かれ早かれ、こうなることは明白だった。

 まぁ、裏家業としてやっていくには既に致命的だろう。


 やれやれ。話が逸れちまったが、つまり、こいつは最初からあたしに消してもらうことを望んであたし達の前に現れたってわけだ。

 理由は言わずもがなだろう。

 人魚の癖に立派に生え揃った二本の足と、失った声が雄弁に物語っている。

 これだけ材料がありゃ、小学生でも分かるレベルだ。

 

 だからこそ、余計にあたしは聞きたくなかった。

 さて、と。

 そろそろ決断の時だ。

 あたしはこいつをどうしてやればいい?  どうするのが一番の正解だ?

 

「お前の想像通りさ。あたしは、あたしの前に立ちふさがる人外共を問答無用でぶった切って、片っ端から無間送りにしてやった。お前はその噂を聞きつけて、御丁寧にも自らあたしに消されにやってきた」

 眼の前の元人魚はコクコクと何度も何度も頷いた。深く深く頷いた。


「だめ、絶対に駄目ですよ、英子ちゃん。だってしぃちゃんは何にも悪い事してないじゃないですか。それどころか私を助けてくれました。それに、私はまだちゃんとお礼も言えていないんですから」

「だったら、今すぐ言うんだな………… いや、悪いな、びーこ。ちっと遅かったみてーだぜ」


 あたしは、紅く煌くナイフを眼の前の元人魚から引き抜いた。


「馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿ばかー、英子ちゃんのばかー」

 ぽかぽかとあたしを叩きながら、あたしの胸に顔を埋めるびーこ。

 力なく、その場に倒れこむ人魚。


「馬鹿とはひでぇ言い草だな。まぁ、あながち間違っちゃいねーかもしれないが」




 直後、人魚が紅い光に包まれる。

「え? え? えーっつ?」

「悪いな。あたしは天邪鬼なんだ」

 

 光はやがて収束し、あたし達の眼の前には、間違う事なき人魚の姿が現れた。

 

「この紅の力は、蒼と違って人間の異端を取り除く力だ。一か八かで使ってみたが、どーやら大方上手くいった見てーだな」


 意識を取り戻した人魚は、自分の姿を見て、驚愕の表情を浮かべながら何度か口をぱくつかせたものの、やがて、ホワイトボードに何かを書き始めた。


「ドウして?」


 どうして。どうしてだと? んなのあたしが聞きてーよ。


「あんたがどうして人間になったのか、どうして消して欲しいなんて言いやがったのかはあえて聴かねー。いや、聞きたくない。だがよ、あんたは仮にもびーこの恩人なんだ。どーせなら生きていて欲しい… と、びーこなら言うはず」

「勿論です! 折角人魚さんとお知り合いになれたんですもの、私、もっともっとお話ししたいです!」

「だとよ。まぁ、死ぬほどお節介かもしれねーが、その姿で妥協してくれ。あたしはびーこみたいに優しかないからな。ほら、声は出ないままだろ? … つーより、これがあたしの力の限界だな」


 眼の前の人魚は、声もなく泣いた。


「まぁ、機会があったらまた姿を見せてくれよ、びーこも喜ぶ」


 しぃがどんな思いで涙を流したのか? 

 しぃがこの先どんな人生を送るのか?


 どちらもあたしには分からない。


 一度曲がっちまった自分を、人生を再び軌道修正させるのは、なかなか難しい。

 見てくれは確かに元の人魚の姿に戻ったが、一度失った声は永遠に戻っては来ない。

 後は、そう、全ては彼女次第。

 色んなものを抱えて、色んなものを失って、しぃはこれからどんな海を泳いでいくのだろう。



 あーあ、だからあたしは海が嫌いなんだよ。



END



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