第十七話 「チビにも人権はある」
第十七話 「チビにも人権はある」
「英子ちゃん英子ちゃん、私、ペットを飼いたいです」
「何度言っても駄目なもんは駄目だ。いい加減諦めやがれ」
先程から何度と無く繰り返されるやりとり。
業を煮やしたあたしは、無言でテレビの電源を切った。
何やらびーこがビービーと喚き散らしているが、あたしは断固無視を決め込む。
今宵の我らがお嬢様は、どうやらペットをご所望らしい。
まず間違いなく、さっきまであたしと一緒に見ていた動物番組の影響だろう。
何が「動物大好きペット天国100連発!」だ、コンチクショウ。
こんなメンドクセー状況を招きやがって。今更ながら腹が立ってきた。
… 勿論、動物達に罪はねーが。
「聞け、びーこ。あたし達がペットを飼えない理由は大きくわけて三つある。まず一つ目、このマンションは元々ペット禁止だ」
そんなあたしの言葉に対し、再びぶーぶーと一丁前にブーイングを垂れるびーこ。
「例えここがびーこの馬鹿親… 失礼、親馬鹿な両親のマンションであっても、ルールはルール。他にも住人はいるんだ。当然だが、ルールは守らなくちゃな」
徐々に小さく、弱弱しくなるびーこのブーイング。あたしは、構わず話を続ける。
「二つ目。びーこ、お前に動物の世話が出来るとは、到底思えない」
こんなあたしの言葉に対し、再び勢いを取り戻すびーこのブーイング。
ったく、五月蝿せーなー。むしろ、あたしに世話されてるくせに。
「三つ目。まぁ、ぶっちゃけこれが一番の理由なんだが… 動物は、悪霊や魍魎の類の媒介になりやすい。あんたのボディーガードとしちゃ、これは見過ごせない点だぜ。つーわけで、とっとと諦めて寝ろ。寝ちまえ。寝てさっさと忘れちまえ」
「犬は? 犬はどうですか? 英子ちゃん」
「だーめ」
「猫は?」
「媒介としちゃ最も適した動物だな。当然だめ」
「じゃあじゃあ、ハムスターは? 小っちゃくて可愛いですよ?」
「往生際が悪いぜ、びーこ。潔く諦めな」
と、いうわけで、一旦この日は納得したような素振りを見せたびーこ。
だが、それは大きな間違いだったと言うことを、あたしは身をもって知ることになる。
全てはこの翌日。
それは、あたしにとっての悪夢の幕開けである。
◆
「なんじゃこりゃあああああああああああ!!!?」
その日、あたしは珍しくびーこに起こされる前に、自分で目を覚ました。
もしかすると、自分自身の身に起きたこの超常現象を無意識のうちに感じ取っていたのかもしれないし、たまたまだったのかもしれない。
理由はどうあれ、あたしは目を覚まし、眠い目をこすりながら周囲を一瞥した後、力の限りそう叫んでいた。
叫ばずにはいられなかった。
起き抜けにも関わらず、だ。
眼の前に広がる広大な光景。
どうやらあたしは、巨人の国にでも紛れ込んじまったらしい。
… だが、それが大きな間違いであるといことにすぐに気づかされる。
何故なら、あたしのいるここは、巨人の国でも何でもなくて、どうみてもあたしとびーこのマンションだったからだ。
一部、あたし以外の全てが巨大化しているという点を除いて。
待て、待てよ。あたし以外の… ?
と言う事は、この場合、あたしが小さくなっちまったって方が自然な考え方なのか?
そもそもどうしてこうなった?
昨日は確かびーことペットの話をして、その後一人で呑んで、そのままソファーで寝ちまって、それから…。
あたしがうんうんと唸りながら逡巡しているうちに、眼の前に巨大な人影が迫る。
「あれー、英子ちゃん? もしかして英子ちゃんですか?」
それが、巨大なびーこの姿であると気づくのに、数秒の時間を要した。いや、違うな、これが普通。普通サイズのびーこだ。
だが、おかげで確信がもてた。
やはり、認めたくねーが、どうやら… あたしが縮んじまったってのが正解らしい。
そんなあたしに対して、びーこが投げかけてきた言葉。
「英子ちゃん、ズルイ! また一人でそんな楽しそうな事してー」
人の気も知らず、またすっとんきょーなセリフを吐きやがって。
「知るか! あたしだって好き好んでこんな格好してるわけじゃねーんだぞ!」
巨大なソファーの上で、巨人びーこを見つめながらじたばたと必死にそう訴えるあたし。
「か、か…」
「か? 何だよ?」
「かっわいいいいいいー♪」
そう言ってあたしをその巨大な掌の上に乗せるびーこ。
つまりあたしは、掌サイズになっちまったってこと。例えるならハムスターサイズってところだろう。
「こ、こやらやめやがれ! あたしを撫でるのはやめろー!」
「おーよちよち。私がいい子いい子してあげまちゅからねー」
だ、駄目だ。びーこのやつ、あたしを見る目が完全に、ペットを見るときのそれそのものになっちまってやがる。
幸いにも今日は休日。びーこの送り迎えをしなくていいってのは不幸中の幸いだが、この後あたしはどーすりゃいいんだ?
というか、そもそもあたしがこんな情けねー姿になっちまった原因ってやつは、一体何だ?
「やいびーこ。さてはお前、また良からぬ事を考えたんじゃねーだろうな?」
「な、何の事ですか?」
「おいこら、今動揺しやがったな?」
「だ、だってぇー」
「だってじゃねーよ。泣きたいのはこっちだっつーの」
びーこの妄想は時として、思いもよらない超常現象を招いちまう事がある。
未だその才能を制御し切れていないびーこのその力。なんつーか、呆れると言うより何でもアリで神様じみてきちまってる。
これは一刻も早く一人前ってやつになってもらわねーと、この先もっととんでもない事体が起きても可笑しくは無いってわけだ。
… まぁ、何はともあれ、今はこのペット化もとい、チビ化を何とかしねーとな。
だが、そんなあたしの考えを知ってか知らずか、びーこは今のあたしを完璧にペットの類にしか見ていない。
「英子ちゃん英子ちゃん、エサ食べますか?」
「ぶっ飛ばすぞ!」
「じょ、冗談ですってば。でもでも、そんな愛らしい姿で凄まれても、全然怖くないですね。これなら普段出来ない事も、今なら出来るかも」
そう言ってにっこりと満面の笑みを浮かべるびーこ。
何というか、物凄く嫌な予感がする。むしろ嫌な予感しかしない。
「英子ちゃん、一緒にお風呂に入りましょう」
「はっはっは。悪いな、びーこ。あたしは朝風呂は入らねー主義なんだ」
だが、こんななりであたしの主張がまかり通るはずもなく。
あたしの必死の抵抗も虚しく、あっという間に丸裸にされるあたし。最悪だ。
「うぅううぅ、びーこに、よりもよってびーこに脱がされた。裸にされた。犯された。もうお嫁にいけねーよぅ」
「はーい、一緒に入りましょうねー。キレイキレイしましょうねー」
ひょういと掴まれて、そのままバスルームにGOされるあたし。
眼の前には広大な海原もとい、湯船に張られたお湯。
元々無駄に広いバスルームだが、今日はまた一段と広く見える。
ぶくぶくと湧き上がるジェットバスが何とも凶悪だ。
「ふっふっふー。英子ちゃん、私が体を洗ってあげます」
「いや、別にいい。むしろ遠慮するぜ、あたしは」
「ふふーん、遠慮は無用です。今日は私に任せてください!」
そう言って巨大な泡泡スポンジをあたしに多い被せるびーこ。
死ぬ。
びーこに、泡に、スポンジに殺される。
「や、やめろペタンコ! まな板!」
「何ですか? 自慢ですか英子ちゃん? 私だって、私だって英子ちゃんくらいの年齢になればきっと!」
完璧なる逆効果。
激しさを増すスポンジ。
全身を包み込む泡。
ぐったりなあたし。
「ゆっくり肩まで浸かって一緒に100まで数えましょうねー」
見渡す限りの水面。あるのはびーことあたしの体のみ。
昔、海のど真ん中で取り残されたダイバーの映画を見た事があるが、あんな感じ。サメがいねーのがせめてもの救いだが。
あたしは、朦朧とする意識の中、溺れまいと必死にびーこの体にしがみつく。
「あははは、英子ちゃんってば、くすぐったいです」
一軒微笑ましい光景に見えるだろーが、あたしは必死だ。一歩間違えば普通に死ねるレベルなんだと言うことを理解して欲しい。
この野郎。人の気も知らず暢気に笑いやがって。
今日の説教は三倍増しだぞコラ。
だが、どんなに困難な状況にも終わりは来る。明けない夜が無いように。やまない雨が無いように。
あたしがびーこの掌の上でぐったりしならがらバスルームから出た瞬間、びーこが唐突に叫び声を上げた。
どうやら、休息の時間は与えてもらえないらしい。
「英子ちゃん英子ちゃん英子ちゃーん。出ましたー、えぇぇん。出ちゃいましたー」
のぼせる体に鞭打って何とか顔を上げ状況を確認する。
眼の前には一匹のちんけな悪霊。
叫び声を上げるのも馬鹿馬鹿しい、そんな取るに足らない相手。勿論、いつもの大きさでの話だが。
「ったく、こんな真昼間っからご苦労なこったな。おいびーこ。どうする? あたしはどうすることも出来ねーぜ」
あたしの姿をこんなミニマムサイズにしちまった原因がびーこにあるとしたら、元に戻せるのもまた、びーこだけ。
加えて、こんな日の高いうちに魍魎の類が現れちまったのも、元を辿ればあたしをこんな状態にしちまったのが原因。
「そ、そんなー。私、やっぱり可愛い英子ちゃんよりいつものカッコイイ英子ちゃんがイイですー。うぇええええん」
びーこのそんな言葉の直後、あたしの体が光に包まれる。
…… どうやら元に戻れるらしい。
やれやれ、手間かけさせやがって。こんな体験、もう二度とごめんだぜ。
「ふん。いつもの大きさってのは見晴らしがいいぜ」
あたしは、壁に飾られている一本のサーベルを手に取り構えた。
「きゃーカッコイー。やっぱり英子ちゃんはこうでなくてはいけませんよね。でも、服はきちんと着てくださいね、英子ちゃん」
五月蝿せーよ。
そもそも誰のせいでこんな事になったと思ってんだこいつは。
あたしは山ほどある文句をぐっと堪えて、眼の前の雑魚にサーベルを突き立てた。
◆
「びーこ、これやるよ」
そんなミニマム騒動も落ち着いた頃、あたしはびーこにあるものを手渡した。
「知ってるか? あたしがガキの頃に流行ったやつなんだが」
「うわー、たま○っち!」
「ああ。これなら飼っても問題なし、だぜ。ま、ペットは無理だがこの辺で妥協してくれ」
「でも、英子ちゃんがたま○っちを持っているだなんてちょっと意外ですね」
例えばPC上のデジタルペットとか、携帯型ゲーム機のペットゲームの類、はたまたアイボなんて手も考えてみたが、びーこにゃこれが一番しっくりくるような気がしたのだ。
そうさ、100%あたしの趣味さ。
つーか、わりーかよ、全シリーズ持っててわりーかよ。可愛いもの好きでわりーかよ。こんなデジタルペットに哀愁を感じちゃわりーかよ。
そんなあたしの険しい表情に対し、びーこが慌てて一言。
「嘘嘘。一緒に育てましょうね? 英子ちゃん」
やっぱりペットを飼うなんて無理な話なのさ。
なんつっても、並みのペットよりよっぽど手間がかかるからな、びーこは。
本当、やれやれだぜ。
END