第十話 「タイムカプセルはパンドラの箱」
第十話「タイムカプセルはパンドラの箱」
とある休日の午後。
びーこが厄介なのは、何もその才能だけが原因ではない。
ヤツの疑う事を知らない、そして何にでも首を突っ込みたがる性格。
これこそが、びーこのびーこたる由縁。
だからこそ、びーこがこんなセリフを吐きながらニコニコ顔であたしの前にやってきたとしたら、あたしは即座に臨戦態勢に入らざるを得ないのだった。
「英子ちゃん! 見てください、これ。私、すごいもの拾っちゃいました!」
そう言ってびーこがこれ見よがしにあたしに見せ付けるもの。
それは、一つの薄汚れた化粧箱だった。
何を隠そう、びーこには収集癖がある。ところかまわず興味を引いたもの、自分の知らないものを拾ってきては、こうして自慢げにあたしに見せるのだ。
これだけは、あたしが何度説教を加えても治らない。治るどころか日に日に重症化しているから性質が悪い。
「で? 今度は何を拾ってきたんだ? なんつーかまた、怪しげな箱だな。触るべからずってオーラがむんむんしやがる」
「何を言っているんです英子ちゃん。そこに山があったら登る。ひもがあったらひっぱる。スイッチがあったら押す。箱があったら開ける。ね?」
いや、何が ね? なのかあたしにはさっぱり理解出来ない。
「びーこ、あたしの話聞いてたか? 見るからに怪しいって言ってんだよ、それ」
あたしにそれと称された件の箱を抱えながら、びーこはその白い頬をぷくーっと膨らませる。
あくまで、あたしの意見を聞き入れるつもりは無いらしい。
「ぶーぶー。怪しくなんてないですもん。きっと私達の想像もつかないようなものが入っているにちがいありません!」
「あーそうですか。つーかよ、一体何処で拾ってきたんだ? ちょっと散歩してくるって言ってたが」
「はい、近所の土手に埋まってました」
は? 埋まってた?
それはもう怪しいってレベルじゃない。十中八九ヤバイ。
間違いなくパンドラの箱ってやつだ。
「待てびーこ。いいか? それは罠だ。孔明の罠だ。ぜーーったいに開けるんじゃねー、今すぐ元の場所に戻してこい」
が、時既に遅し。
眼の前のびーこは、何の躊躇もためらいもなく、その箱を…… 開けた。
こんなことら、昼寝なんてしてねーであたしもついていくべきだった。
後悔先に立たずとはまさにこのこと。
一先ず、いきなり爆発したり、中から煙が出てきてばーさんになっちまうなんてオチはないらしい。
代わりにあたし達の眼に飛び込んできたもの、それは、一通の手紙と、小さな黒い箱だった。
「手紙? おいおい、ますます怪しいぜ、これ」
「では英子ちゃん、そちらの手紙は英子ちゃんにお任せします。代わりに、こちらの黒くて四角い箱は任せてくださいね」
「やれやれだ。まぁ、開けちまったもんは仕方ねーな。とりあえず手紙を読んでみるからよ、ぜーったいあたしの許可無くそっちの箱を開けるんじゃねーぞ」
そんなあたしの忠告に対し、じーっと黒い箱を見つめつつコクコクと頷くびーこ。
駄目だコイツ、あたしの話なんか聞いちゃいない。すっかりブラックボックスの虜ってやつじゃねーか。
とはいえ、ここまできたらもう後戻りは出来ない。
あたしは、溜息を洩らしながらも件の手紙に目を通す事にした。
「んじゃ読むぜ? えーっと、なになに…… この箱を見つけてくれた方へ、これは、ワタシのタイムカプセルです」
あ? タイムカプセル?
「お、おい、やっぱ開けちゃまずかったんじゃねーか? タイムカプセルっていったらあのタイムカプセルだろ? 幾らあたしでも、そんな他人様の大事な思い出ってヤツを踏みにじるのは趣味じゃねーぜ」
「英子ちゃん、続きを」
びーこはいつもの調子と異なり、やけに真剣な顔つきで短くそう言った。
そんな彼女に内心驚きながらも、仕方なくあたしは続きを読む。
「なになに… ワタシはもう、疲れました。何故ワタシが、ワタシだけがこんな目に逢わされるのか? この世界は、理不尽で満ちています」
何だこれは?
タイムカプセルにしちゃ、やけに暗いっつーか、えらく恨み節っつーか。
とはいえ、続きが微妙に気になるのも事実。
あたしは懲りもせず続きを読み上げる。
「非情に遺憾ながら、ワタシは自ら命を絶つ事を選びました。これ以上、こんな生活に耐えられない。心も、体も、限界なのです」
ところどころ滲んだその文字を読むうちに、何だかあたしまでブルーな気分になってきた。
隣のびーこの様子を伺うと、やはり先程の真剣な表情を浮かべながらも、未だにブラックボックスを凝視し続けている。
びーこがそこまでこのパンドラの箱に惹かれる理由は分からねーが、あたしはさらに読み進める。
「だから、ワタシはこの箱を遺します。この箱を見つけたシアワセな誰かさんのために。この箱にワタシの………」
……………… 嘘だろ?
続きを読んだその先、あたしは、思わず固まった。
そして、思わずその口を止めた。いや、止めざるを得なかった。
「英子、ちゃん?」
そんな様子を不審に思ったびーこが、その箱に手をかけながら、あたしの顔を見上げる。
こいつ、まさか開ける気か?
駄目だ、それだけは駄目だ。ぜったいに駄目だ。何があっても、それだけは。
「どけっ、びーこ」
あたしは、ブラックボックスに手をかけたびーこを払いのけ、懐からいつものナイフを取り出し精神を集中させた。
「月は村雲……… って、まどろっこしい。悪いな、今はカッコつけてる場合でも、体裁を気にしてる場合でもない」
あたしは、何かを叫んでいるびーこを無視して、その箱に蒼く煌くナイフを突き立てた。
瞬間、箱はドス黒いオーラを放ちながら徐々に薄れゆき、やがて、その姿を完全に消した。
恐らくだが、在るべき場所へ、元の場所へ還っていったのだろう。
…… 一先ずは、これでいい。これでいいんだ。
「な、何事ですか英子ちゃん? 手紙には何て書いてあったんですか? 何で箱を刺しちゃったんですか? 箱には何が入っていたんですか? ねぇ、英子ちゃん、英子ちゃんってば!」
大粒の汗を滲ませながら、あたしは、眼の前のびーこの頭をぽんぽんと二度三度撫でて諌める。
何て書いてあったかだと?
そんなの、言えるわけねーだろ。
絶対に言える訳がない。
手紙の主が… 差出人がびーこだったなんて、そんなの言えるわけねーだろ。
その上、手紙の最後に書かれていた日付は今から数年前。丁度、あたしとびーこが出会った頃の日付だった。
とはいえ、少なくとも、びーこはこの箱について何も知らない様子だった。
もしかすると覚えていないだけ、忘れてしまっただけなのかもしれないが。
少なくともこれが、単なるびーこの悪戯とは思えなかった。
眼の前のびーこが、これを書き、そして埋めただなんて思いたくなかった。
タイムカプセルという名の、こんな、こんなパンドラの箱を埋めただなんて思いたくなかった。
それでも、びーこがこの箱に惹かれ、どこからともなく持ち帰って来たのも事実。それが意味する事実は…。
◆
それからあたし達は、あたし達にしては珍しいくらいのごくごく平穏な休日の午後を過ごした。
びーこは、箱の事などすっかり忘れてしまったように、無邪気に笑っていた。
そんなびーこを見守るあたしもまた、事実から目を逸らすかのように一緒に笑った。
まるで、何事も無かったかのように。現実から目を背けるように。
いや、これが現実だなんてあたしは認めない。絶対に。
そんなあたしとびーこが、この出来事の本当の意味を知ることになるのは、まだ、随分と先の話。
それはまた、別の話。
だから、あの箱の中身はあたしだけの秘密。
少なくとも、今は、まだ。
END