4.恋は心の病
今日は休みだ。
昨日は普通に出勤して、今日は普通に休み。
別に特別何かあったというわけではないが、なぜかすごく体がダルかった。
というのも、おそらくは今日が月に一度の女の子の日なせいで。
昨日の夜なったばかりで、一日目というのが私にとって一番辛い日だった。
だから朝6時に目が覚めたというのに、今もまだ布団の中でウダウダしている。
まぁ、ダルい理由とはそれだけではないのだが。
それは今日が、日曜日だということだ。
日曜日ということは、学校が休み。
新入りの私は普段ならば日曜日だろうがほぼ出勤だった。
そのため、これまでの日曜日を秀平がどう過ごしてきたのか知らない。
要するに、出掛けている可能性もあれば家にいる可能性もあるということで。
これまで一日を秀平と共用したことがなかったため、少なからず抵抗がある。
いや本当はそうじゃない。
最近、秀平に関わると妙に緊張して嫌なのだ。
これが恋の病か、などと今強く実感していた。
自分の気持ちは自覚しているつもりだ。だからこそ抑えなくてはならない。
だからこそ、一日中家の中で一緒に過ごすことに不安を感じずにはいられなかった。
そんなことをモヤモヤと考えているうちに、時計の針は10時を指してしまっていた。
さすがに腹の虫ももう黙ってはいられないようだった。
「遊びに行ってる可能性だってあるし・・・ってか、そうに決まってる」
秀平こそ、私と大事な日曜日を過ごそうなどとは思っていないはず。
自分で思っておきながら、胸がシンシンした気がした。
秀平が遊びに行っている・・・と思わせる理由としては、家の中が静か過ぎること。
人の気配や足音や、床が軋む音さえ聞こえてこなかった。
私はそっと布団の中から抜け出し、自分の部屋の扉を静かに開いた。
物陰に隠れながら、まるで泥棒のように抜き足差し足で歩いた。
リビングに辿り着いた時も、はやり人の気配を感じなかった。
そこでやっと私は、縮こまって猫背になっていた体を真っ直ぐに直した。
「やっぱ・・・いない、か」
安心した反面、少しばかりガッカリした。
なんて、口が裂けても言えないが。
台所に行き、朝のコーヒーを入れた。
静かな部屋はいつもと変わらないはずなのに、すごく寂しく感じた。
一人ため息をつき、リビングのソファーに腰を下ろした。
コーヒーの湯気が吸い込まれるように、天井へと上がっていく。
それをしばらくぼーっと見つめた後、もう一口カップへと口をつけた。
その時、玄関の方で何の物音が聞こえた気がした。
秀平が帰ってきたのだろうか?瞬間的に身構えたが、何も起こらなかった。
廊下の角から秀平の姿が見えるどころか、扉が開いた音すら聞こえなかった。
気になった私は立ち上がって玄関に向かった。
覗き穴から外を見たが、変わった様子はない。
不気味に思ったが、扉を開けて確認することはしなかった。
そこでリビングに戻ろうとした私の目についたのは、玄関の靴だった。
私の靴の横にある靴は、秀平の靴だった。
プライベートで、最近彼が履いている靴だと思われる。
今日は違う靴を履いていったのだろうか?
ふと疑問に思い、秀平の部屋の前まですぐさま駆けて行った。
開けるのはプライバシーの問題があるかと思い、扉に耳を当ててみた。
しかし中は人の気配がなさそうなほど静まり返っていた。
「秀平?いるの?」
問いかけに返事はない。
私は神社で両手を合わせるようにして手を組んだ。
ごめんね、秀平。
どうしても気になって、確かめたかった。
一回開ければ、それで満足するから!
そう思い、一思いに扉を開いた。
そうすればすぐさま分かった。やはり人気はない。
ほっとしたのもつかの間。
「直・・・」
「・・・秀平?」
私の耳に届いたのは、確かに秀平の声だった。
その声のした方を見ながら、良く目を凝らせばベットの上がおかしい。
なぜ気づかなかったのだろうか、と思えるほど布団が膨らんでいた。
誰かがまだその布団の中で眠っている証拠ではないか。
私は急いでベットの側に駆け寄った。
近寄ればすぐに分かる。明るい髪の色。
秀平は出掛けてなんかいなかった。
「どうしたの?」
しかし、いつもと様子がおかしい。荒い吐息と潤んだ瞳。
秀平は夜更かしはするが、早起きだったはず。
いつも私が病院に出勤する頃には必ず起きているのに。
日曜日だからといって、こんな時間まで寝ているなんて。
毛布に包まったままの秀平は、目を弱弱しく薄く開いたまま私を見ていた。
「風邪ひいた」
「えっ?風邪っ?」
ごもごもと小さく呟いた秀平は、まるで小学生のようだった。
恋の病か、などと思っていた自分が馬鹿みたいだった。
本当の風邪や病は、もっと辛い事を看護士の自分が良く知っているというのに。
「風邪なら風邪って、早く言ってくれればいいのに」
私が早口でまくし立てると、秀平は答える気力も無さ気に目をつぶって頷いた。
そんな弱っている彼を見て、不謹慎だがトキめいてしまった。
拳を何度か胸元に当て、自分の自制心をかきたてるた。
ダメ、ダメ。今はそんな状況じゃないでしょ?
「とにかく。暖かくしなくちゃ」
私はすぐさま立ち上がり、彼の部屋のエアコンを付ける。
暖房の強風の高温だ。熱くて汗を掻くぐらいでないと。
さらに今の季節は使っていないFFストーブに電源を入れる。灯油は入ってる。
後、それから・・・それから・・・。
若干だかパニックに陥りそうだったが、そんな自分に冷静になるように語り掛けた。
それから、私は自分の出来る範囲の事をすべてやった。
家にあった風邪薬を飲ませる前に、少しでも何か胃に入れないとと思い、お粥も作った。
着ている服を一度着替えさせ、首にタオルを巻きつけた。
自分の部屋からさらに布団を持ってきて、彼の上にかけた。
どんどん汗をかかせるために、ペットボトルの水も何本も用意した。
そのごとに秀平は怪訝そうな視線を送ってくる。
でも、文句ひとつ言わず、私に言われるがままにしている。
抵抗しようとする気力もないのか。
「熱い」と熱のこもった瞳で睨まれても、全然怖くなんかない。
逆にもっともっと苛めたくなるというか、母性本能をくすぐられるというか。
病人を目の前に、不謹慎な自分と葛藤するのが大変だった。
気づけば、弱っている秀平を発見してから半日ほどが過ぎ去っていた。
大分温かくしすぎた部屋の温度で、私も頭がぼーっとしてきた頃。
すでに一時間ほど前に眠りについていた秀平の寝顔を、私は静かに見守っていた。
端整で大人びた顔をしている彼も、今は無防備で幼い一人の少年だった。
それがなんだかすごく嬉しく感じるのは、なぜなのだろうか。
年下なのに、いつも大人びているから。
年相応な彼がとても新鮮で、可愛らしく見えた。
窓から入ってくる夕日の光が、彼の髪をキラキラと光らせていた。
秀平の髪はとても綺麗な茶髪で、私はこの色がとても好きだった。
寝癖であちこち遊んでいる髪を少し指先で触った。
そこから少しに指を落とし、そっとその頬に触れた。まだ熱を持っている。
触れているだけで心臓が踊るなんて、どうかしていると思う。
だが、恋ってそんなものなのかもしれない。
側にいて、側にいるだけなのに、安らいで。ドキドキして。
もっとずっと一緒にいたいって、思う。
そこでなんだか急に恥ずかしくなった。
秀平はまだ夢の中で、私がこうして触れていることにも気づいていないというのに。
いや逆に、だからなのかもしれない。
彼が知らぬ間に、こんなことをしていることに、恥ずかしさを覚えた。
同時に後ろめたさも感じた。
まるで恋人みたいに。
好きな人の寝顔を見て。
風邪を引いている彼の側に寄り添って。
いつも触れられない、その髪や頬に触れて。
そんな今の彼を、私が独占してる。
後ろめたさも感じたが、やめられない。
あと、少しだけ。
そっと、彼の髪に触れた。
夕日の光に照らされて、手から零れ落ちる砂金みたい。
心地よい胸の高鳴りに、そっと耳を傾けて目を閉じた。
「っ・・・!」
口から出たのは言葉ではなかった。
吐息のような、驚き。
秀平がいきなり私の手を掴んだのだ。
骨ばった男の子の手で。力強く掴まれて、逃げ切れなかった。
「くすぐったい」
薄い茶色い瞳をゆっくりと開き、眠そうな表情をした。
「起き、てた・・・の」
一気に足元から頭に向かって血が集中していく感覚だ。
きっと今、私の顔は真っ赤なのだろう。
見られたくなくて、思わず空いている片手で口元を覆った。
「さっき起きた」
そう言った彼は、一度あくびをした後で私を見た。
「顔真っ赤だよ」
予想通りの言葉に絶句しかけて、無理やり口を開いた。
「部屋が熱いからよ。今換気しようとしてたところだったから」
出来るだけ視線を合わせないようにして、私は立ち上がった。
そしてできるだけ自然に、彼が掴んでいる私の手を振り解こうとした。
だが、簡単にはいかなかった。秀平は手を離そうとしない。
「秀平?あの・・・手離してくれないと、行けないんだけど」
「別にいいよ。俺熱くないし」
いや、そういう問題じゃーないでしょ。
「でもほら、秀平もまた体温測らなくちゃだし。体温計リビングだから」
再度手を離してもらえるよう試みる。
しかし秀平は聞く耳を持たずと言った雰囲気で、また布団に潜り込んだ。
「直と話してたらまた熱出てきた。また寝る」
「え?ちょっと!」
そう言って、今度は顔まで毛布の中に埋めてしまった。
病人を叩くわけにもいかず、私はもう一度その場に座りなおす形となった。
今やもう、私の片腕の手首から先も秀平の布団の中へと引きずり込まれていた。
とてつもなく恥ずかしいが、それは言うわけにもいかない。
だから私はとりあえず、その場は大人しくしていることにした。
風邪の時だけ見る、弱っていて甘えてくる、そんな子供っぽい彼の一面を見て、なんだか知らん振りなんかできそうもなかった。
それもこれも、私の面倒な感情が引き起こす病ってヤツのせいなのだろうか。
恥ずかしいくせに、もっとずっとそうしていて欲しいだなんて。
ほんともう。恋ってのは、病気より、ほんと厄介。
いや、どうだろう。病気したことが無い人が言うのもあれだから。
恋はまるで、とてつもなく厄介な、心の病気。