修学旅行
十一月
瀬河高校二年生の修学旅行の日がやってきた
朝早く
瀬河高校の校庭に四台の大型バスが並んでいた
一組から四組まで
二年生全員が
それぞれのクラスのバスに乗り込んでいく
「眠い……」
修司が大きくあくびをした
「昨日 ちゃんと寝た?」
乙女が聞く
「寝たよ」
「何時に?」
「……十一時半ぐらい」
「それ ちゃんと寝たって言わないでしょ」
「修学旅行の前の日なんだから しょうがないだろ」
「子供みたい」
「乙女だって楽しみだっただろ?」
「……まあね」
乙女は少し笑った
バスの周りでは 友達同士で写真を撮ったり
荷物を確認したりする生徒でいっぱいだった
葵は看護科クラスの集合場所にいる
友も愛もそれぞれ自分のクラスの列に並んでいる
五人が同じ場所に集まることはない
それでもお互いの姿は見つけられる
「葵!」
愛が少し離れたところから手を振った
「愛ちゃんおはよう!」
友も手をあげる
「おはよう」
修司と乙女も手を振った
先生が点呼を始める
「二年一組 全員いるか」
生徒たちが返事をする
二組 三組 四組
全員の確認が確認が終わった
そして
「それでは 出発します!」
バスが動き始めた
約二時間
窓の外の景色を眺めながら
生徒たちは修学旅行の話をしていた
「新幹線 久しぶりだな」
修司が言う
「修司 東京初めて?」
「うん」
「私も」
「乙女も?」
「うん」
「じゃあ 今日は二人ともおのぼりさんだな」
「何よ それ」
「だって初めてだろ」
「修司もでしょ」
「そうだけど」
二人で笑った
京都駅に到着する
大型バスから降りた二年生たちは
先生の誘導で新幹線のホームへ向かった
大きな荷物を持った生徒たちがぞろぞろと歩いていく
新幹線ホームへ入ってくる
「来た!」
誰かが声を上げた
誰かが声を上げた
車内へ乗り込む
それぞれの指定された席に座る
修司と乙女は同じクラスなので 席は近かった
「東京まで何時間?」
「新横浜までだから そんなに長くないよ」
「そっか」
列車が動き始める
瀬河のある関西から 東へ
修学旅行らしい空気が車内いっぱいに広がった
昼食の時間になると
あちこちで弁当の包みが開かれる
修司も弁当を開けた
「乙女 それ何?」
「お弁当」
「見れば分かる」
「じゃあ聞かないでよ」
「いや なんか豪華だなと思って」
「修司のも普通じゃない?」
「普通でいいんだよ」
二人はそんな話をしながら昼食を食べた
やがて車窓に見える景色が変わってくる
遠くに富士山が見える
「……富士山」
乙女が窓の外をみた
「本物だ」
「テレビでしか見たことなかった」
修司も窓に顔を向ける
少しだけ雪をかぶった富士山が見えている
「写真撮る?」
「うん」
二人でスマートフォンを取り出した
やがて新幹線は新横浜駅へ到着した
午後
二年生全員がホームへ降りる
「ここが横浜か……」
修司が周囲を見回す
「まだ横浜じゃないけどね」
乙女が笑った
「そうなの?」
「新横浜だよ」
「……最初から分からなくなってきた」
「大丈夫?」
「たぶん」
乙女は笑った
新横浜駅から 四クラスは再びバスに乗り込んだ
ここからは学校全体で横浜市内を観光する
最初に向かったのは 横浜中華街だった
バスを降りると 目の前に色鮮やかな門が見える
「うわ……」
生徒たちから声があがった
普段暮らしている瀬河市とは
まったく違う雰囲気だった
中華街には沢山の店が並び
看板や飾りも普段見慣れたものとは
違っている 横浜開港以来の歴史を持つ地域で
現在も多くの飲食店や土産物店が集まっている
「修司 あれ食べたい」
「いきなり?」
「だって修学旅行だよ」
「昼飯食べたばっかりだよ」
「別腹」
「何の別腹だよ」
乙女は笑った
先生の指示で決められた範囲を歩きながら
中華街の雰囲気を楽しむ
その後 歩いて山下公園へ向かった
海が見える
「海だ!」
生徒の一部が声を上げる
山下公園から横浜港が見渡せる
海の向こうを船が進んでいく
修司はしばらく黙って海を眺めていた
「どうしたの?」
乙女が聞く
「雨実村から来たんだなって思って」
「何それ」
「だった 普段山ばかり見ているだろ」
「そうだね」
「今日は海だ」
「うん」
二人で海を見る
山下公園は関東大震災の復興事業として
作られた公園で
港を行きかう船や横浜ベイブリッジ等を
見ることができる
暫く散策する
次に向かったのは横浜赤レンガ倉庫
赤いレンガの建物を見て
友が少し興味深そうに眺めていた
ただ 伝統建築の友は別のクラスなので
友は建物を見上げながら
「こういう建物も面白いな……」
と 小さく呟いた
愛は愛で周囲の施設や人の流れを見ていた
「横浜っていろんなものが集まってるね」
商業科の愛らしい感想だった
葵は海を眺めながら
「病院もこんな大きな街に沢山あるんだろうな」
と考えていた
五人は同じ修学旅行へきている
けれど 見ているものは少しずつ違っていた
それぞれの興味を持ったまま 夕方になっていく
最後にみなとみらい地区をバスの車窓から眺めた
高層ビル 大きな観覧車
都会の輝き
「東京じゃないのに もう都会はすごいな」
修司が言った
「東京はもっとすごいんじゃないの?」
乙女が答える
「……明日 大丈夫かな」
「何が?」
「迷子にならないか」
「私がいるから大丈夫」
「頼りになるな」
「でしょ?」
乙女が胸を張った
バスは横浜市内のホテルへ向かった
ホテルへ到着すると 先生から部屋割りや夕食
翌日の予定について説明があった
生徒たちは荷物をもって それぞれの部屋へ向かう
修司と乙女も
同じクラスの友達と一緒に部屋へ入った
「疲れたー!」
誰かがベットに倒れ込む
「まだ一日目だよ」
修司が笑った
「明日からもっとすごいんだから」
「東京か……」
修司は窓の外を見た
横浜の夜景が広がっている
雨実村では見たことのない明るさだった
その頃 別の部屋では葵が友達と話していた
友は今日見た建物について話している
愛は明日の日本科学未来館について調べている
そして五人それぞれの夜が始まった
修学旅行 第一日目
まだ始まったばかりだった
修学旅行二日目
朝 横浜市内のホテルでは
まだ眠そうな二年生たちが朝食会場へ
集まっていた
「眠い……」
修司がパンをかじりながら言った
「昨日 何時まで起きていたの?」
乙女が聞く
「十二時ぐらい」
「遅いよ」
「だって修学旅行だぞ」
「子供みたい」
「乙女だって起きていたんだろ」
「私は早く寝たもん」
「嘘つけ」
そんなやり取りをしながら 二人は朝食を食べた
今日は昨日と違って
二年生全員が同じ場所へ行くわけではない
クラスごとの予定も違い
さらに自由行動の時間もある
五人も
それぞれ違う一日を過ごすことになっていた
葵の場合
ホテルを出た葵は友達と一緒にバスへ乗り込んだ
今日の行先は 東京臨海広域防災公園にある
そなエリア東京だった
バスが東京湾岸へ近づいていく
高い建物が増えてきた 道路も広い
昨日の横浜とはまた違った都会の景色だった
「東京って やっぱり大きいね」
隣りの友達が言った
「うん」
葵は窓の外を見ながら答えた
けれど今日はただ東京を見るために来たわけではない
葵には もう一つ目的があった
看護科の授業で 災害について勉強したことがある
災害が起きたとき
病院にもたくさんの患者が運ばれてくる
普段ならできることが できなくなるかもしれない
電気が止まる 水が使えなくなる
道路が通れなくなる
いつもの医療が そのままではできなくなる
以前 学校の校外学習で
阪神・淡路大震災について学んだことを
思い出した
あの時に何が起きたのか
そして
これから起こるかもしれない災害にどう備えるのか
その二つを 葵は頭の中でつなげようとしていた
やがてバスが到着する
「着いたよ」
先生の声がした 二年生たちはバスを降りる
施設の中へ入る 最初は普通の見学施設のように思えた
しかし 説明を聞きながら進んでいくと 少しずつ空気が変わっていった
自身が起きた直後の東京を想定した展示
建物の中だけではない 街で何が起こるのか
人はどこへ避難するのか 救援がすぐに来るとは限らない
葵は展示を一つ一つ見ていった
そして東京直下地震を想定した体験エリアへ進む
「これ 本当に起きたら……」
友達が小さな声で言った
「うん」
葵も小さく答えた
映像や展示を見ながら歩く
地震の後の街 壊れた建物 倒れた家具 避難する人
いつもの東京とは全く違う
葵は看護科の授業で習ったことを思い出していた
「患者さんだけじゃなくて……」
思わず口に出た
「え?」
「ううん」
葵は首を振った 患者だけではない
看護師も 医師も 救急隊も 消防も 家族も
災害が起きれば みんなが被災者になる可能性がある
その中で医療を続ける それが災害医療なのだ
見学の最後の方で 葵は展示をもう一度振り返った
「昨日まで 東京って大きな街だなって思っていたけど……」
友達が言う
「今日見ると ちょっと違って見えるね」
「うん」
葵はうなずいた
帰りのバスに乗る前
葵は一度だけ施設の建物を振り返った
そして
自分もいつか
こういう場所で役に立てる看護師になれるのだろうか
そんなことを考えた
愛の場合
同じころ愛は別の場所にいた
今日の目的地は日本科学未来館
入口に立った愛は 少しだけ目を輝かせていた
「ここか……」
昨日の横浜観光とは まったく違う
愛にとって今日は
自分がこれから学びたいと思っているものに
近い場所だった
科学 技術 未来
そして人間と機械
「愛ちゃん 行こう」
友達に声をかけられる
「うん」
館内へ入る 展示をみていく
科学の仕組みを説明する展示
宇宙や地球に関する展示
ロボットや情報技術に関する展示
愛は一つ一つ立ち止まった
ただ眺めているだけではない
どうやって情報を処理しているのか
どんな技術が使われているのか
商業科で勉強している愛にとって
普段の授業とは違う分野だった
それでも 不思議と遠く感じなかった
「愛ちゃん これ好きそう」
友達が言う
「うん」
「ずっと見ているじゃん」
「だって面白いんだもん」
愛は展示の説明を読んだ そして少し考える
高校では簿記やPC 商業の勉強をしている
一見すると
今日見ている科学とは少し違うようにも見える
でも
商品を作る人 それを管理する人
PCを作る人 システムを考える人 使う人
いろいろな人がかかわって 一つのものができている
「……面白いな」
愛が呟く
「何が?」
「ううん 何でもない」
友達は首を傾げた
愛はまた展示を見る
学校では資格試験の勉強をしていることが多い
最近も試験が続いていた
でも今日は 試験問題ではない
答えが一つに決まっているわけでもない
ただ
「これから こういうことを勉強するのかな」
そんなことを考える時間だった
昼食を挟んで 午後も館内を見学する
愛は気になった展示の前で何度も足を止めた
最後に友達と出口へ向かう
「結構見たね」
「うん」
「疲れた?」
「ちょっとだけ」
「愛ちゃん 昨日も遅くまで起きていたんじゃない?」
「……それは言わない約束」
二人で笑った
愛は建物を見てから 一度振り返った
そして
「大学に行ったら
もっとこういうところに来るのかな」
小さく呟いた
友の場合
朝から緊張していた
今日の行先は江戸東京たてもの館
伝統建築科の生徒にとって
かなり楽しみにしていた場所だった
バスを降りる
目の前には普通の博物館とは違う空間が広がっている
「広……」
同じクラスの男子が声を上げた
「建物 いっぱいあるな」
友も周囲を見回す
ここには 江戸時代から昭和中期までの歴史的建物が
移築・復元されている
建物だけではない 町並みもある 家の前の道
商店 昔の生活空間 建物の中に入る
柱を見る 梁を見る 建具を見る 床を見る
友は自然と上を向いた
「……これ すごいな」
先生が近くにいた
「何が?」
「梁です」
先生が友の視線の先を見る
「どこが気になる?」
「太さもそうですけど……組み方が」
先生が笑った
「さすが 伝統建築科だな」
友は少し照れた
別の建物へ移動する
そこでも友は立ち止まる
柱の太さ 木材の使い方 屋根 壁 窓
それぞれの建物に違いがある
「同じ木造でも 全然違うんだな」
友は言った
「時代とか 使い方で変わるんだろ」
友達が答える
「うん」
友は建物の外に出る 庭を見る
建物の正面だけではなく 横からも見る
裏側も見る 建物と庭 建物と道 建物と隣の建物
全部つながっている
友は少し前に学校で始めた古民家再建の事を思い出した
建物を直すときは
壊れたところだけを新しくすればいいわけではない
昔の材料を調べる 使えるものは残す
どこが悪くなっているのか確認する
昔の図面や写真を見る
その家がどう使われていたのかを考える
今日見ている建物も
そういう人たちの手によってここまで
残されている
「……建物って 残すのも大変なんやな」
友が言った
先生が頷く
「そうだな 作るのと同じくらい 残すことも大事だ」
友は黙って建物を見上げた
暫くして 友はスマートフォンを取り出す
写真を撮る
柱 屋根 建具 庭
そして建物全体 写真を撮りながら 学校に帰ったら
もう一度図面を見てみよう
そんなことを考えていた
昼を過ぎても 友はまだ飽きなかった
広い園内を歩き続ける
途中で友達が
「友 まだ見るの?」
といった
「もうちょっと」
「好きだなあ」
「うん 好き」
友は普通に答えた
夕方が近づいてくる
秋の東京は 少しずつ日が傾き始めていた
友は最後にもう一度 園内を振り返った
「来てよかった」
その言葉は自然に出てきた
伝統建築科の授業で習っていることが
実際の建物として目の前にあった
教科書とは違う 写真とも違う
自分の目で見て 歩いて 触れられる距離にある
それが嬉しかった
修司と乙女の場合
一方修司と乙女は朝から東京の街を歩いていた
「まず 渋谷だな」
修司が地図を見ながら言う
「本当に分かっている?」
「分かってる」
「昨日も横浜で迷ってたじゃん」
「あれは横浜だから」
「意味わかんない」
二人は笑った
渋谷駅に着く
人が多い
駅から出るだけでも 少し時間がかかる
「人 多すぎない?」
修司が周囲を見る
「東京だからね」
「雨実村なら この人数祭りの日でも集まらないぞ」
「比べるとこ そこ?」
二人はスクランブル交差点へ向かった
信号が変わる
一斉に人が動き始める
「うわ……」
修司が思わず声を出した
右からも左からも人が来る
前からも 後ろからも人が流れてくる
其れなのに みんな自分の行く方向へ歩いている
「すごいな」
「何が?」
「人がいっぱいなのに ちゃんと流れている」
「修司 田舎からきた人みたい」
「だから おのぼりさんなんだって」
乙女が笑った
修司も笑った
けれど交差点を渡り切ると少し様子が変わってきた
人
人
人
目の前を次々と人が横切っていく
大きな音 車の音 人の話し声 店から聞こえる音楽
信号が変わる音 いろいろなものが一度に入ってくる
修司は歩きながら 何度か立ち止まった
「……修司?」
「ん?」
「どうしたの?」
「いや……」
修司は座り込んだ
「ちょっと待って」
「どうしたの?」
「なんか 調子がおかしい」
顔色が少し悪くなっている
「気持ち悪い?」
「うん……」
修司は額に手を当てた
「車に酔った時というか 電車に酔った時の感じ」
「えっ」
乙女の表情が変わった
「大丈夫?」
「分からない……」
修司はその場で深く息を吸った
けれど周りを歩く人達を見るとまた気分が悪くなった
目が回るような感じがする
身体がふわふわする
「ちょっと 人の少ないところへ行こう」
乙女が言った
「うん……」
乙女は修司の腕を軽くつかんだ
人の流れから離れる
少し歩くと建物の端にベンチがあった
「ここに座ろう」
「……うん」
修司はゆっくり腰を下ろした
乙女も隣りに座る
「水 飲む?」
「うん」
乙女がペットボトルを渡した
修司は少しずつ水を飲んだ
「ごめん」
「何が?」
「せっかく東京まで来たのに」
「そんなの気にしなくていいよ」
「でも……」
「体の具合の方が大事でしょ」
修司は黙った
暫くして 乙女が修司の顔を見る
「まだ気持ち悪い?」
「ちょっと」
「目 回る?」
「少し」
「じゃあ もうちょっと休もう」
「うん」
乙女は急かさなかった
目の前では 相変わらずたくさんの人が歩いている
修司はできるだけ人の流れを見ないようにして
少し遠くの建物を眺めた
「雨実村だったら……」
「うん?」
「この時間 こんなに人いないよな」
乙女が少し笑った
「まあね」
「学校から帰っても
道路に車が何台も続いてるなんてないし」
「ないね」
「なんか……身体がびっくりしてるのかも」
「人の多さに?」
「たぶん」
乙女は笑った
「東京 初めてだもんね」
「うん」
「お父さんに聞いたことあるんだ……たぶん
人酔いとか 都会酔いっていうのだと思う
人の多さに適応できていないんだよ」
「そうだね」
「都会に出かけると
不思議に体調が急に悪くなる病気みたいなの」
修司はもう一度水を飲んだ
暫くすると さっきより呼吸が楽になってきた
「……ちょっと良くなった」
「本当?」
「うん」
「無理しないでね」
「分かった」
「今日はまだ始まったばっかりなんだから」
「そうだった」
修司は苦笑いした
「でも SHIBUYA SKYはいきたい」
「行けそう?」
「たぶん」
「じゃあ ゆっくり行こう」
「うん」
二人はすぐに立ち上がりなかった
暫く ベンチに座ってから
修司はゆっくり立ち上がった
「大丈夫?」
「うん さっきよりいい」
「じゃあ行こうか」
「うん」
二人は人の流れを避けながら ゆっくり歩き始めた
修司はまだ少しふらつくような感じがした
それでも さっきよりは周りを見ることができる
そして SHIBUYA SKYへ向かった
高いところまで上がる
外へ出る
東京の街が一気に広がった
「……すご」
乙女が言った
渋谷の建物 道路
遠くまで続く街 たくさんの人
その先に さらに高い建物が見える
修司はしばらく 何も言わなかった
「どうしたの?」
「いや」
修司は下を見る
「さっきまで あんなに人が多かったのに……」
「うん?」
「ここから見ると 小さいな」
乙女が笑った
「そうだね」
「ここなら 人酔いもしないかも」
「高いところなら大丈夫なんだ」
「たぶん」
修司は少し笑った
さっきまでの気分の悪さは 少しずつ遠ざかっていた
二人は並んで東京の街を眺めた
修学旅行三日目
東京で迎える三日目の朝
ホテルの朝食会場には
昨日より少し離れた顔が増えていた
「眠い……」
誰かがそういうと
「昨日歩きすぎやろ」
「今日も歩くんやろ?」
そんな声があちこちから聞こえてくる
同じ学校から来た二年生でも
この日も行先がそれぞれ違う
葵は看護科のクラスメイト数人と
東京都内の医療系・看護科大学へ
愛は商業科の女子数人と資生堂ビューティパークへ
友は伝統建築科のクラスメイト数人と鎌倉へ
そして修司と乙女は
昨日に続いて二人で東京観光だった
それぞれが朝の集合場所から別れていった
葵たちは 事前に見学を申し込んでいた
東京都内の医療系・看護系の大学へ向かった
一緒に来たのは 看護科のクラスメイト数人
電車を降りて大学へ向かう途中
「東京の大学って やっぱり大きいな」
「うちの学校より人多そう」
そんな話をしながら歩いていく
大学へ到着すると 担当の職員が迎えてくれた
校舎の中には看護に使われる設備が整っている
ベット 車椅子 医療 実習用の人形
そして 学生たちが実際に演習をするための教室
葵は一つ一つをじっと見ていた
「これ……実習室?」
「そうですよ」
説明を聞きながら
葵は自分の学校の実習室を思い出した
同じようなものもある
けれど 大学になると規模も設備も違う
「大学に行ったら
こういうところで勉強するんや……」
小さく呟く
クラスメイトの一人が
「葵 大学行く気満々やな」
「うん……」
少し照れながら
「看護師になるなら その先の勉強もしてみたいから」
そう答えた
昨日は東京の災害について学んだ
今日は その先にある医療の世界をみる
葵にとって この二日間は別々のものではなかった
「災害が起きたときに どうするか」
そして
「人を助けるために 自分は何を学ぶのか」
その二つが 少しだけつながったような気がした
愛は商業科の女子クラスメイト数人と一緒に
資生堂ビューティパークへ向かった
「愛ちゃん 今日は楽しみにしてたやろ?」
「うん」
愛は朝から少し嬉しそうだった
普段から商品や販売について勉強している愛にとって
化粧品という商品を実際に見ることは
単なる観光とは少し違っていた
施設の説明を聞きながら
「商品って こういう風に見せるんや……」
「パッケージもすごいなあ」
と 友達と顔を見合わせる
そして
事前に問い合わせていた化粧体験の時間になった
「今日は 実際にメイクを体験していただきます」
その言葉を聞いた瞬間
「来た!」
愛が小さく声を上げた
「愛ちゃん 声でかい」
「だって楽しみやもん」
笑いながら席につく
スタッフから説明を受けながら
クラスメイト達も化粧をしていく
最初は
「これ どう使うん?」
「その色 似合うんちゃう?」
「ちょっと待って 鏡見せて」
と 女子高生らしい声が飛び交っていた
暫くすると
「……え?」
一人が鏡をみて固まった
「どう?」
「めっちゃ変わった」
「ほんま?」
「うん なんか大人っぽい」
別の子も鏡をみて
「え 私こんな顔やったっけ?」
みんなで笑う
愛も鏡を見た
いつもの自分とは 少し違う
「……なんか不思議」
「愛ちゃん かわいいやん」
「そう?」
「うん」
愛は少し照れて笑った
そして すぐに別の事を考え始める
「これ 商品として考えたら……すごいな」
「また商業科のこと考えてる」
「だって 同じ商品でも 使う前と使った後で
印象が全然違うんやもん」
友達が笑った
「愛ちゃん どこ行っても勉強になるなあ」
「そうかな?」
そういいながら 愛はもう一度鏡を見た
綺麗になった友達たちをみて
「みんな ほんまに綺麗やな」
と嬉しそうに笑った
友たちは鎌倉へ向かった
目的地は鎌倉彫資料館
伝統建築科の生徒たちにとって 建物だけでなく
そこに受け継がれてきた工芸を
見ることも大切な勉強だった
館内では 鎌倉彫の歴史や作品を見学する
木の表面に刻まれた細かな模様
同じ木でも
彫り方によってまったく違った表情になる
友は作品の前で足を止めた
「……これ全部手でほってるん?」
「そうやろうな」
クラスメイトが答える
「すごいな」
友は作品を近くから眺めた
木目 彫刻の深さ 光の当たり方
一つ一つが違って見える
そして 事前予約していた体験へ
実際に道具を手に取る
「力入れすぎたらあかんで」
「分かってる」
と言いながら 友は慎重に刃物を動かす
しかし
「……あ」
少し削りすぎた
「友くん 今ちょっと焦ったやろ」
「……見てた?」
「見てた」
笑いが起こる
「木って 思ったより難しいな」
友も笑った
普段扱っている柱や梁とは違う
けれど
「木を見て 木に合わせて手を動かす」
という部分では どこが通じるものがある
体験を終えたあと 友たちは近隣の神社へ向かった
境内に入ると
都会の東京とはまた違う静けさがあった
「鎌倉って こういうところがええな」
友が言う
古い建物 石段 木々
長い時間を越えて残っているのも
友はしばらく黙って境内を眺めていた
「将来 こういうものを残す仕事がしたいんやろ?」
クラスメイトに言われ
「うん」
と答える
その返事は 昨日までより少しだけはっきりしていた
一方 修司と乙女は浅草へ向かった
駅を出た瞬間から 二人は周囲を見回した
「うわ……」
「すごいな」
仲見世通り
人 店 看板 お土産 食べ物 外国から来た観光客
修司は昨日の渋谷ほどではないものの
少しだけ周囲を警戒していた
乙女が気づく
「大丈夫?」
「うん 今日は昨日ほどじゃない」
「ほんま?」
「ほんま」
そう言って 修司は人の流れを見ながら歩いた
浅草寺に到着する
二人で参拝し 境内を歩く
「東京って こういう古いところも残ってるんやな」
修司が言う
「昨日の渋谷とは全然違うね」
「うん」
巨大な街の中に 長い歴史を持つ寺がある
それが修司には少し不思議だった
そして次は東京スカイツリー
展望台へ上がっていく
エレベーターが止まる
扉が開いた
「……高っ!」
修司が思わず声を上げた
乙女も窓の外を見る
東京の街が ずっと下に広がっている
道路 建物 川 橋
そして遠くまで続く街並み
「人が……小さい」
修司が言った
乙女が笑う
「昨日と逆やな」
「何が?」
「昨日は人に囲まれて 人酔いしていたやん」
「……それ言うなって」
「ごめんごめん」
二人で笑った
高いところから見る東京は
昨日歩いた東京とは全く違って見えた
午後
二人が向かったのは
麻布台ヒルズteamlab Borderlessだった
入口を抜ける
暗い
「……?」
修司が立ち止まる 乙女も周囲を見る
すると 壁に光が現れた
花が咲く 蝶が飛ぶ 光が流れる
二人の横を通りすぎるように 映像が動いていく
「え?」
修司が一歩後ろへ下がった
「これ……壁?」
「たぶん」
「たぶんって」
乙女も笑っていた
「触ったらどうなるんやろ」
「やめとき 怒られるで」
しかし二人が見ている前で
作品の光が別の場所へ移動していった
「動いた!」
「ほんまや!」
修司が思わず追いかける
けれど 次の部屋に入ると
また違う世界が広がっていた
鏡 光 無数の粒 床まで光っている
「……うわ」
今度は乙女が声を失った
「すご……」
修司も何も言わない
しばらく二人とも立ったままだった
「これ どうなってるん?」
「知らん」
「俺は知らん」
二人とも笑った
そして また歩く
歩くたびに景色が変わる
自分たちがいる場所なのに そこがどこなのか
分からなくなる
「地図ないんやな」
修司が言う
「ほんまや」
「迷子になるぞ」
「修司 東京で迷子になるん?」
「……なるかもしれん」
「昨日からそればっかりやん」
乙女が笑う
光の中を歩いていると
さっきまで別の場所にあった作品が
いつの間にかこちらへ移動してくる
二人の前を光が通り過ぎる
修司が振り返る
「今の さっきのやつや!」
「ほんまや!」
二人とも子供のように追いかけた
「待って!」
「乙女 走ったら危ないって!」
「修司が先に行ってるやん!」
「いや 俺は歩いてる!」
そんなやり取りをしながら
二人は次々と部屋を進んでいった
ある場所では 無数の光が天井から降ってくる
別の場所では 床まで鏡になっていた
「うわっ!」
修司が足を止める
「落ちそう……」
「落ちないよ」
「分かっているけど 怖いやん」
乙女が笑う
「修司 こういうの苦手?」
「いや……」
修司は少し考えて
「苦手っていうか……頭が追い付かん」
そう言った
目の前にあるものを見ているのに
「これは絵なのか」
「これは光なのか」
「今 自分はどこにいるのか」
分からなくなる
でも 不思議と嫌ではなかった
ただただ驚いていた
「東京って……すごいな」
修司がぽつりと言った
乙女も
「うん」
と答えた
昨日は 人の多さに圧倒された
今日は 東京の技術と芸術に圧倒されている
修司はもう一度 周囲を見回した
「俺 昨日まで東京って
ただ人がいっぱいおるところやと思ってた」
乙女が修司を見る
「今は?」
修司は少し考えてから
「……いろんなもんがありすぎるところ」
「それ 感想?」
「感想」
「雑やなあ」
二人で笑った
そして また光の中へ歩いていった
東京で過ごす三日目
五人は それぞれ別々の場所で
それぞれ違うものを見ていた
医療 化粧品 伝統工芸 歴史
そして 最新のデジタルアート
同じ修学旅行でも
見えている東京は一人ひとり違っていた
修学旅行 四日目
朝 ホテルのレストランには
少し眠そうな二年生たちが集まっていた
三日間歩き回ったつかれがさすがに出ている
「眠い……」
「昨日 寝るのが遅かったんちゃう」
「だって東京最後の日やったし」
そんな声があちこちから聞こえていた
葵 友 愛 修司 乙女も 同じように少し疲れた顔をしている
それでも今日は 二年生全員で行く最後の見学がある
ホテルを出発した四台のバスは 横浜の街を走った
窓の外を眺めながら 修司がつぶやく
「もう今日で終わりか……」
隣の乙女が
「なんか早かったね」
と言った
「うん」
三日前には 東京へ向かう新幹線の中だった
それがもう 帰る日になっている
バスが到着したのはカップヌードルミュージアム横浜
二年生全員で館内へ入っていく
最初はみんな
「カップヌードルのミュージアムって どんなところ?」
という感じだった
ところが中へ入ってみると 思っていたよりずっと大きい
歴代の商品 パッケージ
インスタントラーメンが生まれてから現在までの歴史
映像や展示を見ながら 先生の説明を聞く
「これ しっている!」
「懐かしい」
「これ昔食べたことある」
生徒たちから声があがる
愛は展示を見ながら 少し違ったところに興味を持っていた
「商品って 時代によって変わっていくんやな」
「愛ちゃん また勉強している」
クラスメイトに言われる
「だって面白いやん」
愛は笑った
商品の中身だけではない
パッケージ 名前 売り方
消費者が手に取るまでの工夫
商業科で勉強していることと 実際の商品が重なって見えた
一方 友は製造工程などの展示を眺めながら
「こういう工場 一回見てみたいな」
とつぶやいた
「友くん 建物のほうみてない?」
「ちょっとだけ」
「やっぱり」
笑われる
葵は体験型の展示を楽しみながら
「こういうの 修学旅行って感じするなあ」
と言った
修司と乙女も展示を見て回る
昨日までまでの東京観光とは違う
今日は二年生全員で同じ場所にいる
それだけで少し安心するような気がした
そして 最後のお楽しみ
オリジナルのカップヌードル作り
それぞれがカップをデザインする
「何描く?」
「どうしよう……」
「修司 それなに?」
「富士山」
「昨日みたから?」
「そう」
乙女が隣りからのぞき込む
「ちょっと変じゃない?」
「いいやん 別に」
「私の方が上手」
「競争してないから」
そんなやり取りをしながら
それぞれ思い思いにカップを作っていく
具材を選ぶ スープを選ぶ そして完成
「できた!」
愛が嬉しそうに自分のカップを持ち上げる
「これ 持って帰れるんやね」
「そうみたい」
「食べるのもったいないな」
「食べものやで?」
葵が笑った みんなで笑う
楽しい時間は あっという間に過ぎていった
午前の見学を終え バスは新横浜駅へ向かった
時計を見る もうすぐ正午
新横浜駅に到着するすると 四台のバスから二年生たちが降りてくる
大きな荷物を持った生徒
お土産の袋を抱えた生徒
疲れているのに まだ楽しそうに話している生徒
「新幹線 もうすぐやな」
「寝る」
「私も」
「名古屋まで寝よ」
修司と乙女がそんな話をしている
葵は
「三日間 ほんまにいろんなところいったなあ」
と言った
東京 横浜 鎌倉 浅草 渋谷
それぞれが見た場所場所は違った
けれど 同じ修学旅行だった
やがて新幹線がホームに入ってくる
「きた!」
先生の声が響く
生徒たちは順番に乗り込んでいった
午後になる少し前
新横浜駅を出発
列車は西へ向かって走り始めた
座席に座ると さすがに疲れがでた
出発してしばらくすると
窓の外を眺めていた生徒たちも
一人また一人と眠り始める
修司も窓側の席で目を閉じた
乙女が隣りから見る
「寝た?」
「……寝てない」
「寝てるやん」
「寝てないって……」
数秒後
修司は完全に寝ていた
乙女は小さく笑った
「お疲れさま」
前の席では友も眠っている
愛もイヤホンを外して 目を閉じている
友はしばらく窓の外を眺めていた
三日前は東京へ向かうためにこの新幹線に乗った
今日は帰るために乗っている
同じ列車なのに気持ちが少し違っていた
新幹線は名古屋に到着した
ここからは再びバス
四台のバスに乗り換える
東京へ来る時とは違い 帰りは新幹線の時間を短めにして
その分バスでゆっくり帰る計画だった
バスが名古屋の街を抜けていく
矢賀て高速道路へ 東名阪自動車道 車内は静かだった
ほとんどの生徒が眠っている
三日間の疲れが ようやく出てきたようだった
先生たちも 時々社内を確認しながら 静かにしている
バスは西へ進む そして名阪国道へ
参観の道へ入ると 窓の外の景色も少しずつ変わってきた
大きな街の建物が減っていく
山が増える 空が広くなる
修司が目を覚ました
窓の外を見て
「……なんか 見慣れた感じになってきた」
という
乙女が笑う
「もう帰ってきた感じ?」
「うん」
東京でみた高層ビルとは違う
見慣れた山 見慣れた道路 見慣れた空
まだ雨実村ではない
それでも 修司は少しだけホッとする景色だった
バスは針テラスで休憩に入った
生徒たちは一斉にバスから降りる
「寒っ!」
「外 こんなに寒かったっけ?」
「東京より寒く感じる」
十一月の夕方
山間の空気は冷たかった
自動販売機で飲み物を買う生徒
トイレへ急ぐ生徒 お土産を確認する生徒
そして何人かは何もせずにベンチに座っている
「もうちょっとで学校やな」
誰かが言った
「えー もう終わり?」
「早かったなあ」
修司 乙女 葵 友 愛も少し離れた場所で顔を合わせた
「みんな お疲れ」
葵が言う
「お疲れ」
友が答える
愛も
「三日間 楽しかったな」
と言った
修司は少し考えて
「うん でも ……疲れた」
乙女が笑う
「それは全員一緒」
五人で笑った
先生の集合の声がする
「そろそろ行くぞー!」
「はーい!」
再びバスへ戻る
バスは針テラスを出発
京奈和自動車道へ入る
社内の明かりは少しあ暗くなっていた
外はもう夕方
四日間の東京旅行が終わろうとしている
やがて見慣れた道へ
そして瀬河市
瀬河高校へ近づくにつれて生徒たちが少しずつ目を覚ます
「着いた?」
「まだ」
「あとどれくらい?」
そんな声が聞こえてくる
「着いたー!」
誰かが叫ぶ
バスが学校の敷地に入る
四台のバスが順番に停車した
先生が
「忘れ物ないなー!」
と声をかける
生徒たちは大きな荷物をもってバスを降りていく
「また明日な」
「お疲れー!」
「じゃあね!」
三日間一緒に過ごしたクラスメイトたちが
それぞれ家へ帰ったいく
五人も 学校の前で集まった
その時だった
「おーい!」
声が聞こえた
見ると 二台の車が学校近くに停まっていた
一台から降りてきたのは 友と愛の母親 由香さんだった
「お帰り」
「お母さん!」
愛が駆け寄る
「お疲れさん」
友も笑う
もう一台から降りてきたのは 小川菫だった
「葵 お帰り」
「おねえちゃん!」
葵が笑顔になる
菫は三人の方を見る
「みんなお疲れさま」
「ありがとうございます」
乙女が頭を下げる
修司も
「お願いします」
と言った
二台の車に分かれて乗り込む
由香さんの車には 友と愛
そして菫の車には
葵と乙女 修司
荷物を積み込む
「じゃあ 帰ろうか」
菫が言った
「うん」
菫が助手席から答える
乙女と修司は後部座席
車がゆっくりと学校を離れる
由香さんの車も その後ろを走っていく
二台の車が 雨実村へ向かう
窓の外には 瀬河市の明かり
やがて街の明かりが少なくなり 山の景色が増えて行く
修司が窓の外を見る
「……帰ってきたな」
乙女が隣でうなずいた
「うん」
葵も前の席から
「やっぱり こっちのほうが落ち着くね」
といった
菫が笑う
「東京 楽しかった?」
「うん」
葵は少し考えてから
「いっぱい勉強になった」
と答えた
後ろから修司の声がする
「俺は 人に酔った」
「それは昨日聞いた」
菫が笑う
乙女も笑った
「でも 楽しかったやろ?」
「……うん」
修司は窓の外を見ながら答えた
東京で見たもの 横浜で見たもの 鎌倉で見たもの
それぞれ違った三日間
そして今 帰る場所へ向かっている
車は山道を進んでいく
遠くに 雨実村の小さな明かりが見え始めた
修学旅行は終わる
けれど 五人の日常はまたここから続いて行く




