第18話 死の水と憤怒の炎 〜ミシュリー vs. ナラハラ〜(2)
メキ・ルマータ。
もはや、古い文献にしか載っていない禁忌の呪文だ。直撃すれば即死。掠めただけでも生命活動に支障をきたす恐ろしい呪い。
才能なき者が使えば、術者本人が魔粒子に呑まれて絶命してしまう。
ゆえに、歴史から消えたはずの呪文である。
「僕とあなたくらいでしょ。これを使えるの。……そぉれっ!!」
ナラハラは出力を上げる。
「ほむら・バリエール!!!」
ミシュリーはついに、得意の炎魔法での防御を開始。彼女の眼前に、分厚い炎の壁が立ち上がった。
ナラハラが放った水魔法は、ミシュリーの炎にぶつかる。
ジュウウウウウウウ!!
大量の水が一気に気化。が、すべてが蒸発したわけではない。
赤黒い魔粒子を纏った水流は、まるで炎を削るようにして進み、ついには炎の壁を突き破ってミシュリーを狙った。
彼女はタイミングを計り、身体を翻してその水を避ける。
直撃は免れた……っ!
が、刃物のような水流の一部が、ほんの少し、ミシュリーの頬に当たってしまった。
ピッ――
地面に一滴だけ血が垂れる。
「はぁ……っ」
ミシュリーは即座に、頬の内側に魔粒子を集中させた。
しかしそれでも、彼女の心拍が一拍遅れた。激しい目眩、吐き気、筋肉の弛緩、意識の混濁……様々な症状が一挙に彼女を襲う。
ミシュリーの世界が一瞬暗くなる……。
(まずい……自己回復……間に合わせないと……本当に……脳と……心臓が…………)
そして――
ビジャビジャビジャッ――!!!
ミシュリーは右膝を地面につけて、なんと、その場で吐血してしまった……。
あのミシュリーがだ。
「ちぇっ……掠っただけですかー」
ナラハラは軽口を呟いた。
だが、使用者のナラハラも、一度の使用で汗だくになり、息も上がっている。
ミシュリーは体内に魔粒子を巡らせて、死の魔粒子を取り除き続ける。
自己回復を続けながら息を整えた。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
彼女は、炎のバリアを解除すると、その場でフラフラと立ち上がり、なぜかほんの数秒の間、目を瞑った。
この高度な戦いのなかでしばらく目を閉じた彼女を、ナラハラは怪訝な表情で眺める。
そして彼女は静かに顔を上げ、口の周りの血を拭うこともせず、直立したまま、ナラハラに言った。
「『お前』……どこでこの魔法を覚えた――」
「!!?」
ナラハラは背筋がゾクッとした。
反射的に身体が動き、彼女から10m余計に離れてしまった。
「その呪文は――簡単に使っていい呪文じゃねえんだよ――」
――とてもミシュリーの発した言葉とは思えない。
普段の彼女の、上品な癖におちゃらけた面影が、今はどこにも無い。まるで別人が乗り移ったかのようだ。
同時に彼女の声は、とても震えていた。
それは、死の恐怖による震えなどではなかった――。
彼女の魂の底から湧き上がる「憤怒」による震え――。
炎の魔女の目は座り、鋭い氷のような視線でナラハラを見つめている。
「……やはり怒りますか。理解ってんだよ、この呪文が何なのかくらい。あなたも、使ったことがあるんでしょう?でも、こうでもしないとあなた、本気になってくれないでしょう」
ナラハラは死んだような目をしながら、いつになく真面目な声で話した。
しかし――
「……黙れ」
彼の言葉はミシュリーをさらに怒らせた。
「理解ってる――?そう。この『私』が直々に教えてやるよ。その呪文を使ったことが、どれほど罪深いことなのかを――」
ミシュリーはゆっくりと杖を持ち上げ、顔の前でまっすぐ立てた。
ナラハラの身体から、一気に冷や汗が溢れ出る……。
「ひっ……ふ、ふざけるなよ!!!」
ナラハラは一瞬迷った素振りを見せた後、死の魔法ではなく、「ハイドロ波乗りカノン レボリューション」を放った。
しかしながら彼が発生させた水魔法は、なぜかミシュリーの手前で、ジュワッと消えてしまった。
「……は?」
「Je crois…………Tout-puissant……」
ミシュリーは微かに何らかの詠唱を開始した。
それはとても静かな呟き。
戦いの中の独り言にしては、あまりにも透き通った、祈りに近い響きだった。
「んんん……!レボ、リューションっ!!!」
ナラハラが、力をためて呪文を叫ぶ。
先ほどよりもさらに強い水のビームが、まっすぐミシュリーを狙って放たれる。
シュッ!!
それでも――彼の魔法は、ミシュリーに届くこともなく消滅してしまった。むしろ、先ほどよりももっと手前で……。
「そんなバカな……」
それは推定5,000℃の炎――。
ミシュリーは自身を不可視の熱波で包むことで、詠唱中の隙を無くし、鉄壁の拒絶を完成させていた。
この温度で、水が液体のまま存在するのはまず不可能である。放たれた水流は衝突音すらなく透明な陽炎に呑み込まれ、分子構造を維持できずにただの熱い霧となる。
そしてこの炎は、果ての森の時と同様、指定したもの以外は一切燃やさない――。
「こんなとんでもない出力で……そんな繊細なこと……あり得ない……」
ナラハラは驚愕しつつも、何度も水魔法を連発する。が、すべて、ことごとく、途中で蒸発。
遠距離がダメならと、ミシュリーに近づこうともするが――
「ぐっ、あ、熱っ!くそ!なんだよこれっ!!」
とてもじゃないが、近寄れない。
一歩たりとも……。
ミシュリーは詠唱を止めない。
彼女が言葉を紡げば紡ぐほど、ミシュリーの身体が宙に浮き始め、渦巻く上昇気流で、赤い髪を激しくバサバサと靡き始めた。
「くっそがあっ!!何が果ての魔女だ!!才能と家系に恵まれたからって、お高く止まってんじゃねえ!!!俺とデイだって……普通の生活なんて捨てて、死ぬ気で努力してここまで来たんだぞっ!!!」
彼は両手で杖を握り、さらに呪文を唱えようとした。しかし――
「……la vie……éternelle」
ミシュリーは最後に何かを呟いた。
赤い魔粒子が煙のように揺らめきながら、ミシュリーの周りをくるくると回る。
彼女のその雰囲気だけで、ナラハラの手が止まる。
彼の目の前にいたのは、右手の杖を天に掲げ、空中からナラハラを見下ろすミシュリーの姿だった。
杖の先にあるのは、ミシュリー5人分はありそうな、巨大な炎の球――。
「た……、太陽……」
ナラハラは、口を開けながら声を絞り出した。
「そう――。
『私』の炎は、『太陽』だと思いなさい。
本気で防御しろよ。
『死ぬ』わよ――」
ミシュリーは冷たく言い放つと、ゆっくりと杖を振り下ろした。
「La Bombe duSoleil ――」
その太陽は、絶望を乗せて、ゆっくりとナラハラに近づいた。
「悔い改めろ」
「う、うわああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
◆◇◆
「はぁ……柄にもなく怒っちゃったのよ……。よくないわね。上田の思う壺だわ」
ミシュリーは、ため息をつきながら反省していた。
横には大火傷を負ったナラハラが倒れている。が、命に別状はないようだ。
彼は全身全霊を掛けて、水魔法で身体を覆ったが、それでもものすごい火傷を負って倒れてしまった。
ミシュリーは彼の水魔法での防御が途切れた瞬間、ナラハラの身体が燃えてなくならないよう、寸止めで「太陽の爆弾」を解除したのだった。
ミシュリーはナラハラを土魔法で拘束しつつ、回復魔法でやけどの跡を消してあげている。
「おい、水が炎に強いって言ったの誰だぁ!!結局こいつに勝てねえじゃねえかぁっ!!!あ、いてててててっ!!!」
「ふぅ。そんなに元気なら大丈夫ね。逃がしはしないけど」
ナラハラはミシュリーに向かって、「んーー」と顔をしかめて口を尖らせた。
ナラハラは、首の位置を元に戻して言った。
「……あんた、『失敗』したことあんの?」
「あるに決まってるでしょ……ミシュリーのことをなんだと思ってるのよ」
ミシュリーは左手をお腹に当てて言った。
「誰のせいで、今も内臓がぐちゃぐちゃに痛むのか、わかってるのかしら?」
しばしの沈黙――
そしてその後、正面を見たまま、少し真面目な顔をして言った。
「これは独り言ですけどね……。この国では、魔法使いの誇りを捨ててでも、勝たなきゃいけない時があるんですよ。
あんたみたいな努力する天才の足止めなんて、汚い手を使わなきゃできませんからね。私も――」
ナラハラは続きを話そうとしたが、やめて言葉を切った。
彼の意味ありげな言葉に、ミシュリーは肯定も否定もしなかった。
「何でもいいわ。ただ、もしもう一度でもあの魔法を使ったら、ミシュリーはコトブキちゃんの意に反してでも、貴方を消すわ。肝に銘じておくことね」
ナラハラは珍しく、この後しばらくの間、お喋りをしなかったという。
(「メキ・ルマータ」――今のこいつに、ミシュリーがこれ以上石を投げる資格なんて、ありはしないのよ……)
ミシュリーは、トワリが向かった方角、そしてその反対の、俺がいるであろう方角を交互に見つめた。
三賢者との初戦――。
燻った炎と、水溜まりの臭いが、まだ、周囲に残ったままだった。




