Prologue ―the Chronicles of Tentacle Chin-chin Maru―
「よいか。心して聞け。お主の名前は触手チンチン丸じゃ」
「触手チンチン丸」
「一国の城主じゃ」
「一国の城主の触手チンチン丸」
「そうじゃ。2万人の国民を束ねるのじゃ」
「そ、そんなに……」
何もない真っ白な空間が広がっていた。上下左右もなく、空も地面も無い純白の空間だ。
この時のことは、今でも昨日のことのように覚えている。
「この世」か「あの世」かさえもわからないこの場所で、俺たちは極めて奇妙な会話を交わしていた。
「なぁ、ソボロデンブよ。じゃあ俺は、さっき死んだってことでいいのかな?」
俺と話している、姿の見えない声の主の名は、ソボロデンブ。実にお弁当に合いそうな良い名前だ。
「そうじゃ。残念じゃがお主は、元いた世界では絶命してしまった」
ソボロデンブは悲しそうな声を上げた。
「じゃがタイミングが良かった。ちょうどよく命を失ってくれたからこそ、お主は今ここにいるのじゃ」
「タイミングねぇ……」
これを読んでいるみなさん、はじめまして。
俺の名前は、能都コトブキ。元の世界にいた時から、よく、変わった名前だと言われていた。
とは言え、まさか転生して「触手」や「チンチン」なんて言葉のついた、もっと変な名前になるとは夢にも思っていなかった。なんだよ「触手チンチン丸」って……。
死ぬ前までは大学で普通の男子大学生をしていて、いたって平凡で健康なキャンパスライフを送っていた。家族とも仲が良かったし、気の置けない友人も数人いた。生活していて困っていることも特にはなかった。
ただし友人はみんな、俺の生活のことを「異常」だと言っていた。俺は周りからいつも、とにかく「運が悪すぎる」と言われていた。お陰でついたあだ名は「アンラッキーボーイ」だ。
俺自身は、そうは思っていないのだけれど。
◆◇◆
この日――俺がソボロデンブと初めて会話した日――、元の世界では土砂降りの雨が降っていた。
7月の後半の日本の関東地方。超大型の猛烈な台風が近づいていたにもかかわらず、事前に今日と明日の食料を買い込んでいなかったのがまずかった。
「げぇ、ものすげぇ土砂降り」
一人暮らしの俺は、仕方なく最寄りのスーパーで買い物をし、強風の中で傘を差しながら、もう片方の手にはどっさりと食料が入ったビニール袋を持って、薄暗くなった帰り道を歩いていた。
その時、まず、土砂降りなのに一羽のカラスが、明らかに俺に向かって大きな鳴き声を発してきた。次に、黒猫がこちらをじろじろ睨みながら目の前を横切って行った。道端を見ると、割れた鏡が4個落ちていたし、いつの間にか両足の靴紐が千切れてほどけていた。(普段からなるべく解けにくい結び方を選んでいるのにだ)
まぁ……ここまでは日常でよくあることだった。
問題はその後だ。目の前の、車通りの激しい道路を、小さな白い何かが横断しようとしたのが見えた。
まずい。犬か何かか?このままだと轢かれてしまう!そう思った。ベタなことに数百メートル先からは大型トラック――ではなく、真っ黒な霊柩車がこちらに向かってくるのが見える。
普通ならまず助けない。車が来るまでにはまだ余裕がありそうだったが、こんな雨の中で道路に飛び出すのは危険すぎる。そもそもたとえ晴れていても、助けに飛び出して間に合うという保証もない。車からしてもめちゃくちゃ迷惑だ。
だけど、前日に見たヒーロー物の映画がいけなかったのかな。向こう側の車線の真ん中でまだゴソゴソしているそれを見て、バカな俺はその一瞬、反射的に「絶対に助けたい……!」なんて思ってしまったんだ。
俺は居ても立ってもいられず、傘と荷物をその場に投げ捨てて、道路へと飛び出した……!
べシャリと落ちる傘、袋から投げ出される食材。
俺はお構いなしに縁石をとび越え、水溜りを思い切り踏みつけ、もう少し、もう少しだと手を伸ばし、その先の白い影に、なんとか間に合って辿り着いた!
そこにいたのは、白猫でも、犬でも、鳥でも、たぬきでもハクビシンでもアライグマでもなかった。それは、強風でどこからか飛ばされてきた、ただの白いビニール袋だった。
「ビっ、ビニール袋おおおおおおっ!!?」
俺はその瞬間、買い物袋から落ちたバナナを踏んで足を滑らせ、顔面から倒れたところを霊柩車に轢かれて、死んだ――。
◆◇◆
「ブアーーーーッハッハッハハ!!!なるほどそれが死因か!お主、なかなかにダッサいのう!急に道路に飛び出すからいけないんじゃ!ヒーロー映画って!ブフォ……ッ!お腹いたい……!脇腹痛い……っ!ッハーーーァ!」
謎の神様(?)は俺をバカにするようにゲラゲラ笑った。流石にちょっと笑い過ぎじゃないか……?
俺は死後、気がついたらこの謎の空間にいて、声だけが聞こえる彼から、自分の名は「ソボロデンブ」であると自己紹介された後だった。
「しかし本当にバカだったな。俺を轢いた方の関係者にも家族にも、死ぬ程迷惑をかけたことだろうよ。死んじゃったらもう後の祭りだ。謝ることすらできない。まさに死人に口無しだよな」
話しかけやすいタイプの謎神様に向かって最高のブラックジョークを言ってやったのだが、向こうの表情が見えないので、一体どんな顔で聞いているのかわからない。できればツッコミを入れてくれると罪悪感が紛れるのだが、神の世界にはツッコミという文化はないのかもしれない。
俺は気を取り直して彼に尋ねた。
「ところでソボロデンブさ!この空間の感じからしてあれか?今から、天国か地獄、どっちに行くのかを決めてくれるのか?それとも、どこかの異世界に転生させられるとか、そんなことが起きたりするの?」
「えぇ……。お主、なかなか環境への適応力が高そうじゃのう……。というより受け入れ態勢がちょっと異常ではないか?普通そんなにすぐに気持ちを切り替えられんじゃろ。頭から大事なネジが外れちゃってんじゃないのぉ?わしちょっと引くわぁ」
ソボロは俺に言いたい放題言ってから、
「それで言うと、ずばり後者じゃよ。つまりじゃ!お主にはこれから、これまで生きていたのとは別の世界にて生まれ変わってもらう!それに際し、このわしが今から直々に!お主に大切なことを説明してやらんといかん。耳の穴かっぽじってよく聞くんじゃぞう?」
◆◇◆
そして、冒頭のシーンに至るのだった。
「触手チンチン丸――。なんでそんな変な名前で生まれ変わらなきゃいけないんだ?日本語なのか?元々珍しい名前だったけど、流石にそれはまあまあ受け入れ難いぞ……?」
「能都コトブキ」よりも「ソボロデンブ」よりも、よっぽどふざけた名前を冠されてしまった。「触手チンチン丸」て。ネーミングセンスが小学生なのか?
「それはいずれ理解できることじゃ。とにかく、次の世界で目覚めた時にはもう、お主は一国の王となっていることじゃろう」
何を言っているのか全く理解できないが、大変なことになったようだ。俺なんかが王様に?急にそんなこと言われても……。
とは言え、既に死んでしまっているのだから仕方がない。受け入れる以外の選択肢が無いのだ。ソボロ曰く、この転生を受け入れなかった場合に俺の魂がどうなるのかは、彼にもわからないらしい。ならば、覚悟を決めてこれからのことを考える他ないのだ。
そして、俺の前世での知識と経験が正しければ、この局面、ここからの交渉が最も肝心なはずだ。
「なあソボロよ。異世界転生ってことはさ?きっと今から俺に、なんらかのチート能力とかをくれるんだろう?」
異世界転生ものの花形、物語冒頭部分一番の盛り上がりポイント。今から与えられる能力によって、俺の異世界ライフの命運が決まると言っても過言ではない。俺は期待に胸を膨らませてソボロの言葉を待った。
「あぁー!そういうやつな!ないぞ!」
「……ん?」
俺は目を見開いた。
「あのー、え?最強のチート能力は?」
「いや、だからぁー。わしが、今、お主、つまり触手チンチン丸に?この場で、追加で、授けられる能力など、一つも、ない!」
「え、一つも?」
「うむ。一ミリもない。微塵もない」
「えぇ、じゃ、じゃああれだ!剣とか杖とか指輪とかさ!そういうチートなアイテムは――」
「持ってないのう」
「ものすごく頭が良くなるとか!!」
「頭脳もお主のそのオツムのままじゃよ」
「おっふ」
正直「終わった」と思った。転生する前の段階で、ハードモードが確定したと思った。できれば「嘘だ」と言って欲しかった。あとはこの「王様」というのが、どれだけ楽して生きられる設定になっているかに賭けるしかないかもしれない。
「む。少々誤解があったようじゃのう。わしは追加の能力はないと言ったんじゃ。今からお前が行く世界には、お主の世界とは違い『魔法』が存在する。王たる触手チンチン丸には、既に固有の能力が備わっておる!」
ソボロは言った。
「ん?待てソボロ。既に備わっているのか?ど、どんな能力なんだ!?」
「うむ。それなんじゃがな――。あーー話し過ぎちゃったみたい。ごめん。もうタイムリミットのようじゃ」
ソボロが、まるで腕時計を見ながら友人に告げるかのような物言いで言うと、この一面真っ白な世界の隅の方から、だんだんと黒い靄がかかり始めた。徐々に目の前が暗くなっていく感じがする。
「え?ソ、ソボロ!?ソボロデンブさん!!?ちょっとぉっ!情報が足りてないんじゃないのかーーっ!??待てって!!!ねえ!!!ソボロ君っ!!ソボロォォォォォォっ!!!」
かくして、俺の新たな人生――――国王「触手チンチン丸」としての一生が幕を開けるのであった。
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