第6話 これは掃除であって、まだ手をつなぐわけじゃない
放課後、校門前の道路は昼下がりの陽光に照らされて、ひどくまぶしかった。
ボクたちの目の前には十数本の竹ぼうきと、プラスチック製の大きなちり取り、大きなビニール袋が重ねて置かれている。
これから始まるのは、年に数度の美化ボランティア。各クラスから代表で数人が出席し、学校周辺の落ち葉掃きをする。
参加の動機は人それぞれだ。内申点を稼ぐため積極的に参加する人もいれば、友達同士で遊び感覚で参加する人たちもいる。また、ボクのように、ほとんどの同級生が練習の厳しい運動部に入っているため、「ヒマそうだから」という身もふたもない理由で選ばれた人もいる。友達同士で参加した人たちは楽しそうに雑談していたが、ボクの周囲に気軽に話しかけられるような人は一人もおらず、ボクはただ手持ち無沙汰に作業が始まるのを待っていた。
いや、顔見知りが一人もいなかったわけではない。ボクから少し離れた場所で、同じようにポツンと一人、手持無沙汰にしているサトミの姿を、ボクは集合場所に集まってすぐに見つけていた。ただ、サトミがボクのほうをチラッと見ただけで、そのまま無言で立ち尽くしていたので、ボクも何となく気が引けてしまい、微妙な距離感を保ったままになってしまったのだ。
「では、時間になったから作業を始めまーす。今日、皆さんに掃除してもらうのは、学校のフェンス沿いの道路です。通行する自転車、歩行者の邪魔にならないよう、十分注意して作業してください。よろしくお願いしまーす」
生徒会の人が声を掛け、竹ぼうきとちり取りを配り始めた。誰がどこを清掃するのか、特に決まりはない。人気が高いのは落ち葉が少なく、作業の楽な表通りだが、そっちはどうせ友達同士で参加しているにぎやかグループがさっさと占拠してしまうだろう。だからボクはいつものように、人通りの少ない校舎横の道路を目指した。
運動部の掛け声がグラウンドのほうから響いてくる以外、物音はない。人通りが少ないおかげで、道路沿いには落ち葉だけじゃなく、タバコの吸殻やペットボトル、空き缶など、多種多様なゴミがたくさん溜まっていた。
「さて……やるか……」
何枚も持ってきたビニール袋のうち、1枚は空き缶などの「不燃ごみ」用に。もう1枚は落ち葉や吸殻などの「燃やせるごみ」用に。風で袋が飛ばされないよう、いくつかのごみを拾って袋に入れ、街路樹の根元に置いておく。何度も同じ場所で掃除をしているボクにとって、慣れ親しんだ手順だった。
だから、後ろから、
「えっ、もしかしてここ、ずっと一人でやってるの?」
と声を掛けられたときは、少し驚いた。
後ろにいたのはサトミだった。初めて参加した彼女は勝手が分からず、ボクについてきたのだろうと思った。
「あー、まあね。こっちは作業量が多いから、あまり人気がないんだ」
「そっか」
サトミはそう言うと、さっそく竹ぼうきで落ち葉を掃き集め始めた。
いつも一人で作業している場所だから、サトミが手伝ってくれるのはありがたかった。落ち葉を掃き、ちり取りで集め、ビニール袋に入れる。落ち葉を掃き、ちり取りで集め、ビニール袋に入れる。同じ作業を淡々と繰り返すだけだが、二人でやるといつもよりずっと進捗が早い。
「……あのさ」
しばらくして、不意にサトミが話しかけてきた。
「こないだの作品のことなんだけど」
心臓が一度、大きく飛び跳ねる。見栄を張って「サトミの好きそうな話」と言ってはみたものの、恋愛ものを書いたのは初めてだったから、あまり自信はなかったのだ。サトミから「初めて書いたにしては、上出来かな。面白かった」という感想だけはもらったものの、それから数日、ボクが家の都合で部活を休んだり、サトミが学校を休んだりすることが重なって、きちんと感想を聞く機会がなく、今日になってしまったのだ。
「佐竹は、ああいうグイグイ系の女の子が好きなの?」
「へぁっ!?」
予想外の質問に変な声が出てしまう。
「ああいうグイグイ系の女の子」というのが、この前書いた恋愛もののヒロインを指しているのは明らかだった。
そりゃまあ好きか嫌いかで言ったら、自分に好意を寄せてくれる女子が嫌いなわけはない。自分から積極的に話しかけるのが苦手なボクにとって、女子のほうから積極的に話しかけてくれるのもうれしいポイントの一つだと思う。だけど、それが自分の好みのタイプなのかと聞かれてしまうと、答えに困る。
「……嫌いじゃないけど、好きってわけでもないかな」
「どうして?」
「振り回されて、疲れそうだからね」
「じゃあ、どうしてヒロインにしたの?」
「……書きやすかったから、かな」
それは正直なボクの感想だった。最初は、ボクが普段、ゲームで推しているキャラのように、「おとなしくて、守ってあげたくなるようなタイプ」の女の子をヒロインとしてストーリーを考えてみた。しかし、そういった受け身型のヒロインを動かすためには、たとえば「文化祭」や「運動会」のように、物語の中心となるイベント、そして主人公から「一緒にやろう」といった働きかけが必要になる。しかし、ボク自身がそんなイベントに対して積極的に取り組んだ経験がないのに、どう声を掛けたらヒロインを動かすことができるのか、全然想像がつかなかったのだ。
そこで、推しとは正反対の「活発で主人公にグイグイ迫ってくるタイプ」のヒロインを設定してみた。すると、ヒロインが「私はこう思う!」「私はこれがしたい!」と、自分の感情や要望をズバズバと表現できる。彼女を中心にイベントが進み、ドタバタに巻き込まれた主人公の男の子が「やれやれ……」なんて言いながら、一緒に物語を進めていく。そのほうが、ずっと書きやすかったのだ。
「そっか」
なんとなく、安心した口調のように感じるのはなぜだろう。
まあ、現実には、都合よく自分のことを好きになって、積極的に話しかけてくれるようなヒロインなんているわけがない。だからこそ逆に、アニメやゲームに出てくるキャラクターをテンプレートにして、リアリティ度外視の「いかにもラブコメ」な話を考えることができたのだ。だけど、もう少し気合いを入れて執筆するのなら、どこかのアニメやゲームに出てきそうなキャラクターにとらわれず、もっと造形に深みを持たせないといけないだろうし、その辺はボクがまだまだ全然できてないところでもあった。課題山積、ってわけだ。
そんなことを話しながら二人で作業を進めていて、ふと、ボクは気が付いた。
いま、ボクらは完全に二人っきりだ。
フェンスの向こうから、運動部の掛け声は響いている。少し先の表通りでは、仲良しグループが楽しそうにおしゃべりをしながら、緩慢に竹ぼうきを動かしている。だけど、元から人通りの少ないこの路地に入ってくる人は一人もいない。普段から部室で二人きりになることは多いのだけど、校舎の外という開放空間で二人きりになるのは、なんだかとても特別な感じがした。
二人っきりで掃除だなんて、なんだかまるで恋愛ゲームかアニメのイベントみたいじゃないか。
そういえばさっきから、袋からこぼれた落ち葉を拾おうとしたり、いっぱいになったビニール袋の口を縛ろうとして、ふとサトミとボクの手が触れそうになる瞬間が何度もあった。これまではずっと掃除に集中していたからほとんど意識してこなかったのだけど、二人きりだということを意識すると、途端にこのシチュエーションが気になってきてしまう。
サトミはこの状況を、一体、どう感じているのだろう。
チラリと彼女を見るが、あまり感情の起伏を感じさせない横顔からは、彼女が何を考えているかうかがい知ることができない。
……まあ、そんなもんだよね。彼女にとってきょうは、誰かと交代したかハズレくじを引いたかでたまたま参加しただけ。見ず知らずの他クラスの人と作業するよりは、顔見知りのボクと一緒のほうが気兼ねしなくてよかった、というところだろう。アニメやゲームじゃあるまいし、たまたま二人きりで一緒に掃除をしたからといって、特別なイベントなんて起こるわけがない。
そんなことを考えていたら、いきなり強い風が吹いてきた。ひと昔かふた昔前のラブコメなら、この風でサトミのスカートがめくれ上がって「キャア」なんて言う場面かもしれないけど、そんなことが起きるはずはない。現実はせいぜい、空のビニール袋が飛ばされそうになるぐらいだ。
「「あっ!」」
ボクは反射的に手を伸ばして袋を押さえようとする。
すぐ近くにいたサトミも、同じように手を伸ばして袋を押さえようとする。
その結果。
二人の手がビニール袋の上で、ピタリと重なってしまう。というか、サトミの手ごとビニール袋を押さえつけた形になって、彼女の手をすっぽりと包み込んでしまう。
意図せず触れた彼女の手は、小さくて、柔らかくて、少しヒンヤリとして。
「「あっ!」」
もう一度、ボクたちは同じ声を出すけれど、今度は何かに弾かれたように、袋から――お互いの手から――パッと自分の手を放して。
おかげでビニール袋は風で飛んでしまったのだけど、いまのボクにとって、そんなことよりもサトミの手の感触のほうがずっとずっと大事なことで。
「あっ、いや、えっと、その、ゴメン」
「えっ、あ、うん、別に気にしなくても――」
二人そろってしどろもどろになりながら、そっぽを向く。うん、アニメやゲームで主人公とヒロインがこんな動きをしていて、それを見た時はいかにもわざとらしく感じたりしたけど、自分の身に起こってみると、たしかに恥ずかしくてまともに相手の顔を見ることができないな、と思う。
もし「ラブコメの神様」みたいなものがこの世界に存在するのだとしたら、いま、この瞬間に何かの意図をもってボクたちに働きかけてきたんじゃないか。そうでなかったら、こんなマンガみたいな出来事が現実で起こるわけがないじゃないか。
うん。これは掃除の延長線上で発生したハプニングだ。手をつなごうと思えばつなげないこともない、だけど実際に手をつなぐことはなかった関係から、たまたま一度、状況が動いたというだけなのだ。いわば事故みたいなもので、これをもって二人の関係が何か進展するわけではないはずだし、積極的に進展させるほどの勇気は、やっぱりまだボクにはない。
そうこうしているうちに、作業終了の時間が近づいてきた。
まだ路地全体の掃除は終わっていない。でも、妙な気まずさを抱えたまま時間ぎりぎりまで続けるほど、ボクもサトミも掃除に情熱を注ぐことはもうできなかった。
「そ、そろそろ終わりにしよっか」
「あ、うん、そだね」
散らかった袋を集め直し、落ち葉でいっぱいになった袋をぶら下げて歩きだす。お互いの歩幅が違うから、路地を出るころ、ボクたちは自然とバラバラになっていた。
何も考えずにビニール袋を指定の場所まで持っていった後で、サトミが重そうに袋を持ってついてくることに気づき、ふとボクは罪悪感に駆られた。
女の子に重い物を持たせて、見向きもせずに一人だけさっさと出ていっちゃうなんて、いまどき、よほどの鈍感系主人公でもやらないぞ。ずいぶんカッコ悪くないか、いまのボク。
そう思うと、居ても立ってもいられなくなった。
「……袋、持つよ」
「あ、ありがと」
そう言って、サトミからビニール袋を受け取る。そのとき、また二人の手が重なった。
ほんの一瞬だけ袋と一緒に、サトミの手を握る。ズシリとした落ち葉の重みと引き換えに、サトミの手が離れていく。
うん。いまはまだ、これでいい。
ボクたちにとって、これは掃除であって、まだ手をつなぐわけじゃない。
傾き始めた陽光の下、黄金色に染まり始めた街並みを眺めながら、ボクは一人、静かな満足感を味わっていた。
だけど――。もしも、これが別の場面だったら。
そう、たとえば古本屋巡りだったり、部活の帰り道だったり。これからもきっと、二人きりの場面はあるだろう。そんなときに手をつなぐ場面を想像すると、ボクの心臓は軽い痛みを伴いながら、不確かなステップを踏み出すのだった。




