第57話 最後の一撃
空の光が収縮していくのを見たカガリたちはたがいに視線を戻した。じりじりと移動しながら間合いをはかっている。レオナルドの目はまだ動揺の色を残していたけれど、カガリ相手に油断してくれるほど間抜けではない。冷静を装いながら剣先を向けている。
あの魔導光は間違いなくベルのものだ。きっとルイと戦っていて、彼女に対抗するために繰り出した渾身の一撃だったのだろう。ならどうして一度発動させた魔導をひっこめた? そもそも戦局はどうなっている? もう勝負がついているならどちらが勝った? ルイからの通信がないから何もわからない。
いや、人の心配してる場合じゃないか――と目の前の相手に焦点を合わせた。
彼を眺めながら「あーあ……」と小さくひとり言を零す。
切り札は全部晒してしまった。奥の手なんてそう都合よくいくつもあるはずがない。レオナルドの左腕は潰せたが、彼にはまだ魔導での補助が残っているからここから先もいい勝負だろう。彼を落とせる最大のチャンスはもう巡ってこない。
荒く呼吸しているレオナルドは笑う。
「どうした、カガリ? 降伏したいのなら剣を捨てて両手を上げるといい」
「降伏したらおまえの首をはねられる?」
「一度降伏の意味についてよく考えた方がいいだろうな!」
彼は「一応訊いてみただけだが、まあ酷い返事だったな」と顔をひきつらせた。カガリは短く笑い声をあげた。
「悪いけどそんなつもりはないよ。俺は絶対にお前を落とす」
「同意なので以下略だ」
そうこなくちゃ、と浅く息を吸う。興奮で瞳孔が開かれる。
土のにおいが鼻先をかすめた。
草原が風に揺れる。
カガリは魔導剣を強く握りしなおして土を蹴った。大きく踏み出した一歩。重い長剣を振るって正面からの一閃。レオナルドは片手だけで受け止めると、勢いを殺すように後ろへ下がった。片手のくせに体勢が崩れないのは体幹がいいからだろう。カガリは負けじと体重をかけて押し切ろうとする。
けれど上手く受け流された。剣がずるっと滑る。「あっ」と声をあげると、レオナルドの不敵な笑みがそこにあった。膠着から抜け出した彼は低姿勢から斬りこんでくる。剣先は美しい軌道を描く。カガリは反射的に飛びのいて、剣で追撃を受けた。
金属音が甲高く響く。レオナルドは一瞬身を引いてから何度も斬りかかってくる。
そのたびにカガリは後ろへ下がった。どうにかさばいてはいるけれど、ギリギリの綱渡りだ。受けるの精一杯で反撃するだけの余裕がない。完全に主導権を奪われている。
そうこうしているうちに彼の剣先が頬をかすめた。肌に赤い線が刻まれて、血がわずかに飛び散った。カガリは構わずに一撃だけねじこんだ。剣先は届かない。彼の服をスパッと切っただけでまるで手ごたえがなかった。すぐさまカウンターが飛んできてカガリの足がやられた。傷はそんなに深くないけれど動きがにぶる。
よろよろと後ろに下がって、剣を構えなおす。
激しく戦いながらも、カガリは冷静に分析していた。
レオナルド・アルバーニ相手に正面戦闘を挑むなんて、無茶にもほどがある。
彼の剣筋は間近で何度も見ているし、片腕を封じているからなんとか渡り合えているけれど、やはり長くは続けられないだろう。さっきまでは奥の手があったから多少の無理ができただけだ。起死回生の作戦がないのならジリ貧でしかない。いずれ彼の剣技がカガリの体術を上回るときがきてしまう。それはつまりカガリの負けを意味する。
手首を返して一撃を防いだ。
蹴りを入れて牽制。距離を取らせる。だが彼は一歩引いただけですぐに踏みこんでくる。
さすがにもうバレてるか――カガリは眉を下げた。
カガリは戦闘中にろくな魔導を使えない。
わざわざ灯火を目の前で見せたのは彼を欺くためだ。おかげでさっきまでは勝手に警戒して距離を取ってくれていた。けれど今は気にせずに突撃してくるのを見るに、カガリの予想は当たりだろう。となると状況はますます悪い。レオナルドを止める手段が本当にない。
レオナルドはダンッと足を踏み出して剣を突き出した。
首筋の薄皮が斬られる。
寸前のところでかわしたカガリは、もう呼吸なんてまともにしていなかった。全身に走った痺れは生存本能だったのかもしれない。さっきから瞳孔は開きっぱなしだ。
喉を空気がヒュッと通り抜けた音がした。カガリは背をのけぞらせて後ろへ倒れこむ。片足を振り上げながらバク転して体勢を立て直そうとした。けれど着地するころには剣先が目の前に迫っていた。避けきれない。右肩が薄く裂かれていく。小さく舌打ちして剣を薙いだ。
服の中を血がたらりと伝っていく。袖口は赤く濡れていた。
「……っ、くそ!」
腕が高く上がらない。斬られたところが悪かった。レオナルドは好機とばかりに駆けてくる。カガリは無言のまま長剣を左手で持ち替えた。くるりと回して手に馴染ませて、レオナルドの攻撃を受ける。一瞬だけ身体を引いて、今度は自分から打ちこんだ。利き腕ではないのに剣先は器用に動くから、レオナルドは「おっ!?」と声を漏らした。
こんなときのために、左手もよく慣らしてある――カガリはほとんど両利きだ。まともな剣術を学んでいるレオナルドからすれば信じられないだろう。
「ああ、面白いな……カガリ・テイラー!」
彼は笑った。
声をあげて笑って、豪快に笑って、その瞳は燃える。
「だがもう終わりにしよう」
彼の剣先に魔導光が宿った。彼が魔導を発動しようとしているのがわかったから、カガリはとっさに後ろへ下がろうとした。けれどその瞬間に光は消えてしまう。カガリがまずい、と思ったときには彼は深く踏みこんできていた。金の糸みたいな髪は光をきらきら反射して綺麗だ。
長剣が突き出される。
はくっと唇だけが動いていた。
「――、っ!」
血飛沫が舞う。
剣先はカガリの肩を貫通していた。
「あ――」
肩口を小さな痺れが走った。鈍らされている痛覚は悲鳴をあげない。こんな傷を負っても大した痛みはないけれど、全身がガクンと揺れるような衝撃でわかってしまう。これは駄目だ。次の攻撃を受けたら間違いなく落ちる。
青ざめたカガリは、反射的に腕を伸ばした。
彼の剣を掴もうとしたけれど、それよりも早く引き抜かれてしまう。傷口が広がって血が噴き出した。大量の血液が流れ出してカガリは「がはっ」と咳きこんだ。膝から崩れ落ちそうになる身体をなんとか支えて、顔だけ必死に上げる。
レオナルドはふっと笑みを浮かべて、カガリだけを見ていた。青い瞳は美しく澄んでいた。敵意なんて欠片もなくて、ただ畏怖と尊敬だけがそこにこめられていた。
彼が剣を振り上げたのは見えていた。
なのに身体が動いてくれなくて、カガリは血まみれの身体でそれを見ているだけだった。
嫌だ、と口走る。
負けたくない。
彼に負けたくない。誰にも負けたくない。
勝ちたい。
言うことを聞け、今ここで動かなくてどうする——! カガリは無理やり身体を動かした。腕がカクンと不自然に上がって剣を持ち上げる。血は止まらない。変に動かしたせいで血がとばっと零れる。あたりの草花は真っ赤に濡れていた。濃い血のにおいをまとわりつかせたカガリは叫んだ。勝算だとか作戦だとかそんなものはもう微塵も考えていなかった。
ただ信じていたのだ。何もかもを。
『――カガリ!』
耳鳴り。そして聞こえてきたのは彼女の声。
『この僕が、君にしてやれる最後のことはなんだ⁉』
その短い言葉だけでカガリは彼女のすべてを悟った。ルイが何を思っているのか、何が言いたいのか、瞬時に理解できてしまう。それだけの時間を一緒に戦ってきたのだ。だからこそ彼女の想いに応えたかった。応えなければならなかった。
カガリは詰まらせていた息を吐くように、ぽつりと呟く。
「全部、燃やして」
唇の端を血がつーっと伝う。
東の街で魔力がすさまじい光度で放たれた。
あとのことなんて何も考えていない、全身の魔力を振り絞るような渾身の一撃だ。宙に浮かんだのはベルが見せたのと似たような魔導――熱の塊だった。ベルの真似をしたのはそれだけ強く心に刻まれていたからだろう。
ルイはレイピアを空へと振り上げる。
彼女は最後まで勝利のために戦った。
『――流星』
宙の熱源から火球が雨のように降り注いだ。標的を絞るほどの余裕はなくて、カガリの魔力へ向けて無差別に攻撃を続ける。全身から魔力が吸いだされていく。寒気がした。片足だけで立ち上がっている彼女は気力だけで身体を支えていた。
「……あとは君に任せたよ……」
最後に一言が魔力に乗ったかはわからない。けれど言わなくたって伝わっていたはずだ。
ただでさえ傷が深い。じきに魔力が切れる。ルイは力なく笑いながら倒れていった。それでも赤い瞳は閉じない。彼女の身体が石畳に触れるより前に全身は光に包まれて、消えていった。
一度発動した魔導は、強制退去させられてもフィールドに残る。
まだカガリの力になれる。
空から降り落ちてくる無数の光は、青い空を流れ星のように駆け抜けた。草原はあっという間に火の海だ。カガリは血まみれのローブで口元を覆った。そこら中から上がる煙は二人の姿をぼかしていく。レオナルドは一歩足を引いた。急いでカガリにとどめを刺そうとするが、服の裾が焦げ始めているのを見て顔を歪めた。その隙にカガリは駆けだしてレオナルドのそばを通り抜ける。彼も一拍遅れてすぐに追ってくる。
燃える草原にはもう戻れない。
火の手から逃げるように森へ入ったカガリたちは、最後の剣戟を繰り広げた。
カガリはまともに動けるような身体ではないのに、全身の筋肉を酷使して剣を振るう。レオナルドは紙一重でかわすと、心臓へ向けて鋭い突きを放った。
「は、はっ」
カガリは下へ潜った。彼がぎょっとするのをよそ眼に今度は跳ねる。彼の背後にあった幹を蹴ってぐるんと身体を回転させる。重力のままに落ちて、脳天を狙う。レオナルドは不利だと悟ったのか木々から離れた。でもそんなもは関係ない。枝葉は空を覆うように広がっているのだ。そのすべてがカガリの武器だった。
彼が退いた隙を狙って、カガリは自分の剣を両手で握った。そしてあげた膝に打ち付けて――魔導剣を叩き折った。レオナルドが「は!?」と硬直するのをよそに、短くなった剣を握る。
片手で枝を掴んで身体を持ち上げる。勢いで飛んで宙へ。枝の上を走り抜ける。飛んできた魔導の光はかわして、また地上へ。彼が見失ってきょろきょろと見回しているうちに背後から飛びかかる。背中に蹴りをいれた。押し倒そうとしたけれど彼が体勢を崩さなかったので、ばねにして跳ねた。別の木に飛び移ってまた姿をくらます。
吐く息が熱い。目の奥が熱い。内臓が熱い。傷が熱い。全部熱い。
身体はろくに動かない。
眩暈がおさまらない。
耳鳴りがやまない。
それでも握った剣は離さない。
永遠に続くかもしれないこの一瞬に、命の全部を賭けていたから。
カガリはぜえぜえと呼吸しながら魔力を巡らせた。全身の決められた道を魔力が流れて、手のひらには柔らかな炎が揺れる。少し離れたところに放てば木の葉がパチッと音をたてた。レオナルドは反射で振り向いていた。
カガリは飛び下りる。
音もなく。
緑の瞳は、剣先の光を反射してきらめいていた。
価値が欲しい。意味が欲しい。栄誉も、誇りも、称賛も欲しい!
今まで見ないようにしていたすべてが欲しい。そのためには勝つしかなかった。勝たなければいけなかった。けれどそれだけではきっと足りない。
どんなに強い敵に勝ったって、意味のある過程を描かなければ誰に誇ることもできない。
それを教えてくれたのはルイだ。
カガリがルイを変えたというのなら、ルイもカガリを変えた。
そんな出会いだったのだ。
「――――ッ!」
剣先に何もかもを乗せて、最後の一撃を振るう。
瞬きの時間にも満たない一瞬。
カガリの剣はやっと彼へ届いた。




