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第50話 最大の切り札


 フェンスの上から見下ろしているカガリは、笑みを崩さないままにやっと目を細めた。


「あれ、逃げるの? 正々堂々と戦うじゃなかった?」


 レオナルドが後ろに下がった理由など、察しがついている。作戦失敗と結論付けて、ベルと合流するつもりだ。ここでカガリと戦っているうちに彼女が落ちれば、戦況は大きく動く。妥当な判断だ。


 そのうえ予想外――カガリが魔導を使いこなしている可能性がある。だからここで戦うのではなく、いったん退いて体勢を立て直そうとしている。カガリは柵に腰かけたまま前のめりになった。レオナルドが思いのほか慎重派だということはもう知っていた。片耳を塞いだレオナルドは通信を発動した。


「ベル! 一度退いておれと――」


 フェンスから「よっ」と飛び下りた。地面に向かって落ちていくカガリの身体。魔導剣は出さないままで足をひねる。右足は彼の顔面めがけて振りきられる。


「ッ⁉」


 両腕でガードした彼は顔を歪めた。痺れるような痛みに、全身を硬直させている。カガリの足を掴もうと伸ばされた手をはたいて、すぐさま退却。けれど呼吸の間も与えずに殴りかかる。


「通信するところを眺めてるほど、俺は暇じゃないって!」

「まあ、だろうな!」


 カガリは素手のままで距離を詰めた。とっくにレオナルドの長剣の間合いだ。けれど彼は深く踏みこむことはせずに、むしろ距離を取ろうと後ろに下がる。いつもの彼とは明らかに違う、消極的なふるまいだ。


 彼が警戒しているのは可能性だ。


 カガリ・テイラーの近接戦闘技術に魔導が組みこまれれば、大きな脅威になる。ルイと違ってほとんど自己流の体術は流れも読みづらい。カガリがどれほどの技術を隠していたのかを確認するまで、迂闊には動けない。


 だよなあ、とカガリは口角を上げる。


 実際のところ、カガリにできるのはさっき見せた灯火だけだ。ベルの感知を潜り抜けたのだって、適当に灯火を発動させて、魔力反応を強めていただけだ。鳴弦の威力が半減したのもたまたま屋内にいたから。けれどレオナルドには知りようもないことだし、教えてやる義理もない。


「俺は嘘吐きなんだよ。知らなかった?」


 煽るように目を細める。


 牽制に突き出された剣先は首を傾けてかわす。そのまま側転して、宙にあがった足でこめかみを狙う。靴先は彼の額をかすった。バランスを崩したレオナルドはふらついて、左端で踏ん張って堪える。彼はようやく調子を取り戻し始めたのか、ふーっと息を吐きだしながら顔をあげた。


「そうだな――そうかもしれなんな。おまえを美しき正直者だとは思うには、無理がありすぎる。だが俺にはわからん」

「?」

「おまえがブラフを張っていたというなら、なぜ今、このタイミングで使った?」


 どうしてそんなことを訊くのだろう。

 カガリは足を組み替えながら回し蹴りする。


「ここでおまえを落としておく価値って、割と大きいと思うんだけど」

「違う、そうではない」


 ブーツのかかとが石畳を叩く。

 コツンと軽快な音を鳴らして砂利が跳ねる。


「それはカガリ・テイラーにとって最後の手段であり、最大の切り札だろう」


 彼の視線はまっすぐにカガリを射抜いていた。


「この4年間、いや、そのずっと先を戦っていくための大きな武器だ。そして使ったら最後、もう2度と切り札としては機能しなくなる。たった1度きりの必殺――それはおまえだってよく理解しているはずだ。だからこそ隠してきた。見せなかった。誰にも言わなかった! なのになぜこの試合で使った? こんな、いくらでも替えのきくような試合で……」


 彼は言い切ることもなく眉を下げた。


 カガリはわずかに目を伏せる。

 そうだな、と小さく呟いて、やっぱり続く言葉が思いつかなかった。


 レオナルドの言うことは間違っていない。彼が疑問――どちらかといえば非難だったかもしれない――を感じるのも間違っていない。誰だって冷静に考えればわかることだ。切り札はここ一番で切るからこそ、意味があるのだから。


 星霜祭の校内予選トーナメント。任意参加、優勝賞品が魅力的かといわれればそうでもない。得られるのは進級のためのちょっとした評価と、賛辞と、名誉。


 切り札を出すのにぴったりなタイミングかと訊かれて、頷く人が一体どれだけいるだろう。カガリは訊いて回ったりしなかったからわからないけれど、そう多くなないはずだ。もしかしたら馬鹿なやつだと指をさされて笑われるかもしれない。


「うん、まあ、惜しいことをしたなって思うよ」

「だったら、なぜ」

「選ばなきゃいけなかった」


 切り札なんていつ切ったところで、正しいタイミングだったなんて言いきれない。次、その次、そのまた次――いつが最大の危機だったかなど、終わってみなければわからないのだ。だから今が使いどきだったと確信しているわけではない。まだ少し不安だ。


 それでもいつか選ばなければならない。

 たとえ最後の手段を使ってでも、勝ちたいと思えるそのときを。


「……俺は選んだ」


 カガリは手を伸ばした。指輪の魔導石がかすかな光を宿して輝く。「レーヴァテイン」と短く詠唱すれば魔導剣が現れる。いつもの短剣ではない――レオナルドと同じ長剣だ。


「⁉」


 ずっしりとした重さに重心が持っていかれそうだ。よくこんなものを振り回せるな、と思いながら構える。レオナルドが「正面戦闘に合わせて変えてきたのか!」と目を見開いた。いつも通り短剣でくるだろうと思っていた相手が、突然違う武器を持ってくれば動揺もする。カガリが機動力を捨ててまで長剣を持つのは、予想外だったはずだ。


 じりじりと距離を詰めながら間合いをはかる。爪先が砂を蹴り上げる。先に地面を蹴ったのはカガリだった。


「後悔するかなんてまだわからないじゃん。そんなのおまえ次第だ」


 駆ける。

 息をする。

 剣を振るう。


「俺に、この先なんてもうどうだっていいって思わせてよ!」


 ははっと興奮したような笑い声が零れていた。


 今までこんな感情を抱いたことはなかった。いつだって必死だった。冷静だった。自分の邪魔をしようとする人間を黙らせなければ、としか思えなかった。


 なのにどうしてだろう。

 どうして、こんな――。


 レオナルドは1歩足を引こうとして――前に出す。強く踏みこんで、カガリの剣を受け止めた。手首の筋に痺れるような痛みが走って、わずかに息を詰める。押し合いになるかと思って、カガリは足に力を入れた。けれどレオナルドはすっと身体を引いて、2撃目を繰り出した。


「……ああ。ああ、当然だとも!」


 何度も剣が交わる。

 鮮やかな軌道を描く。金属音が耳の奥に響く。


「おれがおまえを退屈させるとでも!?」


 レオナルドの目が変わった。困惑も動揺も消えて、ただ目の前の人間を屈服させようとギラギラ輝く、獣のような目。澄んだ青い瞳はカガリだけを見ていた。捉えていた。


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