第36話 化け物のお出まし
交代で眠っていたカガリは寝返りを打った。全身が痛いし、冷たい。ガリガリと石でひっかくような音がずっと響いていて不快だ。重い瞼をなんとか開けてみると、石畳にはおびただしい数の計算式が刻まれていた。
「ひえっ……」
ルイとレオナルドが黙々と計算を続けていたので、カガリは見なかったことにして、もう一度眠った。何かとんでもない悪夢でも見たような気分だ。
数時間後、とんとんと肩を叩かれたカガリは、枕にしていた上着を羽織った。全員の準備が整ったところで出発する。
ほとんど完璧な地図を手に入れたカガリたちは、最短距離を突き進んだ。とてつもない広さだけれど壁は薄いらしい。回り道をするよりも壁を壊して直進した方が早い。ベルとエリザが交代で壁をぶち抜いて、カガリたちはその後ろをついていった。
「もう近い。あと数回で終わる」
ベルが魔導剣を前に突き出した。剣先から魔導が飛ぶ。壁が土煙をあげながら崩れ落ちた。きっちりとまとめなおした赤髪は風になびかない。
偵察はカガリの役割だ。咳きこみながら瓦礫を乗り越え、手をぱたぱた振って砂埃を払う。また広間だ。
だだっぴろい空間には既視感しかない。同じような広間ばかりで、本当に進んでいるのかわからなくなってくる。おそらく方向感覚を奪って迷わせるための仕掛けだろう。反響の精度が低いメンバーで乗りこめば、延々と歩き回る羽目になっていた。ベルやエリザがいてよかったと思わずにいられない。
とはいえまったく同じというわけでもなかった。この広間には水路が敷かれていて、清流が流れている。真後ろにいるルイが「どうだ?」と訊いてくるので「大丈夫」と返した。
「また水路がある。方向は合ってそう」
「ついでに水分補給もできるね」
ルイはエリザに手を差し伸べた。ぴょんと飛び下りたエリザは、さらにその後ろのレオナルドと何か話している。
一足先に足を踏み入れたカガリは水路へ向かった。水路のそばに片膝をついて、水に手を差し入れた。前よりも少しぬくい。熱源に近づいているのか、それとも外の気温で温められているのか――可能性が多すぎてわからない。考えることをやめて水をすくった。
右手にためた水を口元へ。流しこもうとゆっくり顔を寄せる。
唇をつけて一気にあおり――。
瞬間、天井が崩壊した。
「げほっ」
盛大にむせた。
水を飲もうとしたら、なぜか天井がぶっ壊れた。
カガリは驚けばいいのか、苦しめばいいのか分からなかった。何が起きたのか理解不能だ。情報が多すぎる。どうなっているんだ、と目を見開いていると、水が気管に入ってせり上がってきた。
「全員離れろ、崩落に巻きこまれるぞ!」
カガリが涙目でゴホゴホ咳きこんでいる間にも、天井の崩落が続いている。あたりに石の雨が降り注いだ。小石がカガリの頬をかすめて擦り傷ができる。ルイに「何をしているんだ!」と腕を掴まれて、乱暴に引っ張られた。
足がもつれて一緒に倒れこんだ。体格差的にルイを下敷きにしてしまう。押しつぶされたルイが「ぐえっ」とうめいたが、しっかりと抱きとめたあたりさすがだ。
けれど小さくて柔らかい身体は、触れるとさすがに少女のものだとわかってしまう。もしカガリでなかったらどうするつもりだったのだろう。軽い非難をこめて「大胆じゃん」と言えば、じろりと睨みつけられた。
「このまま君を蹴り飛ばしてもいいんだよ」
「絶対巻き添えにしてやる」
軽口を叩いている場合でもない。「助かった」と短く礼を言いながら、身体を起こす。ルイの二の腕を掴んで引き上げると、瓦礫の届かないところまで駆けた。
土煙の向こうに人影が見えた。他の3人も無事のようだ。レオナルドは片目を閉じたまま天井を見上げた。
「崩落とは難儀だな。壁を壊しすぎて強度が落ちたか?」
「いや、そんはなずはないよ。多少の計算は省いたけど、そこまで脆いはずがない。もしかしたら僕たちのせいじゃなくて――」
エリザが大声をあげて前を指さした。土煙が晴れ始める。口をあんぐり開けたまま、固まるしかなかった。
「――は?」
何の冗談かと思った。
「は? は?」
巨体の化け物がそこにいた。
カガリたちの3倍以上はある高さ。全身を覆う青いうろこ。大きな口からのぞく、数えきれないほどの鋭い牙、長い舌。手足の爪は長剣よりも大きくて、伸びるしっぽではたかれれば骨も折れるだろう。とかげを何十倍にも大きくしたような姿だ。
何も言えないままに顔をひきつらせていれば、化け物もカガリたちを見つけた。目玉がぎょろっと動いてカガリたちを凝視している。
「……どうも~」
カガリが恐る恐る片手をあげれば、化け物が咆哮した。どうやらお気に召さなかったようだ。




