第15話 キャット
演習まで残り3日。夕食のピークが過ぎた食堂は人が少なくなっていく。空になった皿を片付け、代わりに数枚の資料を広げているカガリは、ゆっくりと足を組んだ。
「打ち合わせの予定、何時からだった?」
「30分前です。ルイが遅れるのは珍しいですね」
正面に座っているエリザは眉を下げた。
彼女はルイの表向きの婚約者だ。生まれたときからの付き合いで、ルイの秘密も知っている。カガリとは無関係のはずなのに、バディの情報集めに協力してくれているのだから、頭が上がらない。テーブルにある資料も、そのほとんどがエリザの集めたものだ。
カウンターの奥で皿洗いの音がしていたが、それもだんだん静かになっていく。エリザが「見てきますね」と腰を上げたのと同時に、食堂の扉が開け放たれた。
「すまない、遅れた!」
ルイが早足に駆けこんできた。軽く息を弾ませている彼女は両手いっぱいに菓子を抱えていた。クッキーやらチョコレートやら、やたら甘そうなものばかりだ。
「……腹減ってんの? ストレス?」
「ここに来る途中、階段から滑り落ちそうになった生徒を助けたら、お礼にもらったんだ。断ったんだけど押し付けられてしまって」
「ちょっと目を離した隙に人助けしてる……。ポリシーに一日一善って加えときなよ」
「手を差し伸べるのは紳士として当然だろう」
彼女は首を傾げた。優しく抱きとめてやる様子が目に浮かぶようだった。
ルイはそのへんの男よりよっぽど紳士だ。男というには華奢だし、顔に可愛らしさが残っているが、振る舞いは物語の騎士そのものだった。律儀で高潔なところがいいのか、女子人気は高い。鈍感な彼女は気付いていないが、隠れファンまでついている始末である。
ルイは手土産をテーブルにどっさりと積み上げ、そさくさと椅子に腰かけた。
「――?」
わずかな違和感。
カガリは2度瞬きをした。
けれど違和感の正体は分からないまま、過ぎ去ってしまう。じっとルイを見つめたまま固まっていると、彼女が怪訝な顔で見返してきたので、ふっと目を逸らした。もしかしたら気のせいだったのかもしれない。
「待たせてしまったね。時間もないことだし本題に入ろう。今度の演習のことだけど……」
「ちょっと待った」
「うん?」
「その前に報告っていうか、相談というか」
ゆるく片手を上げてから1枚の紙をつまみ上げた。エリザにもまだ話していなかったから、不思議そうな顔をしている。読みやすいように向きを変えて差しだせば、前のめりになって覗きこんできた。
「バディの登録用紙……ですか?」
学院では届け出をしたバディやチームを正式に認める制度がある。初戦では仮バディとして一時的に戦ったが、あれから相談して正式に組むことになった。毎回の手続きが楽になるし、成績にも加算されるし、登録しておいて損はない。
「君が申請しておくんじゃなかったか?」
「書類もらってその場で書いたけど――ここが埋められなかった」
カガリは空欄を指先で叩いた。ああ、と呟いた彼女はゆるくかぶりを振った。
「バディ名か」
他と区別するために、通称であるバディ名をつけるのが慣例だ。学院では字数制限さえ守れば自由に決められる。とはいえ学院内の大会で連呼されるので、適当に名前を付けると後悔するはめになる。
かつて悪ふざけで『ドブネズミ』という名前をつけたバディがいたが、校内大会で「ドブネズミが空に舞い上がる! 高い、高いぞ! ドブネズミが華麗な剣技を披露する! ドブネズミ強い!」などと至極真剣に実況され、その日のうちに変更願を出した事件がまことしやかに語り継がれている。ちなみに変更はできない決まりなので却下されたらしい。そのバディは即日解散した。
そんな責任は持てないと退散してきたのだが、ルイも同じようだ。彼女はやや背を逸らしながらカガリを見る。
「君が勝手に決めてくれてよかったのに」
「俺のネーミングセンスを信じるとか無謀すぎない? だったらバディ・赤点にするけど」
「赤点なのは君だけじゃないか、僕を巻きこむな!」
「2人で平均取ったら赤点じゃん。俺らは一蓮托生、ここは成績も共有していこう」
「僕の点数を吸い上げたあげく、結局赤点なのか⁉」
「底辺ってやつを見せてあげるよ」
「最低だな⁉」
「まあまあ。話を戻しましょう」
見かねたエリザがやんわりと割りこんできた。さりげなく差し出された水を飲んだルイは、ゆっくりと深呼吸をする。
「まったく、頼りになるのはエリザだけだな」
「うん、ルイの婚約者とはとても思えない」
「君は本当に喧嘩を売るのが上手だね。表へ出るといい。その制服をボロ雑巾にしてあげよう」
「猥褻罪で捕まればいいのに。そして一生牢獄から出て来なかったらいいのに」
「話が進まないので仲良くしてください……」
エリザは困ったように頬に手をやる。柔らかい紫の髪が揺れて上品な花の香りがたよう。
彼女の一言で場は収まったものの、代替案なしの沈黙が続いた。ルイは首をのけぞらして宙を見上げていたが、はっと隣に顔を向けた。
「そうだ、エリザが決めてくれないか?」
「私が?」
「僕たちが相談したところで、話が脱線するばかりだ。それなら他で決めてもらった方がいい。君に任せれば、おかしなことにはならないし。……カガリ、どうだろう?」
「賛成。ぶっちゃけ決まるなら何でもいい」
両手をゆるく上げた。お任せという名の押し付けであった。
2方向からすがるような視線を向けられて、エリザはきょろきょろと見回した。けれどそこにいるのは彼女だけだ。少しずつ明かりの消えていく食堂にカチカチと秒針の音が響いていた。だだっぴろい空間にはテーブルだけが整然と並んでいて人の気配はない。
彼女は胸の前で指を組んで、視線を下に向けた。そして顔を上げてまっすぐに見つめる。
「キャット」




