第10話 決着の一撃
そうか、と短い返事があって、霧の向こうがかすかに揺らめく。接近してくる気配はない。
「俺はエイダン。バディはアートだ。これが終わったら昼飯おごってやるよ。数量限定大盛ステーキ定食な。今なら幻の裏メニュー・激辛とうがらしトッピングもつけてやる」
「いや、後半は結構ですね」
「遠慮すんなよ、後輩は大人しくおごられりゃいいんだ。俺のバディも泣いて喜ぶ美味さだぞ」
「激辛とうがらしが沁みてる的なオチだったらぶっとばしますよ」
真っ白な濃霧のなかで、何かがちらりと光った。剣先に宿った魔力光だと認識したときには、すでに魔導が発動されている。
「風――!?」
轟音とともに、全身に吹き付ける風が前髪をかきあげた。巻き起こった突風が霧を晴らしていく。たまった霧すべてを払われることはなかったが、ずいぶんと視界が明瞭になった。
カガリは愕然とした顔で後ずさった。魔力をただ変換するだけでは風は作れない。知識と技術があればできるとはいえ、相当複雑な操作が求められる。3年生といっても、近接主体の彼には難しいはずだ。だからこそ魔導主体から仕留めたのに――。
「どうやって……!?」
「仕組みなんかごちゃごちゃ考えるタイプじゃないだろ、おまえ。風なんて物を動かしゃできるんだよ」
「そんな雑な――」
風に乗って運ばれているのは、木くずと焦げ臭いにおいだ。そういえば白い霧がわずかに黒ずんでいる気がする。混ざっているのは煙だ。
霧の向こうで立ちふさがるエイダンの手には魔導剣――灼熱をまとい、赤く燃えていた。
「猛火」
ひねりのない熱魔導。火力はあるが魔力の消耗も激しく、剣の熱はすでに消えかかっている。炎に晒されているエイダンは、汗を流しながら剣先を真横に向けた。
つられてカガリも視線を向ける。地面に倒れた大木――その断面は赤く焼け、火の粉がぱちぱちと舞っていた。
「……冗談きっつ……」
――大木を伐り倒したときの風を利用して霧を払う。力業にもほどがあるが、実際に成功しているのだから何を言っても無意味だ。
「一本伐採しちまったな! おかげで木こりの仕事が減って社会貢献だ」
「環境破壊でしょ」
「フィールドは仮想空間だから、どのみち関係ないんだけどな」
これでカガリの優位は崩れた。いまだ霧に覆われている足は少しずつ後退を始めている。もともと霧にまぎれて奇襲する作戦だったのだ、姿が見えてしまってはどうしようもない。
追い詰められて、カガリの思考は勢いよく回る。
正面戦闘を避けて逃げ出せば、ひとまずは助かるだろう。けれどその隙にがら空きの拠点を取られてしまえば負けだ。もしルイが戻って守備に回っているなら話は変わるが、そんな確証はない。彼女からの連絡はなく、一方的な通信もできないほど集中しているのは間違いない。
せめてルイから一声でもあれば――。
「どうした? また撤退か?」
「………………」
瞬きが減る。
ルイが勝ちを諦めてしまった――その可能性も残っている。
作戦は最初から崩壊していて、すべてがその場しのぎにすぎない。誰が見ても悪足掻きでしかない。もう勝負を投げていたっておかしくはない。ルイから一言の連絡もないのがいい証拠だ。
ふと目を伏せる。自分は何か、勘違いしていたような気がする。
カガリとルイは違う。カガリは何としてでもこの勝負に勝たなければならない。予選を勝ち抜いて優勝し、必ず星霜祭に出場する。そしてあの男に――アンリに会うのだ。そのためだけに学院にやってきた。
けれどルイは。彼女は自分の秘密を守るために、カガリの脅迫を受け入れただけだ。カガリほど勝ちにこだわる必要はない。むしろ初戦で負けてしまった方が好都合ですらある。バディを組む必要はなくなって、カガリの脅迫という面倒ごとからも解放されるのだから。
「……馬鹿だな……」
そんなことにも気付かなかった自分の詰めの甘さに、苦笑いが浮かんだ。ずっと一人で生きてきた。一人でやってきた。なのに急に他人と一緒に戦うなんてことになって、少し感覚が狂っていたのだ。
カガリはわずかに目を細めて、吊っていた口角をゆっくりと下ろした。理由を思い出そう。今ここで戦わなければならない理由。
価値はいらない。
意味もいらない。
栄誉も誇りも称賛もいらない。そんなもの欲しくはない。
ただ勝って、あの男に会いに行くだけ。
「――ッ!」
「今さら拠点に戻ってどうする!?」
南に向かって駆けだせばエイダンもすぐさま追ってきた。しかし全速力では走れない。霧で足元が見えなくて走りづらいのだろう。
カガリは木に飛び移るか考えて――そのまま地上を駆けた。拠点までおそらく800メートル。エイダンが魔導の出し惜しみをやめたということは、今カガリを落として勝負に決着をつけるつもりだ。
カガリも格上を拠点まで連れていくわけにはいかない。今ここで仕留めなければならない。逃げ回っていても勝てない。だが今は逃げるしか手がない。
「――くそ!」
一際大きいな木の裏へとぐるりと回った。エイダンもすかさず回りこむ。一周してカガリは再び南へ抜ける。その程度のフェイントでは撒けない。エイダンが一歩を踏み出して――。
「……うおっ!?」
直後、エイダンの声が響き渡った。
彼は足をとられてすっころぶ。
顔面から地面につっこんでいったのを見て、思わず「いったそお……」と呟いてしまった。
足元を漂う霧と、わずかに見えるエイダンの靴。右足首にはまっているのは草のわっかだ。2本の雑草を結び付けただけのそれは、子どもの悪戯の代表である。
「っ、こんな単純な罠に!」
「鼻血まみれの顔でこっち凝視しないでもらえますかね!」
奇襲する前、万が一のためにいくつか仕掛けておいた。誘導したとはいえ引っかかるかは賭けだったが、運が良かった。泥だらけの身体を起こしたエイダンは、しかし立ち上がれない。足首に絡んだ草の輪を引きちぎり、剣を構えるのが精いっぱいだ。
カガリは唇を固く結ぶ。最後のチャンス。これを逃すわけにいかない――カガリは短剣を片手に突っこんでいく。一撃与えればいいだけだ。エイダンはろくな抵抗ができる姿勢ではない。
カガリの思考はいたって冷徹に、敵をどう黙らせるかだけを考えていた。
行動もそれにともなう。顔面をわし掴んで押し倒し、足で肩を踏みつけて固定する。確実に致命傷を与えるために太い血管を狙う。エイダンは後頭部を打ち付けながらも、剣先をカガリに向けた。
「……鳴弦!」
「あっ⁉ う、ぐ……!」
音魔導であることはわからなかった。ただ耳鳴りのように甲高い音が、耳をつんざくように響き渡った。思わず耳を押さえてうずくまる。
エイダンの最後の抵抗だ。正面からまともにくらったから身体がぐらついている。だが歯を食いしばって顔をあげる。きつく握りしめた短剣をかざして大きく振るう。エイダンも同じように剣先を薙ぐ。2本の剣が互いの身体を切り裂こうとする。
目にもとまらぬ攻撃のなか、カガリは直感した。
わずかにエイダンの方が早い。
頭は淡々と状況を分析していた。どうやっても間に合わない。剣先がカガリの首筋をかするのをただ見て、負けを悟って――。
「――飛電ッ!」
遠くで魔力光がきらめいた。
誰の魔導かなんて考える余裕もなかった。
瞬間、空気を裂くように飛んでくる電撃。眩い輝きはエイダンの身体を直撃した。
「ぐ—―!」
服越しにあたっても大した威力はないが、痺れで全身が硬直している。剣先は逸れてカガリの首の表皮を切っただけだ。わずかににじんだ血が白い襟を濡らした。
あとはもう反射だった。
一瞬にも満たない隙に、短剣を横一線に薙ぐ。
決着に必要なのはたった一撃だけだった。




