月の想いは月に帰るまで
千歳が語ったそれは、『月』だった。
月とは本来、球体であるために
表裏の概念など存在しない。
だが、見る角度や観測の仕方によって、
無理矢理に表裏を定義することが可能だ。
例えばうさぎが餅つきをしているだとか、
とても大きなカニであるとか、
月の影の模様が世界各国で見え方が違うのは、
見る角度が国によって違うからだ。
そして、『月』は夜に生きる。
太陽がいる間に月は姿を隠し、
太陽と入れ替わるようにして
俗世へと高みの見物にやってくる。
物理的な表と裏があると同時に、
存在的な面でも表裏がある。
「今回、暦君の中にいたのは、
間違いなく月の妖神だねぇ。
平安時代の中期には、
その存在を『竹取物語』という物語にして
後世に伝えようとしたと言われていて、
妖神の中でも悲しい性を持っているんだ。
そして、今ではその名を、『想月』と呼ぶ。」
万といる妖神の中でも
特に異質とされる妖神…『想月』。
その昔、想いを寄せる相手に
何も言えぬままに月へと帰った
かぐや姫という美しい女性がいたそうだが、
想月という妖神の伝承が語られ始めたのが、
まさにそのかぐや姫が帰った後のことで、
かぐや姫に自分の想いを言えなかった男性が
取り憑かれてしまった。
そして、かぐや姫への想いを
秘めたままだった男性は、
身を焦がれるような後悔の中で
闇に飲まれるように最期を迎えたそうだ。
そういった過去を持つことから、
想月は『想いを伝える妖神』とされている。
恋でも悩みでも相談事でも、
自分の想いを素直に伝えられない、
そんな隙を抱えた人間に取り憑き、
想いを伝えることを後押しする。
そして、いつまでも伝えられなければ
月の影へと連れ去られてしまう。
意味合いや特徴で言えば
鉄弥に毒を刺した『彼岸蜂』に似ているが、
彼岸蜂と想月では、
妖神としての格が違い過ぎる。
彼岸蜂は、簡単な儀式で
呼び出すことができるが、
想月はそうはいかない。
満月の夜にしか呼び出せず、
仮に呼び出せたとしても、
こちらの要求を飲むことはほぼない。
さらに、彼岸蜂は最終的に
流歌が飲み込むことで決着したが、
想月相手に力技は通用しない。
もし、彼岸蜂と同じように
流歌が肩代わりしようとすれば、
いくら不死鳥の力があると言えど、
流歌の体がバラバラになるだろう。
「想月に取り憑かれたのなら、
暦君には何か秘めた気持ちがあるはず。
そうだろう、暦君?」
千歳が聞くと、月詠は頷いた。
前話で描いた流歌の姉流舞の過去。
それは月詠の過去と強く結びついており、
最後まで友を信じる心と
優しさを持っていた流舞に、
月詠は惚れてしまったのだった。
「だけど、話はややこしいことになる。」
流舞に惚れた月詠は
すぐにその心を手放そうとした。
簡単に人を好きになってはいけない。
自分の両親と同じ轍を踏みたくない。
それに、月詠も流舞も女の子だ。
同性の恋なんて実らないに決まっている。
……そう思ったのだ。
そして、一瞬だけ空いた月詠の心の隙に、
想月は入り込んでいた。
月詠の想いを流舞に伝えるべく、
想月は月詠の体を支配した。
だが、あの日以外に
流舞に会うことは叶わず、
当時月詠と同じ学校に通っていて、
なおかつ烏城高校からの推薦がきていた
鉄弥に狙いを定めた。
鉄弥と同じ道を歩いていれば、
いつかまた流舞に会えるだろうと。
「え…でも、千歳さん。
その人って三年生だったんですよね?
月詠さんが烏城高校に来たとしても、
卒業してしまっているのではないですか?」
「うん。その通りだよ冬馬ちゃん。
普通に考えれば誰でも分かることだけどね、
ほら、神様って基本的に大雑把だから、
そういうの考えないんだよ。」
そうした経緯で、
想月に取り憑かれた月詠は
鉄弥へのストーキングを始め、
鉄弥と同じように烏城高校に入学した。
だが、そこに流舞の姿はなく、
少なからず焦りを覚えた想月は
半ば盲信するように以前にも増して
鉄弥の後を追いかけ続け、
部活は流舞と同じテニス部に入った。
しかしあの公園で、一連の行動を
鉄弥本人に知られていると知った想月は、
自分の殻に閉じ篭もるように
全身を影の繭で覆い隠した。
そして、想月が逃げようと
動き出そうとしていたのを、
偶然にも居合わせた面影楓が止めてくれた。
だが、千歳が言うには、ただ止めたというより
想月ごと破壊した、という方が正しいらしい。
面影が連れていたあの狼が
想月という存在まで牙を突き立てて、
見事に噛み砕いたのだ。
そのおかげで月詠は自由を取り戻し、
大きな被害を生むこともなくなった。
……と、いうのが事の全容である。
自分の想いを口に出来ない月詠に取り憑き、
ここまで事態をややこしくした。
かぐや姫の時と同様、
想月は人を困らせるのが得意らしい。
「でもそれじゃあ、
一年もの間大人しくしていたのはどうして?」
流歌は、まだ消化できていない質問をする。
目的を果たすためなら、
いくら妖神と言えども
時間を無駄にはしないだろう。
「あ〜…それはその、なんていうか…。
ウチ、運動は出来るけど、
勉強の方はからっきしで……。
烏城に合格するために必死で勉強してたんや。」
なんとも、拍子抜けな答えだった。
確かに理屈としては間違っていないが、
まがいなりにも神なのだから、
その程度のことが足枷になるなんて
思ってもみなかった。
だがこれで、問題は解決した。
疑問の答えも明らかになり、
月詠に取り憑いた想月も消えた。
これ以上、月詠が鉄弥に
つきまとうことはないだろうし、
鉄弥からの相談はこれにて完遂。
今日はもう疲れたから、
早く帰ってさっさと寝よう。
「待ってよ流歌君。
眠そうなところ悪いんだけどさぁ、
最後にやるべきこと忘れてない?
そのために連れて来たんでしょ。
ねー?お姉ちゃん?」
物陰から現れたのは、
流歌の姉である流舞だった。




