偽りの矢文 第1話:静かなる城
作者のかつをです。
本日より、第二章「偽りの矢文 ~日山城、疑心暗鬼の砦~」の連載を開始します。
今回の主役は、毛利元就に仕える若き忍び・疾風です。彼の視点から、元就の謀略が、いかにして実行されていくのかを、内側から描いていきます。
※この物語は史実や伝承を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
東広島市西条町と黒瀬町にまたがる、日山。標高五〇〇メートルほどの、なだらかなこの山が、かつて安芸国の歴史を動かす、静かなる謀略の舞台となった。
武力と武力が激突するだけが、戦ではない。時に、一本の矢、一通の文が、千の兵に勝る力を発揮することがある。
これは、血を流さずして城を落としたという、恐ろしくも鮮やかな、謀神の策謀の物語である。
◇
鏡山城が落ちてから、数年の歳月が流れた。
俺、疾風は、月明かりだけを頼りに、吉田郡山城の本丸へと続く石段を、音もなく駆け上がっていた。俺は、毛利元就様が抱える「草」の一人。戦場で槍を振るうのではなく、影に潜み、情報を集め、時には敵を欺くのが仕事だ。
鏡山城の戦いでは、まだ見習いだった俺も、今では、いくつかの汚れ仕事をこなしてきた。あの戦で元就様が見せた謀略の切れ味は、今も俺の脳裏に焼き付いている。主君を裏切らせ、用済みとなれば、その裏切り者さえも、容赦なく切り捨てる。あの非情さ、合理性こそが、この乱世を生き抜く力なのだと、俺は肝に銘じていた。
今宵、元就様から、直々のお呼び出しがあった。何か、新しい仕事が始まるに違いなかった。
櫓の一室には、元就様が、一人、地図を睨むようにして座っておられた。その目は、獲物を見定める鷹のように鋭い。
「来たか、疾風」
「はっ」
「此度の標的は、日山城。鏡山城と同じく、尼子方の拠点じゃ」
元就様が、地図の一点を指さす。
「城主は、三吉氏。先の鏡山城の落城を見て、警戒を強めておる。力攻めは、また多くの血が流れることになるであろう。それは、避けたい」
元就様の言葉に、俺は息を呑んだ。また、謀略で落とす、ということか。
「日山城の東には、同じく三吉一族が守る、小さな砦がある。この二つの城は、互いに連携し、守りを固めている。いわば、兄弟のようなものよ」
元就様は、そこで、ふっと、笑みを浮かべた。それは、何か、悪戯を思いついた童のような、それでいて、底知れぬ深淵を覗かせるような、不気味な笑みだった。
「疾風。人はな、最も信頼する者に裏切られた時、最も深く、傷つき、乱れるものよ。兄弟の絆、それを、断ち切ってやろうぞ」
その言葉の意味を、俺はまだ、完全には理解できなかった。
だが、これから始まる謀略が、鏡山城の時とはまた違う、人の心の脆さを突く、陰湿で、しかし、鮮やかなものになるであろうことだけは、予感できた。
俺は、静かに、頭を下げた。
「御意に」
俺の、新たな仕事が、始まった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
第二章、第一話いかがでしたでしょうか。
鏡山城の戦いを経て、謀略家として、その名を上げ始めた元就。今回の彼の狙いは、城そのものではなく、「城と城の信頼関係」です。
さて、主君から密命を受けた疾風。彼は、まず、何から始めるのでしょうか。
次回、「忍び寄る影」。
疾風の、孤独な情報収集が始まります。
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