桜尾城、厳島合戦秘話 第1話:安芸の十字路
作者のかつをです。
本日より、第八章「裏切りの前夜 ~桜尾城、厳島合戦秘話~」の連載を開始します。
今度の主人公は、厳島合戦のキーパーソンの一人でありながら、悲劇的な最期を遂げた桜尾城主、桂元澄です。彼の心の葛藤に焦点を当てて、物語を進めていきます。
※この物語は史実や伝承を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
広島県廿日市市。世界遺産・厳島への玄関口として賑わうこの地に、かつて桜尾城という、安芸国の命運を握る重要な城があった。
日本三大奇襲戦の一つ、「厳島合戦」。その輝かしい勝利の影には、合戦が始まる一年前に、謀略の渦の中心で引き裂かれた一人の男の、知られざる悲劇が眠っている。
これは、忠義と裏切りの狭間で苦悩し、歴史の駒として翻弄された、悲しき城主の物語である。
◇
天文二十三年(一五五四年)、夏。
わたくし、桂元澄は、桜尾城の天守から眼下に広がる瀬戸内の海を、複雑な思いで眺めていた。
この桜尾城は、安芸国のまさに十字路に位置する。
西には主君、大内義隆様を弑し、事実上の支配者となった陶晴賢が牙を剥いている。
そして東には、その晴賢に反旗を翻した毛利元就が、急速にその勢力を拡大させていた。
わたくしはもともと毛利の一族。元就様とは血の繋がりもある。
だが同時に、桜尾城主としては古くから大内家に仕えてきた家臣でもあるのだ。
つまりわたくしは今、二人の主君を持つという、極めて困難な立場に置かれていた。
どちらにつくか。
その選択一つで、我が桂家の、そしてこの桜尾城の運命は決まる。
家臣たちの間でも意見は真っ二つに割れていた。
「陶様の兵力は圧倒的。ここは陶様に従い、毛利を討つべきにございます!」
「いや、毛利元就様の知略は底が知れぬ。いずれ天下を取るは毛利。ここは一族の縁に従うべきだ!」
毎日のように軍議は紛糾し、答えは出なかった。
わたくしの心は、荒れる海のように揺れ動いていた。
そんなある日のこと。
一人の僧侶が城を訪れた。
毛利元就様からの密使だった。
人払いをし二人きりになると、僧侶は静かに一枚の書状を差し出した。
そこには元就様直筆の言葉が記されていた。
内容はあまりにも甘く、そして危険な響きを持っていた。
わたくしが毛利方に寝返るのであれば、安芸国で毛利家に次ぐ地位を約束するという。
「……元就様は、わたくしに主君を裏切れと申されるのか」
わたくしの声が震えた。
僧侶は表情一つ変えずに答えた。
「主君を弑した晴賢こそが裏切り者。元就様は亡き義隆様の無念を晴らすため立ち上がられたのです。どちらが真の忠義か、お分かりのはず」
その言葉が、わたくしの胸に重く突き刺さった。
忠義とは何か。
正義とは何か。
わたくしの苦悩は、この日からさらに深い泥沼へと、はまっていくことになる。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
第八章、第一話いかがでしたでしょうか。
毛利と陶。二つの巨大な勢力の狭間で板挟みとなる桂元澄。彼の苦悩がこの物語のテーマとなります。
さて、元就からの甘い誘い。しかし事態は、元澄に考える暇を与えません。
次回、「二人の主君」。
今度は陶晴賢から、非情な命令が下されます。
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