宮尾城、厳島の囮 第1話:嵐の前の静けさ
作者のかつをです。
本日より、第七章「勝利のための捨石 ~宮尾城、厳島の囮~」の連載を開始します。
今度の舞台は、日本三大奇襲戦の一つ、「厳島合戦」。その、知られざる前哨戦です。主人公は、神の島、厳島で平穏に暮らしていた青年、勘助です。
※この物語は史実や伝承を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
安芸国、厳島。
神の島と呼ばれるこの島は、いつ訪れても穏やかで美しい場所だった。潮の香りと松の木の匂い、そして海に浮かぶ朱塗りの壮麗な社殿。
俺、勘助はこの島の生まれだ。父の代から厳島神社に仕える神人の家系で、戦とは無縁の暮らしを送ってきた。俺たちの仕事は社殿を清め、神事の手伝いをし、神に祈りを捧げること。血なまぐさい戦など、この神聖な島で起こるはずがないと誰もが信じていた。
だが、天文二十四年(一五五五年)。この神聖な島にも、戦の不穏な影が忍び寄ってきていた。
安芸の毛利元就様と、周防の陶晴賢。
かつては同じ大内家の重臣として肩を並べていた二人の傑物が、今や中国地方の覇権を巡って激しく対立しているのだ。
晴賢は主君である大内義隆様を弑し、事実上大内家を乗っ取った男。その勢いは旭日のごとし。一方、元就様はその晴賢の謀反を許さず、反旗を翻した。だが兵力では圧倒的に不利だという。
どちらが正義でどちらが悪か。俺のような下々の者にはわからない。だが、戦になればこの厳島も無事では済まないだろう。
島は毛利と陶の領地のちょうど中間に位置している。海路の要衝でもあり、どちらの勢力にとっても決して無視できぬ場所なのだ。
「おい、勘助。また本土の方を見てるのか。難しい顔をしやがって」
声をかけてきたのは、幼馴染の庄太だった。俺と同じ神人の家系だが、俺とは違い物事を深く考えない陽気な男だ。
「ああ。なんだか胸騒ぎがするんでな。近頃、本土から怪しい船がよう来るだろう」
「考えすぎだ。ここは神の島だぞ。ここで戦なんて起こしたら、神罰が下るさ。それより、今日の仕事が終わったら一杯どうだ?」
庄太は屈託なく笑った。
だが、俺の不安は消えなかった。
近頃、本土から毛利家の家臣たちが頻繁に島を訪れている。彼らは神社の神官たちと何か密談を交わし、島の地形を熱心に調べては帰っていく。特に、本土を一望できる宮ノ尾の丘のあたりを何度も行き来している。
何か大きなことが起ころうとしていた。それは間違いなかった。
俺は穏やかな瀬戸内の海を見つめた。
この美しい海が血で赤く染まる日が来なければいいが。
俺のささやかな祈りは、やがて来る大きな時代のうねりの中にかき消されていくことになる。俺も、そしてこの島も、逃れることのできない壮絶な運命の渦へと巻き込まれていくのだ。
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第七章、第一話いかがでしたでしょうか。
戦とは無縁だった一人の若者の視点から、歴史の大きな転換点が始まります。彼の運命は、毛利元就の壮大な計画に翻弄されていくことになります。
さて、平穏な島に、ついに元就の命令が下されます。
次回、「捨石の城」。
勘助は自らの手で、戦の礎を築くことになります。
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