鏡山城、最初の謀略 第5話:疑心暗鬼の種
作者のかつをです。
第一章の第5話です。
今回は、情報戦の恐ろしさを描きました。直接的な戦闘よりも、人の心を蝕む「噂」の方が、時に大きな武器となります。叔父と甥の間に生まれる、不信の連鎖を感じていただければ幸いです。
※この物語は史実や伝承を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
密書が渡ってから数日。
大内軍の陣では、奇妙な噂が流れ始めた。
「おい、聞いたか。鏡山城の蔵田直信様が、こちらに寝返るらしいぞ。昨晩、毛利様と密会していたのを見た者がいるとか」
最初に誰が言い出したのかはわからない。だが、その噂は尾ひれがついて、あっという間に陣中へと広がっていった。
これも、毛利様の策の一つだった。俺たち足軽は持ち場に着くとき、わざと城に聞こえるような大声でその噂話をした。
「直信様が味方になれば、この戦、楽勝だな!」「ああ、これでやっと故郷に帰れるってもんだ!」
城壁の向こうの敵兵の耳に、この噂を届けるために。最初は半信半疑だった俺たちも、何度も口にするうちにまるで本当のことのように思えてきた。人の噂とは、恐ろしいものだ。
そして、その策は効果てきめんだった。
◇
鏡山城の城主、蔵田房信は家臣たちから報告を受け、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「敵陣で、叔父上が内通しているとの噂が流れている、と?」
「はっ。城下の者も耳にしております。大内方に寝返れば、城主の座を約束された、などと……」
馬鹿馬鹿しい。敵の離間の計に決まっている。叔父上が、この城を裏切るはずがない。誰よりも父上を敬愛していた人なのだから。
だが、房信の心に一度芽生えた疑いの種は、消えることはなかった。
そういえば、近頃の叔父上の言動はどうもおかしい。何かと、わしのやり方に文句をつけてくる。あれは、わしを城主として認めていないということの表れではないのか。
まさか、本当に……? あの密書の噂は、まことなのか?
房信は、叔父の直信が守る持ち場を、それとなく見回るようになった。家臣にも、叔父上の動向に気を配るよう密かに命じた。
その、疑いの眼差しに、直信もすぐに気が付いた。
(甥め、わしを疑っておるのか……!わしがどれだけ蔵田家に尽くしてきたか、知りもせぬくせに! やはり、若造に城主は早すぎたのだ!)
直信の心にも、甥への不信感が芽生える。あの密書のことは誰にも話していない。だが、ここまで疑われるのなら、いっそ本当に大内と手を結んだ方が、この城のためになるのではないか。
こうして、かつては固い絆で結ばれていたはずの叔父と甥の間に、目には見えない深い溝が刻まれていった。
歯車が、少しずつ狂い始めていた。
すべては、丘の麓の陣幕にいる、あの若き武将の思惑通りに。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
密書と噂。この二段構えの策により、鏡山城の最大の強みであった「人の心の結束」は、内側から静かに、しかし確実に崩壊し始めていました。
そして、追い詰められた叔父・直信は、ついに最後の一線を越える決断をします。
次回、「裏切りの決断」。
物語は、クライマックスへと動き出します。
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