鏡山城、最初の謀略 第4話:偽りの密書
作者のかつをです。
第一章の第4話をお届けします。
毛利元就が放った謀略の第一手、「密書」。この一本の矢が、どのように人の心を揺り動かすのか。今回は、密書を受け取った蔵田直信の視点も、少しだけ交えて描きました。
※この物語は史実や伝承を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
その夜、毛利様の陣幕には深夜だというのに煌々と灯りがともっていた。どうやら、ご自身で文を書いておられるらしい。俺が入り口で警護をしていると、やがて中から元就様が出てきた。その手には、一通の巻物が握られている。
「弥平と申したか。お主、口は堅いか?」
いきなり名を呼ばれ、俺は心臓が飛び跳ねるほど驚いた。いつの間に、俺のような足軽の名を。
「は、はい! 某、生まれつき口は重いと評判で!」
俺がどもりながら答えると、元就様はふっと笑った。その笑みは、張り詰めた陣の中ではどこか場違いなほど穏やかに見えた。
「案ずるな、何もお主に密書を届けよと言うわけではない。ただ、今宵のことは他言無用ぞ。よいな」
「ははっ!」
そう言うと、元就様は闇の中から現れた一人の忍びのような男に、その巻物を手渡した。「頼んだぞ。必ず蔵田直信の手元に渡るようにな。誰にも気づかれるでないぞ」
男は無言で頷くと、獣のような俊敏さで再び闇の中へと消えていった。まるで、最初からそこに誰もいなかったかのようだった。
◇
その頃、鏡山城の一角。
蔵田直信は自室で、苛立ちを隠せずにいた。また、甥の房信に諫言を退けられたのだ。「叔父御の気持ちはありがたい。だが、守りは万全です」と、あの若造は言った。このわしがどれだけこの城のために尽くしてきたか、知りもせぬくせに。先代の御当主様であれば、わしの言葉にもっと耳を傾けてくださったものを。
その時だった。文机の影に、それまでなかったはずの一通の文が置かれていることに気が付いたのは。直信は驚き、周囲を見回すが誰もいない。一体、いつの間に。背筋に、冷たい汗が流れた。
恐る恐る、その文を手に取った。封はされていない。そこに書かれていたのは、信じがたい内容だった。
差出人は、大内軍の総大将。
「――貴殿の武勇と知略、かねてより聞き及んでおる。今の若き城主の下では、その才、宝の持ち腐れであろう。もし、我らに内応し城門を開けるならば、この鏡山城は貴殿にお譲りすることをお約束する」
直信は息を呑んだ。全身の血が逆流するような感覚。
馬鹿な。罠だ。敵の浅はかな策に決まっている。
そう、頭ではわかっている。だが、「城主」という甘美な響きが、彼の心の奥底に眠っていた黒い野心をちくりと刺激した。俺が、城主になれば。この城は、もっと強くなる。房信のような若造に任せてはおけん。
彼は誰にも見られぬよう、その文を燃える炭火にくべた。紙はあっという間に黒い灰と化した。だが、その文に書かれていた言葉は、灰になってもなお彼の脳裏に黒々と焼き付いて、離れなかった。
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権力への野心は、時に忠誠心や血の繋がりさえも、いとも簡単に断ち切ってしまいます。元就は、その人間の弱さを冷徹なまでに計算していました。
しかし、元就の策はこれだけでは終わりません。彼はさらに狡猾な手を打ちます。
次回、「疑心暗鬼の種」。
城内に、不穏な噂が流れ始めます。
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