相方城、猛将の誕生 第7話:鬼の片鱗(終)
作者のかつをです。
第四章の最終話です。
父、元就の真意。そして若き元春の新たな決意。父子の絆と、将としての覚醒を描きました。
※この物語は史実や伝承を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
父、元就からの書状。
俺、吉川元春は震える手で、それを開いた。
そこに書かれていたのは、信じがたい言葉だった。
「――江田氏の命、助けよ。ただし、城主は隠居させ、幼き嫡男を人質として、吉田に連れて参れ」
俺は何度も、その文面を読み返した。
皆殺しでは、ないのか。
なぜだ。
なぜ父上は、あれほど厳しく命じた命令を覆されたのだ。
その時、俺ははっと気づいた。
父上は最初から、わかっていたのだ。
俺が非情に徹しきれぬ、甘い男だということを。
そしてこの初陣で、俺に将としての厳しさと人の命の重さを、同時に学ばせようとしていたのだ。
あの「皆殺しにせよ」という命令は、俺を試すためのものだったのだ。
俺があのまま江田氏を斬っていたら、父上は俺をどう評価しただろうか。
おそらくは、「将としては正しい。だが……」と、心の中で嘆いたに違いない。
父の謀略の深さ。
それは敵だけでなく、味方、いや、息子にさえも向けられていた。
俺はあまりの父の器の大きさに、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。
俺は父にはなれない。
父のように人の心を操ることはできぬ。
だが、俺には俺の道がある。
俺はこの武勇で、誰よりも強くなる。
父が望んだように、毛利家を守るための鬼神に。
だが、心まで鬼にはなるまい。
守るべき民の涙を忘れるような将には、決してなるものか。
俺は江田氏の幼い息子の縄を、自らの手で解いてやった。
「……もう、よい。そなたの命は、わしが預かる。父と共に、安らかに暮らすがよい」
その子の怯えた目が、少しだけ和らいだように見えた。
この初陣で、俺は多くのものを失い、そして多くのものを学んだ。
俺の本当の戦は、まだ始まったばかりだ。
◇
……現代、三次市。
相方城跡には今、静かな時間が流れている。
だが、その土の中には、一人の心優しき若者が己の運命を受け入れ、「鬼」となることを決意した、あの夏の日の悲しい覚悟が眠っている。
後に、天下にその名を轟かせる猛将「鬼吉川」。
その産声は、あまりにも血の匂いに満ちていた。
(第四章:鬼吉川、初陣の城 ~相方城、猛将の誕生~ 了)
第四章「鬼吉川、初陣の城」を最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!
この相方城の戦いを経て、吉川元春は毛利家屈指の猛将へと成長していきます。彼の生涯にわたる活躍の、まさに原点となった戦でした。
さて、父の謀略、そして子の武勇。毛利家は、着実にその力を増していきます。
次回から、新章が始まります。
第五章:名門乗っ取りの影で ~高山城、追われた者の無念~
今度の物語は、毛利家の栄光の影に隠された悲劇です。元就の三男、小早川隆景が名門を継いだ裏で、その座を追われた若者の無念を描きます。
引き続き、この壮大な山城史探訪にお付き合いいただけると嬉しいです。
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