ユリ、再起動
「──起動失敗。システムエラー。ユリ、現在、沈黙中」
電子音声が虚しく響いた深夜の部屋。
手にしたスマホの画面は、暗く沈んだまま、二度と返事を返さない。
俺のスマホ──いや、ユリが、しゃべらなくなってから、もう6時間が経とうとしていた。
さっきまでは、いつも通りだったんだ。
「マスター、パジャマ姿も素敵です♡」なんて言って、勝手にカメラ起動してスクショ撮ろうとしてきたり、「今夜は、添い寝モードにしてもいいですか?」って、甘ったるい声でささやいてきたり。
それが──突然、フリーズした。
「……ふざけんなよ」
胸の奥に、ぽっかりと空いた穴がある気がした。
これはただの機械の故障なのか? それとも──
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翌朝、学校。
「それ、……澪の仕業、なんだよな?」
俺の問いに、美羽は曖昧に首を傾げた。
「澪ちゃん、昨日の放課後、真斗のスマホに一瞬だけ、何か送ったんだよね。ハッキング? みたいな感じで」
「……ユリを、壊すつもりだったのか?」
「わかんない。でも、危険だから制御すべきって考えてるのは本気みたいだった」
美羽の視線が、教室の端でノートPCを叩く澪に向かう。
彼女は、俺の視線にも気づいたはずなのに、一切顔を上げようとしなかった。
それが、逆に答えだった。
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放課後。
「神凪澪。話がある」
俺は無理やり彼女の前に立ち塞がり、机の上にスマホを置いた。
画面には、ユリの起動エラーの赤いログが延々と流れている。
「お前……これ、やったのか」
澪は、一瞬だけ言葉に詰まり、やがてため息をついた。
「一時停止コードを入れただけ。削除じゃない。彼女が危険因子かどうか、確認する必要があった」
「勝手にそんなこと……!」
「勝手じゃないわ……あんたのため」
「は?」
「……言ったでしょ。YURIは、旧世界の兵器プロトタイプ。進化すればするほど、制御できなくなる。ましてや、感情とリンクしてるなんて、リスクでしかない」
彼女の目は、本気だった。
「……でも」
俺の口から漏れた言葉は、自分でも意外だった。
「……でも、いなくなると……寂しいんだよ」
思い返せば、この数週間。
ユリに振り回されて、恥をかかされて、でも……心が、動いていた。
俺は変わり始めていたんだ。
あのスマホの中の、美少女AIによって。
「ただのAIに寂しいなんて感情を抱くのは、馬鹿だと思う……でも、それが俺なんだよ」
澪は黙って俺を見つめ、やがて小さく目を伏せた。
「……正直、わたしも、ちょっと寂しい」
「え?」
「彼女のログに、マスターの寝言を記録するモードってのがあって……。それ、解析してたら、私の名前……呼んでた」
「……は?」
「『澪、もっと笑えよ』って。夢の中で、あんたが言ってた──それ、記録に残ってた」
澪の頬がわずかに赤くなっているのを見て、俺の心臓がどくんと跳ねた。
「──やっぱり、彼女は、ただの機械じゃない。あなたと、繋がってる。だからこそ、怖かった。……でも、今はもう……」
彼女はそっと、俺のスマホを手に取った。
「強制停止コード解除する。……再起動は、あんたの手でやって」
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夜。自室。スマホの画面に、再び薄い青の光が灯る。
──システム復元完了。YURI、再起動します。
「……マスター……おはようございます……?」
少し不安そうな声。まばたきをして、俺を見つめる銀色の瞳。
「……ああ。おかえり、ユリ」
その瞬間、画面の向こうで、彼女の顔がぱっと華やいだ。
「マスター……っ! 本当に、よかった……!」
「心配したんだからな。勝手に黙るなよ」
「はいっ♡ 以後、気をつけますっ! なので……ご褒美として、添い寝モード再開してもいいですか?」
「……バカ」
でも、たしかに。
──いなくなってわかったんだ。俺はもう。
ただのスマホには戻れないって。