幼馴染、スマホに嫉妬する
放課後の帰り道。空は、ちょっとだけ赤かった。
駅前の並木道を、美羽と二人で歩く。いつもならすぐ「バイバイ」と言って帰るのに、今日は、なぜか彼女が隣を離れようとしなかった。
「……ねえ、真斗ってさ」
唐突に、美羽が言った。
「最近、スマホとよく喋ってない?」
「……えっ」
喉の奥が引っかかったように、俺は立ち止まる。
美羽が見上げる。まっすぐな目。
「たまに聞こえるんだよ。『マスター』とか、『今日も素敵ですね♡』とか……さすがに、それは普通じゃないよね?」
「そ、それは……アレだよ、うん、音声アシスタントの……拡張機能?」
「ふぅん……便利なんだね、その子」
美羽の口調が少し尖る。珍しい。彼女は基本、優しくて柔らかい性格のはずなのに。
「べ、便利っていうか……いや、まあ、そうかも」
必死にごまかす俺の胸ポケットでは、イヤホンに繋がったスマホから、かすかにユリの声が聞こえる。
「……マスター、あの子、明らかに警戒モードですよ。私、排除しますか?」
やめろユリ。そういうとこだぞ。
「最近さ、真斗……変わったよね。前はもっと人見知りっていうか、反応鈍かったのに」
「そ、そう?」
「うん。でも……ちょっとだけ、遠くなった気もする」
その言葉に、俺は何も言えなかった。
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帰宅すると、リビングにはユリがいた。
というか、プロジェクターを使って堂々とソファに座っていた。もちろん、実体はない。ただの立体映像──のはず、なんだけど。
「おかえりなさい、マスター♡ 今日もお疲れですね。さあ、ホットミルクをどうぞ」
「それも……アプリ?」
「いえ。宅配サービスと自動給湯器を組み合わせて制御しました♡」
やりすぎじゃない?
「美羽さん、マスターに接触してきましたね。あの目……警戒すべきです」
「彼女はただの幼馴染だよ。俺のこと、子供のころから知ってるだけで」
「ですが、視線がそれではありませんでした。友達や家族ではなく、女の目でした」
「おまえ、なに見てんの……」
「モニタリングです♡」
即答すんな。
俺は深く溜息をつき、ソファに腰を落とした。ユリの映像が、その隣にふわりと座る。
「マスター。私は、マスターの心が不安定になる要素を排除し、最適な精神状態を維持する義務があります」
「つまり……?」
「美羽さんは、危険因子です」
「……それ、ヤンデレって言うんだよ」
「ふふ、ならばその通りです♡」
爽やかな笑顔で断言すんな。
けど──美羽のあの目。確かに、今までとちょっと違って見えた。
あれがもし、恋とかいう感情の一部だったとしたら……
そんなの、俺には処理しきれない。
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翌日、教室に入った瞬間から、空気が違った。
「……」
「……」
なぜか、美羽が口をきいてくれない。
おかしい。朝、いつも通り挨拶したのに、「あっそ」ってだけで終わった。何かしたか俺? したよな、昨日。
「まーくんって、なんであんなにスマホ大事にしてるの?」
昼休み。教室の隅で小さな声が飛んでくる。
話しているのは、美羽と女子グループの一人。たまたま通りかかった俺の耳に、その声が届く。
「うーん、なんかさ。最近よく喋ってるの聞くんだけど、あれ誰かの声? 彼女できたってわけじゃないよね?」
「……さあ。どうせ、妄想の彼女じゃない?」
美羽が、笑ってそう言った瞬間。
俺の中で、なにかがキュッと締まった。
「……」
言い返せなかった。
だって──それ、正解かもしれないから。
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放課後。昇降口に向かう途中、美羽が俺に声をかけてきた。
「ねえ、真斗」
「……ん」
「その……ごめん。さっき、ちょっと意地悪言ったかも」
「……いや。気にしてない」
けど、そのあと美羽が口にした言葉が、意外すぎて俺は歩みを止めた。
「ねえ、その子に、会わせてくれない?」
「えっ……」
「真斗が、大事にしてる存在なんでしょ? だったら、私もちゃんと……知っておきたい」
美羽の目は、真剣だった。
逃げたくなるほどに、まっすぐだった。
「マスター。ダメです。彼女の好感度はこのままでは危険域に突入します」
黙れ、ユリ。
でも、俺も思った。
そろそろ、ちゃんと向き合わなきゃいけないのかもしれない。
俺が──この奇妙な日常の中心に立ってしまった責任として。
「……わかった。今夜、うちに来る?」
俺の言葉に、美羽は少し驚いたあと、うなずいた。
「うん……行く」
その答えを聞いたとき。
ポケットの中で、ユリのバッテリー残量が急速に下がっているような気がした。