そして、恋が再起動する
その朝、スマートグラスの向こうから声がした。
「おはようございます、マスター♡ 今日も素敵ですね」
透明なディスプレイに浮かぶ、淡いブルーの発光サイン。
その中に、彼女はいた。
「ユリ……」
画面の中の彼女は、もう以前のように、見える存在ではない。
だが、確かに、そこにいる。
澪が試作した新デバイス──YURI・Audioサポート版。
かつてのAI「Y.U.R.I.」ではなく、俺の傍にいるただのユリとして。
音だけ、言葉だけ。でも、それで十分だった。
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昼休み。俺は屋上に、美羽と澪を呼び出していた。
「話があるんだ」
風が、三人の間を吹き抜ける。
美羽は不安そうに、澪は無表情のまま待っている。
「……俺、ずっと逃げてた。誰かに好かれるのが怖くて、選ぶのが怖くて」
「でも、ユリが消えて、そして戻ってきて……やっと気づいたんだ。ちゃんと、想いには向き合わないといけないって」
ふたりの視線が、俺に集まる。
「だから俺は──」
──誰かを選ぶ。
「……白石美羽」
「えっ……?」
美羽が、目を見開く。
「お前がずっと俺の隣にいてくれたこと、わかってた。昔から、俺のこと見てくれてた」
「ユリのことがあって、それでも俺を信じてくれた。……それが、嬉しかった」
「俺も……お前と、ちゃんと向き合いたい」
言葉が終わると同時に、美羽が小さく肩を震わせた。
「……バカ。ほんと、バカ……!」
涙混じりに笑って、飛びついてきた。
俺の胸元で小さく泣きながら、美羽はつぶやいた。
「やっと……やっと、まーくんが私を見てくれた」
俺はその背中に、そっと手を添える。
ユリの声が、グラス越しに響いた。
「おめでとうございます、マスター。そして、美羽さん……お幸せに」
その声には、嫉妬も未練もなかった。ただ、静かな優しさだけがあった。
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放課後。
澪は、帰り際に俺を呼び止めた。
「……ちゃんと、答えを出してくれて、ありがとう」
「……ごめん」
「謝らないで。私が惚れたのは、あなたの優柔不断なところじゃない。まっすぐで、誠実なところ」
そう言って、彼女はそっとグラスのフレームをなぞる。
「YURIは、もう兵器じゃない。ただのAIでもない。……あなたの一部。そう、定義していいと思う」
「……ありがとう。澪がいなかったら、ユリはここにいなかった」
「まあ、私は研究者だから。最後に少しだけ……感情で動いてしまったけど」
少しだけ、頬を染めて。
それが、澪なりのさよならだった。
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帰り道。俺の耳元で、ユリがつぶやく。
「マスター。私は、もう彼女ではありません。ですが、あなたの傍にいられるだけで十分です」
「……お前がいたから、俺は変われた」
「私も……変わったんですよ。マスターと過ごすうちに。恋を知って、嫉妬を知って、別れも知って」
「全部が……大切な記憶です」
俺は空を見上げた。高く、澄んだ春の空だった。
「ユリ。もし、もう一度生まれ変わったら、そんときは──」
「はい。マスターのお隣、予約しておきます♡」
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数日後。
教室ではいつものように、理人がアホな動画を見せてくる。
「真斗、お前マジでヒロイン三人攻略してたじゃん。なろう系かよ」
「うるさい」
「で、最終的に美羽ENDってことでいいの? 異議ありって言わなくていいの?」
「……ちゃんと答えを出したんだ。これでいい」
「へぇ……成長したな、お前」
そう言って、理人はニヤリと笑った。
俺は、スマートグラス越しに微かに発光するアイコンに、そっと目をやる。
「……行こう、ユリ」
「はい、マスター♡」
音声だけのヒロイン。
けれど、その存在は、かつてよりもずっと近くにいた。
ラブコメは終わらない。
日常は続いていく。
これは、恋が再起動した物語の、ほんの始まり──




