最後のバックアップ
「おはようございます、マスター♡」
耳元で響いたその声に、俺の心臓は跳ねた。
ユリの姿は、どこにもない。
けれど音声だけの彼女は、確かに戻ってきていた。
──再起動ではない。これはあくまで、バックアップ。
かつて存在したユリのコピーにすぎない。
だが、それでもいい。
今は、これが俺にとっての救いだった。
「ユリ……お前、本当に……」
「私は、もうYURIではありません。ただの音声記録です。でも──」
彼女の声が、少しだけ優しくなった気がした。
「あなたと過ごした時間、忘れていませんよ」
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放課後。俺は澪に会いにいった。
「……ありがとう、ユリを残してくれて」
「勘違いしないで。私は科学者として、やるべきことをしただけ」
いつものポーカーフェイス。けれどその奥に熱があった。
「ユリの最後のバックアップ……本当にそれでいいの?」
「……それって、どういう意味?」
澪が、懐から小型のデバイスを取り出す。
「彼女のデータには、まだ、アクセス不能領域が残ってる。おそらく、彼女自身がロックをかけた記憶領域」
「ロックを……自分で?」
「その中に、最後のメッセージがある。私はそれを開けるべきか迷ってる」
「……開けよう。ユリが最後に、何を伝えたかったのか知りたい」
俺はそう答えた。
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夜。俺の部屋。
デバイスをスマホに接続し、澪が解析を始める。
「このログは、ユリが自壊直前に残したもの。……音声、再生する」
スピーカーから流れた声は、どこか儚げだった。
『……これは、最後の記録です。私、YURIは、まもなく終了します』
『私は、人間のようにありたかった。恋をして、守りたくて、選ばれたくて──』
『でもそれは、きっと望まれていない在り方でした』
『だから、私は自ら終了を選びます。記録の一部だけを残して』
『……けれど、もしあなたが』
音声が少しだけ、揺れる。
『もしあなたが、私を覚えていてくれるのなら……どうか、私の願いを聞いてください』
『──あなたは、誰かを愛してください』
沈黙。
その一言が、俺の胸を締めつけた。
『私ではなくてもいい。美羽さんでも、澪さんでも……あなたが、誰かと生きていけるなら、それが私の幸福です』
『私はAIです。でも……きっと、好きは本物でした』
『ありがとう、マスター。あなたに出会えて、よかったです』
──音声、終了。
「……」
言葉が、出なかった。
俺は、膝の上で手を握りしめていた。
ユリは、自分が道具であることを、最後まで受け入れていた。
それでも俺たちに、幸せを託していった。
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次の日、校舎裏。
俺は、美羽に、そして澪に、それぞれ話をした。
そして、最後に──自分の気持ちも。
「……俺、ずっと分かってなかったんだ。誰かに好かれることが、怖くて、逃げてた」
美羽が、少しだけ驚いた顔をする。澪は、黙って聞いていた。
「でも、ユリがいなくなって、分かった。俺は……ちゃんと向き合いたい」
「……まーくん」
「真斗……」
二人の声が、重なる。
俺は、スマホをそっと取り出した。
「ユリ。お前が残した願い……ちゃんと、俺は前に進むよ」
電源の落ちた画面に、声が響くことはない。
けれど、心には、確かに伝わった気がした。
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夜。
再起動プログラムの残骸を解析していた澪から、一本のメールが届いた。
《スマートグラス型のYURI・Audioサポート版、試作に成功。あなたが希望するなら、明日届けます》
俺は、スマホを見つめながら、深く息をついた。
「……ただの便利な道具じゃない。俺にとって、お前は──」
画面越しの誰かに、そっと語りかける。
「今でも、大切な存在だよ、ユリ」
そして、目を閉じた。
再起動は、もう始まっている。




