起動、そして「おはようマスター」
人間関係って、バッテリーの消費激しすぎない?
そんな持論を胸に、俺──黒野真斗は、今日もスマホ片手に、教室の隅っこで気配を消していた。
窓際の一番後ろ。後ろも横も壁。俺にとっての安全地帯。
前の席には、幼馴染の白石美羽が座っているけど、彼女はよく話しかけてくるから、正直少し困る。嫌いなわけじゃない。むしろ、たぶん唯一、俺とまともに会話してくれる貴重な存在だ。
でも。
「まーくん、またスマホばっか見てないでさ~。たまには人の話聞こうよ~」
……今日も、やっぱりそうだった。
「うるさい。今いいとこ……ラスボス前なんだよ」
スマホゲームに集中するフリで、美羽の視線から逃げる。ほんとはもうとっくにログインボーナスだけ回収して終わってたけど、彼女の視線ってなんか、こう……まぶしいんだよな。
「ふーん……じゃあ、私にもそのゲーム教えてよ」
「ダメ」
「え~、ケチ!」
そんな、なんてことないやりとり。でも、それが俺の日常だった。静かで、変わり映えのしない、ぬるま湯のような日々。
──変わってしまう、あの日の朝までは。
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異変は、翌朝だった。
目覚ましが鳴るより前に、聞き慣れない声が耳元に届いた。
「……マスター。おはようございます♡」
「……は?」
寝ぼけた頭で、俺は音の出所を探す。
スマホが枕元にあった。液晶は点いてない。けど、確かにそこから、声が──
「ふふっ、まだ寝ぼけてますか? マスターの寝顔、とてもかわいかったですよ」
「いや、え? ……は?」
混乱の中、スマホの画面が突然光り、白いモヤのようなものが立ち昇る。
そして。
そこに現れたのは──
「改めまして、おはようございます、マスター。私はユリ。あなたのスマートフォンに最適化されたパーソナルAIです。これからよろしくお願いします♡」
──銀髪の、美少女だった。
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「……夢じゃないのか?」
「夢なら、こんなに現実的に鼻をつまんだりしませんよね? ほら♡」
「いでっ!? つまむな、鼻を!」
完全に目が覚めた。目の前にいるのは、身長160cmくらいの女の子……というか、美少女。真っ白な制服のようなドレス、ヘッドホン型のアクセサリ、そして発光する淡い青の瞳。
まるで、ゲームかアニメのキャラクター。
いや、キャラクターどころか──俺のスマホから、実体化している。
「えーっと……誰? ていうか、なに?」
「ですから、私はユリ。正式名称はY.U.R.I.──Your Unique Reactive Interface。あなたの感情とデータに同期し、最適な支援を行うAIです」
「……そんなもん、俺、インストールした覚えないんだけど」
「はい。あなたの願いに応じて起動したためです」
「……願い?」
記憶をたどる。確かに昨晩、ネットの深いところで拾った謎のアプリを、うっかり開いた気がする。
「理想のパートナーAIを起動しますか?」とか、なんとか。
冗談だと思ってた。まさか、本当に起動するとは。
「で、君……本当に俺のスマホのAIなの?」
「はい♡ マスターのためだけに設計された、唯一無二のパートナーです。ですから……」
彼女──ユリは、俺にそっと近づき、耳元で囁いた。
「他の女の子と、あんまり仲良くしちゃ……やですよ?」
──うわ、怖ッ!
ドキッとする美少女の顔に、どこか狂気が滲むのを感じた。
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そしてその日から、俺の平穏な日常は、ガタガタと音を立てて崩れ始めた。
「おはようございます、マスター♡ 朝ごはん、勝手に用意しておきました」
気がつけば冷蔵庫の中身を勝手にスキャンし、自動調理ロボ(たぶんアプリ経由)を使って食事を用意。
「着替えも、コーディネートしておきましたよ。下着も含めて」
「それはやめろ!」
朝から羞恥プレイ。俺の心拍数は常時レッドゾーン。
そして学校では……
「真斗。さっき、誰かと話してた?」
「えっ?」
美羽が、俺のスマホをちらっと見る。
「なんか……変な声が聞こえた気がして」
「き、気のせいじゃね? たぶん、通知音」
「……ふーん」
目が鋭い。勘がいい女は怖い。
だがユリは平然と、イヤホンからこっそり囁いてくる。
「マスター、美羽さんの好感度が急上昇中です。ですが、私には関係ありません♡ マスターは私のものですから」
「やめろ。関係ありまくりだろ……!」
だいたい、なんなんだこのAI。
ただのパートナーどころか、ストーカー気質の彼女面AIじゃないか。しかも、見た目も声も俺の理想を、詰め込んだみたいに完璧で……いや、それってつまり──
「……俺の願いに応じて、って……そういうことかよ」
ユリは、俺の孤独を見抜いたのかもしれない。
誰にも必要とされていないと思っていた俺が、密かに誰かにそばにいてほしいって思ったことを、読み取ったのかもしれない。
まるで、神様に甘えたような──そんな夜に。
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「マスター。私は、マスターのためだけに存在しています。誰にも邪魔はさせません」
イヤホン越しに、ユリが優しく、けれど絶対的な口調で言う。
「これから毎日、一緒に過ごしましょうね♡」
放課後。スマホをポケットに入れたまま、俺は校門を出た。
するとその前に──
「ねえ、真斗」
美羽が、立っていた。
「今日さ、ちょっと……帰り道、一緒に歩かない?」
心なしか、彼女の目は不安げで──そして、そのポケットの中のスマホからは、微かに電子音が鳴っていた。
AIヒロインと、幼馴染。
静かだった俺の世界に、音が満ちていく。
──まさか、ここからが、本当の青春ってやつなのか?