第七話 動くということ
「今日は運身からいくぞ」
秋吉師範の言葉に、僕は思わず首をかしげた。
“運身”。聞きなれない言葉だった。準備運動の一種か、くらいに思っていたが、始まってすぐにそれが甘い考えだったと悟る。
まずは足上げ。片足をまっすぐ上げて、静止する。
「脚が上がらない……」
腿の裏がピキピキと悲鳴を上げる。上体がぐらぐらする。
「体がまっすぐじゃない。もっと軸を意識して」
師範の声が飛ぶ。
次はジャンプ。左右、前後に跳ぶ。
地面を蹴る感覚。思っていたよりも、自分の“蹴り”は浅かった。
飛ぶには、まず“沈む”必要がある。体がそれを教えてくれる。
続けて、前転。丸くなって、転がる――はずが、頭から突っ込むような不格好な動きになった。
「もっと背中を使って。地面とケンカするな」
後転、側転。見た目以上に体幹と空間認識を求められる。自分の体がどこにあるのか分からなくなってくる。
「最後、フリー」
師範が言った。
「自分の好きなように動け。制限なし。自由に」
自由に――その言葉に、一瞬、戸惑った。
今までは「正しく動く」ことばかりに意識がいっていた。
“好きなように動いていい”と言われたとき、逆に体が止まってしまった。
そんな中、美波さんが軽やかに動き始めた。
くるりと一回転して前へ、軽く跳ねて後ろへ、地面を滑るように腕を回す。
流れるような動き。型がないのに、整っている。
「風みたいだ……」
思わず口に出た。
僕も、動いてみた。
ぎこちない。でも、怖くない。
上手くなくてもいい。ただ、自分の体が“動いている”という感覚が、嬉しかった。
稽古の最後、秋吉師範が言った。
「自由に動くには、まず自分の体を知ること。運身はその“言語”だ。まだカタコトだが、お前の身体も少しずつ喋り始めてるぞ」
身体が語る言葉。
それは、まだたどたどしい。でも、確かにそこにあった。
“動く”ということは、心を外に向けてひらくことなのかもしれない。
――たなか
こんにちは、たなかです。
第七話では「運身」をテーマにしました。
躰道をやっている方にはおなじみかもしれませんが、足上げやジャンプ、転がる動作など、基本的だけどとても奥が深いものです。
僕自身、運身を通して初めて「自分の体って、こんなに不器用だったのか」と思い知らされました。
でも、それと同時に「それでも動けるんだ」とも思わせてくれる、不思議な時間です。
この話の最後のフリー運身も、僕にとってはひとつの“解放”の瞬間でした。動きは上手くなくても、心は自由になれた。
次回は、運足八法や構えとのつながり、「運ぶ」ということに触れていきたいと思います。
またお会いしましょう!