Vol.7 嘲笑現象<レディーファースト>
凄まじいスピードで飛来した攻撃が、久遠寺の片腕を吹っ飛ばした。
まるで豆腐でも切り分けるように、久遠寺の片腕が空を舞う。生肉が、まな板にたたきつけられるような音が響くのと、凄まじい攻撃の嵐が円形の部屋中をズタズタにするのはほとんど同時だった。
「グッ!」
空気をゴムに変質させて、真後ろに向かって落下するように飛んでいく。
久遠寺は一度、保坂努から距離を取って吹き飛ばされた腕を再生させた。
「回避に徹しているだけでは勝機はありませんが?」
音もなく攻撃に用いられていたそれが巻き取られていく。
一撃で久遠寺の腕を吹っ飛ばした攻撃の正体、円形の部屋をズタズタに引き裂いたそれの正体は、何の変哲もない“糸”だった。
「そう思うなら早く俺をサイコロのように切り刻むがいい坊ちゃん」
「ではそうさせてもらうとしましょうか」
「あぁ、口を動かす前にそうしろ。こんな風にな」
「ッ!?」
直後。保坂の間近で凄まじい爆発が起こった。ここに来るまでのシャッターすら一撃で吹き飛ばした爆発だ。
「……自分の攻撃の威力を過信しすぎるのも考え物ですね」
爆発が巻き起こした煙の中から、声が聞こえてきた。
スーツについた汚れを払いながら、保坂は肩をすくめて笑った。この状況であるにも関わらず、無駄にキラキラしたさわやかな笑顔だった、そこに容赦なく久遠寺のこぶしが突き立てられる。
メリッ! という音を立てながら、久遠寺のストレートがキザなイケメン風の右ほほにぶち込まれていく。
空気のゴムを使った、凄まじい一撃。
原理こそパチンコやゴム鉄砲程度と同じものでしかないがそれを久遠寺の巨体を使って再現すれば話は変わってくる。しかも。
「ッッルォア!」
獣のような雄叫びと共に、精力を乗せた拳が振るわれた。
ロケットランチャーのような威力を生み出した渾身の一撃が、気取ったお坊ちゃん(大人)の顔面を吹き飛ばす。
はずだった。
「!」
「凄まじい威力が出ると思っていたのでしょうが、現実はそううまくいきません」
少し体をのけぞらせただけ。
保坂の身に起こった変化など、たったそれだけだった。
保坂が、拳を握りしめる。反撃が来る。
そして、まるで子供のお遊びのようなスピードのへなちょこパンチが、久遠寺の腹筋に軽く当たった。
「? ゥグァァァアアアッッ!?」
軽い衝撃のはずだった、しかし実際に持たされたのは金属のバットで思いっきりぶん殴られたような衝撃だった、その場でのたうちまわりながら久遠寺は浅い呼吸を繰り返す。
(なんだ……ッ! なんだこの異能性癖は……ッ!)
「……」
「ゥァアッ!」
渾身の力を込めて飛びのいた。保坂がナニカする前に、攻撃の範囲外に逃れる。
「……何が起きたかもわからない。僕と戦った人間の大半は、何もわからずに死んでいく、理解できずに散っていく。貴方もそうなる」
「……フっ」
「……なにか」
「なぁに、ただ、あまりにも浅はかだ、と思ってな」
久遠寺は傷をいやして立ち上がる。
もしも、今ここにいるのが以前までの久遠寺だったならば、なすすべもなく正体不明の能力に蹂躙されていたことだろう。
だが、今ここにいる久遠寺久一は以前までの久遠寺久一ではない。
ある男との戦い、敗北が、久遠寺を、一つ上の領域に進化させていた。
「これは経験則なのだが、メスガキ、オスガキ。これらが好きな者は二種類に分けられると思うのだ」
「聞きましょう。二種類、とは?」
久遠寺は二本指を挙げた、まず一つ……と指をたたんで。
「それらを屈服させるのが好きな人種。理解らせ隊というやつだな」
久遠寺の仲間にも一人、そういうタイプがいる。
小生意気なガキを大人の力で屈服させることに快楽を見出す異常性癖者たち。それが一種類。
そしてもう一種類……と、指を折りたたんで久遠寺は続ける。
「ガキに、負けるのが好きなタイプだ」
「如何やら、全くの素人さんというわけではないようですね」
「小生意気な年下のガキに屈服するのが好き。お前はそういう人種であるようだな」
保坂がゆっくりと語り始める。
「自分の父はジェイルの外にある企業の社長、母は弁護士を務めています。優秀な両親の子供なわけですから、それなりに期待もされてきましてね」
優雅な立ち姿、美しい所作、そして整った顔立ち……。
なるほど、と久遠寺は内心で納得する。
確かに、この無駄に優雅な姿はエリート特有だ。非常に気に食わない。
「そんな人間の行き先がここか。親不孝め」
「全くですね。両親の失望した顔を今でもたまに夢に見ますよ……あれは……」
「あれは?」
「あれは良かった……。全身を駆け抜ける、甘い。甘い電流のような感覚……! 落ちることでしか。貶められて、泥でまみれることでしか、得られない感覚があるッ!」
「エリートゆえのフェチというわけか。なるほど、年下の女の子にみっともなくブザマに敗北する、それがお前のフェチか」
保坂はにやりと笑うと軽くネクタイをほどいた。
首元に楽な隙間を作って息を吐く。
「本来負けるはずのない対象に敗北する事こそ僕の正義なのですよ。弱い攻撃の威力は強く。強い攻撃の威力は弱く。その逆転を引き起こすことが僕の能力」
「……」
「嘲笑現象と、僕はこの異能性癖をそう呼んでいます」
(なるほど……)
直後。ヒュンッ! という音と共に糸が振り回された。
空気を漂う糸は久遠寺の視界のあちらこちらで蛇のように暴れ狂う。
ズパパパパパーン! という音と共に分厚い壁が、床が、天井が切断される。鞭のような速度の攻撃を完璧にかわし切ることができない。
両手足に深刻なダメージを受けながら、久遠寺は苦し気に血の塊を吐きだした。
「所詮は敗北した王の傀儡、この程度ですか。口ほどにもない」
「……随分と、あっさり決めてくれる」
そう言って、久遠寺は無理やり自分の体を起こした。
絶対に折れない。折れるつもりはない。
自分はまだ、まけていない。
ある男との戦いの結果は、久遠寺に刻み込まれている。
繰り返そう。
久遠寺久一は今までの久遠寺ではない。
「無理に立つこともありませんが?」
「……ショータイムはこれからだ、余興の段階で席を立つこともなかろう」
「ジョークにしては笑えませんね。コメディアンとしては三流未満といったところでしょうか」
「その評価、只今より覆して見せよう……」
人が、最も油断するのはいつか……。
(行くぞ久遠寺。覚悟を決めろ)
胸中でのみそう言って、久遠寺は前に進む。
ショータイムは、ここからだ。