第29話 その後の物語
西条定彦は、とある男に完全敗北した。
ジェイルという閉鎖空間を支配する九人の王のうちの一人が、あっさりと撃破された。そんなニュースは尾びれと背びれを増やしながら勝手にジェイルの中を泳いでいく。
「まぁ、定彦の奴はもう王の座席に戻れないだろうな。あそこまで完璧に、ド派手に負けたんだ。そもそも第一位に完敗してる奴の強さに疑問を持つ声はもとからあった」
いい気味だな。と付け加えて笑う月夜は、ベンチに腰かけたまま夜空を見上げた。
雲一つない星空。祭りの夜には相応しい。
ベンチの置かれた場所から少し離れた場所にある通りでは徐々に人が増えてきている。
基本監獄のジェイルにも、楽しい時間はこうしてやってくる。
何だか、そんな事実が、心にはとても信じられなかった。
心は月夜の隣にぼんやり座り込んでいた。かたいベンチにしっかりと座り込んでいるはずなのに、どうも現実感がなかった。
「兎も角、ショタチンクソ野郎はもう居ない訳だ、良かったな。お前も、守もこれにて自由だ」
そう言ってから、月夜は静かに立ち上がった。
マイクロビキニにマント、という格好ではない。オーダーメイドのスーツ姿だ。
「あ、もう行くの……?」
「あぁ。これから王同士の会議だとさ。実に下らないな。変体が集まって何を話し合うのやら……」
「定彦のことじゃないの?」
「おねショタ狂いのイカレ女装男について話し合おうことなんかないだろ。あんなイカレ野郎について話していたらこっちまで狂っちまう。」
「イカレって二回言った!?」
「まぁ、兎も角。オレはこれからお仕事だ。あの無能の定彦が明良なんかに負けたせいでな。まったく、これだから雑魚は……」
「言ってることが滅茶苦茶過ぎる……」
異能性癖者は基本的に頭がオカシイ、狂っていてイカレている。
そんなことを改めて認識した心は、もはや苦笑いを浮かべる事しかできなかった。
「まぁ、そんな具合だ。オレの分も楽しんできてくれ、祭り」
「あ、う、うん……」
「……浮かない顔だな。どうした?」
「いいのかなって……。守と、一緒にいても。だって私のせいで、色々……」
「そこ、今更気にすることか?」
「え?」
「どうでもいいだろ別に」
「……」
「お前の過去にはいろいろあったんだろうが、結局のところ、大事なのは今だ、たとえ過去の段階で何が起きようと、未来に逮捕されようと関係無い。露出と一緒だな」
「違うと思うけど……」
「同じだよ」
「なんか真剣に悩むの馬鹿らしくなってきた……」
意味不明な狂人、異能性癖者たちといると、なんだか自分の存在が途轍もなく小さなもののように思えてきた。
「まぁ……。今はそれでいい」
月夜はそう言うと通りの向こう側を指差した。屋台が並ぶ道がある、そこには、守がいた。目を輝かせて手を振っている。
「行ってやれ。弟が待ってるぞ」
守の腕の中には綿あめの入った袋やウサギのぬいぐるみ、何かの景品と思われる(すこしやすっぽい)おもちゃまで抱えられていた。
祭りを満喫しているらしい、守の斜め後ろでは『巨乳愛』のシャツの明良がボケっと突っ立ている。その姿はジェイルの王と命がけで戦った男と同一人物には見えない。
そういえば、と、心は明良が何故死与太珍教団と戦っていたかも知らないということに思い至った。
目の前にいる月夜なら何か知っているだろうか。そんな気持ちで月夜を見ていると、美少年のような中性的魅力を持つ少女は小さく首を傾げた。
「どうした?」
「少し、わからないことがあって……」
「わからないこと?」
まず、心は明良の方を指差した。
「アレ。何で死与太珍教団と戦ったんだろう……って。あ、もしかして、定彦に変わって王になるため…なんて?」
「それはないな。元第一位のアイツが今更王を目指す動機が分からん」
「そう……って。!? 元第一位!?」
「何だ知らなかったのか? かつてジェイルを完全に支配……いいや、統一した“乳組合”のリーダーがやつだ」
「アイツそんなことやってたんだ……」
「そんでもって、ある日突然失踪したんだ。究極の巨乳女子と出会いたい! とか抜かしてな。おかけでその後のジェイルは大混乱。定彦がかつての第三位に挑んだのはその時期だったか」
「定彦が大暴れしてたのってひょっとしてアイツのせいじゃないのそれ!?」
「まぁ、そんな感じだから。アイツが今更王を目指すなんてことはないだろうな」
「じゃあ尚更何で……。も、もしかして」
「あぁ、あぁ……。乙女っぽい顔してるところ悪いんだがな……。いや、いや。やめよう……」
「え?」
「気になるなら本人に直接聞け。あぁ、うん。そうしろ」
月夜は軽く息を吐くと。
「んじゃあ。オレはこれで……」
とだけ言い残してそのまま歩き去ってしまった。心が止めようとしたころにはもう既に月夜はそこにはいなかった。
「……はぁ」
「お姉ちゃん?」
「おうおう、そんなにへこんでどうしたってんだ?」
向こう側から歩道を通って守と明良が歩いてきた。守の頭をなでつつ、少し迷ってから心は顔を上げて切り出した。
「明良。少し聞きたいことがあるんだけど」
「あ?」
明良はというと、ぼんやりとした目を心に向けた。
「アンタ、どうして死与太珍教団と戦ったの? どうして定彦と……」
「あぁ、それまだ言ってなかったか?」
明良はまるでどうでもいいとでも、もう終わったことだとでも言うようにそう尋ねた。
「もしかしてさ、私たちの……」
「教団が聖書として流布してたショタアンソロジーコミックでよ、アイツ、貧乳キャラの胸をもってたんだ」
「……え?」
頭が、真っ白になった。明良は不思議そうな顔でさらに続ける。
「貧乳キャラを巨乳にすることなんか許されるわけないだろ? なぁ?」
「何それ!? アンタ巨乳好きじゃない!」
「俺は好きだけど、それはそれで、これはこれだ」
もはや、言葉を失うよりほかになかった。もはや言っていることが支離滅裂にすら思えた。
「たった、それだけのために、王相手に……」
微かな心の声に、狂人は笑って答える。
「あぁ、でもまぁ、その結果、お前も、守も救えたんだ。結果オーライだろ?」
「明良……」
「あーあ。これでお前がもっと巨乳だったらなぁ! いうことねぇのにな! 巨乳だったらなぁ!!!」
「はぁ!?」
「おい、巨乳にになれよ心」
「言ってること違いすぎない!?」
「やっぱり貧乳は嫌だ! 巨乳ヒロインこそ至高! 巨乳お姉ちゃんこそ最高だ! 定彦ォ! お前は間違ってないぞ!」
「あ。見てください! 花火ですよ!」
もはや守は聞いてすらいなかった。夜空を指さして尻尾を振り回す、夜空に花が咲いた。
「将来的に巨乳になるショタとみる花火は最高だな! これで隣にいる奴が……ん?」
ヘラヘラした明良に対して心は関節技を決めていく、そして。
「くたばれこの巨乳狂いのクソ変態ッッッッッ!!!!」
「ルゥウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!?」
明良の体を、お菓子の包装でも破るみたいに引っ張った、全身の骨が悲鳴を上げる。
イカレた異能性癖者に天罰が下る。
花火があがる、花が咲く。晴れ渡った夜空に。
空から見た花火は丸く膨らんでいるらしい。まるでおおきなおっぱいのように。
そんな花を見ながら、心は悟っていた。
あぁ、この男は、ここまでやって、どこまで行っても、結局のところ一人の異能性癖者でしかないのだろう……と。
「ありがとう」
「……おう」
そんな小声とその後の声は花火にかき消されていった。