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第27話 夜明け前が一番暗い


「なに……これ」


 状況が分からなかった。目の前に広がる光景はまるでスクリーンの向こう側の景色のようだった。


 白馬心は、城の跡地の中心に佇む男を見ていた。


 立花明良。巨乳をこよなく愛する異能性癖者。それが。


「なんで」


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ! 巨乳を……! 巨乳を! 巨乳をぉぉぉぉおおおおおおおおお!」


 叫び声が響く、それはまるで……。


「……あれじゃあ、まるで……」

「化け物だ」


 言葉の先を月夜が引き継ぐ。


「遅かった、こうなったらアイツを止められる奴なんてジェイルにもそうはいない、第一位か……あるいは……。」


「兎も角、この場を離れる。心、守を背負って逃げられるな?」


 辛うじて残っていた城の壁の裏に身を隠しつつ月夜がそういった。

 心は守をお姫様抱っこのように抱えながら慌てて口を開く。


「ちょっと待って! まさか一人でアレと戦うつもりじゃ……。それに、アイツ、なんであんなことに、確かにアイツは狂人だったけど、なにも、あんな感じじゃ……」


「……。西条定彦と同じことだ」


「え?」


「奴が守という究極のショタによって自身の異能性癖を補強したように、明良もまた外的要因で自分の異能性癖を強化したんだ」


「が、外的要因!? でもアイツは本物の巨乳を目の前にしたら硬直してオットセイみたいになるはずじゃ……」


「本物のおっぱいじゃない。そう、本物である必要はないんだ」

「それって、どういう……」


「風圧さ」


 月夜は、短く、端的にそういった後に付け足す。


「高速道路を走る車の内側から手を出したとき、手のひらにかかる風圧は巨乳の感覚と同じらしいんだ……」


「まさか、それで強化されたって!? でも、いくら何でも風圧が巨乳と同じわけ……」


「忘れたか? アイツは本物のおっぱいを知らない」


「……!」


「そう、奴は童貞だ。本物のおっぱいをもんだことはない……。風圧とおっぱい、突然全身がおっぱいに包まれる感覚に襲われたんだ、童貞が耐えられるはずはない……」


「そんな……じゃあもしかしてアイツは、ずっとこのまま」

「……そうはさせない」


 月夜はそう言うと、一歩前に出た。光の渦に向かって足を踏み出すこと、それがどういうことかわからない心ではない。


 月夜の腕をつかんで、制止する。

「危険です……」


「だが……、ほかに方法は……ッ」


 最後まで言い終わる前に、月夜がその場に膝をついた、強大な異能性癖の使用に、精力が底をつきかけていたのだ。


 白馬心は月夜と明良を交互に見て、静かに立ち上がった。守を壁にもたれるように寝かせて、最後に、そっとほほを撫でた。


「私が何とかします」


「ッ! それこそ無茶というものだ……! 何の力もないお前があそこに突撃してみろ! 死ぬぞ!」

「……守を、お願いします」


 たったそれだけを言い残すのに、随分と長い時間がかかった気がした。

 いいや、その時間は、実際には数秒もなかったのかもしれない。直後、心はもうすでに走り始めていた。


 真後ろで響く叫びも聞かずに、ただ光の渦の中に飛び込んでいく。


「……!」


 刹那、光の中で明良が動き始めた。


 来る! そう認識した時にはすべてが遅かった。


 乳トン。重力の塊が、何の力もない心にたたきつけられ……


「ッ~!!!」


 ることはない。


 心の体の代わりに地面が砕け散った。心は致命傷を回避しながらも衝撃波にあたって床を転がる。

「ぐぅ……! ぅ!」


 咳き込みながらも立ち上がり再び駆け出す。


 しかし無意味。まるで再放送だ。全く同じ光景が再び繰り返される。


 そう、全く同じ。


「乳トンを二度も避けた……だと」


 心は、乳トンを回避している。抗いがたいおっぱいの重力を、二度続けて。


「ッ!!!  ぅああああああああああああああああ!」


 叫びながら心が突き進む、解き放たれる乳トンに吹き飛ばされる心。


 三度目の回避。


 これはもう、偶然という言葉で片づけられる領域ではなかった。


「見てきたんだ……ッ! アンタの戦いの(おっぱいへのおもい)!」


「……。いけるのか……ッ心ッ!」


 地割れを乗り越えて明良の懐に向かって走っていく。


「……ッ!」


 明良が腕を掲げた。瓦礫が凄まじい勢いで飛んでい来る。巨新輪。


 弾丸のようなスピードで空を切り裂くそれを、白馬心は命からがらよけながら


「オォォォォォォオオオオオオオオオおおおおおおおっ!!!!」


 凄まじい雄たけびだった。明良まで残りあと数メートルもない。


「倍十……!」


「させる……ッかぁぁぁぁあああああああああああ!」


 次に叫んだのは月夜だ。


 僅かに、明良の体に氷がまとわりつく。たったそれだけ。しかし、たったそれだけの異能性癖が、たったそれだけのフェチが、決定的なスキを作り出す。


「あきらぁぁぁああああああああああああ!」


 喉が引き裂けんばかりの音量で叫んで、心は明良の手のひらに向かって飛び込んでいく。


 こぶしも握らず、けりを入れるわけでもない。ただ、薄い胸板を、明良の手のひらにぶつけていく。


 巨乳に包まれていた明良の手が現実の貧乳に触れた。





「ッ! はっ……ッ!!」








 まるで電撃を浴びせられたかのように息を吐き出す。

 立花明良が大きく目を見開いた。








 手のひらが、壁に触れた。

 たったそれだけ。

 ただそれだけで、明良の意識が浮上する。偽りの巨乳から、現実の貧乳へ。


「……明良」


「あぁ……ッ。悪かったな……。だが……



「もう大丈夫だ」


 明良は、まっすぐに心を見据えた。何が起きたか、目の前の光景を見ればすぐに察せられた。


「おかえりってとこかしら?」


「あぁ、まぁ……。ただいま……」


「ふ、ふふふ……」


「あぁ、なんかこういうの照れくさいな……」


「いつまで触ってんのよ!」


「いきなり!?」


 顔面にビンタをかまされて、明良は呻きながらも軽く吹っ飛んだ。床に座り込みながらほほをさする。


「信じられん……まさか本当に戻ってくるとは……」


 壁にもたれる形で何とか立ち上がった月夜が、か細い吐息とともにつぶやいた。


「月夜……」


「相変わらずの暴れっぷりだったぞまったく……」


「また俺なんかやっちゃったか?」


「下らんことを言う余裕があるようで何よりだ。もうしばらく暴走して頭を冷やした方がよかったんじゃないのか?」


「暴走状態の方が冷静だとでも言いたいのか?」


「そう聞こえなかったか?」


 月夜がジト目をむけ、そういったとき、どこからか地響きのような音が響いた。


「西条定彦……」


 心がうめくようにそう言った。


「……もういっぺん行ってくる」

「ッ! あ、明良……!」

「……今度は。もう大丈夫だ」


 遠く離れた場所では、紫色の光が天に向かって伸びている。西条定彦のものだと、何となく分かった。

 うろたえる心に、明良は笑顔と共に告げる。


「俺さ、あいつに言いてぇことがまだ残ってるんだ……」

「……」


 心は何も言わない。ただ不安そうに視線を色々なところに巡らせる。


「アンタのことは」


 心はやがて、ゆっくりと口を開く。


「アンタのことは、どうでもいいけど……守が、一緒にお祭りに行きたがってるんだから。絶対戻ってきなさい」



「……あぁ、そうだな。テメェの頼みならともかく、将来的に巨乳になる可能性のある守の頼みなら、そりゃ聞くしかないな」



 明良は、にやりと笑って、心の肩を軽くたたいてから、紫色の光の下に歩いて行く。



 月夜とは、わざわざ言葉を交わさなかった。


 代わりに視線を交わして頷いて、西条定彦のもとに向かってかけていく。





 分厚い雲がいまだなお空を覆い隠している。ただ、夜明けはすぐそこに迫っていた。






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