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第19話 西条定彦

 ビルの一階。大きなロビーには申し訳程度のソファにテーブルが並べられている。


 二階への吹き抜けの階段は無駄に広くて大きい。

 巨大なものを好む明良にとってはそれなりに気に入っているデザインだった。


「外は雨だぞ」


 大きなソファに腰かけた心に明良は後ろから声をかけた。


「みたいね、いっその事雨を浴びてもいいけどね」

「やめろよ、風邪ひくぞ」

「ま、ソレはさすがに冗談だけれど……」

「だよなぁ。近くにやりかねないやつがいるから焦るぜ」

「やりかねない奴って?」


 明良は無言のまま人差し指を突き立てて真上を指さす。

 この上にいるやつだよ。という無言のジェスチャーはしっかり伝わったらしい。心は、一瞬だけ笑うと目を細めて真面目腐ったような表情に変わった。


「え? ホントに?」

「あぁ、大雨の中全裸で散歩に出かけて風邪をひいた女だ。イカレているだろ?」

「まぁ、狂ってる具合で言えばアンタもたいがいだけどね」


「……?」

「自覚ないところがこれまた悪質なのよねぇ」

「意味不明なことを言うのはよせ」

「はぁ……」


 ソファに深く腰掛けたまま、ため息をついた心は、ふと顔を上げた。


「そう言えば、アンタにまだ聞いてなかったことがあったのを思い出したわ」


 心はまるで家にハンカチを忘れたとでもいうような口調でそう言うと一転、真剣な表情で明良と向かい合った。


「あんだよ」


「何でアンタは、死与太珍教団とそうまでして戦うの? それって、もしかして……わ、私たちの」

「あぁ。ソレは……」


 その直後内臓に直接響くような轟音があたりに響き渡った。

 すさまじい振動と共にビルが大きく揺れる。

 反射的に身構えた明良と、はじかれるように立ち上がった心の視線はある一点に注がれる。

 音のした方向。異常事態の発生源、即ち


「ッ!?」

「な、なに!?」


 真上。

 大袈裟なシャンデリアが音を鳴らして揺れる。分かることはただそれのみ。 

 それだけが、異常事態の発生を告げていた。


「ま、まさか……ッ!」


 全身を、寒気のような予感が駆け抜ける。


 この時白馬心の内側は、ある一点に埋め尽くされていた。


 そう、上の階には……命よりも大切な、弟が……


「アナタたちから言えば敵襲ってところ?」


 甘い声がした。爆音の直後には似つかわしくないほどの甘い声。ロビーの中央入り口から悠々と、一人の少女が入ってくる。


 茶色の短髪。鋭い瞳の少女。黒いコートで全身を覆っている。間違いない。


「死与太珍教団!」

「その幹部。キョウコっていうの、よろしくねぇ?」

「下がってろ心ッ!」


 判断はすぐに下された。勢い良く踏み込んだ明良は迷うことなく腕を振りかざす。白い光が渦を巻く。万乳引力。乳トン。岩すら砕き、異能性癖者すら一撃で再起不能にする程の強力な一撃が解き放たれ——


「ふふ」


 しゅるり。という微かに絹がずれる音。そんな小さな音が無駄にやかましく響いた。


「ッ……!?」


 ドクン、ドクン。と心臓が脈をうつ。


 そして、明良は大きく目を見開いた。


 そうしないわけがない。それを見ないわけがない。

 死与太珍教団幹部のうちの一人『キョウコ』


「なんつぅう!」


 キョウコの素肌が晒される。その、余りにも大きな胸が揺れた。


「ッ……!!?????!!!!!!????????!!!!!???????」


 明良の体が、十回ほど回転してから床に突き刺さった。当然ながら乳トンは不発に終わる。


「ごめんなさいねぇ。熱くてコート脱いじゃった。なーんて」


 キョウコがわざとらしく身をよしるたびに、薄い布に包まれた大きな胸が揺れる。

 黒い布で胸を覆っただけで上半身にそれ以外の布はない。ズボンはジーンズだが、明良にとってはどうでもいいことであった。


 大切なのはただ一つ。


「デカイ……ッ! デカすぎるッ!」


「明良ッ!」


「クッソ! コイツ! おっぱいがでかすぎる!!!!! なんて破壊力だ! 立ち上がる事すらできない……!!! うぐぅうううううあああああああああ! おう、オオオオオオウオウオウオウオウオウオウオウオウオウオウオウオウウウウウウウッ!?!?!」


「気色悪いオットセイみたいになってる!?」


 その場でもがき苦しみながら明良は頭を抱えて叫んでいた。


「巨乳フェチの明良。巨乳を盲信しておきながらその巨乳に触れることは出来ない。病的なまでに巨乳への耐性がない。わかってはいたけど戦う時までこうだなんて。愚かね」


 妖艶な笑みを浮かべるその表情が、記憶の浅瀬にある少女の顔と一致する。

 ショッピングモールでであった巨乳の少女。


 今にして思えばあれは様子見であったのだろう。真っ白に染まる思考を何とか動かして、立ち上がろうと試みる、しかし……。


「ッ~!」


 ドッ! と、明良の腹部にキョウコの蹴りがクリーンヒットする。床を転がった明良はそのまま何度か小さくせき込んだ。


「明良ッ!」

「こ……ッの!」


 力を振り絞って、まだ震えている足に鞭を打って立ち上がる。


「へぇ?」


「俺は……やるぞ! 相手が巨乳だろうとやってやる! 俺は……いくぞ! 巨乳が相手だろうが、緊張なんかしねぇ! 俺は……理想を求める(きょにゅうフェチ)ッ! 立花明良だッ!」

 両手に光を宿らせて宙に舞う。異能性癖を引き絞って、一気に解き放……

 


 視界の先で、余りにも巨大な胸が揺れた。


「だッメダぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ! 畜生! ダメだッ! ダメだ畜生ッ! ダメなんだッ!!!」


 攻撃は届かない、空から落ちてきたようにキョウコの足元に突き刺さった明良は頭を抱えてうずくまる。


 出来ない。巨乳を何よりも愛して、何よりも信じている明良に、その巨乳に危害を加えることなどできるはずがない。

 そんなことは……出来ない。


「明良……」

「クッソ。なんつうデカサだ。桁が、次元が違うッ! これが……世界(おっぱい)ッッッッ!」

「わかってはいたけどつまらないわねぇ。はぁ、定彦ちゃんは飛んで行っちゃったし。戻ってくるまでは暇ねぇ」

「クソ……! にげ、ろ……! こころォ……!」

「ッ。で、も……!」


 幸い、キョウコと心の間にはそれなりの距離がある。全力疾走で裏口からの逃亡を図れば何とか逃げられるはずだ。が、心はその場から一歩も動けない。


 そこに。


「おいおい、逃がすわけがねェだろうが。馬鹿がよォ」


 低い、低い声がその場に響いた。

 コツコツ……と、わざとらしく音を音を立てて、吹き抜けの二階から階段を降りてくる。

「あら? そっちももう終わったの?」

「軽―くな」


 うずくまりつつも顔を上げて、明良は見た。


 磨かれた茶色のブーツが、黒い階段を踏み鳴らす。肉付きのいい足が真っ直ぐに伸びて一段、二段と階段を飛ばす。



 そして、短いスカートがそんな動作に合わせて揺れている。白いブラウスの上からクリーム色のカーディガンを羽織っていて、首元にはピンク色のリボンが揺れている。

 緑色の髪はツインテールに結われている。

 その姿はただの女子高生にすらも見えた。


 しかし、エメラルドのような色をした瞳には邪悪な光が宿っている。

 階段を下り終えて両足を広げてニヤリと笑う。そ少女のような背格好をしたその人物は少年であった。

 圧倒的なまでの気迫、絶対的な余裕と自信。


 その少年こそ、ジェイルの王、そのうちの一人。


西条(さいじょう)……定彦(さだひこ)ッ!」


 怒りに歪んだ声と表情で、叫ぶようにその名を呼んだのは心だった。


 射抜き、殺す様な怒りの矛先で、定彦はツインテールを揺らして肩をすくめた。


「久しぶりだなァ。白馬心その後の調子は変わらずか? んで……」


 西条定彦は階段を降りると大きく両手を広げて笑った。


「初めまして立花明良。調子はどうだって。聞くまでもねぇなァ? 随分とブザマで間抜けな姿じゃねぇか。なァ?」


 まるで友人の軽いミスをからかうように親し気な口調で、定彦は笑う。


「定彦ちゃーん。上の方はおわったのぉ?」

「あぁ、第四位はブチのめした。ま、今の俺にとっちゃ敵じゃねぇな」


 驚愕の一言だった。

 月夜をあっさりとぶちのめした。到底、信じられるはずがない。


「じゃあ守ちゃんは?」

「一足先に“持ち帰らせた”ぐっすり眠ってる守に余計なストレスを与えるわけにもいかねぇからなァ今頃快適な空の旅の最中さ」


 平然と、言ってのける。

 まるで当たり前のように。


「ふざッ……けるなッッッ!!!」


 直後、湧き上がる怒りの噴火と共に、明良はまっすぐに飛び上がった。明良の体が真上に向かって落ちていく。



「乳……ッ!!!!」

「来るか」



 光が明良の腕に集中する。圧倒的な質量を持った精力が、異能性癖として解き放たれる。



「トオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンッ!!!」


 絞りだされた雄たけびと共に、重力の塊が時はなたれる、ストレートに、何の迷いもなくまっすぐに異能性癖が西条定彦の体を押しつぶした。


 明良は、死与太珍教団の幹部、キョウコには、絶対に叶わない。その理由はキョウコが巨乳だから。その一点。



 ならば……ッ。


「お前に敵わない道理はないッ!」


 遅れて響き渡った轟音がビル全体を揺らした。階段の、床の、そしてその下にある土が舞い上がって煙が巻き起こる。


倍十輪廻転生連弾(ぱいじゅうんねてんしょうれんだん)ッ!」

巨新輪(きょニューりん)!」

「乳トン!」

「乳トン!!!!」

「乳トン!!!!!!」


 巨大な隕石が雨のように降り注いだ。そう表現するよりほかにないほどの衝撃が、たった一人に向かって降り注ぐ。明良の解き放つ異能性癖の中でも最上級の必殺技。乳トンを連続でたたきつけるような倍十輪廻転生連弾、そして、細かい瓦礫を散弾のようにまき散らす巨新輪。

 それに続く連撃。もはや攻撃と称する事すら馬鹿らしくなってくるほどの連撃が、たった一人に降り注ぐ。



「ギガ……ッ! 乳……ッ!!! トンッ!!!!」


 極限まで引き絞られた弓の矢が、王を滅するために放たれた。


 ドッッッッッッゴォォォォォォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオンッ! という、爆発が窓ガラスにひびを入れて叩き割った。


「すごい……ッなんて威力! こんなの、もう……ッ」


 息をつく間もない程の猛攻、その力はもはや人の領域すら逸脱したものであった。


 崩壊した床に立って汗をぬぐう明良は、立ち昇る土煙の中を注視した。


「俺は……。お前を、許さないッ!!」









 その叫びに、答える声があった。










「身に覚えがねぇな。それに会話もなしに全力攻撃とは、ヒデェことするじゃねェかよ」


「そ、そんな。あ、有り得ない……」


 絞りだすような悲鳴が、心の胸の底からこぼれて落ちた。


「……」


「そんで。誰が何を許さねぇってんだ? なァ?」


 舞台を覆い隠す垂れ幕が上がった。膣煙の中から、西条定彦は姿を現した。

 緑色のツインテールをゆらゆらと揺らして、ピンク色のリボンを誇るように見せびらかして、クリーム色のカーディガンについた埃を払いながら、スカートから延びる足で一歩ずつ。

 その姿には、一切の傷はない。いいや、それどころか服にほころびすらも見受けられない。


「ば、ばけもの……ッ」


 まさに化け物。埒外の怪物。常識から逸脱した怪物たち(リビダー)の中でも、更にけた外れの化け物。それが、王。



 それが、このジェイルの支配者。


「俺が、テメェを。だ、よく覚えとけ」


 しかし、明良はひるまない。


 全力の必殺を叩き込んでなお無傷。その怪物に向けて臆することなくハッキリと。


 明良もまた怪物。


 二体の怪物。二匹の化け物。二人の異能性癖者。


「手を出すなよキョウコ」

「下がってろよ心」


 それぞれ一歩。少女たちは引いて、少年たちは踏み込んだ。お互いの距離はまだ遠い。


「テメェにはうちの幹部が世話になったよなァ?」

「だから何だってんだ。報復するってのか?」


 それぞれ二歩。明良と定彦は互いの距離を詰めた。互いの距離が一気に近づく。


「ソレはどうでもいい。ただ気に食わねぇのはお前が幹部をのしたからって俺に勝てるって思い上がっちまってることだ」


「ケツの穴のちいせぇ男だ。舐められることが許せない。まるで猿山の大将だな」


 もう一歩、二人はそれぞれ踏み込んだ。その距離は、もう目と鼻の先だ。


 明良は定彦を見下ろして、定彦は明良を見上げる。


「なんとでも言え。どうせこれから踏みつぶすんだからなァ」

「西条定彦。お前はとんでもない間違いを犯した。それを俺は許さない」


 ズゥオォォオオオオ。という異音を立てながら、二人の体からそれぞれ光が巻き起こる。

 定彦の体を包む赤い光と、明良に宿る白い光が衝突して、混ざり合う。


「だから心当たりがねぇんだよォ!」

「じゃあそれも許されない罪だ……ッ!」


 静かに、確かにボルテージが上昇する。


 直後……。シャンデリアの装飾の一つが、音を立ててはじけ飛んだ。


「メガッッ乳トンッッッ!」

「……ッ!!!!」






 光が音をまき散らして弾けた。


 そして結果は……ッ!


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