第18話 嵐の前
立花明良と月夜はしばしの対話を終えて居住スペースに戻ってきた。
二十階建てのビルの最上階。そこが生活のスペースだ。
「あ! 明良さん! 月夜さん!」
「二人ともどこ行ってたのよ。もう」
白馬姉弟は共にソファに腰かけてテレビのバラエティー番組を見ていたようだ。
隔離された監獄とはいえ外の情報から完全に隔離されているわけではない。多少の自由や、ほんの少しの平和な生活は手に入れられる。
そこがジェイルのいやらしいところのうちの一つだ。
多少の自由。ほんの少しのゆとりが、反逆の意思を奪い取る。
「悪いな。こいつがどうしても俺とデートしたいっていうから」
「寝言は寝て言うんだな。それとも、今ここで寝かしつけてやろうか?」
「お前の方こそくだらない寝言じゃないか。夢の中でなら俺に勝てるつもりか?」
「……」
「……」
「ハイハイ、喧嘩ならやめてね。いや、ホントにやめなさいよ。シャレにならないっての」
「あ、明良さん。ちょっと……」
「ん? どうした」
ソファから立ち上がった守はもじもじとしながら明良と向き合った。ウサギのぬいぐるみを心底大切そうに抱きしめて。遠慮がちに視線を泳がせる。
「え、っと……」
泳いだ視線は緩やかに、後ろのソファに座ったままの心に向けられる。
心は瞳を緩やかに細めるとかすかな笑みと共にうなずいた。守は、すぅ……と息を吐くと尻尾を真っ直ぐに伸ばして切り出した。
「い、一緒に、お祭りに行きたいんです」
「祭り?」
「年に数回やってる奴だな、出店とかだしてみんなではしゃぐ奴。オレから言わせればくだら……。実に楽しそうな催しだな。今のはオレが悪かった。だからそう睨むな心」
「はい、その、どうですか」
守の声は後ろに行くにつれてしぼんでいく。遠慮がちで自己主張の少ない性格の子だ。
その子が勇気を出して、自分のしたいことを声に出してくれた。
自分の意志で、一歩前に進んだ
「あぁ、そうだな……じゃあ行くか!」
守の頭を撫でて明良は頷く。その時、一瞬月夜と目が合った。
「意外だな」
「俺は優しくて器のデカイ男だからな」
「あぁ、そう」
「その祭りっていうのはいつなんだ?」
「あぁ、明日だって、この辺でやるらしいわよ」
「へぇ。明日な……。随分と急だな」
「だめ、でしたか?」
「んーや、ダメなことなんかあるか。分かった。明日、楽しみにしておく」
「っ~! 絶対! 絶対ですからね!? 約束……! 約束ですよ!」
ふんふんと鼻を鳴らしながら尻尾を高速で振り回す。
「あぁ、約束だ……。ほら、そうと決まれば早く寝ないとな。明日に備えて」
「うん! そうします! 行こうユキちゃん!」
テンションが相当上がってしまったらしい。守は飛び跳ねながら寝室のほうに走っていく。
「ユキちゃん……?」
「ぬいぐるみの名前だって、相当気に入ったみたいね」
「かわいらしい名前だな……それにても、あんなにテンション上がるかね」
「アンタになついてるのよ。悔しいし気に食わないし腹立つしムカつくし本当に気に食わないけどね」
「気に食わない二回言ったか……?」
「まぁ、でも、感謝してるのは本当なのよね……、ありがとう、あの子のあんな顔、多分明良がいなかったら見られなかった……」
「お前……」
「なによ」
「なんか、嫌だ」
「このッ!」
心の踵が凄まじい勢いで明良のスネに突き刺さった。
「イッ!!」
まともな声を発することもできずにその場でピョンピョンと跳ねつつ、ため息交じりに歩き去っていく心を見る。
「どこ行くんだよ!」
「夜風を浴びに」
ひらり、と手を振ってそのまま行ってしまう。
あいつもたいがい勝手気まままだ、そんなことを思って明良は、その場に胡坐をかいて座り込んだ。
「仲がいいことで何よりだな」
「そう見えるならお前の脳みそは正常じゃないな」
「……」
「なんだよ」
「いいや、丸くなったものだ……と思ってな」
「別に」
すねたようにそう言って明良は、立ち上がった。
「……心のところにいってやれ。一人にするのもよくないだろう」
「あぁ、そうだな……守の方、頼んでいいか?」
「まぁそうだな。一人にするのもよくない。守の方はオレが面倒を見ておこう」
「あぁ、俺も本当はそっちがいいが、まぁ行ってくるわ、頼んだぜ」
背中越しに手を振ってドアを抜けた、白馬心を追ってエレベーターに乗る。
静かな夜、外から微かな音が聞こえる。
この日……。この時、決定的な悪意の影は動き出す。
明良たちはそれに、いまだ気が付けない。
月夜は、ベッドわきに置いた椅子に座った。
若干大き目のベッドでは白い子犬を思わせる少年がウサギのぬいぐるみを抱きかかえてぐっすりと眠っている。
「……はぁ、全く、穏やかな寝顔だな」
椅子の上で足を組み替えた月夜は視線を守の方から逸らすと天井を仰ぎ見る。小さく絞られた暖色系の光がほんのわずかに揺れている。
月夜は一人の部屋で、窓の外とにらみ合いながら考える。
きっと、この子は、何も知らない。
白馬守の存在は死与太珍教団にとって大きな力だ。それと同時に、決定的な弱点でもある。
腕を組み、月夜は目を伏せる。
その時。
ドッッッッガァァァァァァァァァァァッン!!!! とすさまじい音がビル全体を揺らした。
電線がいかれたのか、明かりが消える。暗闇の中、月夜ははじかれるように立ち上がる。
直後、激しい突風が、室内の中をかき回した。
室内に侵入した雨粒が、外と部屋の境界をあいまいに壊していく。
「よォ……今日は大変日柄もよく……って、下らねぇ前置きはいらねぇか? なァ?」
声がした。少年といっていい年齢であろう男の声だ。
低い声は、濃密な暗闇をたたき割ってよく響く。
壁に、大きな穴が開いていた。そして、そこに奴はいる。夜の街からの光を背中に、その男は立っていた。
「第六位……西条定彦ッ!」
「久しぶりだな第四位。調子はどうだ?」
風が吹き込んでくる。それが、西条定彦の影を揺らした。黒いシルエットの中、翡翠色の眼光が揺らめいているように見えた。
「今、最悪になった。何しに来た」
「究極のショタを取り返しに……。だ」
「取り返しに? まさかオレが“善意”で保護した子供を誘拐しに来た。とでもいうのか?」
「あァ? 馬鹿だなお前。小芝居はいいんだよ下らねぇ」
チリチリ……と、空気が焦げていくような感覚。西条定彦の体を、赤い光が包み込む。
「第六位のお前が第四位のオレに挑むってのか?」
「間抜け。三未満の序列なんざただの飾りだ」
暗闇の中、月夜はマントをたなびかせて定彦と向かい合う。
「飾りかどうか、試してやろう」
二人の異能性癖者が一瞬にらみ合った。
直後、すさまじい光が音共にはじけて飛んだ。