第17話 サービス回!
立花明良はプラスチック製の小さな椅子に腰かけて髪をかき上げた。
若干濡れたタイル。目の前には鏡。湯気の立ち込める空間はわずかに白い。
買い物とその後の食事を終えて、明良所有(現在は月夜のものであるが)のビルにある大浴槽に浸っていた。
「かぁぁぁぁああああああああ! アッツ! この熱湯みたいな熱さだよなぁ!!! たまんねぇ!」
大きな声が大きな空間にこだまする。全身にこびりついた汗や汚れ疲労のすべてを洗い流す熱いシャワーが明良はたまらなく好きだった。
殆ど熱湯に近い液体が体中を流れていく。ほほを伝って落ちていく水滴をぼんやり見つめて明良は考える。
(あの女、おっぱいめっちゃでかかったな……。クッソ、なんで、なんでアイツが俺のヒロインじゃねぇんだ……)
「どうかしたんですか明良さん」
「あぁ、いや、ちょっとな」
温度を普通程度に戻しておいてからシャワーからあるものにお湯を注ぐ。
それは風呂場に持ち込んだレジ袋だった。
「……? 明良さん……?」
守は不思議そうな顔をしている。明良はにやりと笑うとその袋を下からタプタプともてあそび始めた。
「おぉぉ……。これが……おぉおお……」
「な、何してるんですか……」
「おっぱいと同じ感じらしい。そうかこれが……」
「な、何してるんですか!?」
「おぉ……。おぉぉおおお! おおおおお!!! おおおおおおおおおおおおお!!!!!」
柔らかい、柔らかい柔らかい柔らかい柔らかい柔らかい!!!!!!!! これがおっぱいかぁ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
その時。頭にげんこつが降ってきた。まるで金属の塊でぶん殴られたような衝撃に明良は思わずビニール袋を落としてしまった。
「あぁぁっ!!!??? あぁぁぁぁぁ!!! あぁ……? あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!」
叫び、その場に膝をついてうなだれる。
まるで、世界が滅んだかのような慟哭だった。一気に現実に引き戻される。つらい現実だ。
「なに……やってくれてるんだぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああ!」
叫びと共に腕を振り上げて振り向く。
その時。手の甲が、硬いものにぶつかった。
「……」
「……」
「……」
「……はっ!」
「なに……! してくれてんのよアンタァァァァァァアアアアアアッ!」
ズパン! という音が反響した、明良のほほに真っ赤な手の形が刻まれて、明良はそのままそこに倒れこんだ。
「ぐぅ……。嫌なら入ってくるなよ、心……」
「アンタに触れられるのが嫌なの。近くにいるってだけならば眼中にないわ」
「なんだそりゃくだらねぇ……」
「愚かなだな」
その場に倒れこむ明良に冷たい言葉を浴びせたのは月夜だった。
「お前、なんでその恰好なわけ?」
風呂場で腕を組む月夜は紐のようなビキニ姿だった。
裸の心と比べれば隠れている部分は多いがそれでも、ほとんど裸であることには変わらない。
「あぁ。お前に用があるんだ。少し面かせ」
「それって今じゃないとダメか?」
「後で見たい番組があるんだ。まだ余裕はあるが早めに済ませておきたい」
「俺の意思は無視かよ……」
吐き捨てるようにそう言いながらも明良は一応立ち上がった。
「ダメか?」
「……しゃーないな、今回だけだぞ」
「じゃあオレたちは行くから。お前たちは姉弟水入らずでよろしくやっといてくれ」
「だってさ守! もうちょっと待っててねぇ」
「え!?」
「じゃあな」
「また後で」
「あ、明良さん!?」
慌てるような声を聞きながら二人は大浴場を後にする。
弱弱しい声を後ろに聞きながら。
夜の外はここちいい程度に寒かった。暗い空には満月が浮かんでいたがそれを分厚い雲が覆い隠そうとしていた。
予報によると今日の夜から明日にかけて雨が降るらしい、
明良と月夜はビルから出てすぐの位置にある広場に来ていた。
ビルの内部とは違ってあまり手入れはされていない。が、逆に内緒話をするにはこれ以上はない。
「ん、で? 話って?」
部屋着として使っている用の巨乳愛シャツとゆったりしたズボンに身を包んだ、明良はズボンのポケットに手を突っ込んだまま月夜の背中にそう投げかけた。
全身を黒いマントで覆った月夜はそれを翻すと真っ直ぐに明良を見つめた。
「なぁに。大した話ではないさ。ただ積もる話もある。と思ってな」
「じゃあ後でもいいだろうが……」
広場のベンチに深く腰掛けて、月夜は青い瞳を明良に向けた。
「そういうな。な?」
渋々、その隣に腰かけた明良は深い息とともに空を見る。
「……まぁ、まずはその、なんだ? 久しぶりってやつだな」
「今更だな、だが、そうだな、本当に久方ぶりだ……。貴様が消えて二年、オレたちも、ジェイルも変わった」
「らしいな。俺が目を離したすきにわけのわかんえぇのが王としてのさばって上がる」
「西条か」
「俺は、どうしても許せない。死与太珍教団が、西条定彦が……どうしてもな」
「随分と恨んでいるらしいな。いったい何があったというんだ?」
明良は深く息を吐きだすとともにジャケットの内側からあるものを取り出して月夜に突き付けた。
「これだ」
「ショタの宴。死与太珍教団が聖書として流布している邪悪な書物だな、よくこんなものを持ち歩けるものだ……」
「その最終章を見てくれ」
不思議そうに眉を顰めつつもページをパラパラとめくりピタリと手を止めた。
「巨乳義姉ちゃんとイチャラブチョメチョメ……? なんだこれは、普通のおねショタじゃないか……」
「あぁ、一見すると……な。だが、それだけじゃない」
「……?このキャラクターは確か少し昔に流行ったアニメのヒロインだな。コイツは確か……」
月夜は、思い至った可能性に震えた。青い瞳がめいっぱいに開かれて、やがて細められた。
「……」
「正気か?」
明良は軽く笑うだけで何も言わない。その様子にいら立ったか、月夜は重ねて問う。
「正気かと聞いている……。いや、聞くまでもないか。正気ではないよ。お前は、イカレてる。正気じゃない、まともではない、クソ野郎、外道、シネ」
「あ? 最後どうした、なんかちがくねぇか?」
「死与太珍教団をぶっ潰す。驚いた、その言葉の裏にまさかこんな意図が隠れていたとはな……」
「うるせぇ。ていうか、お前はどうなんだ? もう既に王であるお前が、格下相手にわざわざ戦いを挑むメリットってぶっちゃけなくね?」
「あぁ、一切ない。それどころか負ければオレは破滅するだろうな」
「は? じゃあなんで」
「それって興奮するだろ? 露出の神髄は脱ぐことではない。掛けることだ」
「……」
「勝ってもメリットなんざない。負ければ王としての立場を追われて良くて奴隷、悪ければジェイルの最奥、スラム送りだ。たまらないな」
「狂人だな。この人格破綻者が」
心からの言葉である。月夜は、何とでもいうがいい、とでも言いたげに肩をすくめると息を吐き出す。
「まぁ、人格破綻者の狂人という意見はお互い様だと思うがな」
「俺はまともだ」
「重症だな」
月夜は、そのまま夜空を見上げた。こうしている間にも、黒い雲はゆっくりと、空を侵食するように広がっていく。
次第に、空気に雨の匂いが混ざり始める。気のせいか、吹き抜ける風も湿り気を帯びている気がした。
「死与太珍教団との戦いが終わったら、心と守はどうするつもりなんだ?」
「あ? そりゃお前が何とかしろよ、お前は王なんだから、保護くらいしてやってくれるよな?」
「言っていることがめちゃくちゃだが。まぁそれはいい、どの道あの二人が望むなら望むものを提供するつもりでいる」
だが、と、月夜はそこで言葉を区切った。青い瞳が凍てつくような冷たさを伴って明良を射抜いた。
ベンチから立ち上がって、見下ろすような態勢で、月夜は冷たい声音で問い掛ける。
「お前はどうする? またお前の勝手な都合でお前を信じる者たちを置き去りにするのか?」
「あ? あの二人は別に信じるとかそういうのじゃないだろ。西条定彦を倒す。そこが一致してるだけで目的もなんもかもが違う、なら、その後に一緒にいる意味なんてないだろうが」
「本気で言っているのか」
「……」
明良は答えない。無言のまま視線を上げる、夕焼け色の瞳は月夜を見ていない。
「ジェイルは危険な場所だ。弱者は常におびえて生きていかなきゃいけねぇ。強者は常に強くなきゃならない。平穏なんてないんだよここには」
明良は立ち上がると月夜の横を通り過ぎて立ち止まった。
わずか三歩、その距離は、目と鼻の先にも、千里先にも感じられた。
「だから、巻き込まないように離れたと? そして今回もそうすると、身勝手にも程があるぞ! オレはだな……」
言いかけて、やめた。明良は、青い瞳に反射する自分の姿を見ていた。
「まぁとにかく……まずは死与太珍教団を壊滅させてからだ」
「……そうだな、話は、そのあとでも構わん……ただ……ちゃんと話せよ。あいつらと」
「わかってる」
視線を伏せて、曖昧に頷いた。
満月は完全に隠れていた。
ポツリ、ポツリ……と、雨が降り始めていた。