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星映しの陣  作者: 汐田ますみ
七幻刀編

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第97話 風脚


「そこを何とか……お願いします!!!」

「……」


 仮面舞踏会から一夜明け、七幻刀の住処への常駐を許可された一同は超法術体得に向けて、修行に励む事になったのだが。

 神出鬼没な青年アイニーを捕まえて頭を下げるのはリュウシンだ。彼は師を選ぶのなら同郷であり、風使いの桁が違うアイニーを於いて他に居ないと確信していた。


「言いたい事はそれだけか」

「…僕は強くなりたいんです!たった一人の妹を助けられる強さが、今すぐ……っ!?」

「余計な繋がりは無用だと二度も言わせるな」

(息が詰まる…!)


 自分より格段上の実力者に稽古付けてもらえる又とない機会を無駄にしない為にも、リュウシンは諦める訳にはいかない。男性にしては少しばかり高い声で唸るように一言呟いた。


 アイニーとは異なる声質で頼み込むリュウシンは、背中を向ける相手に頭を下げた。彼の様子を心底興味なさげに一瞥したアイニーは一陣の風を発生させ、吹き荒らした。

 余りに強烈で圧倒的な風を真正面から受けたリュウシンは思わず台詞も途中に防御の姿勢を取った。


 一陣の風を前に、酸素を取り込むのも忘れて一歩擦るように前進したリュウシンを見たアイニーは、束ねた長髪を揺らし彼から距離を取る。それは紛れもない拒絶であり、亀裂だ。


「関わってくるな」

「……っそれでも、…」


 アイニーは瞬く間に風と共に姿を消した。ココで漸く酸素が正常に取り込まれ、乾いた咳が二、三度喉を苦しめた。

 風の様に視認出来ない師を追い、リュウシンは再び歩き出した。


―――

 王居ぬ王国で、メトロジアが崩壊せず国としての機能を保っていられるのは(ひとえ)に七幻刀が裏から支えているお陰だ。故に、七幻刀は一箇所に長くは留まれず常日頃訝しい火種に目を光らせてなければならない。


「この方向だったと……」


 アイニーも例外無く、国の中枢機能を担い日中は何処かへ出掛けている。諦め切れない想いと共に彼を探してポスポロスを走り回るが、アイニーどころか気配すら感じられず仕方無しに汗を拭った。


「いや〜さっきの風はビビったねぇ」

「女神様の御加護かね〜」

「!あの、すみません…さっきの風、について詳しく訊いても?」


 風の気配が柔らかに届いた。今は些細でもアイニーに繋がる情報が欲しい。風を掴むような思いで、談笑する男性二人組に話し掛けた。


「おお〜いいとも」

「この家、昔住んでたんだけんどね、先の戦で全壊して俺ももう再建せんでも良いかと思っとった……それでも、妻と子どもと暮らした家だ。…せめて形だけでも戻してやりてぇと重い腰を上げた時、…」


 日陰で涼しむ二人組の内、太眉の壮年男性が突然現れた少年を歓迎し一部始終を語り出した。


 彼等によると。本日分の再建作業を始めて半刻ほど経過した時、唐突で奇妙な風に吹かれた。腰を抜かしたまま上を見上げると建築材料のみが浮き上がり空中に留まっていた。遂に視力が可笑しくなったのかと両目を擦っている最中、建築材料は次々意思を持ち石材は積み上げられ荒れた花壇は整えられ、つい先程収まったとの事。


「この歳になると身体の自由も利かんようになってくっから女神様が手助けしてくれたんかね」

「その風、何処から吹かれたか分かりますか?」

「腰抜かして追い風感じたから、あーほれその辺」

(アイニーさん!)

「突然お邪魔してしまってすみませんでした!ありがとうございますっ!!」

「いいってことよ」


 関わり合いやら繋がりやらを嫌うアイニーが、姿を見せないとは言え年代物の指輪を大切そうに見つめる男性を手伝うなど俄には信じ難いが、一縷の希望を求め風を方向を尋ねる。

 男性が指差した方角を辿り見ると、向かいの建物にマフラーの端が過ぎった。一瞬の光景で男性二人組には見えていなかったが、リュウシンは確と見た。屋根上に存在したであろう人影を追って彼は走り出した。


(絶対見付けて、修行を付けてもらうんだ)

「風使い」

「ー!っ、速い」

「修行なら他を当たれ」

「他の人じゃ駄目なんです!!僕にも妹にも時間は無い……。ファントムに居る可能性が高いライランを僕の風で救いたい…!」


「ファントム…」

「?」

「アレこそ繋がりを持つ者の墓場…。墓参りから帰らぬ妹など捨て置け」

「っ…ライランは自分の意志でファントムに居るんじゃない」

「気分を害したなら謝ろう」

「あ、待ってくださいアイニーさん!」


 人通りが少ない脇道を選び自然の風を使いつつ屋根に乗り上げた。名残り風の具合からそう遠くへは行ってないだろうと予測を立て辺りを見渡していると、不意に声が聞こえた。視覚より先に聴覚が働き、さも突然アイニーが出現したかのように感じたが実際は、目にも留まらぬ速さで現れた"だけ"に過ぎない。


 早速修行を申し込むが中々手厳しい。ファントムの名を滑らせればアイニーはリュウシンから距離を取り、背を向けた。心無い言葉にムキになって言い返せば一言振り向いて謝罪の意を伝えた。どうにも自分は余裕が無いらしい、彼に勝手に翻弄され続ける姿は嘸や惨めだろう。



(しつこい)

(離されないよう付いていくのがやっとだ…)


 刺すような視線を最後にアイニーはポスポロスの街並みに消えた。意地でも首を縦に振らせたいリュウシンは彼を追い掛け屋根を降りた。


 それから疾風の如き追いかけっこが始まった。アイニーの迷惑そうな顔に良心が痛むが形振り構ってられない。到達するべき境地が彼の立っている場所だ。彼が目標なのだ。


 メトロジア随一の発展地と称されるだけあってポスポロスは広かった。大通りに走る馬車、羽振りの良い酒場、華やかな花屋。

 また、機械仕掛けの街との異名を持つ所以も微風が教えてくれた。絡繰仕掛けの大鐘、仕掛け細工の雑貨店、往年の天球儀が目印の骨董店などなど興味を唆られたら切が無い程にポスポロスは広い。


(必死な顔で追い掛けて、それでも届かなくて、最初から関わり合いにならなければ苦しむ事も無い)

「最後まで捕まえられなかったな」

「えっ最後?」


 栄華極めんとするポスポロスにも影は差す。例えばファントム、地続きのメトロポリスに居座る霊族、他にも雲隠れする闇の部分は存在する。譬えば…他人の心の中とか。


 足を止めたアイニーが気になる言葉を残す。何を以てして最後と取るか、数秒間理解に苦しんだが漸く納得がいく。自分達が今立ってる場所は七幻刀の住処だ。これしきの事で思考する羽目になるとは周りが見えていないと白状するようなもの。またもやアイニーと差が生まれてしまった。


「オレにはお前を見るメリットが無い」

「分かっています…」

「〈結界法術 コミューンアウト〉…人と繋がろうとするから人は苦しむ。ならば繋がらなければ良い話」

「ー…!コミューンアウトまで使えるなんて」

(……それよりも)


 付かず離れずの距離感は七幻刀の住処へ誘導する為の標に過ぎなかった。先程までの追いかけっこが全力出ない事は自覚していたが、まさか誘導されていたとは。

 幾度目かの否定は、深く心に突き刺さり栓をした。それでもと下がった視線を無理矢理上げた時には彼は居なかった。


 何処かで見たような結界法術を発動した為、追いかけっこは強制終了だ。結界法術に長けた風使いは意味深な言葉を掻き消し、己の姿も消した。


――――――

 目の前で消えたと言う事は、遠回しにそれ以上の追跡を拒絶したと言う事だ。消化不良の思いを胸にリュウシンは七幻刀の住処に戻った。


(僕には……)

『予言老婆の予言カードは93番目…』


 中庭に直接繋がる広間の一角で、懐から一枚のカードを取り出す。以前出会った予言老婆は故郷ゼファロの地で自分達を導いた。場上を引っ掻き回した老婆はあの日ゼファロを発つリュウシンを呼び止め、予言カードなる紙切れを寄越した。


 一瞬の暗示カードを皆に話せない理由が彼にはあった。


「予言カードを受け取った者は……必ず、…」


 必ず、の先が言えないから皆は知らない。時間が無いと言った口が、時間が欲しいと欲を出す。皺が直らぬ予言カードをもう一度だけ握り締めた。



?「もうダメ……うぅ」

「!……えっと、天音」

「リュウシン……私はもうダメかも…」

「アハハっ水飲む?」

「うん…」


 目を回した少女が視界に飛び込んできた。ぐるぐると平衡感覚を掴めず、遂には膝から崩れ落ちる。予言カードを仕舞い側に駆け寄ると女神装束に着せられた天音が盛大に弱音を吐いていた。

 本人は至って真面目に弱音を吐いているのだが辛気臭い空気に憑かれていたリュウシンにとっては、思わず安心感を覚えてしまう登場の仕方だった。


 声を掛けられ初めてリュウシンの存在に気付いた天音は促されるがままに世話をされる。乾いた喉に潤いを流し込み、一息ついた二人は心地良い風に吹かれる。


「それで何が合ったんだい?」

「えへへ…」


――――――

―回想―


 修行内容に差異はあれど皆と共に同じ方向に歩めるのは理想的な着地点だ。改めて修行に気合を入れ直した天音はリゲルの話を聞いていた。


「良いですか天音様。星の民と霊族は三度に渡る戦を繰り広げ、その度に、大勢の犠牲と引き換えに新たな術が開発されました」

「術、ですか?」

「より強く、より使い勝手の良い法術が産み落とされました。天音様も様々な法術を耳にしたのではありませんか?」


「う〜ん…スタファノの治癒法術とか、ロスちゃんの結界法術とか……あ、エトワールも強力な武器だって聞きました」

「…アストエネルギーは霊獣から賜った力ですが、法術は人類が自ら作り上げた力……。一旦法術の種類と用法を整頓してみましょう」

「はいっ!」


 まるで教師と生徒のようだとツッコむ人間は此処には居ない。そもそも天音は学生だったのだから勉学に励む姿が本来の彼女なのかも知れない。

 然し、教えを乞う内容としては健全な学生に似つかわしくない法術についてだ。


 軽い説明はリオンから聞いているものの、改められると愈々背筋が伸びる。大勢の犠牲、三度に渡る戦、などと脅しにも感じ取れるリゲルの言葉を少しずつ受け入れていく。


「法術には二種類あります。通常の法術と超法術です。超法術に関しては先にも語った通りの強化型。それから通常の法術は更に枝分かれしていきます」

「更に!?」


「治癒法術は治癒に特化したもの。結界法術は結界に特化したもの。と言った具合に数多の特化型が存在します。例を挙げるなら航海法術、封印法術、覚醒法術、天換法術、迎撃法術、守護法術」

「おっとと…」

「王家の転生術は、さしずめ覚醒と天換の合わせ技と言ったところでしょう」

「それから」

「まだ何か!?」


「特化型と強化型は掛け合わせる事も可能。例を挙げるなら……」

「ちょっっと待ってください!!」


 法術も聞けば相当奥が深い。突き詰めれば通常型と強化型の二種類しか無いが、通常型には枝分かれした特化型が無数に根を張っている。

 航海法術、封印法術、覚醒法術、天換法術、迎撃法術、守護法術に加えて、先に挙がった結界法術、治癒法術、エトワール式法術がある。


 初耳な情報に脳が追い付かず、次々と積まれていく特化型の種類に押し潰されそうな天音は必然的に音を上げた。掛け合わせなど一度に覚えられて溜まるか!と叫びたくなる欲を抑え、両手を前に突き出す。


「それで全部、ですか?」

「法術"は"以上で問題ありません」

「他には何か……?」

「なんて事は無い…。盾変化や風発、暴発、詠唱式について理解を深めて頂きたく存じます」

「ひゅ」


 両手の指で数えて収まるかどうか、アセアセと確認し声帯を震わす。真面目で健全な学生だった頃が懐かしい。あの頃は成績も誇れるものであったのだが、今の自分は法術の種類と用法を覚えるだけで手一杯だ。

 法術"は"以上。リゲルは怯える天音を不思議に思いつつ特化型法術の用法を伝える前に、アストエネルギーを使用した技を紹介し始める。……のだが、



―回想終了―

――――――


「つまり逃げてきてたんだ?」

「休憩、うん休憩だよ!」


 カクカク云々と語られた全般の出来事をリュウシンは悪気なく要約した。逃走か休憩か本音の示すところを見抜かれた天音は、気恥ずかしさの余り強気に胸を張った。


「はぁ…それにしても、あんなに種類が多いなんて聞いてない……」

「戦いの中で生まれた力が、今もまだ戦渦で増幅されているなんて本来なら許してはいけないと僕は思うよ」

「…私も同じ。だからきっと止めたかった」


 血で血を洗う戦中で生まれた力、本来なら封印されるべきであり泰平の世に貢献しなければならない力だ。それは、それだけは天音も学びを得た。

 天音の"止める力"すらも"止めたかった戦渦"から生まれた能力。停戦中の世界で何時までも平和思考では足元を掬われかねない。


「なんだか吐き出したらスッキリした。ありがとうリュウシン!」

「お安い御用で」

「それと、…」

「ん?」

「悩んでる事があったら何時でも言ってね。私ばかり助けてもらってるから……今度は私が相談に乗るよ。…でも解決出来るかどうかは期待しない方が良いというか、何というか」

「じゃあ…相談に乗ってもらおうかな!」


 重荷が降ろされた肩はスッキリ軽く、天音の心にも余裕が出来た。彼女の微笑に一安心したリュウシンも笑い返すが、次の一言には僅かに揺らいだ。

 予言カードの存在は勿論の事、胸中の悩みなど天音は知る由もない。本人も言葉の意図を問うても説明出来ない筈だ。


 一歩ずつ確実に成長していく天音に今日だけはリュウシンが相談事を吐露した。


「……なるほど。アイニーさんは今でも納得してない…と」

「繋がりを持たない人と繋がろうとする僕は傲慢だと思われても仕方無い……。それでも、あの人の操る風を倣いたい!」

「私からも話してみるよ。大丈夫任せて!」

「それは…止めた方が」

「へ?」


?「同感だ」

「「うわっ!?!」」


 疾風のように掴む前に去ってしまう彼の話を聞き、天音はムムッと首を傾げた。皆の側に居たいと言い放った張本人としてはアイニーの態度に少しばかり罪悪感が芽生える。

 真横のリュウシンはと言うと、諦める気など毛頭無いと言った表情で只管アイニーの風に倣おうとしていた。


 相談した方が頼もしい顔でどうするのだと己に発破を掛け、天音は一案を呈した。天然持ちの彼女が気付くより先にリュウシンが待ったをかけた。

 きょとんとする天音に緩く解説しようと人差し指に言の葉を乗せた直後、溜息混じりの肯定が背後から聞こえた。


「アイニーさん……!?」

「ど、どうも…です」

「どうも」

「もしかしてずっと聞いてたんですか!?一体何時から…」

「風使いが紙切れと睨めっこしたところから。余計な事をされては面倒だ」


 瞬く間に現れたアイニーは気怠そうにマフラーの位置を整える。彼は偶々二人の前に現れた訳ではなく、"ほぼ最初から"側に居り、頃合いを見て現れたのだ。コミューンアウトを利用した監視に迂闊だったと冷や汗が伝う。

 紙切れの存在が天音に知られては修行どころの話ではなくなってしまう、と真横に視線を合わせたが杞憂に終わったようだ。アイニーの口からサラッと出た単語より彼の存在自体に興味が行って何よりである。


「あの!!」

「却下」

「まだ何も言ってないのに!?」

「天音様、言葉には気を付けた方が良い。貴方の言葉は他人を強制させる。本人にその気が無くとも」

「…それは、…」

「それは受け取る側に問題があるかと」

「リュウシン…!」

「オレの事はどうとでも思えば良い。馴れ合う気は無い」

「もう一度僕の話を聞いてくださいアイニーさん」

「…その顔は面倒だ。……分かった折れよう」

「じゃあ!」

「但し」

「!」


 突然の登場に驚嘆したがアイニーが自ら姿を現したのは好都合だ。リュウシンの助けになりたいと思い、意を決して声を掛けた。が然し、歯牙にも掛けない様子の彼は態とらしく天音を突き放した。

 幾ら人付き合いを好まないとは言え、傷付くと分かっていながら真顔を崩さないアイニーに、何も言えずに沈んでいるとリュウシンが一歩前に出た。


 歳上の玄人に臆す事無く言動を咎めたリュウシンは舌が乾かぬ内に再三の申し入れを口にした。必死で、それでいて情意の籠もった顔付きに、とうとうアイニーが折れた。

 心境の変化か単なる厄介払いか彼の心は誰にも見えない。パッと表情が明るくなったリュウシンに今度は如何様な言動で突き放すのだろうか。


「日没までにオレから一本取れ。それが最低条件だ」

「日没まで、って……」

「風使いらしく疾さ勝負だ」

(あと数分!意地悪!!)

「特別に結界は使わないでおいてやる。それと舞台も一階のみだ」

「……行ってしまった」

「リュウシン頑張って!!!結局あんまり役に立てなかったけど、頑張って!」

「ありがとう天音。元気貰ったよ」


 提言された条件を飲み込む前に視線を中庭に移した。よく手入れされた草花は薄ぼんやりとした茜色の影に覆われ、時刻が日没直前だと報せていた。影の濃淡から推測するに日没まで残り半刻と言ったところか。

 早過ぎる時間設定に心の中でツッコミを入れている最中にアイニーは再び姿を消し、名残り風に吹かれるばかりの天音とリュウシンだった。


 状況が状況なだけに自分に手伝える事は無いと残念な確信をした天音はリュウシン以上に齷齪しながら精一杯の声援を送った。


―――

 声援に応える為にも半刻勝負に勝たねばと邁進するリュウシンだったが、


「どうしよう…見付からない……」

「遅い」

「!待っ」


 制限された状況下であろうと七幻刀の実力は搖らがず、一本取るどころか見付ける事すら困難であった。刻々と迫る時刻に怯えながら、ひたむきに一点を目指す。


(闇雲に探したって見付からないに決まってる。だとしてもどうすれば………)

「そうだ風の気配を辿れば…!迷ってる時間は無い」


 日没まで残り十分。アスト感知で多少なりとも居場所は絞れるが、リュウシンの実力ではアイニーを捕まえるに至らなかった。焦れば焦るほど視界は狭まり状況は悪くなる一方で、彼の思う壺だ。

 凝り固まった思考を解す為、一度立ち止まり手元に視線を落とした。


(あの人が疾いのは、自然の風を操っているから)

「僕にだって風は操れる」


 両手をだらりと楽に下ろしたリュウシンは半径1mに円を描くようにして風を発生させた。自然の風を操るのは風使いとて易い事では無い。

 神経を研ぎ澄まし円の範囲を徐々に広めていく。意識しなければ扱えない力を極々自然と熟すアイニーの凄さを改めて感じ、瞑っていた目を開く。


(居た。突き当り左に曲がった先の廊下、…待ち構えてる)


 円状の風に相反する気流が発生した。目指す先の彼が"態と"リュウシンの風を乱しているのだ。まるで"此処まで来れるものなら来てみろ"と言いたげな挑戦状を受け取り、リュウシンは駆け出した。



 疾さ勝負も残り五分。仁王立ちで待ち構える姿を捉え、一旦物陰に隠れた。馬鹿正直に正面から言っても返り討ちに合うだけだ。円状の風を解除し物陰から一本取る機会を窺う。


「来ないのか」

「!」

「来れないのか」

「…っ」

「オレは慈悲を与えてやるほどお人好しじゃない」

「…く、今だ!」

(正面?吹き飛ばして終わりだ)

「ぐうっっ」


 残り三分。不意に届いた煽り声は何時までも物陰に隠れているリュウシンに対する不快感を含ませていた。折角、場所を突き止めたのに移動されては元も子もない。焦燥を秘め正面に飛び出した。


「風向きが分かれば、…!!」

「無策で挑むほど能無しでは無かったか」

「〈法術 突風陣〉ー!」

(突風陣…?)

「……だが届かない」


 当然、返り討ちに合う。正面から飛び込めば正面で強風を受けるのは明白。当たり前の手段を逆手に取り、リュウシンはアイニーにではなく側壁に向かって飛び両足を壁に付けた。予想通りの風圧に身体が持っていかれそうになったが、再度自然の風を操り自身の周りに風バリアを広げた事で筒がなく作戦二段回目に移る。


 作戦二段回目は突風陣だ。側壁に足を付けた理由は正面の強風を回避する為ではなく、突風陣を発動するに当たっての足場が必要だったから。超速からなる突風陣にはどうしたって足場が要るのだ。

 意表を突いたかに思えた作戦を彼は真顔で済ました。リュウシンの軌道を完全に見切り最低限の動作で回避する。


「いや届く!」

「!」


 残り二分。"最低限の動作で回避される"事こそがリュウシンの狙いだった。突風陣の勢いのままマフラーに手を掛け、奪ってみせた。息付く暇もない短期攻防は茜色の空を見送った。


「これで、一本取りました」

「……ふーん。……風使いらしい疾さだった」

「僕は、まだまだ弱い。ライランを助けられる強さが欲しいんです。お願いします……!」

「……オレが教えるのはお前で最初で最後だ」


 喉元を押さえリュウシンを見つめる。見定めるように確かめるように、数秒間風が凪ぐ。頭を下げる彼から少々強引にマフラーを奪い返すと、アイニーは目を伏せた。意外に長く繊細な睫毛に浮かぶ情景は、彼の彼たる由縁に関わりがありそうだ。


「三日後、此処の真下に来い」

「はいっ。ありがとうございます!!」


 七幻刀の住処には地下が存在するらしい。マフラーを巻き直したアイニーは必要事項のみ淡々と告げ、背中を見せた。

 此れにてリュウシンとアイニーの師弟関係は結成された。付きっ切りで見てもらえるとは思っていないので、初日が三日後と言う開き具合に疑問を持つ事も無かった。


 只管に、師匠の背をなぞる。


――――――

オマケ


「天音様」

「見つかった…!」

「天音様にはお伝えせねばならぬ事情が多いので。悪しからず」

「は〜い」

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