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星映しの陣  作者: 汐田ますみ
七幻刀編

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第96話 開かずの玉座

 リオン達と七幻刀が溝を深める中、突如間に割って入ったのは天音だった。凛とした声で待ったを掛け、揺るぎない瞳を世界に向ける。彼女の登場に誰しもが驚き、大なり小なり空気を変えるも只一人の霊族レアは目元を細めるに終わった。


(白髪に赤目、彼女がメトロジアの姫君……。一夜の内に陛下の渇望が揃うとは)


「天音、何勝手に外に出てんだ。…裸足で」

「うっ、今絶対呆れたでしょ!急いでたから仕方ないの!!うん!」

「大体なんでメリーさん(アイツ)と一緒なんだ……!」

「べー」

「メリーさんは此処まで連れてきてくれたんだよ!?良いじゃん……」

「クリス…何時からポスポロスに?」

「探しモノ探しに……五日前くらいかな」

「まぁまぁリオンもさ、落ち着いて」


(姫君が来た途端、場が賑やかしい…陛下とはまた違う才能の持ち主の様だ。それにしても見え隠れする本音を眺めるのは実に愉しい)


 アストを封じるラルカフスを付けられてしまえば、誰だろうと不自由を強いられる。受けた傷具合よりも彼はアルカディア王の王命を反芻し、リオンと天音を見つめ続けた。

 場を賑やかす、和ませる、を才能と捉えレアは両国の王族を比較した。既に玉座に君臨したアースと城門すら開けれぬ天音では比較対象にすら成れないが、二方の間に共通点を感じ取った仮面舞踏会の主は薄ら笑みを浮かべた。


「じゃあワタシ行くね」

「もう行っちゃうの?」

「うん…天音ともっと一緒に居たいケド、怖い人達とは一緒に居たくないから」

「そっかぁ……またゆっくり話そうねっ」

「天音…!」

「ん!?」

「………おいこら」

「お、落ち着いて!!」


 名残惜しそうに眉を下げたメリーさんは別れ際、頬に触れるだけのキスを落とした。一滴の切なさを隠し、顔面沸騰中の天音から離れた彼は闇夜に身を投げだした。

 思えば旧カラットタウンでも同様の事態をしでかしていた。一度目と似通った反応を見せる天音に対し、一度目以上に呆れと怒りの籠もった拳を握るリオン。手を出さないだけマシな方だ。


「奇怪な従者を従え、何用で?天音様」

「メリーさんは従者じゃ…ううん流されちゃダメだ!あの、リゲルさん……お願いです私、皆と一緒に居たい。最初から合格を出す気が無い試験なんてあんまりです!」

「なに!?」

「それに、強くないから一緒に居られないのなら強くなれば良いじゃないですか……。守ってもらってばかりで何も返せてないのに離れるなんて、断固拒否します!!」


「天音ちゃん格好良い〜」

?「そうだねぇ言われたままで良いかスタ」

「っ!ピオさん」

「フッ…何やら面白い事になってきたねぇ」


 茶番は見飽きたとでも言いたげな視線に刺され、さしもの天音も気持ちを切り替える。頬の紅潮は夜風に任せるとして、此処へ来た目的を果たしに天音は声を上げた。

 出会った当初、一緒に居たいと言ったが今一度強く言霊を込め縋るように願う。身勝手な条件には身勝手を突き通す。それが彼女がメトロジアで学んだ術だ。


 かと言って天音の主張を野放しにもして置けない。老君リゲルが髭を持ち上げたと同時に砕けた声がスタファノの背を叩いた。声の正体は颯爽と現れたピオだった。音もなく姿を見せたピオは半歩下がった弟子を一瞥し、七幻刀の方へ歩いていく。


「"強くなければ強くなれば良い"。実に分りやすく単純な話だと思わないかい?」

「まさか…」

「そう。私は"七幻刀を師とし、超法術級の業を体得させる事"を此処に提案する!」

「七幻刀が…」

「師匠?!」

「ピオさん…ー!」


 天音の言葉を引き継いで、ピタリと立ち止まったピオは、足先を揃え凛々しく一案を呈した。提案と言うよりは宣言に近い堂々たる態度に、助け船を出される形となった天音もリゲルとカエデも全員度肝を抜かれる。


「かの者達に手を貸すと言うのかピオ」

「じ〜さん…貴方が戦友(とも)の墓に花を添える場面を度々見掛ける。情に厚い人だろう。それとな天音様の味方をせずに七幻刀が務まるものか。…じ〜さんの教えだ」


「七幻刀は王に仕え、国に仕える集団。メトロジアが国としての機能を失わずに保つ為に七幻刀が存在する。子供の面倒を見る暇などありませんよ」

「おや?その七幻刀へ入った理由、…カエデさんが一番可愛らしかったぞ。何なら此処で言いふらしてやろうか」


 師弟関係を結ぶと言う事は天音の仲間を七幻刀の住処に出入りさせると言う事でもある。ピオの意図を探るリゲル、対等のようで対等でない関係性が垣間見える会話はリオン達の耳に届かず、彼等は只々話が纏まるのを息を殺して待っていた。

 特に反対するであろう人物はアイニー、カエデ、セイルの三名。アイニーはシオンが足止めし、セイルに至ってはリゲルが許可を出せば受け入れるだろう。残りのカエデだが彼は、尤もらしい意見を出し抵抗の意思を見せるも相手のペースに乗せられ言い包められた。


「さて、此方は纏まった」

「纏まってませんが…」

「まだ文句あるのかい?良いじゃないか、側に置いてやっても」

「…爺様はリップさんの横暴、宜しいのですか?」

「どうやら傍らの者達が天音様の力を高めているらしい。霊族王アースから玉座を奪還する其の日まで、七幻刀にしがみつけるのであれば……仲間を振り解く事も無かろう」

「つまりは宜しい、と言う事」

「爺様もリップさんも物好きですね。態々捨て駒を増やさずともよいものを」

「捨て駒になる気なんて更々無いさ彼等は」


 強過ぎる絆ほど脆いものはないとリゲルは言ったが、ピオは"強きを結ぶ力こそ強きなれば"と返す。鯔のつまり、失わずに済むほど強くなれば良いと返したのだ。天音の想いを尊重した彼女を暫く見つめ、軈て折れた。

 情に厚いと云われた所以は此処に有り。深い溜息を付いたカエデに笑いかけたピオは素早く振り返り、良く喋る口をまた開いた。


「と、言う訳。七幻刀に付いて来れるのなら教えてあげる子供達。決めるのは己の心だ」


「あたしはガロブーを倒せる力が手に入るなら何だってやれる。やってやるさ!!」

「ライランと約束したんだ。必ず見付けるって。ゼファロを去った時も、吟遊詩を受け継いだ時も、僕の心は変わらない…!」

「…オレも何か言う流れ……?」

「スタ」

「!……う〜んオレは強くなりたいとか、霊族と関わりがあるとか、真面目な理由なんて一つも無いけどココが楽しいからココにいる。居たいと思える」

「みんな…!一緒に帰ろうっ」

「あぁ、強くなる眼だ。覚悟しな我等の修行は厳しいものになる。……スタ目を逸らすな」


 元より意志は定まっている。胸に秘めた想いすらも否定されるようであれば、願い下げだが七幻刀が否定したのは現状の実力のみ。今以上に強くなる事を其々が誓った。勿論、天音も修行は継続だ。

 一歩離れた場所で事の成り行きを見守っていたリオンは、無意識に安堵の溜息を零した。仲間が居る事、仲間を失う事、その全てを知る彼は自分でも気づかぬ内に気張っていたらしい。


 満面の笑みで皆を見つめる天音を見つめているのも、無意識だろうか。


―――

 七幻刀は捕虜の件や残りの面子に話をつける為、一足先に住処へと帰って行った。残された彼等も長居するつもりも無いので、談笑を交えつつ帰路を目指す。


「それにしても皆可愛いね」

「僕の方見て言わないでくれる……」

「天音ちゃんも着る?何着か残ってるよ」

「ほんと!?…わっ」

「気ぃ付けろ」

「…ありがとう」

「……」

「どうかした?」

「いや」

(今の馭者……何処かで?)


 夜風が心地良い夜中、話に夢中になっていた天音は高揚した分だけ前のめりになっており、気付けばヨロ付いていた。轍に引っ掛からぬよう片手間にリオンが助け、事無きを得るが助けた本人は何処か物思いに耽っていた。

 真夜中過ぎに軽快な音を立て、馬車が一体擦れ違った。それだけではリオンを立ち止まらせる理由にならないのだが、馬車馬を操る馭者に違和感を覚えジッと観察するように轍の先を眺めた。体格の良い馭者は確かに自分を見て、笑っていた。


――――――

 笑顔で住処に戻れた事を誇りに思っていると、突然人が吹っ飛んできた。


「ぐはっ」

「ひゃ!なに、なに!?」

「!シオン、何やってんだ」

「いてて。ん?リオン戻ったか」

「何故、五人で戻って来た」


 受け身を取って着地したのはシオンだった。彼は天音が去ってから帰ってくるまで、休む暇なくアイニーの猛攻を受け止めていた。短いようで長い時間、戦闘に縺れ込んでいたが何方も掠り傷すらなく息切れする気配も無い。実力の程が見えない二人はリオン達の帰宅に気付き、正反対の反応を見せた。


「話は聞いたよ。リオン、ぼくに追いつけるよう頑張って」

「なっ!?俺だって強くなってるぞ。何なら今此処で試してやろうかッ」

「まだ戦うの!?」


「オレを無視するな…。何故五人で戻って来たのか訊いている!!オレは誰かと関わり合いになるのはゴメンだ」

「そう言わずに、ちょっと修行見るだけでも…ね。アイニーさんだって独学の強さじゃないでしょう?」

「黙れ。お前に何が分かる。兎に角オレは絶対見ん勝手にしろ」


 紫の癖毛を掻き上げて、彼なりに無事生還を祝う。遠回しな言葉の意図はリオンに伝わらず、挑発と捉えていた。何事にも真っ直ぐ向き合ってきたリオンらしいと言えばらしいが、やる気満々の彼に緑目をスッと細めたシオンは苦笑を零した。再会してからゆっくり話す機会は無かったが、昔馴染の友人は何一つ変わっていない。


 和やかな空気を引き出す笑みを止めたのは眉を釣り上げたアイニーだ。明確な拒絶にも動じず、シオンは説得を試みるがとても成功とは言い難い空気のまま彼は住処の奥へと消えていった。

 アイニーの吐き出した感情に、動じない者がもう一人。口こそ挟みはしなかったもののリュウシンは、同じ風使いとして思うところは有るようで決意と共に片手を握り締めた。


「僕…先戻るよ」

「リュウシン…」

「俺達も行くか」

「うん。ふわぁ…安心したら何だか眠気が」

「足は洗えよ」

「勿論!…………ん?」

「リオンそれは無いんじゃないか?」

「女の子に酷い〜」

「?」

(犬扱いされたような…?気のせいだよね)


 時刻は真夜中をとっくに過ぎた。眠るには遅い時間まで寝ずに活動した天音は、ウトウトと睡魔に誘われる。リュウシンかアイニーの背を追いかけて先に戻ったのを気に止まった足を再び動かした。流石に今から修行を始めるわけには行かないと、常識に心を治めたティアナを誰か褒めてやってほしい。


 デリカシーの欠片も無い言葉に引っ掛かりを覚えるも何とか受け流す。シオンとスタファノは、天音が気にしていないのなら鈍感男への言及は止めておこうとの考えを一致させ無言で頷き合った。


―――


「…………」

『精々歯を食いしばっていてください。霊族王の目的、黒鳶の所在、能力、洗い浚い吐かせるので』


 仮面舞踏会の主は、月光すら碌に届かぬ暗中に投げ出された。ラルカフスの金属音と南京錠の金属音とが重なり、煩わしい音に変わる。


(流石、七幻刀。陛下の目的の人物の側に、自分を置く愚行は冒さない。……)

「自分の方が訊きたい。陛下の本音など霊族は誰も知らぬ……」


 片割れの仮面さえ撫でる事は叶わない。独りっきりの真っ暗闇で、何時始まるとも分からぬ拷問を待ちながらレアは独り言を空に逃した。本音を観察するのが趣味な彼が、本音を訊きたいと言った。それが何を意味するのか、逃げてしまっては解かり様もない。



―――

――――――

 メトロポリスにて。


「っ離しなさい!」


 一人の女が甲高い声を上げた。女の名はリゼット・クロセル。先日、王命を全うする為に雪山ドラグを襲撃し、七幻刀と対峙した。老兵ヴォルフとレオナルドの機転により、大した被害も出ずメトロポリスに戻った。


「何を、しているのよ……。目の前に居たのに、命令を放棄して何がしたいの!?」

「エボーさん、協力感謝します」

「うむ。ワシは国へ帰り此度の顛末を報告しよう」

「待ちなさい。貴方、本当のところ何の為にメトロジアに来たのよ。誰に、何を、報告するって?」


「ワシは只の孫と孫のお友達が可愛くて仕方ない爺だ」

「私の前で程度の低い理由が曲がり通ると思っているの……?」

「っー〈法術 テレポート・アイ〉」

「レオっ!?」

「悪いな……今はこうするしか無いんだ」


 七幻刀の力量は定かでは無いが、手の届く先にリオンと天音は居た。リゼットにとって愛するアースの望みを叶えられず、眼前で奪われたと言うのは屈辱の度を超える。彼女の怨恨は必然的に奪った相手に向けられた。

 ヴォルフが何者か腹の中は何色か、王命に背き続けるのなら容赦はしない。澄まし顔の老兵に冷ややかな視線を向けるリゼットは、利き手に冷気を纏わせた。


 善悪を判ずる一言が空気を震わす前に、レオナルドは行動に出た。咄嗟に発動した法術によりリゼットの華奢な身体は暗がりの回廊に置き去りにされた。


(一体、何なのよ。アース様に付き従うのが我々霊族の存在意義…。何が世界平和よ!馬鹿らしい)

「……」


 ガツンと愚痴が鳴る。行き場を失った冷気は彼女の心に籠もり、口角を下げさせる。メトロジア城内に飛ばされたらしく、態とらしい音を立て玉座の間を目指す。レオナルドもヴォルフも既に周辺には居ないだろう。全く以て理解出来ぬ二人を邪険に見捨て、次第に足音を抑えていく。


 遂に無音になった時、リゼットの足先は玉座の間へ通ずる扉が聳え立っていた。


(…アース様に何と報告すれば……っ私の所為じゃない。私は悪くない…)

「入れ」

「ーっ!はい」


 期待を向けられたにも関わらず命を達成出来ず、剰え消化不良のまま戻って来てしまった。悠々と開く筈の扉が何時までも開けられずに言い訳ばかりが脳内を埋め尽くす。

 遂には呼ばれてもないのに王の手を煩わせる訳にはいかないとの考えに至り、爪先を引こうとしたが王の一声が思考回路を奪う。



 扉は自らの手で開け放った。


「アース様」

「どうした。我の前に頭を垂れよ」

「はい……」

「期待の成果を聞こうではないか」

(顔を上げられない、目を合わせられない…)

「……」

「リゼット」

「…っ申し訳有りません!奴等を既のところまで追い詰めたのですが、レ…っ同族の妨害により見失い、ました……。現在、奴等は何者か存ぜぬ者と共に居り匿われていると…思われます。アース様の御心を(いたずら)に弄び、剰え失望させた罪…面目次第もございません」


 氷点下の玉座に其の人は君臨していた。何度も見た光景だ。今更、君臨したなどと感想を抱く必要も無い筈だ。それでも思わずには居られない。知らない冷気を纏うアースに促されるままに頭を垂れる。

 凍える大地で人間は何刻、耐え得る事が可能だろうか。心は何℃冷えるだろうか。呼吸すらまともに機能せず、今にも詰まりそうだ。


 愛しい人に、温度のない声音で名を呼ばれ矢継ぎ早に言葉を並べ立てた。たった今、呼吸を思い出したかのような突発的な言葉の剣幕を受けたアースは、金色の双眸に虚ろを映した。


「処罰を何なりと……!せめて最期の命は自らの手で果たして見せましょう。…御命令を」

「無駄に立ち止まっていた訳では無いようだ。覚悟には相応の褒美を。特別に我が罰しよう」

「アース、様…!」

(あぁ……貴方の手で終われるのなら、それほど幸福な事はない。けれども血で汚れる貴方を拭えぬ事だけが心残り…………)


 漸く顔を上げる事が出来た。漸く目を合わせる事が出来た。漸く、体温が上がるのを感じた。玉座から一歩また一歩と降りゆく姿はまるで命を刈り取る死神の様で、両膝を付いたリゼットは祈りを込めて死神を見上げた。

 虚構を映す瞳から逃れられはしない。僅か一滴の雫が氷柱となり、心臓を突き刺す。目を合わせているのに視線だけが噛み合わない。


 白く染め上げる魔の手がリゼットに伸び、


?「ゔっ…!」

「!」

(なに、が起こって!?)


 放たれた罰は小爆発を起こし罪人を仕留めたかに思えたが、実際は何もかも違った。

 其の瞬間、彼女の身体は背後から迫った影に覆われ傷一つ付かず処罰を免れた。代わりに罰を喰らったであろう人影が流血を伴う傷を負い、苦し紛れに猫目を歪ませた。


「レイガ」

「ハァハァ…くっ」

「どうして、レイガが出て来るのよ…っ。邪魔しないでくれる?!」

「我の許可なく部屋から出る事を禁じたが、何故歩き回る」

「……」

「言葉も出ぬか」


 ウルフカットの少年はレイガ。肩の傷口を押さえる為、リゼットを離し必死に呼吸する。突然の介入にもアースは眉一つ動かさずに何故と問うた。

 アースとは対照的に、リゼットは気が動転としており助けられたお礼よりも先に困惑をぶつけた。


 双方から刺されるレイガは噛み締めていた唇を解き、熱の籠もった吐息を漏らした。


「何故、はオレの台詞だ……!人の命を軽んじて奪う奴に命令などされたくない」

「、…」

「我が愚弟レイガ。貴様は其の時が来るまで大人しく、何事にも干渉せず、無為に過ごすのだ」

「こんな時ばかり兄(ヅラ)か…ッ」


 苦痛を押し殺し、冷えた熱に火種を撒いた。喩え芽は出ずとも仄かな温度は感じる筈だ。凍える大地の命綱になり得る温度を。


 リゼットに向けられた色白の手を引っ込めアースはレイガを見下げた。道化師の様に角度を練り上げた微笑と正面から向き合い至極真っ当な反論をしたが、内心は光へ連れ出す事を諦めていた。

 そして、本人達の会話からアースとレイガは兄弟である事が判明した。然しながら性格も体温も正反対だ。


「…気が変わった。愚弟と呼べど殺しては我が計略に支障が生じる」

「アース様、…」

「贖罪の機会を与えよう。我の元で我の願いを叶えてみせよ」

「!」

「リゼット、行くな」

「……」


 一つ一つの仕草が兄弟の、挽いては王と民の確執を生む。嫌な汗がレイガの頬を流れ落ち、力を込めていた片手を緩める。気持ちの悪い一滴の鮮血を最後に、出血は治まったが状況は悪化する一方だ。

 レイガに手に掛けない様子を、兄弟の情と呼べたなら兄弟の血が流れる事も無い。血痕と良く似た色の長髪を翻すとアースは玉座へと戻った。


 軽く手を差し伸べ戸惑うばかりのリゼットを闇夜へ誘うアース。リゼットの手を取り怯える仔猫のように懇願するレイガ。

 誘いと願い、二者択一の場でリゼットの眼孔は右へ左へ泳ぐ。愛に盲目な彼女でも何方が光か、は理解に足る。浅い呼吸を何度も繰り返し、正常を保とうとするが恋に恋する心臓は早鐘を打ち鳴らす。そうして、


「私はクロセル家の令嬢として、黒鳶序列三位として、アース様の手となり足となる…。たとえ仕えるべき主が――」

「リゼッ…!」


「それでこそ我が同胞」

(独善王だとしても)


 そうして、光を振り解き闇夜を受けた。

 光を失った暗紅の瞳に呆然と立ち尽くすレイガが映る。なんと情けない姿だろう、なんと頼りない光だろう、いや、本当に光だったのか?


「レイガ…部屋へ戻れ」


 目眩する光は玉座に在り。月光に脅かされた疎ら星の様にレイガは玉座の間から逃げ出した。



 氷点下の世界も住めば都。呼吸も心臓も随分楽になった。今の自分は、熱に魘された後の恍惚感を抱いている。


 吐く息は白く、熱く。


――― ―――

 出血は止まった筈だが、足取りは重く足枷でも付けているかのようであった。身体中が沸騰したらしい感覚に襲われ、フラフラと壁に凭れかかった。霞む目元を必死に見開き扉に手を掛けた。


「お待ちしておりましたレイガ様」

「なんで、ココに居る……シエラ」

「大変。顔色が優れないようで」

「オレは…、アイツを……!」


 天蓋ベッドでゆっくり傷を癒せるかと期待していたが、扉を開けた瞬間願いは吹き飛んだ。何故か居座るお目付け役は、当たり前のように薬草と包帯を並べ揃えていた。疑念ばかりが浮かぶ状況に文句の一つでも言ってやろうかと考えていたが、上手く呂律が回らない。


「ハァッ…ハァッ……」

「おやおや。過剰なストレスは毒ですよ」

「…レは…ッ、…」

「酷い熱」

(まるで内に秘めた熱が暴走しているような…未熟で未発達な熱)


 全身が脱力し、這う力すら残されていないレイガは意識朦朧の中、右肩の傷を上にして只管苦しむ。自分が何を言いたいのかも分からずに、無けなしの気力で虚空を掴む。


 明らかな状態変化に慌てず、レイガの額と自分の額に手を翳して酷い発熱を確かめた。次に、シエラは空を握り締める拳に掌を重ね微笑を零した。普段目にする妖しげな表情ではなく、主人を想う従者たる表情だった。

 シエラの笑みをレイガは知らない。その後、意識が戻るまでの看病も彼は知らない。



 最期まで知らない。

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