第95話 マスカラーズ・タイム
雲隠れした月がお目見えした夜中、一人の少女が裸足で駆けていた。走るには少々大袈裟な裾を持ち上げて吐息を漏らす。
「えっと、シオンが渡してくれた地図はコッチ向きだから……」
素足に届くひんやりとした感触に身体中が反応してしまいそうになるがグッと堪え、石畳の上を小さく跳ねながら只管歩みを止めない。
失いたくない仲間の為に、協力してくれたシオンの為に、地図と睨めっこを続ける健気な天音に不運と幸運が交互に舞い込んだ。
(うっ…!?転ぶっっ)
?「プリンセス。そんなに急いで何方に?」
「!」
前方不注意により、小石に躓いた天音は危うく転倒しかけ目を閉じる。一度転んだくらいではヘコたれないぞと強く心に言って聞かせたが、幾ら待っても衝撃は来ない。どころか馴染みある鈴の音がシャンシャンと鳴った。
戸惑いながら目を開けると"彼"が自分を抱き止めていたではないか。
「メリーさん!!」
「天音…攫ってしまいたいくらいキレイ…。裸足で外に出ると危ないよ?怪我しちゃう」
「えへへ実は、訳あって皆のところに行かなきゃいけなくて…」
「ワタシが連れて行ってあげる」
「え!でも…」
「側に居たいから、じゃダメ?」
「…ありがと……わっ!?」
「ワタシを見て天音」
「メリーさん?」
歯車がデザインされた衣装に身を包み、天音の手を取る彼はクリス・シャン・メリー。久方振りの再会に現を抜かしそうになるが、気を引き締めて行くべき所があると告げた。
天音の纏う女神装束と彼女自身に見惚れ、頬を赤らめていたメリーさんは首を傾げてニッコリ笑った。素足が傷付く前に、と言うのは建前で本音は只、側に居たいだけだ。
押しに弱い天音が同意したと分かると少しばかり強引に引き寄せ、抱き上げた。近寄った瞳と瞳が交錯し微熱を生み出す。今宵も風が吹いていて良かった。鈴鳴る度に頬の熱が穏やかなものへと落ち着いていく。
「プリンセス…目的地は?」
「っあの、仮面舞踏会に……重くない?」
「全然。こんなことも出来るくらい軽いよ」
「わっ…!」
「一つだけ、聴かせて天音…今から向かう場所にリオンは居る?」
「?いるよ」
「……」
(このまま攫ってしまえたら良かったのに…。天音の心だけがずっと静かなまま。天音、今だけはワタシを見て)
まさか"連れて行く"が"横抱きで連れて行く"だとは思わず戸惑う天音。遠慮がちに尋ねた謙遜は直ぐさま彼に撤回される。メリーさんはふわりと風に乗ると、そのまま屋根に乗り上げ移動を始めた。人一人を抱えて蝶の様に飛んでいく姿と一人では見る事も無かった夜景に魅入った天音は感嘆の声を漏らした。
上下に揺れる眼下の光を見つめる彼女に一つ尋ねごとをした。心の中で分かっていながら尚も口にした自分は醜いほどに独占欲が溢れていた。
せめて今だけは、自分に心が向いてほしいと天音を抱える手の力を一段強めた。
(メリーさんの心臓の音、何だか…時計の音みたい。聞こえなくなった途端消えてしまうような小さな小さな音……)
噂に聞いたポスポロスの大鐘が鳴り響く。何処へ居たって聞こえる大鐘よりも天音はメリーさんの小さな鐘の音に耳を澄ました。それはまるで時間を忘れた時計の様で、天音の心には小匙一杯分の不安が募った。
――――――
「〈法術 マスカラーズ・タイム〉」
舞踏会を抜け出して月明かりの下、レアは優雅にお辞儀をした。たった独りに注がれたカーテンコールに視覚を奪われてまいと瞳孔を下方に移す。滴り落ちる血は合計で三点。瞬きの後、潤いを保つ血痕は不可思議な動きを見せた。重力に反し、逆流する赤は徐々に人の形を象り始めた。合計で三体。
「今宵の仮面舞踏会はこれにて幕降ろし。仮面の下を覗く不届き者には、延長を」
「ぐっ…!?」
「お前ら!」
「っ僕達なら大丈夫」
「クソッどう言うつもりだ霊族」
「貴方が一番厄介そうな相手なのでね、自分自ら打って出るまで…。それに確かめたい事も無きにしも非ず」
レアが眼光鋭い面を上げると、血液から生まれた謎の人型三体は一斉に襲い掛かってきた。速度、間合い等々が完全一致したソレ等が力任せに一撃を振るった。
リュウシンは盾変化で何とか受け止め、ティアナは一瞬意表を突かれるも顔面スレスレのところで回避し、スタファノは間合い外に出て鞭で相殺を試みた。
無論、リオンも構えていたが一切手を出されず素通りされてしまい、体よく味方と分断されたと察し、レアを眼付きの悪い面で睨んだ。
「マスカラーズ・タイム、それは白昼夢の様に目覚めと共に視覚を覆う夢幻。両眼を開けて、余興をお愉しみあれ」
「くっ」
「あの時と同じだ。…いや、あの時より多分強い」
「〈法術 辻風〉!……なんだ、この違和感…」
(身体が重い……!)
(思うように動けない)
姿形がレアと似通っており、ご丁寧に仮面の割れ具合も同じなマスカラーズ達は好戦的に攻め入る。普段とは違う衣服の所為か、はたまた未知の法術の所為か、節々の動きに感覚が戻らない彼等は押され気味だった。
只一人、スタファノだけはマスカラーズと互角に対峙していた。聴覚の恩恵もあるだろうが、一番は数十分前に似た光景を見ていたからだろう。見たと言っても代わり身に使用しただけの法術未満なのだが、来ると分かっていれば対処も速い。
負けん気の強いティアナが誰よりも先に打ち砕こうと前へ前へと躍り出る。どうやらマスカラーズは前進する事はあっても後退する事はないらしいと推測し、果敢に拳を振るうが一向に当たる気配がなかった。
リュウシンは普段より間合いを広く取り、広範囲に辻風を放った。当たらずともマスカラーズの行動を制限出来れば優位が取れると判断したが法術発動後、違和感に気付く。
(動きが鈍くなってる?)
「何をした」
「何をするにせよ本体を倒してしまえば関係のない、貴方はそう考える人だ」
「嗚呼…お望み通りやってやらァ!!〈法術 滾清流〉!」
体術も法術も躱されると言うよりは、自分達の身体が強張り実力が半減したような感覚に陥る。当初は言い訳らしい言い訳で誤魔化していたが段々それも険しくなってきた。
リュウシン達の異変を何だと問い質せば、態と文末に被せ扇動する。煽りに乗るなら良し、動きが単調になるなら万々歳、何処へ転んでも有利は変わらぬ。
「はっ!!」
「……!」
(思いの外冷静。然し、益々仮面が崩れていく)
滾清流を青色の盾で受け止め切ったレアは二、三歩後退すると助走をつけて跳躍した。頭上を取り、体勢を整えられる前にアストを放った。避ける時間は与えなかったが、レアの予想を上回り迫りくる攻撃を回避したリオンは、滾清流の焦点を頭上に合わせた。
扇動に乗らなかった彼を冷静だと評しつつ盾変化で再度受け止める。
「降りてこいよ」
「見えてくるは本音か正体か。貴方の青髪、正確には天色と呼ばれている」
「は?」
「目は口ほどに物を言う。霊族に対して只ならぬ思いがあるようだ」
「……」
「憎しみか、哀しみか。懐疑か。素直に夢幻の術中に嵌まれば良いものを」
「何が言いてぇ」
「国王陛下の頼みに、よく似た人相だと感じまして。ねぇ此方の国の騎士団長さん?」
「それがどうした。どっちが先に引っ捕らえるかの勝負だッ!」
(別段、命令に従う気も背く気も無いが……手中に治めるのも悪くない)
空中に留まった状態でリオンを見下げる。彼の髪色より僅かに淡い月が見守る中、口をついたのは視界に映る男の正体について。服装を替えエトワールも旧友に預けた状態だが、人間観察に事欠かないレアの前では容易に仮面が砕かれた。
元騎士長だが逐一訂正を入れるのにも飽きてきた。敢えて否定せず、右手で掛かってこいとばかりに煽るリオン。彼の思いは憎しみか、哀しみか、懐疑か。
―――
「〈法術 火箭・三連武〉……ーっあ!?」
「ティアナ!」
「あたしに構うな…。目の前の敵に集中しろ」
リュウシン、ティアナ、スタファノの三人はマスカラーズに苦戦を強いられていた。それもその筈、実力の半分も出せない現状では黒鳶の術に抗うすべは無く、ジリ貧で一方的な戦いが展開されているだから。
マスカラーズを間合いギリギリまで引き付け、火箭・三連武を放つ。瞬時に現れた三本の火矢と共に分身に喰らいつくが攻撃が当たらないどころか一部が空洞化し貫通してしまった。息を呑み狼狽えたティアナは、間合いの短さが仇となり強烈な一撃を鳩尾に喰らった。
衝撃で身体が宙に浮くも、強がりなプライドを持つ彼女は膝を付く事だけは阻止し、マスカラーズの片目をガンと見やる。
「…僕達の動きが明らかに鈍い。敵の能力は分身を作るだけじゃないのかも」
「先ずはカラクリを解き明かす必要がありそうだね。オレの耳は相変わらず色んな音を拾ってるから聴覚に変化はなさそうだよ」
「法術は擦り抜ける…。当たる当たらないではなく、効かない可能性もある」
「それから、分身の動きは生物と言うより機械に近い。決められた動きに沿ってるようにも見える…」
個人個人で戦っても良いが、こうも一方的だと固まっていた方が賢明だ。リュウシンらは息を合わせるように一定の距離を保ち、敵の観察を続ける。
戦闘の後、それぞれの得た情報を擦り合わせ仮面を剥がしていく。地味な作業だが一歩ずつ確実に絡繰に近付いている筈だ。
「強さは…生身のレアのほうが上かな〜」
「っぐ…!」
(考えろ…考えるしかないんだ!法術が効かないなら本体を優先すべきか、いやでも動きが制限されてる以上、分身を躱しながらじゃキツい)
「あたしはアレコレ考えるのは向いていない。倒す手立てが分かったら教えろ。必ず倒す」
「勿論っ」
仮定と考察を繰り返し行い、絡繰の紐を解こうと熟考するリュウシンは盾の強度を見誤り、傷を受けてしまう。可愛らしい衣装に重苦しい血が滲むが幸いにも傷は浅い。
攻撃が効かぬのであれば無理をして術を出す必要はない。普段より大股一歩分、間合いを取り腹部の傷を押さえた。
「へ〜鞭も擦り抜けちゃうんだ。キミの音は静かで好きだけど、オレには聞こえるよ」
(…っ!今、一瞬硬直が解けた?)
「ーっっ解りかけたかもキミの事」
スタファノは考え無しに鞭を振るってる訳ではない。少しずつ場所を変えながら、弱点はないか探っていたのだ。息遣いも無ければ足音も無いマスカラーズはスピード特化型のようで、出遅れたら即見失う。
まるでステップでも踏むかのように平行に移動して攻撃を躱し、こめかみ付近に鞭を当てた。直後、眼光が閉じ身体に自由が戻った感覚を味わう。再び開眼するように片方の光を取り戻したマスカラーズに、手首を弾かれるがスタファノの口角は上がったままだ。
「リュウシン、ティアナ、分かったかも知れない」
「本当かい!?」
「うん。断言は出来ないけど、恐らく敵の目が開いてる時オレ達の動きが鈍くなるんだ」
「!なるほど…」
「ならば目を潰すか」
一段声を上げて、左右の二人を呼ぶ。身体の重さを感じながらそれとなく互いの距離を縮め、スタファノは先程の一連を話した。確定した訳ではないが試す価値はある。
「連携して倒そう。……それと"潜入前の約束"、忘れてないかい?」
「覚えてるよ〜」
「よし、行こう!」
"潜入前の約束"を三人とも確認し合い、いざ勝負に出る。
―――
場面は再びリオンVSレアの戦場に移る。攻守の入れ替わりが激しく、平行線の戦闘が続く中でレアは一つ疑念が生じていた。
(合図はまだか…!)
(可笑しい…。余りにも視線が動き過ぎている)
「懸念か…。然し気を乱すほど不安に思うとは考えられないが」
「なにゴチャゴチャ言ってんだ」
「自分の法術、並大抵の力では破れまい」
「お前を倒せば済む話だ。はっっ!」
水龍斬の斬撃波を空中で回避しながら、レアは顎に手を当ててリオンを観察する。一般人は疎か仲間内ですら意識しなければ見えない解れ、視線を仲間に向ける回数を過剰だと考え腹の中を探る。
斬撃だけでは埒が明かないとリオンが動く。大振りで一度斬撃を放った後、身体を深く地面に沈ませ跳躍した。
真顔を崩さないレアの目の前に現れたリオンは一度放った斬撃を回避するタイミングを見計らい、回転しながら水龍斬で斬りかかった。
「遅い」
「避けたな〈法術 瀑布深水龍〉ッ!」
「な…っ、うぐっ!」
回避すると見せかけて斬撃を盾変化で、水龍斬を飛び跳ねて避けた。耳に掛かる横髪が風でふわりと舞いレアは背を向けた。
こんなものかと内申、評価を改めていると背後から含みのある声が刺す。水龍斬は囮でここから先が本命だ。瀑布深水龍を発動させ無数の斬撃が多方向からレアに向かう。
回避の直後と言うのは意識していても、隙が生まれやすい瞬間だ。加えてリオンとの距離も近い。近寄らせてしまった失敗は傷となって返ってきた。既のところで盾を出したが、全てを防ぐ事は出来ず無防備の太腿に直撃して体勢と表情が崩れた。
地面の激突だけは避け着地したが、衝撃で血腥い鮮血が太腿に広がる。足を削られたと察知した時には、リオンの下に血腥い匂いが届いていた。
「空には逃さねぇよ」
「矢張り一瞥の評価など価値もない」
(向こうは、マスカラーズ・タイムが攻略されかけている……。フッ攻略したところで無駄な事)
スラリと立ち上がり、リオンを見据える。一見しただけの評価など無意味に等しい。故にレアは人を観察するのだ。観察を終えた彼の目に寸分の狂いもない。
―――
「〈法術 荊棘〉」
「〈法術 火箭・五連武〉」
(よし…順調だ)
『一体ずつ倒すより纏めて倒した方が楽だと思うんだ。だから先ずは分身を誘導してほしい……』
マスカラーズの絡繰を視覚情報だと判断し三人は行動に出た。ローザファッシと火箭・五連武を其々発動してマスカラーズに挑む。一人、地面に片手を置き不動を決め込んだリュウシンは即席の作戦を振り返っていた。
各個撃破が出来れば苦労は無いが、これまでの戦闘で力が及ばない事は分かっている。三体同時に倒す為、初手は三対二で特定の場所まで誘導する。
「オレ達はこっちだよ〜!」
(来た)
「〈法術 風囲い〉!」
ティアナとスタファノの目的はあくまで誘導なので無理に正面を向く必要はなく、マスカラーズの注意さえ引き付けていれば問題ない。眼光ガン開く視線に当てられ、速度も攻撃力も半分以下に落ちているが進む意志は上昇を続けている。
追い付かれそうになればローザファッシで制限し、攻撃を加える素振りを察知すれば火箭で対応し、漸く目的地であるリュウシンの正面に到着する。直前まで引きつけてから二手に別れ、間合いを取りつつ立ち止まった。
開けた視界にマスカラーズを捉えたリュウシンはサークルストームを発動させた。瞬時に円形状の風が分身三体を囲み逃さぬようキレを増す。
「うっ…ぐ…!?」
(なんて力強い)
「スタファノ!」
「はいは〜い。ごめんね少しだけ目瞑っててね。ティアナ!」
「はぁっー…。あたしが決める。〈法術 幻日・七連舞〉!!」
サークルストームを脱出しようと一点突破を図るマスカラーズ。覚悟していたが衝撃波を伴う力に危うく飲み込まれそうになり、歯を食いしばる。
次の一手を担当するのはスタファノだ。リュウシンの合図の後、鞭を枝分かれさせると一斉に分身の眼光を狙った。視覚を奪えば此方のものだ。狭いサークルストーム内では避け場も無かろう鞭を操り、ティアナを呼んだ。
最後のトドメはティアナが担う。マスカラーズの視覚効果が途切れ、万全の状態で幻日・七連舞を発動した。一箇所に固まっている分身は実に狙いやすく格好の的だ。
火箭より高火力な幻日と、サークルストーム内の風発とが合わさり強力な連携技となった。
「倒した……」
「擦り抜けなくて良かった。視覚を遮断したからかな」
「コッチは倒したぞリオン!!!」
瞬間的な爆風が巻き起こり、サークルストームは解除されリュウシン等は目を瞑った。次に目を開けた時マスカラーズは見当たらず、ぽっかり空いた空間が存在しているだけで彼彼女は確かな手応えを感じた。
"潜入前の約束"を果たす為、火花を散らしながらティアナは其の男の名を呼んだ。
(来た合図!)
「お前とのお遊びもここまでだ」
「……自分の法術を破った事は評価に値するが、余り調子に乗らない方が良い。―――甦れ」
「そんなっ…!?」
「何度でも再生可能の力、貴方方の力では倒せやしない」
「いいや倒せる」
「なに!?」
待っていた合図が叫ばれ、リオンはニヤリと笑った。まるで勝利を確信したような笑い方に姿勢を正したレアは淡々と口を付いた。不気味に光る眼の先で、倒した筈のマスカラーズが再び人の形を取り始めた。
何度でも甦るとレアは話す。それでは自分達が連携取って倒した意味がないと軽く絶句しかけたが、確信めいた笑い方を崩さないリオンは倒せると豪語した。
「分身は任せろ」
「本体は任せて」
『俺も付いていくが、あくまで視られるのはお前達だ。だから仮面舞踏会を開いてる奴を拘束するのは、……分かってるな』
呆気に取られるレアを無視し、振り返ったリオンは真っ直ぐ走り出した。またリュウシン、ティアナ、スタファノの三人も同様に地を蹴り彼と擦れ違う。
短い会話は信頼の証。"潜入前の約束"、レアを倒し拘束する役目は自分では無いとリオンは言い、彼等も同意した。
「〈法術 水龍斬〉ッ!!」
(自分の術に苦戦した者達が自分に敵うものか。……っ足が!?)
「今度は逃してあげない。〈法術 ペリコローソ〉…一度でも香りを嗅いだら花の虜となる」
「く…!使えぬ身体だ」
「はっ!それ以上、先へは行かせない」
「子供は睡る時間だと言って聞かせたのに」
「〈法術 突風陣〉ー!」
「ーーガハッ!?」
互いの風を感じつつ、走り向けた直後リオンは水龍斬を地面に叩き付け、マスカラーズの足場を崩した。彼の心配はせずとも良かろう。
幾ら三人一斉に掛かったとしても敵う相手かどうかは微妙なところ。レアとて黙って破られるお人好しでも無いが、片脚に鈍い違和感を覚え体幹が崩れる。先程リオンにしてやられた傷だと直ぐに思考したが、矢張り一瞬の隙は戦闘に於いて重要度が高い。
対処するより先にスタファノが動いた。力の入らない脚に鞭を絡み付け、ペリコローソを発動した。更にティアナがレアを足止めし、リュウシンが突風陣で最後の一撃を喰らわせた。
?「そこまでだ」
?「勝てたんですね一応」
「どっかでコソコソ見てると思ったが案外近かったな」
「!七幻刀の…リゲルさんとカエデさん」
(七幻刀?と、すれば……あの男が協定締結の場に居た星の民か)
幾ら黒鳶と言えど、ゼファロの長が編み出した突風陣は強力な筈だ。直撃を喰らい無事では居られず、だらりと力なく両膝を付いた。勝敗はレアの敗北により決した。逃走程度の力は残っていると見えるが、無理に抵抗しないレアは賢明と言えよう。
誰からともなく呼吸を整えた矢先、ピリリと空気が割れるように揺れ一同は月を見上げた。月光に輪郭を預けた其の者達は七幻刀、リーダー格のリゲルと糸目のカエデだ。軽々しい口調の先を片目で確認したレアは、面白くなりそうな一興を静観する事にした。
「レア・メアリム。異国の地で好き勝手が過ぎたな……。霊族は戦士を除く星の民と無闇に接触してはならない、と合意した筈だ」
(それは星の民側の妥協案…戦士ならば接触出来るなどと言う欠陥協定に端から意味は無い)
「自分は仮面を贈り、招待したまで。その先を望んだのはあくまで夢見る者達。…それに仮面を外すまでは彼等が霊族か星の民か、自分にも判りかねません」
「では霊族を国へ連れてきたのは其方か?」
「さぁ?」
「リゲルさん、黒鳶の者など今はどうでも良いでしょう。何時でも、何とでも聞き出せる」
「うむ…」
(一先ずの自分は捕虜といったところか。霊族側に帰ろうが居場所など現時点を以て消滅した。此方側に囚われた方が安全)
本名を知り、黒鳶と知り、目の前の老体は後、自分の何を知っているのだろうか。仮面の下で喉を通らぬ言の葉を生成し、一匙の嘘を交えて吐いた。表面は取り繕っているが唾を吐き捨てるような態度を感じ取り、リゲルは眉を僅かに顰めた。
静かなる攻防戦の腰を折ったのはラルカフスを付け終えたカエデだった。彼は霊族より星の民に興味があるようで、本題に入るよう催促した。
「合否は?」
「不合格」
「「「!」」」
「霊族はあたし達が倒した!何故だ!?」
「てんで話にならない。術に掛かる時点で見限りました」
「オレはかかってないけど?」
「貴方が掛からなかったのは実力でないと自分で分かっているでしょう」
「まぁそうだけど……」
「土台無理な話。元騎士長、異論は?」
「…俺の期待には応えてくれたぞ」
「リオン…」
「異論は無いと」
七幻刀は元々、三人に合格判定を出す気は無い。其れを知っているのは七幻刀自身と盗み聞きした天音であり、仮面舞踏会へ潜入中だった彼等が不合格に驚くのも解る。
リゲルは黙秘を続けているが、カエデは口八丁手八丁で、適当な理由を見繕い突き付けた。尚も不服を訴える彼等を知らぬふりしてリオンに向き直った。
態々元騎士長と言うからには次の一言に、それなりの責任を伴わせる気だと察したリオンは、論評を避け彼らしい素直な評価を零した。糸目とは思えぬほどの眼力を向けるカエデに同じように眼力をぶつけ、バチバチと無駄に溝を深めた。
「仲間とは、時に己をも弱くする。背中を預けた者が次の瞬間には血溜まりに伏せていた…経験はあるか?悲しみの隙を突かれ、終いには共倒れになる。幾度となく見た光景だ。強過ぎる絆ほど脆いものは無い」
「ですって。ハイ解散!」
「……」
?「その判決ちょっと待ったぁぁ!」
「…は?天音!?」
「天音様…」
「間に合って良かった」
まるで駄々っ子に言い聞かせるように両手を二回叩いて、カエデは遠回しに帰れと言った。歴戦を生き抜いた老君の言葉も気になるが此処で話を逸してしまったら、それこそ敗北だ。口論でも拳を交えても、勝てぬ相手を納得させる手段が見付からず心臓だけが意思表示をしていた。
刻々と過ぎていく時間に焦りを感じ始めた刹那、重々しい空気が星明りに吸い込まれていった。
シャンシャンと鳴る光が皆の元へ駆け付け、メリーさんは天音を丁重に降ろした。
ポスポロスの初夜は、一層更けていく。




