第85話 止める力
暴走リオンVSジャック 戦場は異様な空気を望む。
変容は頭部から順に下っていく。皮膚が引っ張られる感覚を味わいながら宝玉に其の身を委ねた。左右に一角ずつ牛角が形成され、次いで口元。此方も左右一対の牙が生え揃い、人ならざる者へ足を踏み入れる。
平熱を裕に超えた肉体から異常な熱を逃がすように息を吐く。だらりと下ろした両腕に戦闘中とは思えない猫背、焦点の合わぬ両眼、下方より流れ来る水属性のエフェクト。
開いた口から熾烈な戦闘を乗り越えた肉体から、赤色の液体が流れ出る。身体の変化に対応し切れておらず鋭利な牙が自分自身を傷付けていた。焦点は未だ合わないがジャックは確かに感じた。標的と見なされた瞬間を。
「ウゥ……!」
「ゔぅっぬ!?!…ぐっ、はぁはぁ」
「………」
リオンが僅かに身動ぎ、ジャックは構えの姿勢を取ったが一秒経たず眼前は銀世界のみを映した。リオンは消えていた。何処へ行ったのか、脳が理解するより先に左腕に激痛が走り悶絶する。消えたように見えたのは視線が追い付かなかったから、悶絶するのは単純な力が倍増されているから。
漸く理解した。リオンは肉眼で追えないレベルで瞬時に真横へ回り、左腕を掴み粉砕骨折させたのだ。痛みを堪え急いでリオンから遠ざかるとジャックは左腕の状態確認も疎らにリオンを観察する。自ら起こした事態に急速に迫り来る死を、ジャックは視た。
(左腕は…使えんか)
「これこそ正に死闘ッ!!!闘いの究極地点!死を感じぬかリオン!!」
「グァァ…グゥ!」
死と隣り合わせの死闘。何方かが死するまで終わらない戦闘にジャックは笑った。死を恐れての笑いではなく、激闘の末に果てる事が出来る本能的な笑いであり紛れもないジャックの本望であった。
ジャックは兎も角、リオンは死闘など更々御免だ。意識は完全に途切れているが無意識に死に反応し、必死に抗う。空に向かって叫んだ。己の存在を主張するように叫んだ。誰も応えない。溺れていく深海に、溺れていく。
「グワッ」
「ぬがっ!!」
またもや状況を理解せぬ内にジャックは血反吐を吐く。有り得ない速度で懐に入ったリオンは脇腹に手刀をめり込ませ、深手を負わせる。手刀のみならずリオンの近くに居るだけで気力が削ぎ落とされる感覚に陥り、彼の周りで回る雫は肉を抉る。
近付いては駄目だ、思考する、遅い。死、
「グゥゥゥ…!」
?「はっ!」
「ガッっ」
「いやぁ危なかった」
「!…レオナルド貴様が何故来る?」
「そりゃあ決まってるだろ。騎士団長サマを止めに来たんだよ」
目前に迫った死を回避出来ないジャックを救ったのはレオナルドだった。音もなく上空から現れるとリオンの意識が乱れた隙に肘打ちを喰らわせて、着地する。
窮地を救われる形となったが礼一つせず、ジャックは少々不機嫌に問うた。助けが来なければ今頃地に伏せているのはジャックの方だが、と口に出そうになった言葉を内に秘める。
レオナルドの口調は普段通り、何処か緩さを感じるが面持ちは真剣そのもの。地に伏せるリオンはゆっくりと立ち上がろうとする。異次元の速度を手に入れながら何故、立ち上がるのに苦労するのかと言うと。
「あ〜あ…血を出し過ぎだ。騎士団長サマ、それ以上流血すると…、本当に死ぬぞ」
「グ…ッ」
「良いのか?……このまま殺されても」
(あの角…前回は左のみだったが今回は左右一角か。角は皮膚から直接生えてるな…強さはどうだ?!)
「レオナルド、死闘の邪魔をするでない」
「こっちもこっちで面倒だな。左腕使えないだろ。黒鳶上位の力、見てろって」
そう。レオナルドの言う通り、出血多量なのだ。余りにも血を流し過ぎている。意識の無いリオンに言ったところで意味などないかも知れないが、意識を覚醒めさせる切っ掛けになる可能性もある。レオナルドはリオンに呼び掛けつつ暴走した宝玉について熟考する。
「グアアァ!!」
「ーッ」
(速い!?)
「ぐっ〈法術 テレポート・アイ〉ー!」
(スピード、力量共々あの時より明らかに上がってる。…姿形も仰々しい。行動に移すまで猶予があるのが幸いだな)
まるで攻撃を受け、痛みを感じているかのような叫声を上げて標的を変えたリオンがレオナルドの心臓部を狙う。厳戒態勢にも関わらず、一瞬反応が遅れた。右手から水龍斬に似た形状の斬撃を放たれたが最大強度の盾変化で防御し、テレポート・アイの発動を間に合わせる。瞬間移動の応用技、位置入れ替えでリオンと立ち位置を変えるとレオナルドは即後退した。
思い出されるカラットタウンでの出来事。あの時より暴走の力が強まっており幾つかの相違点を見つけるが、肝心の原因については不明瞭のままだった。
(力が強いのは…騎士団長サマが強くなったから?…いや違う。恐らく宝玉の暴走に実力云々は関係ない。…それに今の動き、身体と行動のズレは見当たらなかった。何かしらの力によって抑えられていたリミッターが外れてる…と考えるべきか)
「熱中ランプ、騎士団長サマと闘ってる時違和感を感じなかったか?」
「違和感だと?全く持って感じぬが」
「そうか」
(何かしらの力、を宝玉と仮定しよう。カラットタウンで一度宝玉が解かれたが為にリミッターが外れた…と考えられる。そしてリミッターが外れてるから宝玉の力も増している、との見方も出来る)
リオンは相も変わらず、ゆらゆら横揺れしながら標的を睨んでいる。時折苦しげに唸るのは地上へ上がろうと藻掻いている証拠だ。抗えば抗うほどレオナルドの考察が進むので彼からしたら抗ってほしいところ。
「ガァァ!」
「〈法術 ブレイブシャード〉!!」
「ウッ…グッッ」
「長くは持たんな…」
前回の暴走より超俊足のスピードも上がっており、見切るのは些か困難となっていたが来ると判っていれば対処のしようはある。暴走状態のリオンが標的に接近する際、僅かに踵を上げ雪面を擦る癖がある。つまり足元に注目していれば次の動作を見切る事が出来、リオンより一手先を取れると言う事だ。ジャックは僅かな癖を見切れはすれど対処は出来ない。これが黒鳶上位の実力かと目を見張り、リオンとレオナルドの間に入れない自分が情けなく悔しい。
瞬時に数メートルの距離を詰めてきたリオンに対し、レオナルドは斬撃紛いの攻撃と衝撃を斜め前に移動しながら回避しブレイブシャードを放った。出し惜しみはしない。強大な力を浴び、リオンは息を吐いた。大きく肩を上下に揺らし息をする。
(さっきの斬撃と言い、今の力任せな攻撃と言い、前回と違うのは力量だけじゃなく、思考力もだ。…思考する余裕も無いみたいだ。何が違う、前回と今回で。決定的な違いがある筈だ!場所か…状況か………あ?状況……)
「姫サマが居ないから、か……?!」
前回と今回の違い。ジャックに無理矢理宝玉を弄くり返された点も勿論違う。然し、決定的とも言える違いは別にあったのだ。レオナルドが行き着いた考察、天音が場に居るか否か。
(もし、そうだとしたら厄介…)
「ウゥッッ」
(騎士団長サマを死なすのは得策じゃない。然し意識の無い状態で暴れ回れてるなら気絶させようも無い…。アストエネルギー切れを待っても良いが、そもそもアスト切れはあるのか?)
天音が居ない事が原因の全てでは無いと考えたいが起因の一つにはなってるだろう。レオナルドの考えが正しければ途切れた意識で暴れ回るリオンは生きるか死ぬかの瀬戸際に立っている状態だ。若干死に傾き掛けた天秤を戻すには、はてさてどうするべきか。
「こうなったら騎士団長サマの意識を叩き起こすしか無い。…俺は期待してんだ。何時の日か停戦が崩れる時、世界平和に一石を投じる騎士団長サマの姿を…!」
まるで、遠くへ弾けと願われた一石が水面を駆けるように。鏡合わせに映る己が笑い話だと指差すように。小さな小さな変化は軈て大きな波紋となり、世界を飲み込む。
暴走リオンVSレオナルド 開始―――。
―――――― ―――――― ―――
「…っいけない」
ロッドとロス、二人が去って行き取り残された天音は涙が枯れるまで泣き続けていた。止められたかも知れない、此処にはない命を抱き締めて泣いて、涙を止めた。
自分はどれほど蹲って立ち止まっていたのだろうか。腫れた頬をそっと撫で、赤らむ体温を確かめる。
「……はやく戻らないと」
分家に戻らなければ、自分は好き勝手歩き回れるような立場にない。今この瞬間にも見えないところで悪意の切っ先を光らせている人物が居るかも知れない。
ロスの遺した日記を握り天音は立ち上がった。膝が笑っているのは慣れない雪上だからではない。天音自身が震えている証拠だ。間近で感じた死が天音の心に空洞を生ませる。
(…あ)
明確な意志を持って立ち上がったと言う訳ではないので、手に持っていた日記が天音の手からスルリと抜け落ちパラパラと捲れ雪上に着地した。
雪に落ちた日記とロスの眠り顔が重なり、また目元が緩みそうになったが唇を強く噛み堪える。早く戻ろう、皆が待っている。
「…ぇ!?……このページの…え」
日記を拾い上げ、持ち替える。捲れた頁は雪に接触してしまったので濡れてやしないか確認する為に持ち替えたのだが運命の悪戯か、天音が目視した頁は彼女にとって言葉を失うほど衝撃的な真実が記されていた。
声にならない音が薄ピンク色の唇から飛び出た。真実の核を名を、天音は声に出来なかった。早く帰らねば、皆に伝えねば。急く心を嘲笑うかのように直後、轟音鳴り響く。
「ー!な、に……まさかっ!?!」
雪山全体に響く轟音の出処は何処。麓ではない、では峰か、それも違う。峰の手前、天音が見上げた先が出処だ。短い期間に二度に渡る降雪、各地の戦火、そこから導き出される答えは。
「………雪崩」
以前、スタファノが超聴力で聞き取ったくぐもった音がある。雪崩の前兆であるワッフ音の事だ。今此処に居ない者より、今此処に居る天音は雪崩の轟音を聞き息を呑んだ。
両足が縫い付けられたような感覚を味わい、逃げようにも冷気を吸い込む事しか出来ず、自分はこんなにも弱いのだと自分自身に突き付けられた。
「はぁ…っ……いかなきゃ」
日記をそっと閉じ、抱き締めた。雪崩を実感した天音は幾度目かの呼吸の後、言いようのない衝動に駆られた。
ドクドクと脈打つ鼓動は次第に雪崩と共鳴し縫い付けられた両足を解く。
駆り立てる衝動を天音は知っている。以前にも全身を駆け巡った。来る星合の日、霊界山へ目を向けた時によく似てる。其の日、霊界山にいたのは、天音が会いに行ったのはリオンだった。
首元の楕円形ペンダントが一等輝き、揺れ動いた。そうして天音は走った。
《行かなくてはいけない…冷風は天音の髪を、服を揺らした。ヒューヒューと不気味な音を残しながら》
―――
「はぁはぁ」
眼前に広がるは霊界山、否。雪山。
熱い、心が熱い、零度に近い銀世界で天音の体温は上昇し続けた。
「伸びろ。エトワール……」
雪崩は止まらない。大凡の見解では十秒後に彼女を呑み込むだろう。つまり、此処から先の出来事は僅か十秒以内に行われたと言う事だ。
細やかな秒数など今の天音には無意味。何を思ってエトワールを取り出し、突き刺したか。伸縮自在な杖タイプのエトワールは伸びる。雪山に楔を打ち込むように。
「私が……止めるんだ!止めなきゃいけない、止められる。私には"止める力"がある―!!うわぁぁぁぁあーー!!!!」
エトワールを握り締め、天音は叫んだ。産声と云っても差し支えないだろう。体内を巡る熱はエネルギーと成りて、アストと絡み付き放出されてゆく。
瞬間、翼が生えた。アストエネルギーによる擬似的な真白の翼は一度に大量のアストエネルギーを放出した事による残留粒子が象った象徴。ルビ色の宝石も釣られて光り輝く。
王の器が覚醒する―――。
「〈超法術 キャンセラーダウン〉!!!!」
一秒時が止まる。雪崩の轟音も五感も何もかも感じなくなり、モノクロとなった。徐々に亀裂が生まれる。
一秒後時が進む。天音の持つエトワールの能力はアストエネルギーの伝達。地面に刺したエトワールを伝い、雪山全体を金色に染めた。雪崩が金色に触れた途端、威力を奪われ弾けて消えた。
其の日、雪山は光に包まれた。
「……っ雪崩が止まった…」
(止められた……私の力で。ううん私だけの力じゃない、皆が居てくれたから…色んな人と出会って色んな話を聞いて旅をして。……そして私が出会った最初の人は)
「リオン」
何時か話した事を覚えているだろうか。
アスト能力の後天的発現。
前々から兆候はあった。例えばアサギの朱殷消失、例えばゼファロでメリーさんを捕まえた時、極め付きは朧の発した"止める力"。ロッドが垣間見た王の器を天音は昇華してみせた。王の器、などと大それた話を引っ張って来られても当の本人は困惑するだけだろうが。
熱が放出され体温が正常に戻る。光も疎らになると翼も縮小していき、遂にはパッと消えた。アストエネルギーを過剰放出した天音はその場にへたり込むと雪崩の消えた峰を見上げた。強烈な眠気にも矢張り襲われるが、意識を失うより先にやるべき事がある。
天音は再び立ち上がり走った。夢人に会う為に。
――――――
「何だ…突然一帯が光ったと思ったらアストの流れを止められた……」
暴走リオンVSレオナルド 勝負付かず。
天音のアスト能力が雪山全体に作用したならば、戦場にも当然影響は及ぶ。レオナルドが法術を発動しようとした当にその時、一秒時が進んだ。
雪崩に関して言えば彼等には関係が無い。何故なら長時間上空に留まるすべを得ているから。適当なタイミングで盾変化を使い、空へ戦場を移そうと考えていたがその必要も無くなった訳だ。
「ガッッ」
「暴走も収まったってか」
「レオナルド」
「分かってる」
(今一瞬…何かが視えた)
止める力は宝玉暴走にも作用する。地に足付けたリオンは異形と成り果てる前に強制的に解除させられ、バタリと倒れた。
レオナルドとジャックが認識した問題は其処ではなく、リオンが白目を剥く直前に見せた状態だった。牛角も牙も言ってしまえば身体的変化だ。…そしてほんの一瞬見せた姿は装束さえも変化させていた。
(宝玉にはまだ先があるって事か。……前回が第一段階、今回が第二段階、一瞬視えたのが第三段階……恐らく其処で終わりじゃない)
「完全に使い熟せちまったら、天変地異を起こしかねない力だな。宝玉ってのは」
装束が変化した姿こそが宝玉の完全体だ。第一、第二段階まではレオナルドは止められたが果たしてその先は?未だ得体の知れない宝玉に冷や汗一つ流したレオナルドは一先ずの考察材料を手に入れ、目的を達成させた。
(こんなのが後、四つもあるのか)
「さっきの光と言い、上の奴等と言い、まだまだ死なせてくれそうにないな。ジャック、撤退だ」
「勝手に指示を出すでない!!死闘を邪魔され撤退など俺は従わんぞ!」
「勝負してやるから」
「ヌゥ……ヌハハハハッ。その言葉忘れるな」
(あ〜あ厄介な約束しちゃったよ……)
神話の時代、五大宝玉と畏れられた代物はリオンで一つ、残りの在り処は何処?底知れぬ超力の塊が何処かに在ると云うだけでレオナルドは神妙に衣服の汚れを払った。
リオンが目覚める前に退散したい彼はジャックに適当な約束を取り付け場を後にする。
「……」
ふと、レオナルドは立ち止まりリオンを一瞥した。彼は地に伏せたまま目覚めない。深手を負ってはいるが時期目覚めるだろう。
後に残ったのは血の足跡のみ。
――――――
―――
「ん……」
指先がピクリと反応する。
「ぐっ…俺はまた呑み込まれたのか……」
(啖呵切っといてこれじゃ笑い話にすらならねぇ)
目覚めて、最初に感じたのは痛覚。次に自覚したのは宝玉暴走。次第に覚醒していく脳で己の不甲斐なさを嘆く。暴走時の記憶は曖昧だ。ジャックの他にも誰か居たような気がするがどうにも思い出せない。血塗れの右手で頭を抱えてみても答えが落ちてくる事はなく、雑念が交じる。
(深海に呑まれた時、俺は誰かに引っ張られた。……そんな訳無いか)
深海に溺れたリオンに手を差し伸べる者が居た。青の光芒と共に深海に流れ降りリオンを出口へと案内した存在。霞む記憶の中で、唯一ハッキリと憶えている柔しい時間。光に紛れ顔は見えなかったが、リオンは其の熱を誰よりも知っている。
「!…誰かが近付いてくる……足音からして一人」
大人しくも意志のある足音が接近する。ザクザク雪を鳴らし真っ直ぐ向かってくる足音にリオンは警戒態勢を取った。何処ぞへ去ったジャックが戻って来たのかも知れない、新手かも知れない。
見つめる視線に人影一つ。
「り……………お、ん?」
「っ!!………………あま、ね?」
良く知る声音で名を呼び合う。
彼女は、天音は泣いていた。
――― ――――――
心が指し示す場所を目指し走った。ペンダントは今でも御守であり、自分には到底似合わない重みでもある。
探し続けた人影を見つけ、歩みを止める。互いの名を呼び、存在を確かめ合う。きっと自分には想像もできない様な激しい戦闘が繰り広げられたに違いない。リオンの呆けた表情を見るに辺りに敵勢力は居ない、と確信し一歩彼に近付く。
一歩、二歩、三歩、足跡を向けて。再会した夢人の彼は何時もボロボロで平然としている。一粒、二粒、三粒、流れて。また体温が上がる。先程のアストエネルギーに対する熱などではなく正真正銘、心の熱。
―――
落ちた、音がした。
「リオン!!!」
「天音…んで此処に」
覚束ない足取りでリオンに近付いた天音。途中よろけて、無意識に中途半端な右手が伸ばされるが天音は一切気にせずリオンと距離を詰め、そして抱き着いた。
彼女が涙を流している理由も抱き着いてきた理由も知らず、リオンは当惑する。
「うぅ…」
「……汚れるぞ」
「う…っぁあああー…っぁあああー!」
「血の痕ってのは中々落ちないんだ」
「ぁああーっ!、うっ…ぅ」
「お前は汚れなくて良い」
溢れ出た感情の滝は止められなかった。落ち着いた筈の涙は湧水の如く流れ落ちた。生きてるリオンを確かめるように一層強く身を寄せ、目元を腫らす。聞こえた声に今日だけは応えられない。
また、辛い想いをさせてしまったのか。只、護るだけでは天音は救われないのか。視線を落として目元を細めてみても、己の血で汚れた彼女は潤わない。こんな時、何と声を掛ければ良いか自問自答しても正解が見つからない。
(リオン、生きててくれてありがとう)
(血濡れた手じゃ…触れる事さえ)
血濡れた両手では彼女を慰められない。触れる事さえ憚られるほど、汚れなき純白は鮮血と混じり紅涙となった。




