第78話 憧れの人
―回想―
白屋根の家に姉弟が居た。陽だまりが心地良い風を運ぶ日、ベビーベッドで眠る男児をつま先立ちで見守る姉は心に誓った。
「ホプロは私が守るからね」
ピーコック姉弟は歳が離れていた。ラフィーネが物心つき歳を跨いでからホプロが産まれた。それ故に庇護欲は高まり、時にお節介と言われてしまう事も。然し彼女の中にあるのは何時だって変わらない家族愛。初めて弟を抱いた感触をラフィーネは生涯忘れはしなかった。
「ラフィーネ姉さんが作ったの?この服」
「うんっ。やっぱりよく似合う。着心地はどう?」
「とても柔らかい。姉さんの心が伝わる」
「嬉しいわ…また作るね」
それから幾年月か。ホプロはすっかり口が利けるようになり学校へも通い始めた。同時に姉を慕う心優しき子に成長した。家族の為とラフィーネは裁縫を学び料理を学んだ。彼女もまた淑やかな心を持つ女性に成長した。
先日、小さくなった子供服を片付け新しく戸棚に仕舞い込んだ半袖を気温に合わせ取り出す。興味津々なホプロに着せて反応を伺うと嬉しい一言が返ってきた。ホプロの言葉は心の底からの真だ。姉が弟を、弟が姉を想う温かな家庭で二人は暮らしていた。
―――
「ホプロ〜早いね帰ってきたの?…ホプロ?」
ある日の事、学校から帰って来たホプロが玄関で蹲り動かなかった時があった。挨拶の出来る弟が帰宅後の挨拶も無しに微動だにしない。明らかに様子の可笑しいホプロに近寄り声を掛けた。
「ホプロ!!その怪我一体どうしたの!?」
「……」
玄関に投げ捨てられた一足の靴と血の擦れ痕。ホプロの身体を擦るように見つめたラフィーネは顔面蒼白でホプロの両肩を掴む。至るところに傷を作り瞼は痣で塞がっていた。特に酷いのが脛辺り、肉が見えてしまっている。見上げた瞳は虚ろを映し、ラフィーネの呼び掛けに無反応だった。
「この時間ならまだ居るはず…。ホプロ、此処で待てるね?直ぐにおじいちゃん呼んでくるから!」
「…」
応急手当でどうにかなる傷の深さでは無かった。唯一の幸いは出血が止まっていた事だろう。ホプロの身体を隈なく調べ、玄関を飛び出した。姉弟の祖父に報せに行ったのだ。
鍵も掛けられず開けられたままの扉に視線を向け、ゆらゆら立ち上がると姉の背を追うように何時までも扉の先を見つめ続けた。
「姉さんの為だよ」
―――
「おじいちゃんホプロ治りそう?」
「心配せずとも良い。治る傷だ」
「良かったぁ」
暫くの後、ラフィーネと共に血相を変えた祖父ヴォルフが白屋根の家に到着した。玄関に居るホプロを一瞥し、ラフィーネに指示を飛ばしてからヴォルフは治療を始めた。
小瓶に入った白縹色の液体を脛の傷口に掛ける。下に零れても良いように事前にラフィーネに布数枚を敷かせた。
「…っ」
「安心せい。少々染みるがこの小瓶の液体は治癒の力が閉じ込められている。大抵の傷は治る」
「そんな高級な物…っありがとうございます」
「よい。家族として当然だ」
目盛りの入った小瓶から流れる液体は何処でも入手出来る水分の様で、そうでは無い。傷口に不思議な液体が染み、虚ろのホプロは僅かに表情を崩した。痛みは感じるらしい。
思わず引っ込めかけた足に仄かな体温を感じた。両目に光が宿らぬまま体温の正体を探す。見つけた。低温液体を掛けるヴォルフの手だ。皺の入った手が力強くも優しい訳を学校では習わない。
治癒の水は遺憾なく力を発揮した。見る見る内に脛傷は塞がっていき完治した。同時に小瓶の中身も空になり、ラフィーネは何度も頭を下げヴォルフに感謝する。
「……」
「何が合ったか話せるか?」
「ホプロ…」
「…否定したかっただけだった」
「学校で何かあったのね」
光が戻らなくとも、光は見つめられる。ホプロは経緯を尋ねたヴォルフでは無く包帯を巻き終わり手を握ったラフィーネに目を向け一言声を絞り出した。日常が続いていたならば現在時刻、学校に居る筈なのだ。ホプロを不安にさせまいと握った手が震える。
次の言葉は無かった。ドアノッカーが来客を報せたから。半開きの口が閉ざされ姉の手を握り返す。
「誰だ。こんな時に」
「お世話になっております。教師です。ホプロくんの様子を伺いに来ました」
「そうであったか」
「先生、ホプロの身に何が」
「対人関係でトラブルがあったようでして。自分も把握したばかりで何と話せば良いものか」
「ラフィーネはホプロの元に付いてやってくれ。儂は外で話してくる」
畏まった態度で現れたのはホプロの通う学校の教師。ラフィーネも世話になった事のある教師で彼女からの信頼度は高い為、教師に縋るように事情を訊く。
歯切れの悪い言い草から察するに伝え方を迷っているようだった。対人関係トラブル程厄介で後味の悪くなるものは無い。ヴォルフは自分が一番に把握せねばと教師と共に外へ出た。後に残されたラフィーネはホプロの髪をそっと撫でた。
「きちんと話せる?」
「ラフィーネ姉さんの為だよ」
「私の為?」
慈愛に満ち身を案ずるラフィーネが虚ろの瞳をジッと見つめる。姉の目を真っ直ぐに見つめ返し、ホプロは先般の出来事を話し始めた。
ホプロには友人と呼べる相手が居ない。姉さえ居れば十分だった。他人と無闇に関わらず平穏に学校生活を送っていたが、平穏無事に終わらないのが人生の厄介なところ。前々からホプロを一方的に嫌っていた連中が事を起こした。男女比率三対一の四人組でホプロより歳上な彼等は教師陣の隙を狙ってホプロを呼び出し、囲った。
暫く罵詈雑言を浴びせ愉快に笑っていたが無反応なホプロに苛つきリーダー格の男が胸倉を掴み殴った。無反応どころか、冷ややかな視線で自分を見上げたのが大層気に食わなかった。
何処で聞きつけたのやら、ホプロの衣服が姉の手作りだと指摘しすると、いきなり泥を被せてきた。泥の臭い匂いが鼻につき表情がふっと変わる。ホプロが恐れた。姉への愛を侮辱される事で。大人しい彼しか知らない連中はホプロが怯えたと勘違いし、これ見よがしに袖の一部を切り裂き屑同然に扱った。
プツンと世界が途切れた。ケラケラ嘲笑う四人組から一旦離れ、倉庫に向かうと灰被りのバケツを取り出し池水を満杯に掬い、四人組の元へ戻って来た。奇妙な行動を罵倒する彼等にドシドシ近付くとリーダー格の男の黒髪を乱暴に掴んだ。抵抗されても何処を蹴られようとも決して離さずバケツ水の前に連れ出し、思いっきりバケツ水の中に沈めた。
髪を掴んだ状態で3秒。3秒後、水から引き上げ情けない姿の男を覗き込むようにして目を合わせると、ようやっと言葉を発した。
『謝れ』
『誰が謝るっ…フガっっ!』
『謝罪は心からするものだ。謝る意思を心から示せ』
男は意地を張り謝らない。謝らないから再度水に沈む。謝る謝らないの騒ぎでは無い。水に浸る度、枯渇する酸素に飢えバケツの埃と池水の藻が吐き気を呼び起こす。オマケに髪の毛が引き千切れる寸前だ。5秒、8秒、11秒と生真面目に秒数を伸ばしていく。
狂気じみた行動に周りは手を出せず冷や汗を垂らすばかりで役に立たない。
『謝れ』
『あ、やまるか…らヤメ…てくれ』
『姉さんを侮辱した事。姉さんの心が込められた服を汚した事。姉さんを否定した事を』
『お前の姉さんは良い人だ。俺が悪かった』
『姉さんを語るなッ!』
15秒後、男の限界が来た。鼻血を流し片手でホプロと自分との間に壁を作る。すっかり萎縮してしまい怯える男に謝罪までの猶予を与え手を離した。謝罪の意思を示したは良いが安易に姉を肯定してしまったばかりにホプロの地雷を踏み抜き断罪された。
先に手を出したのは男だが可哀想なまでに仕打ちを受け同情すら湧いてくる。ホプロが男の胸倉を掴み拳を握り締めたタイミングで漸く取り巻きの三人が間に割って入った。
ホプロと男を引き離そうとするも中々どうして離れない。この時ホプロは戦士としての力が覚醒し掛けていた。鯔のつまり、アストを体外へ放出する力だ。下手すれば死人が出かねない身体の変化など露知らず、ホプロは男を一発殴った。人を殴ったのは初めての事だった。
『オラたちが悪かったから、この話は止めよう!な?』
『まだ心からの謝罪をしていない』
『悪いのは全部僕達!もうお前に関わる気は無いって』
『だから止めよって言ったのに。姉だか何だか知らないけんどキモっ』
『侮辱したな』
ホプロを宥め、リーダーの男を担ぎ立ち去ろうとする子分達。自分達が悪いと言いつつ適当に話を合わせ直ぐにでも逃げ出したい気概がチラホラ見え透いている。それだけならば或いは無事で済んだのかも知れないが、ホプロを睨み付け女が口走った。女はホプロを侮辱したのだが生憎、彼には姉を侮辱されたようにしか聞こえていない。
徐ろに残り少ない池水入りバケツを片手で持つと、遠心力任せに放り投げた。子分の男共はホプロの一挙一動に注目していたので身を低くし、避けられたのだが女は真正面から水を被った。しかも金属製の鈍い痛み付きだ。
女は感じている以上の痛みに悶え、その場で吐き戻した。女に好意を抱いていた男は女の受けた恥辱が許せないらしかった。子分を振り払い、刃物を振りかざした。素人同然の動作で偶然当たってしまった。裂かれた肉の音と見た事もない血飛沫に、短い悲鳴を上げ四人組は遂に逃げ出した。
『痛い…死ぬ』
立ち上がろうとしても脛が裂かれ上手く立てない。子犬のようにワンワン泣き付きたい心を抑え、男が捨てた刃物に手を伸ばした。
刃物を、バタフライナイフをホプロは懐に仕舞った。
「ラフィーネ姉さん折角作ってくれた服を汚してごめんなさい」
「ホプロ貴方……!」
事の発端から現在までの道筋を話したホプロは、姉に服を汚した程度を謝罪した。他に向けるべき目を一切持っていないホプロは姉に微笑んだ。
ラフィーネは言葉を失った。弟が殺傷を伴う事件に巻き込まれたのもそうだが、一番は強過ぎる思いを抱えている事。はてさて言葉で伝えたところで弟は理解できるだろうか?
辿り着いた答えがホプロを抱き寄せ一言ずつ、ハッキリと口に出す事だった。
「ホプロ駄目よ。貴方は人を傷付けてしまったの。分かる?」
「?姉さん…僕は何か間違って。だって姉さんの為だって思って…」
(姉さん怒ってる。嫌われる……!嫌だ嫌だ)
「私は貴方の姉として家族として貴方を育てる。だからホプロ、私以外の世界を見て」
「……」
「ホプロは、とても大きな感情、心に身体が追い付いていないの。たったそれだけの事。けれどね、身体は置いてけぼりにされると自制が効かなくなる。何でもかんでも壊すのは簡単。けど暴力以外の解決策を見つけようね。ホプロの為に。ホプロ自身が刃を向けられない為に…」
人を傷付けた事実よりラフィーネに嫌われる方が何十倍も怖い。自分は嫌われるような事をしたのだとホプロは考えた。姉の言葉が届けば良いのだが。
怒鳴り散らすのは簡単だ。然しそれでは、独裁者の恐怖支配と何ら変わらない。ホプロの未熟な心が何時の日か昇華する時に賭けてラフィーネは聖母の如き声帯を震わせた。
「??ね、…ぇさん。?僕どうして………」
「人が人として在る為に心を学んでいこう」
「姉さんも一緒なら僕は心だって学べる」
(私の心を見ても世界は映らない。世界の広さを何時か見つけられるだろうか)
当分は姉離れ出来そうにない弟を強く抱き締めた。何時か離す時まで。
――――――
其れからホプロがマーシャルと知り合ったのは間もなく。学校での一件は広まりはしなかったものの、いじめっ子達は堪えたようで学校で会う事も無くなった。ホプロの心には丁度良いかも知れない。
「ホプロと友達になってだいぶ経つなぁ。暇も潰せるし、楽しいし、一石二鳥だな!」
ホプロとマーシャルが友人と呼べる間柄になってから数年、この世界の月巡りに譬えると数十年経った。お気に入りのヘアバンドを装着したマーシャルは今日も今日とて白屋根の家に向かう。
「ホ〜プロ居るんだろ!…鍵が開いてらぁ…。入るぞ〜…」
―――
…マーシャルが戸を開く数十分前。
「マーシャルくんとイイコでお留守番しててね。行ってきます」
「何処へ行くの」
「昨日言ったじゃない。大切な人の所よ」
此の日、ラフィーネは逸る心をめかし込んで支度を整えた。大切な人と言うのは彼女の心を見れば一目瞭然だ。彼氏である。何故急に彼氏なのかと言うとホプロの成長を彼女は常々感じ、そろそろ己の幸せに目を向けても良い頃合いだろうと結論付けたからだ。
(完璧な姉さんに、そんな顔は似合わない)
「何時かホプロにも紹介するねっ」
(完璧な顔が崩れてる)
「何度も聴いたよ」
「あらそうだった?」
(姉さんが離れていく。あぁどうして姉さんが僕から離れていく…?)
「あれ〜?棚に仕舞ってあったネックレス何処に行っちゃったんだろう」
「その人から貰ったんでしょ」
「まぁ…ね。えへ」
(普段ネックレス着けないのに……っ姉さんが変わっていってしまう)
「首元が寂しいけど時間だから行かなきゃ。行ってきますホプロ」
「駄目だよ姉さん」
「えっ?」
無限空間の心は誰にも見えない。譬え親しい間柄であったとしても心を言葉、相貌、に変換させなければ通じる事は不可能。闇が深ければ深いほど想いの強さもまた増強されてゆく。
ホプロは心に広がる想いの空間を制御出来ず、闇思考へ溺れた。闇から見える一筋の光を繋ぎ止めたかった。
出掛ける寸前のラフィーネを振り向かせたホプロは、姉の支度中に隠し持ってきた包丁で胴体を突き刺した。
「ホ…プ……ロ?っ!何を」
「きっと姉さんは最期まで完璧なんだろうね。ねぇどうして僕から離れていくの?」
「ホプロ……!」
「離れないでよ。ラフィーネ姉さん」
自分は刺され自分を刺したのが弟だと気付くまで時間は掛からなかった。微笑むホプロと自身の胸元を交互に見る。丁寧に突き刺されたのでホプロには返り血は飛ばず小綺麗なままだった。
そして、自分を刺した理由刺された理由に気付いた時ラフィーネは涙を流し、ホプロを引き寄せて身体を擦った。
「??」
「言ったでしょう。何でもかんでも壊したら駄目だって。私が離れていくと思った?たった一人の弟を置いて。ホプロは大切な家族、会えない時もずっと心に居たわ」
「ラフィ…」
「大好きよ。ホプロの心はもっともっと数多の想いが入る。私以外を見てみて世界は広いから」
「ぇ…?」
まるで慰めるように、あやすようにホプロを見つめて言葉を遺した。身体が全く言う事を効かなくなり座り込んでもホプロの身体を擦るのを止めなかった。死にゆく命、せめて最期の想いよ届け。
世界は広いと言い遺しラフィーネはだらりと力を失くした。血広まれど言葉消えず。
姉の亡骸を光の消えた瞳で眺め、ホプロは自分自身に包丁を突き刺した。姉が作った服を汚すのを嫌い、態々袖を捲ってまで刃を突き立てる。
マーシャルが扉を開けたのはホプロが五度目の刃を血で染めた時。
「なん、だコレ」
「……」
「なにし、…何をして。…ラフィーネさん!」
「マーシャル…」
「その物騒なモン捨てろって!」
「痛みを感じない」
「…は?」
「痛みを感じないんだッッ!!!」
扉を開けた先、真っ先に飛び込んできたのは血染めの現場。地面を見つめた次、動く足が見え恐る恐る視線を上げる。友人が自分で自分を刺していた。遂に気が触れたか。左右の目が動揺で揺れ、視界の端にラフィーネが映り絶句した。
変人の類だと思ってはいたが、よもや一線を超えてしまうとは。詰まりに詰まって漸く絞り出した声は過剰なまでに荒かった。
然しながらホプロは、マーシャルより数倍荒々しい叫声で場を震わせた。脳が理解を拒む現場でマーシャルは友人を凝視した。ホプロ自身が血腥い存在になってしまった瞬間でもあった。
―回想終了―
――――――
―――
リュウシンVSホプロ。今当に決着が着こうとしていた。
「ハァハァ」
「ハァハァ…!」
植物群落が広がる戦場に苦し紛れの息遣いが風を起こす。狂風で切り取った樹木は天然の木製武器として無数に浮かび、標準をリュウシンに合わせる。恐らく互いに限界の二人は次の一撃で勝敗が決まるだろう。
(自然の風はもう使えそうにない…。アストも底が見えてる。どうする!?突風陣で決めるには周りの武器が邪魔だっ!)
「フッッ!」
(来た…!)
「考えてる暇は無い」
残り少ない選択肢で何が出来よう。アストが底をついたら意識が飛ぶ。濃厚な敗北回避の為に頭をフル回転させるが敵が待ってくれる訳が無い。
ホプロは離れた距離で天然の木製武器をリュウシン目掛けて飛ばした。無駄な動きを見せないのでは無く、無駄な動きが出来ない。ホプロも限界だ。アスト残量も精神面も。
正面から三本、ライズゲールを纏った脅威が迫った。攻撃を一度でも受ければ立てなくなる。そんな嫌な予感を振り解く為にリュウシンは駆け出した。
山林の立地を活かし紙一重で二本避けると眼前に迫った一本を盾変化で受け止める。
「ぐっ…!」
「受け止められるほどライズゲールは軽くは無いッ!」
「うっ…!ぐわぁっ!!」
重い重い想いの化身ライズゲールはドリルのように木製武器を回転させると盾を削りに掛かった。一本なら止められた可能性もあるが、盾で受け止めた隙に残り全ての木製武器を真正面から放った。回り諄く背後を突いても良いが、ホプロは正面のみで十分だと判断した。
ホプロの判断は正しかった。一度に捌ける許容を超えリュウシンの盾は長く保たず砕け散った。盾で防御した分、威力は落ち直撃も避けられたが限界が近い身体には堪えた。
風発により持ち上げられた身体が地面に叩き落され力なく項垂れる。
「コインを寄越せ。勝敗は決まった」
「ぐぅっ…ぅゔ」
(身体が全く動かない……目がっ霞む…)
「俺の心は喜んでいるだろう。痛みを感じられたら喜びももっと感じられただろう…」
(負けたくない…絶対に!僕の身体立て!立ってくれ!)
「…。ゆき?」
全身に通う血液が流れ出る。雪山環境も相俟って身体が悴み、力を出すどころか指一本動かす事すら出来なくなった。放っておけば死の危険が漂う中、リュウシンは諦めていなかった。指先の感覚が消える前に、どうにか最後の一撃を決めねば。
不意に一粒舞い落ちた。一粒また一粒ふわふわ舞う。再び降り始めた気まぐれ雪はリュウシンの心を平静させた。
「僕は負けられない」
「この状況で何が出来る」
「だって僕が負けたら憧れた人に合わせる顔が無いじゃないか」
「…良い加減にしろ。…ッ」
「僕はゼファロ出身風使いのリュウシンだ!〈法術 辻風〉ーー!」
「な…んだと!?!」
憧れた人は敗北寸前の場面でも勇気をくれた。リュウシンは倒れ込んだまま勝つ事だけに心を集中させる。総合的に見ても自傷を繰り返したホプロの方が流血は多い。彼が貧血気味にフラつき目線を下げた瞬間をリュウシンは見逃さなかった。
カッと目を見開くと突風陣ではなく、辻風を発動させた。威力は突風陣に劣るが、辻風で良いとリュウシンは確信した。辻風のみで迫られてもホプロを倒すに至らない。
故に大粒の雪を巻き込んだ。辻風と雪風が擬似ホワイトアウトを生みホプロを包む。
「ーっ!!ガッ…!」
「ハァ…ハァ、風使いが風対決で負ける訳にはいかない。僕の勝ちだ」
威力の弱い辻風と言えど、立っているのがやっとの相手には十分威力を発揮する。擬似ホワイトアウトはホプロの視界と体力を削り辻風でトドメだ。吹き止んだ時、ホプロの身体は傷付きその場にバタリと倒れた。
最後の一撃が決まり安堵したリュウシンは樹木を支えに立ち上がると風で舞ったコインをキャッチし一つにした。
表か裏か。人は独りでは生きていけない。他者と共存し、己の世界を広げる。或る時は他者に対して光を求める。光は心に宿る。
リュウシンVSホプロ 勝者リュウシン
――――――
欠けたコインが一つになり、道筋を照らした。少しばかり休息を、と甘えそうになるが一度目を瞑ってしまったら幾らでも眠れる自信しか無いので、仕方無くコインの光の筋を追う。
「…小屋の残骸?」
光筋が導く先は半分以上、崩れた小屋だった。崩れたと言うよりは縦半分が何らかの事情で消し飛んだように見える。消し飛んだ?
「星の民」
「っ!」
(何時の間に!?気配が全く無かった)
「何驚いてんの?力の差は歴然。分かり切った事でしょ。コイン渡して消えてくれる?」
小屋をまじまじと見つめるリュウシンの真横にリゼットが現れる。まさか此処まで実力差が出るとは思わず、気分は奈落の底へ突き落とされたようだった。リゼットが今直ぐに自分等に牙を向かない事実に幾許か助けられる。
小屋の損傷はとても気になるがリゼットに訊ける雰囲気とは到底思えないので素直にコインを渡して立ち去ろうとするも、物陰から見えたシルエットに目が留まった。煙草を吹かす姿には見覚えがあり過ぎる。
「よー風使い。元気してたか?」
「き、きき…!君はあの、っ時の…!!」
「レオナルドだ」
「何で!?」
(まさか他の霊族と結託して来て…)
「怖い顔するなって。因縁の相手って訳でもないだろ」
「え!?いや、…因縁っていうか…」
「どうだ、少しは強くなったか?」
「勿論!……じゃなくて!!」
「ただ観光に来ただけだ。偶々ってな」
(そんな理由で良いとでも!?!)
「星の民。私は虫の居所が悪いの!とっとと私の前から消えなさい」
「あぁうん…、?」
まるで旧知の仲の様に手を振りリュウシンを歓迎するレオナルド。旧知の仲はある意味間違っていないのだが、調子が狂うと言うか何と言うか。敵わなかった強敵と優雅に茶を啜れるほどリュウシンの警戒心は薄らない。
レオナルドのペースに乗せられないように睨みを利かせるも小動物の威嚇にしかならない。敵対する気はないらしいが、レオナルドの目的には納得しかねる。観光とはまた雑に出たものだ。
虫の居所が悪いリゼットはリュウシンの手からコインを奪い取ると粉々に砕いてしまった。彼女の行動も大概だがレオナルドの印象が強く、ツッコミが追いつかないまま回れ右で半壊した小屋を後にする。
視界の端に腕組みして薄ら笑いを浮かべるジャックが映り、なるほどリオンのコインが光らない訳が分かった気がした。
茜色の空もきっと戸惑っている。




