第73話 其の身を蝕む呪いは、
ロスSide
―.不器用な貴方の傍に居る私はもっと不器用。縫い合わせた針がジグザグ道を作る。
『ロス…』
―.知らない人が勝手に名付けた名前を貴方が呼ぶから愛しい。
―.貴方を殺すのは私。
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天音Side
「鍵空いてる…」
時刻は昼過ぎ。天音は手早くポンチョを身に着け、離れの扉を開けた。誰の声も聞こえないが時折鳴る物音が人の気を強くする。
(ココから聞こえた)
木製の床が軋む音を聞き、とある部屋の前へ着く。そこは全ての部屋の中で一番狭く一番ガタが来てる部屋でもあった。何時床が底抜けするかも分からないので、ドラグ家の人間も余り近付かない部屋だ。
無事で居ますようにと祈り扉を開いた。
然し、彼女は後悔する事になる。声を掛けてから開ければ良かった…と。
―――
「ろっ…ド……」
「あっ…」
狭い部屋の中、男女が二人が居た。転寝しているロッド。彼を見守るロス。此処までは良かったが、天音に気付かないロスが取った行動が驚嘆であった。
無風にも関わらずふわり舞うロスの触角。色白の肌が縋る様に紅々と染まり指の合間が絡まる。瞼を閉じ、視覚を断つと触覚に意識を委ねた。彼の知らぬ間に甘い熱が彼を求めて重なる。
(き、キキキキキ……す、してる!?)
「ん?」
「ひえっ何も見てな…、です…!!!」
「ふふ」
「あれ、おれ何時の間に寝て…。今誰か…」
「あ…」
「天音様が?!」
(も〜〜私のばかぁ!!思いっきり邪魔してしまっているよ……!)
情人同士の仲睦まじい接吻を、天音は両の目でガン見した。純情乙女な彼女には刺激が強過ぎる上に先程まで恋だの愛だので散々悩み倒した身では受け止められる筈も無かった。
室内へ一歩踏み込んだ右足が床を鳴らし、ロスに気付かれる。目眩を起こす勢いで首を振ると慌てて扉を閉めた。急上昇した熱を逃がすように長嘆息を漏らす。自分と同い年かと思っていたロスが自分より何十歩も先に大人の階段を登っており、悶々と後悔する。
一方、目が覚めたロッドは僅かながらの身動ぎをするが余りにも近しいロスの距離には何も言わず、寧ろ指を絡め返してから彼女に説明を求めた。天然なのか、はたまた。
「天音様」
「ひゃい」
「ひゃい?」
「…、…」
「丁度良かった。天音様にも伝えたい事が」
「伝えたい事?」
戸に手を置くとロッドは天音に声を掛け存在を確かめる。返事をしなければ余計な心配をされそうなので取り敢えず短く言葉を発するが、ショックが抜け切れず腑抜けた声が出てしまった。天音の心情など知らずに疑問符を浮かべるロッド、矢張り天然か?
「ペンダントの件で…少し」
「無理しないでね。元々私の不注意で取られてしまったものだし…本来なら私が自分で取り返さなきゃいけないから」
「おれ達話し合って決めました。最後の力を何処で使うか。天音様の為に使いたい。おれとロスの我儘を訊いてはくれませんか」
「う…ん」
「我儘?最後の力?」
「明後日、全ての決着をつけます」
(何の事かよく分からないけど…とても真剣な目…)
「分かった。また来るね」
扉を開け、ロッドとロスと天音が再会する。二人から発せられた単語の意味も理解出来ぬまま天音は彼等に同意した。正直、何故其処までペンダントに執着を見せるのか天音には分かりかねるが、真摯な眼に誠意を感じ二人を信じる事にした。
――――――
―――
「サラくんは?」
「落ち着いて寝てる。テオが付いてくれてるから大丈夫!」
「アロマだって大変なのにごめんね急に」
「良いって。私らの仲じゃん」
分家の一室にアロマ、イリヤ、オリヴィアの三人が集まっていた。高さの不揃いな本棚と睨めっこ中のイリヤと申し訳なさそうに謝るオリヴィア。適当な本を手に取りパラパラと捲りながらアロマは爽やかに笑った。
「…今の話が本当なら当主として黙ってはおけない」
「イリヤそっちはどう?」
「う〜ん無さそう。絵本だと思ったんだけど違うのかな」
「分家にあるのはコレで全部だから…やっぱり宗家にあるのかも」
リオンの治療中、首元に見えた不思議な模様の正体を探して本の山を積むが中々辿り着けない。イリヤ達から聴いたアロマも模様に関して心当たりがあるようで協力していた。
宗家に有ると言う事は余程重要な模様なのかも知れない。アロマは寝不足で働かない頭をフル回転させて考え、思い出す。
「あ〜〜〜!」
「合った!?」
「違う違う。確かに宗家に合った絵本の挿絵に似たような模様が描いてあった!!」
「……って事はまだ確かめようが無い…んだ」
「どんな本だった?」
「ほら私達も子供の頃に読み聞かせて貰ったろう?ドラグ家にしか無い絵本だよ!」
「あの双龍と女の子の話…!」
「そんであの絵本は破けたページを修復したまま放ったらかしにしてた筈だ」
「でもこの部屋の本は隈なく探したよ」
稲妻の如き衝撃が全身を駆け巡り、アロマは叫んだ。どうやら彼女達の記憶は正しかったようだ。宗家で見たのならば残念ながら実物は確かめようが無いが、奇跡的に分家に有るらしい。一時的な保管とは聞こえは良いものの要するにド忘れしていただけだ。何はともあれ大雑把な過去の自分に感謝し、アロマは戸を開けると大声で指示を飛ばした。
「ウィルー!聞こえる!?」
「聞こえるどうしたのー!」
「二階の空き部屋から青表紙の絵本取ってきて来んない?」
「あ〜あの物置部屋化した場所ね!もちっ」
「ありがとうー!」
「アロマ…言い出した私が言うのも何だけど、絵本の内容って」
「御伽話じゃなかったんだよ」
「アロマさん!!」
「ん、カシワ」
「用がある時は頼ってください。分家当主の立つ瀬がありませんから」
「アッハハ!スマン」
珍しく赤髪を下ろしボサボサ状態のウィルがアロマの声に応える。アロマ以外の姉妹は皆分家で暮らしており一人一人個別の部屋があるがウィルが出てきた部屋は、使われなくなった子供部屋だ。分家襲撃の際に破壊された家屋の一部をカシワと共に仕分けていた。
アロマのちょっとした依頼に快く承諾すると渡り廊下を駆けて行った。ウィルの後に同室から顔を出したカシワがアロマに分家の身としての苦言を伝えた。当時はお手伝いだったカシワが何時の間にやら分家を支える役職に就いていた。時の流れは早い早い。
「アロマ〜見つけたよ!」
「じゃ、リオンのところに行こうかっ」
「私は此処に残るよ。本の片付けしないと」
「私もカシワもやる事残ってるし、一緒には行けない」
「そうですね。最優先は建物の損傷を確かめる事ですから」
「イ〜リヤ!君は付いてきてくれる?」
「…うん、まぁ行くよ」
「アロマさん何かありましたら是非俺を呼んでください」
「分かってるって!」
程無くしてウィルが青色表紙の絵本を片手に階段から降りてくる。彼女から絵本を受け取り号令を掛けるが全員では行けない為最終的にはアロマとイリヤの二人のみで行く事に。
言い出しっぺのイリヤは余り気乗りせず、暗い影を落とした。そんな彼女の変化に当たり前のように気付いているが敢えて何も言わずにアロマは先を急ぐ。
――――――
「また僕の負けだ。君には敵わないな」
「ゼファロに居た頃より格段に動きは良くなってる。その調子だ」
「すぐにでも並び立って見せるよ」
リオンとリュウシンは来る決戦に向けて特訓をしていた。何処かへ消えたティアナとスタファノはさておき、休憩中の二人は特訓の総評を交わした。手にした飲料を飲み干し組手を再開しようと軸足を踏み込んだ時、正面の扉からノックも無しにアロマ達が入ってきた。
「リオン。私達の為に戦ってくれてる事、心から感謝するよ。時間が無いのは分かるが二、三質問に答えてくれ」
「そりゃ構わねぇが……」
「じゃあ失礼っ」
「え?!」
「アロマ…なんて大胆」
「何がしたいんだお前は……」
「ふむふむ。確かに同じだ」
「そんなっ」
真っ直ぐ大股でリオンに近付くとアロマは黒ネックの肌着をグイッと引っ張った。無駄に抵抗しないのは信頼の証だが、イリヤの呟き通り実に大胆な行動だった。隣のリュウシンもこれには驚いたようで頬を引き攣らせる。
呆れるリオンを余所目に手元の絵本と実物を見比べ同一性ありと判断する。彼女の言葉に真っ先に反応したのは状況を知るイリヤだ。
「最近、水晶石へ入ったろ?」
「あぁ。技返して貰う為にな」
「私が勧めたから間違いないよ」
「水龍と…火龍にも会ったのかな。何か妙な事を言われなかったか?例えばそう首元の文様とかドラグ一族の祖先についてとか」
「そういや言われたな。全部終わったらドラグ一族の最初の奴の話をどうたらって」
「へー初耳」
「態々言うもんじゃねぇだろ」
肌着から手を離して話を進める。リオンは腕組みをし、水晶石での出来事を思い起こす。脳内で煩い奴等が騒ぐもんで耳を塞ぎたくなるが我慢して内容を絞り出す。躊躇いがちに言葉を紡いだアロマだったがリオンの返答を聞き困った顔をした。
「実は、火龍と水龍を水晶石へ封じた私等の先祖はリオンと同じ位置に同じ文様が刻まれていたと伝えられてる」
「……ッ。そう言う事かよ」
「こらこら勝手に納得するな。まだ話は終わってない。……この絵本は口伝されてきた伝承話が本となった物だが」
「当主は代々、子どもに絵本を読み聞かせてドラグ家の成り立ちを知るの。御伽話のように思っていたけど違うって今日解った」
双龍が大層な反応を示した宝玉について黙秘した理由は幾つかあるが、総てを晒すのは些か勿体無い。想像にお任せしよう。
先祖代々当主は実子に口伝で物語を伝える。ドラグ家の、挽いてはドラグ一族の伝承は何時しか親しみ深い絵本となり、現在まで受け継がれてきた。
「"双極の力、名を火龍。水龍。霊獣遣いより離れし者。水晶石の地を求めるならば双龍に認められる他無い。双龍の力は措く能わず、何故なら大地を割る力なのだから"…憶えているか?その昔、母が言った言葉だ」
「今思い出した。言ってたな」
「霊獣遣い……?」
「火龍、水龍は先祖が与えた名。彼らの正体は霊獣。霊獣遣いとは霊獣と共に生きた者達とだけ伝えられてる」
( 《眠る願い星》の一節にあった"天翔る遣い人"はもしかしたら……)
「霊獣遣いより離れし霊獣に先祖は手を伸ばした。絵本の内容はこうだ」
ドラグ家に足を踏み入れた最初の日、リオンはアレン達と共に龍の力を求める者達へ向けた口上を聴いた。子どもだった当時は理解をする気にはならなかったが改めて聞き直し、漸く理解する。
静かに傍観していたリュウシンは、ふと気になる単語を反芻した。彼以外は"霊獣・霊獣遣い"に関して余り関心が無いように見える。
ドラグ家当主は水龍の継承者に絵本の内容、伝承話を唇に乗せた。
「昔々あるところ、悪さをする霊獣がおりましたとさ―――」
―.大地を割る力
二体の霊獣は人の子等に目もくれず放辟邪侈の如く咆哮した。火を吹き大地を焼き尽くす霊獣は火山で、空を飛翔し洪水を引き起こす霊獣は上空で、其々悪しきを働いた。
―.救世主の登場
人の世が象られゆく中、放辟邪侈の霊獣は人を拒んだ。共生を拒んだ。困り果てた人々は霊獣との対話を望むが受け入れる筈も無い。其の折、青髪の女性が立ち上がった。
―.水晶石の封印
青髪の女性は半日も掛からず、二体の霊獣を仕留めた。両の手で持ち上げた珍品、水晶石に封じると山麓の更に奥へと消えていった。
―.双龍の名
青髪の女性は吉祥の象徴である龍の名を霊獣に授けた。炎々燃ゆる肉体を有する霊獣には火龍と、宙を泳ぐ靭やかな翼を有する霊獣には水龍と。双龍は水晶石の地にて青髪の女性と契を結んだ。
―.呪いの末路
時代が下り火龍の消えた火山に細々雪が舞い降りる頃合い、青髪の女性が呪いを受ける。首元に出現した呪い文様は身体を蝕み、軈て療養の為開かずの間に去り二度と双龍の前に姿を見せる事は無かった。
「呪いか。間違っちゃいないな」
『わしゃあ達にとって忘れ形見に近い……』
「私達は心配なんだ。君が先祖と同じ呪いを受けていたらってね」
「俺はコレの正体を知ってる。コレは呪いであって呪いでない神話の遺物だ。強大な力を得た代償みてぇなモンだな。その絵本も伝承も少しずつ内容を変えて暈してる」
「改変する必要は無いのにどうして…」
「スコアリーズの二の舞を避けたんだろ」
「!ドラグ一族が呪いとして伝えたものは余りにも強過ぎる。場合によっては内戦にまで発展する恐れがあるから、呪いって言うのは守る為の偽称…」
痣のような文様、呪いのような神話の遺物。双龍が語った忘れ形見の意味が垣間見え、謎が一つ解ける。絵本の伝え方にも何処か悪意を感じる呪いの一言がアロマとイリヤを心配させる。
彼女等を納得させる為にリオンは真実だけを口にした。適度に逸らかしているのはこの場に居る全員が分かっていた。故にイリヤは、リオンに答えを求めた。瞳は揺らぐが声は揺るがない、彼女が大人である証拠だ。
リオンの短い言葉でリュウシンは察した。呪いが宝玉であり、先祖が後世に遺すべき伝承を暈した訳を。スコアリーズに繋がりを持つリュウシンだからこそ言える説明である。
「そうなんだ……ありが」
「待った」
「アロマ?」
「"開かずの間"について回答が済んでいない」
「…」
「それは…」
「深入りする気は無いが、先祖を知りたいと思うのが当然だ。今の今まで音沙汰無かったのも開かずの間が関係しているんだろう?」
「開かずの間は俺が力を得た場所だ。二度と開いてはならない場所、故に開かずの間。これ以上は言えん」
物寂しそうにお礼を言うイリヤに待ったを掛けたアロマは最後の質問をした。彼女自身も深入りは禁物だと分かっていた。されども、呪いが偽称なら開かずの間も偽称の可能性が高い、真実を知りたいと思うのが当主の性なのだ。
それまで真顔だったリオンが初めて唇を噛んだ。悔しいとも悲しいとも読み取れる陰影を断ち切り、伝えた。目線は何処へ向いているのやら。何を見ようとしているのやら。
『リオン!』
「そう遠くない未来で戴冠した王様が許可を出せば俺はお前等に話す事が出来る」
「王様?」
「女王様かもな」
「女王様??」
「わお。こっちも大胆」
「ふ〜〜ん。それって何時頃の話だ?」
「その内だ」
「分かった。君が身を固めたら女王様と今度は遊びに来い。邪魔したね」
「あ、アロマ待ってったら」
不意にリオンの心が動いた。彼を覆っていた影が和らぎを纏った光によって打ち消されたのだ。彼女の姿を幻視し気付けば自然と口角は上がっていた。
意中の相手が他の女性を想い、微笑んだとは露知らずイリヤは疑問符を浮かべたまま首を傾げた。吹っ切れた態度を見せるリオンを暫く見つめた後、アロマは追及を諦めた。
彼女は意味有りげな台詞と笑みを最後に場を立ち去った。イリヤもリオンを一瞥してから扉をパタンと閉めた。
「特訓再開だ」
――――――
「アロマ、一体どう言う事??結局上手く躱されたけど首元の模様、良くない物に変わりはないんだよね……それなのに」
絵本を元の場所に戻しに行くアロマに速度を合わせたイリヤは声のトーンを落として早口に尋ねた。
「昔と変わってないと思ってたのに会わない内に随分大人になっちゃって。よっぽど重い物背負ってんだね。……男を見る目は確かだなイリヤ!」
「見る目、だけはねっ!」
独り言を呟いたアロマは、空気を一変させる下世話な発言をしてイリヤの背に平手を叩き込んだ。イリヤも負けじと叩き返す。
背中がヒリヒリと痛む。痛みが和らいだら姉は、話してくれるだろうか。
――――――
―――
ティアナSide
「ソワソワ」
「……」
怒筋が一つ。
「ソワソワ」
「……」
怒筋が二つ。
「ソワソワ」
「……」
怒筋が三つ。
我慢の限界を超えた。
「あたしの周りをうろちょろするな!」
「ティアナ顔怖いよ〜〜?」
コインを握り締め、外出するティアナの後ろをソワソワ忙しない動きで付いていく長身の影が彼女の怒りを溜める。視界にチラつく影を鬱陶しく思い、立ち止まって振り向きざまに拳を入れる。
長身の男スタファノはひょろりと避けると、ティアナの正面に立ち頼んでもいない笑顔のお手本を見せた。
「皆に黙っていくの〜?」
「あたしの戦いだ」
「オレ、さっき皆に言っちゃった。てへ」
「あんたと口を利いてる暇は無いんだ。あたしの道を塞ぐな」
「途中までエスコートしてあげようか?」
「あんたはそろそろ、自分の戦いと向き合ったらどうだ?霊族は強かった。何もせずに勝てる相手では無い」
「オレは良いんだって。天才だから」
「……」
「は〜い」
目を合わせまいとそっぽ向くティアナに対し目を合わせようとあっちこっち動き回るスタファノ。正直、ティアナで無くとも目を背けたくなるだろう。
自分の頭をコツンと叩いておとぼけな顔を見せるスタファノに構う暇も余裕もない。無言の圧で隣の男を退場させるとティアナは雪上を両足で踏む。彼女を振り向かせる事は今のスタファノには出来無い。
「ティアナの音は何時聴いても強がってて可愛いな〜…なんてね。オレの音とは大違い」
誰に向ける訳でもない言葉を吐き出し、息を吹いて掻き消す。
雪山ドラグと五人の旅人の命運を決める戦いが始まろうとしていた。




