第71話 欠け離れた追思
追思と読みます。
リゼットSide
「アルカディアに雪は降らない」
仄かに暖かい回廊を歩く。ハイヒールの音を態とらしく鳴らして。雪山から一転、此処はメトロジアの王都メトロポリス。リゼットが歩く回廊はメトロジア城の一角。
「けれども私は雪を生み出す」
彼女のアスト能力は雪。雪の降らない王国、アルカディアで雪を操る能力をある時授かった。城内の一室に着き扉を開ける。勝手に自室に改造した部屋で溜息を零す。天蓋ベッドに腰を下ろし悶々と思考していると、扉のノック音が微かに聞こえ返事をした。
「リゼット様」
「その声はグライシスね。何の用?」
「アース様がお呼びです」
「アース様がっ!?」
「玉座の間にてお待ちです。失礼します」
(アース様が私を指名した…!!)
抑揚の無い声で報告のみ済ませたグライシスはさっさと立ち去った。彼女の性格を汲んだ上での最小の接触だが、そんなのはどうでも良い。グライシスから伝えられた報告に先程まで沈んでいたリゼットの心は一瞬にして湧き上がった。
早速、アースに会う為のお色直しをする。ベッドから飛び降りると性急にドレッサーと向かい合い崩れた髪を整える。引き出しから高価な宝石が散りばめられたネックレスを取り出し、彼を想って首に下げる。準備万端で玉座の間に向かった。
ルンルン気分のスキップも玉座の間手前で止め、目一杯息を吸った。息を吐いた時には恋する乙女は居らず、代わりに黒鳶の戦士がアースの前で頭を垂れていた。
「リゼット順調か」
「えぇ、暁月が来る前に生け捕りにせよと命じられた騎士長と王女を差し出しましょう」
「その言葉に偽りは無いな」
「はっ」
「順調ならば良い。……くれぐれも暁月を過ぎぬ様に。期待しているぞ」
「有難き御言葉。リゼットには勿体ない次第です。……あ、のアース様…」
「…」
「…………いえ。失礼します」
王の前に平伏す姿は正しく修羅場を潜り抜けてきた戦士の格。嘘偽りの言葉など有ろう筈も無い。玉座から立ち上がりリゼットの肩に手を置いたアースは再度、念を押す。
アースの色白の手が離れ、顔を上げた。押し込んだ言の葉が無意識に口から飛び出る。
見つめ合った数秒がリゼットには何時間にも感じられ心音が全身に響く。ドッと溢れる汗をひた隠し背を向けて彼女は退室した。
「私は何を言いかけていた…?」
ふらふら左右に揺られながら玉座の間を後にする。アースと対面した瞬間より現在の方が顔が強張り、空気の緊迫を雪肌で感じる。どうにも自分は可笑しなってしまったらしい。唯一王に意見する気だったのか。
(なんて冷たい空気、なんて冷たい目、なんて冷たい掌……あの方が私の愛したアース様?)
過去と現在の相違に戸惑い、掻き乱れる。震える手で肩を抱き寄せ体温を確かめた。部屋を出る前と後で何故こうも急激に変わる。大好きで堪らない人は雪より冷たい人だったのか。
「ん、此処は…何処だっけ」
(無意識に歩いてた所為で真反対の方向に来ちゃった)
乱れた情緒が落ち着いた頃、リゼットは自室とは真反対に足を向けていた事に気付く。
完璧を自負するリゼットらしからぬミスに、どれほど考え込んでいたのかが垣間見える。即座に踵を返し来た道を戻ろうとしたが、すぐ隣の部屋から聞こえたぶっきらぼうな声に思わずヒールを鳴り止ませる。
「帰れ!」
「ふふふ、寂しい」
「この声…」
男女の声だ。男性と思しき声の主が女性と思しき声の主に出て行けと叫び、部屋の扉を開け追い出す。ゆったりとした女性は廊下に追い出され、扉を閉めた直後リゼットの存在に気付き声を掛けた。
「リゼット様ではありませんか。お久しぶりです。何百年振りでしょうね」
「?あんた誰…私はあんたみたいな霊族知らないけど。それよりこの部屋の主は…!!」
「霊族…。リゼット様は中々声を掛ける隙が無かったもので御挨拶が遅れました。私の名はシエラです。今の立場はレイガ様のお目付け役と言ったところでしょうか」
「シエラ…まさか」
「ふふ思い出して頂けましたか?」
(シエラですって!?そんな、筈は)
メイド服に身を包んだシエラがリゼットに頭を下げ、それはそれは屈託なくニッコリと笑った。彼女に微塵も覚えが無いリゼットは無視して部屋の中に居るであろう人物を睨む。
リゼットは基本アースにしか目が無く、興味ゼロの相手は誰だろうと記憶から消す癖がある。彼女が覚えている人物と言えば余程印象に残る相手か、若しくは毛嫌いする相手か。
リゼットの内心を知ってか知らずか。勝手気ままに自己紹介を始める。女性の名はご存知シエラ。ウルフカットの少年レイガの、自称お目付け役である。彼女の名を聞いた途端、リゼットは何時ぞやのレオナルドと同じ反応を見せる。
「嘘、言わないで」
「嘘、ではありません。聞きたいのなら両親の馴れ初めもお伝えしましょう」
「だってどうして…有り得ない。私の記憶が正しければ、あんた"私より歳下の筈"よ。何よその姿」
「ふっ。誰がどう記憶したって私はシエラ。それ以外の何者でもありません。では、失礼します」
「……何がどうなってるの」
シエラの見た目は誰がどう見たって青年期から壮年期に入る手前の女性。一方リゼットは青年女性。他者から見ても歳上なのはシエラだ。だからこそリゼットは戸惑った。己の記憶を信じて疑わない自分本位な性格が仇となったか。
浮上した疑問が解決の見通しも付かない内にシエラはスカートを靡かせ去った。一頻りの風に吹かれた事で調子を取り戻したリゼットは、ほんの数十分に間に起こった様々な出来事を飲み込み次第にムカムカとした棘のような感情を持て余し、乱暴に扉を開けた。
「レイガ!!ココに居るんでしょ!?」
「出てけ。用は無い」
「〜〜!私も用なんか無い!!けどムカつくから一言言わせなさい…!こんなところで何やってるの!?アース様の命令に背くつもり?幾らあんたでも許さないから!!!」
「…本当に、あれがアルカディアの王様だと思うのか?リゼットはあれで良いのか」
「ふっざけんじゃないわよ!!なんであんたに口答えされなきゃならないの!昔から嫌いだったけど今の方が何倍も大嫌いっ。無愛想にも程があるわ。黒鳶失格ね」
「嫌いなら放っておけば済む」
初手から強気に出るリゼットと煩わしそうにリゼットの方を見やるレイガ。会話から察するに、どうやら二人は昔ながらの知り合いのようだ。霊族幹部黒鳶に属する同士何かしら思うところでもあるのか、中々な不仲度合いを見せつけていた。
他者を拒絶するレイガと自分本位のリゼットの反りが合わないのは仕方無いとも言える。雪山に居た頃はあくまで毅然とした態度を崩さずにいたがレイガの前では感情剥き出しの素直で単純な態度になっていた。
「大体何であんたはちんちくりんのままなのよ。歳下の筈のシエラが歳上みたいになってて、同い年のあんたが何年も姿が変わっていない。……可笑しいでしょ!!と言うか、どうしてシエラと一緒にいるワケ!?」
「知らん。あの人が勝手に来た。あの人が誰かも興味は無い」
「え…シエラは知ってるでしょ?」
「?知らん」
(忘れてる…そりゃあ記憶の中のシエラとは、全然姿が違うけど……)
「もういいわ。あんたに構ってたら切りが無い。二度と私に話しかけないで」
「話しかけたのは…そっちじゃ」
二度ある事は三度ある。アースもシエラも目の前のレイガも記憶と違った姿、性格をしており自分だけが解決出来ない難題を突き付けられた気分に陥り、リゼットは益々負の感情を膨らませた。
日頃の鬱憤を晴らすように早口に捲し立て、肩を上下に揺らした。彼女の剣幕に慣れた様子のレイガは表情を変えずに嵐が過ぎるのを待った。薄目でリゼットを見つめていると漸く何時もの自分を取り戻したらしい彼女は部屋の扉を乱暴に閉め出て行った。
「何さ!レイガのやつ、引き篭もってばかりで何もしないクセに!」
「はぁ…嵐……いや吹雪か」
「……ふふ」
ガンガンヒールを鳴らし自室へ戻るリゼットをシエラが怪しくも愉しげな笑みで見つめていた事に気付く者は居ない。
――――――
―――
薬草を取りに行きカシワ、ロスと丁度入れ違いに戻ってきたイリヤとオリヴィアも含めた離れで待機中の人達はリオン等の無事を祈り続けた。
「戻って来る」
「何人!?」
「う〜ん足音は二人かな」
「…全員、じゃない」
「只今戻りました」
「カシワ…俺は一人で歩ける」
「偶には甘えてくれたって良い」
「…んん。今更子ども扱いか?」
「ははは。君を一人前と認めても大人扱いは出来そうにない。あの頃と変わらないよ」
最初に足音を聞き取ったのは矢張りスタファノだ。現在安否が不明なのはリオンとカシワ、それからロッドとロスだ。内、足音二人分と言う事は残りの二人は未だ行方が分からない状態だと言う事。ぼそっと呟く天音は少しばかり悄気げていた。
帰ってきたのはリオンとカシワの二人。負傷したリオンを支えるように彼の腕を肩に回しゆっくり歩く。軽口を叩ける仲の良さは安心感を覚えるがリオンは少々気恥しそうだ。
「おかえりなさい」
「無事、ではないね」
「薬貰ってきたからそこ座って。服脱いで」
「リオン」
「天音?」
「ロッドとロスちゃんは、まだ帰って来てないけど…」
「アイツ等ならその内帰ってくるだろ」
「その内って…そんな曖昧な」
「彼等が戻って来たら分家に戻りましょう。あらかた片付けましたので。それから皆さんに話しておかなければならない事が…」
「話しておかなければならない事?」
隣の物置部屋から持ってきた椅子を置き、怪我人に座るよう促す。慣れた手付きでイリヤとオリヴィアが手当をする。序でに彼女達の役に立ちたいスタファノも進んで協力した。
汚れた縦襟外套を脱ぎ、首を鳴らすリオンの近くに天音が駆け寄りおずおずと訪ね事をした。
リオンとカシワが無事であった事実に安堵する反面、戻らない二人を心配して心を痛める彼女に剣帯ベルトを取り外す途中のリオンは素っ気ない返事を返した。
嘘偽りない真の言葉を伝えたが、率直過ぎて逆に関心がないように思え天音はそれ以上の追及を諦めた。
「服はその辺に置いて。後でキレイにしとくから。ウィルも着替えてきたら?」
「うん。そうしようかな」
「済まねぇな」
「うわぁっ」
「何してんだ?」
「な、んでもない」
「天音ちゃんも女の子って事〜」
「?当たり前だろ…」
「はぁ…女の子の気持ち全然分かってない」
「あっはは。リオンだからね」
(マズイ……分からない)
誰しもが思うところはあれど、通常モードに切り替えて自分自身を鼓舞する。非戦闘員のイリヤは逸早く行動し指示を飛ばす。警戒を完全に解く事は出来ないが、余裕が出始めたウィルはボロボロの服を着替える為に一足先に分家に戻った。
斜め下を無言で眺めていた天音も自分を鼓舞し目線を上げた。バッチリと目が合う。そこまでは無問題だが、如何せん現在のリオンは上半身裸だ。生傷よりも何より、半裸の人間に見慣れている筈も無い天音は両手で赤面顔を隠し後ろを向く。
スタファノの言う女の子とは年相応の無垢な反応を見せる乙女だが、リオンは単なる性別に関してだと思ったらしい。自称女心を理解出来る男スタファノからしたら、呆れるのも無理はない。
――――――
エンドSide
ロッドとロスに逃げられ、エンドは怒り心頭に地団駄を踏んだ。凍えた空気が小さな傷痕に染み込むも彼は別の事で頭が一杯なようで気にする素振りを見せなかった。
「クソックソックソッ!」
『エンド染まり過ぎだ』
『…兄失格だな』
『無駄じゃないさ。それにお前は勝てん』
「出来損ないの分際で…!!弱いクセして!!説教じみた言葉も憐れむような目も、何様のつもりだ。何の為に生きているんだ。あの日あの時死ぬ筈だった男が…!」
己が出来損ないで不出来だと罵った兄の言葉が無限再生される度、新たな怒りが湧き出てくる。今は分かたれてしまった二人も、かつては同じ屋根の下で過ごしたのだろう。ならば当然二人にしか伝わらない共通の過去もある。
過去ばかり脳内再生したところで現実世界が生きづらくなるだけだが、それを知るには彼はまだ子供過ぎた。
『遂に兄さんを殺したんだ!ボクに逆らう奴は消えてしまえば良い!!フフフアハハッ』
『…俺はお前の手では死なない……』
『なぜだ。確かに殺した筈だ』
『………それは』
『っ!』
「手応えは十二分にあった。にも関わらず兄さんは生きていた。……クソッもう一度殺せると考えれば儲けものだ。ロッド兄さんからコッチに来い」
何時かの記憶、過去の日。顔面を抉る勢いで大技を放ちロッドは斃れた。自身の血で溺れる呆気ない最後に高笑いしていると、息絶えた筈の彼が起き上がった。殺し損ねた自分にも苛つく。今日まで生き延びている事実にも苛つく。胸のざわめきを消す為にはロッドを再び屠る他無い。
ロッドとエンド、決戦の日は近い。
―――――― ―――
「と、言う訳です」
ロッド達を待つ間、カシワは霊族との一部始終を話した。一部を除いて良い顔をしないのは当たり前だ。ピリリとした空気が辺りに漂い、一同が息を呑む中で、たった一人前に出てニヤリと笑う女性が居た。
「はっ願ってもない展開だ。コインを」
「一対一の戦い…」
「最後の勝負だ。個人的にもムカついてんだ。霊族…ジャックを打ちのめす!」
「うん。霊族の好きにはさせない」
「勿論俺も戦うつもりでした」
「みんな大変だね〜。ガンバっ」
「も〜スタファノ軽いよ」
「スタファノさん」
「えっ」
相手にとって不足は無いと言いティアナは右手を差し出した。彼女のギラギラとした両目が飛び出す寸前のネガティブな言葉を封じる。ペンダントも奪われた状態で尚且つ、攫われかけた天音は全身に緊張が走るもティアナの真っ直ぐな眼に何処か安心感を覚えていた。
コインは四つ。リオンは既に所持している。リュウシンとティアナも受け取った。これで三枚だ。眉間に皺を寄せ、気難しい顔をしていたカシワは意を決して四つ目のコインを指定された人物に見えるように拳を広げた。
「霊族のヴォルフと名乗る人物が……」
『ガーディアンの里の者が近くにおるな。儂の相手はそやつだ。伝えておきなさい』
「え゛オレも戦うの!?」
「強制するつもりはありません。スタファノさんが行かずとも俺が行きます。コインを受け取るかどうか…ご自身の納得がいく判断を」
「ん〜…」
「スタファノ大丈夫?」
「ダメかも〜」
「そういえばリオン、昔言ってたよね。"ガーディアンの連中は独自の技術を持ってる"…て。戦闘技術もあったりするのかい?」
「あ〜言ったな。そんな事」
「ん〜…」
何の為、は訊いても真の返事が返ってくるとは思えず、戦う理由も不透明なままでコインを手にしてしまった。少々性格に難はあるが治癒法術で世話になっているスタファノに戦を強要するなど以ての外。カシワは僅かに腕を引っ込めて彼自身の決断に委ねさせた。
普段、緩い笑みばかり見せているスタファノが苦難顔でコインを睨んだ。スコアリーズにて戦うと宣言したは良いが、いざ差し出されると狼狽えてしまうのが彼の現状である。
自身の持つコインを懐に仕舞い、リュウシンはかつてのリオンの言葉を思い出した。まだスタファノと旅を共にする前カラットタウンで言った一言だ。
「戦えるだろう?」
「滅多に表に出てこねぇから俺も詳しい事は何とも。ただ騎士仲間から聞いた噂話だ。ガーディアンには秘密武器があるってな」
「へー」
「オレは……」
「霊族は何でスタファノさんと闘いたいんだろう。その秘密武器を見たいからとか?」
「ねぇオリヴィアちょっと…」
「イリヤ?」
世間話の延長線で聞いた噂話を何時までも覚えていられるほどリオンの脳は広くない。騎士時代と言えば、百年以上前になるのだ。尚更記憶には残っていないだろう。彼も印象深い一言だけ覚えていたらしい。
リオンの言葉に相槌を打ち、リュウシンは秘密武器について考え始めた。目の前の本人に訊いても良いが訊ける雰囲気では無い。
オリヴィアもリオンの手当を進めながら会話に参加し、考え込む。皆の邪魔にならぬように彼女を少し離れた位置に手招きするイリヤは何やら別の事で悩んでいるように見える。
「そこなんですよね。霊族とガーディアンの里に接点などほぼ無いに等しい」
「百年前の大戦も戦ったとは聞いてないし…」
「記録によると一夜戦争にも介入していない。霊族が最後に拳を交えたのは神話戦争にまで遡る」
「オレ行くよ。コインちょーだい」
「本当ですか…?」
「うん。決めた」
「すみません。ありがとうございます」
「そんな畏まらなくて良いよ〜」
一夜戦争以前ともなると戦の詳細を知る者は居ない。神話時代の書物等はメトロジア城の書庫に保管されている可能性は高いが誰も入った事がない上に、この中で唯一入室許可を得ていたであろうリオンも手に取ったとは思えない。皆の考察を聞き流すスタファノの長耳は何時も以上にピクピクとさせた。
長い沈黙の後スタファノは宣言した。陰りのある笑みでコインを受け取ると、にこやかに部屋を出て行った。
(…一人くらい闘わなくたって良いよね!)
「スタファノ大丈夫かな…」
「リオンの首筋にある模様、見覚えがある気がするんだよね。多分絵本か何かで」
「言われてみれば…、そんな気も」
「オリヴィアの方が詳しいかなって思ったんだけど…どう判りそう?」
「確かめようにも宗家に近づくのはまだ危険だからなぁ…本人に直接訊いてみたら?」
「私の勘違いかも知れないし、訊くのは……」
「意気地なし」
「ちょっとそう言う意味じゃ!」
衣服を脱いだ事で顕になった青色の模様。以前、天音も疑問に思い聞いた事があった。円形の輪の中に逆三角形が一つと巴紋を連想させる小ぶりの雫模様が三つ。傷痕にしては少々目立つ創りに、リオンの首筋に注目していたイリヤは既視感を覚えた。
訊きたいとは思いつつ、中々一歩を踏み出せないイリヤをオリヴィアは誂う。"そう言う意味"で言った訳では無いと彼女も重々承知。親しい姉妹間だからこそ許される距離感だ。
――――――
ロッドSide
「な…」
「何で皆のところへ戻らないかって?」
ロッドはロスは離れからも分家からも程遠い麓町の端に居た。リオンほど傷は多くなく、ロッドは自然治癒力に任せていた。
「戻るよ。リオン様にはおれの知る全てを、お伝えしなければならない。だけどエンドがおれを追ってくる可能性も捨てられない」
「…」
「夜中にそっと戻ろう。全て伝えたらココも離れよう。ロス、それで許して」
「わ…」
皆を、と言うよりもロッドの心は天音を巻き込みたくないと言う庇護欲だった。とは言えリオンには伝えたい事がある。あれこれ考えていても埒が明かない。若干不機嫌なロスに眉を下げて申し訳なさそうに笑いかけた。
「あ…!」
「ロス?どうし…っ"来ているのか彼等"が」
「う…ん」
「派手に戦ったとは言え、結界も機能してるし何より彼等は何故ココが解ったんだ」
「で…」
「今のところ介入する動きは見せていないと。傍観…を決めたか」
突如ロスが斜め上を見上げる。ロスの行動に意味深に返答し、同じ方向を見る。
オリヴィアの結界は破られた後、再度張り直し他者の侵入を退けていた。二人が感じた気配は結界の外からのようで、此方から彼等の姿は見えない。
ロッドとロスが感じた気配とは。気配の正体に心当たりがあるのは何故か。雪山ドラグは複雑に絡み合ってゆく。
――――――
「なぁ」
「訊くな」
「ちぇ」
マーシャルは傾く陽光をボーと眺め、ホプロの方を向いて尋ねた。然し食い気味で質問自体を無かった事にされる。相変わらず仲が良いのか悪いのか、判別しかねる二人を後方で見守るヴォルフ。話し掛ける事無く去ろうとしたが彼の隣に服を着たジャックが現れた事で、いっとき立ち止まる。
「ヴォルフ何時から仕組んでいた?」
「何を言う」
「ヌハハ恍けるでない」
「ジャック大きくなったな。昔のお前は、敵味方問わず戦を仕掛け荒れんでいた」
「昔話など唆られんわッ」
「…理由は一つではないが、一つ挙げるとすれば騎士長に仲間が居ると判明した時点より想定していた。ガーディアンの者は流石の儂でも想定外だったが」
「ヌフ。メトロジアには一部の霊族しか入れぬ。黒鳶の部下と偽らせ海を渡った訳は子供等の為だな」
「態々、儂の口から言わんでも分かっておるではないか」
懐疑的な訊き方だが、ジャックはヴォルフを心の底から信用しており疑ってなどいない。ジャックの年齢は壮年から中年にかけて、そしてヴォルフは高年以上。ジャックが生まれた頃から知っていても可笑しくはない。感覚的に言えば近所に住む歳上のオジさんのような立ち位置である。
リゼットにはジャックが部下だと説明したが正確には違うと否定する。子供等とは視線の先のマーシャルとホプロに違いない。二人は子供と言えるほど幼くないがヴォルフ達から見れば子供も同然。
「特に、ホプロに肩入れしてると見える。血縁者であるが故か?」
「野暮ったく訊くでない」
「更に潜ろう。ホプロは血縁者を…」
「ハッハッハ。故にコインを渡した」
「ヴォルフさんは俺達にコインを渡したワケを考えろって言ってたけど何でだろうな」
「何度言えば分かる。俺に尋ねるのはヤメロと言っただろうッ」
「殺しちゃーダメって条件守りたくねぇな…」
ヴォルフとホプロは血縁者であった。明確な関係は不明だが三親等は離れているだろう。意図的にジャックの言葉を遮り、会話を終わらせたヴォルフの目は笑っていなかった。
欠伸が終わる前に喋りだし落ちる寸前の夕日を見続けるマーシャルは、音で気付く。隣のホプロがまた自身の身体にナイフを刺した事に。コインを夕日に掲げて欲望の趣くままに言葉を発する。
欠けたコインでは太陽は隠し切れず、眩しそうに目を細めた。




