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星映しの陣  作者: 汐田ますみ
スコアリーズ編

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54/123

第54話 涙雨収まりて


 リュウシンがまだ一人旅をしていた頃の話だ。生き別れた妹を探す為、滅びたゼファロの地を去る。停戦協定が締結されたとは言え行き交う人々は何処か浮かない顔を並べていた。辺境の地であれば尚の事。


「…雨だ」


 肩にポツリと水が弾いた。空を眺める暇が無かったので雨雲の到来を見逃していた。激しくなる前に雨宿りの場所を駆け足で探していると雨音に混じり聞き慣れない旋律が耳に届いた。


「音楽…?何処から」


 まるで雨音と競い合う様な楽器は次第に小さくなってゆき、最後には不揃いな音程も耳を澄まされなければ聞こえないほど極小になった。完全に消える前にリュウシンは音の住処に辿り着く。


「誰か居ますかー…」

「居るぞー」

「わっ!?結構近くに居た…!」

「ハハ坊主から近付いたくせに面白い事言うなぁ」


 音楽は既に消えていたが、雨宿りも兼ねて木造家屋に足を踏み入れる。今にも抜け落ちそうなギシギシと鳴る床板に目を配りながら真っ暗闇に向かって声を掛けた。


 眼前の床にその人は座っていた。余りの近さに思わず素っ頓狂な声を上げ、大袈裟な態度で後退りするリュウシンに人影は笑う。


「迷子か?今、明かりつけるから待っとけ」

「雨宿りしよう思って…そしたら楽器の音が聞こえてきたんです」


「雨が降っていたのか」

「その身体はっ?!」

「お、素直な反応だ」

「だって」


「生きているのが不思議って顔だな」

「そ、そう言う訳では…」


 灯籠がポッと光る。彼の私物か、はたまたこの家の家具か、灯籠としての役目を果たせているのが不思議なくらいヒビ割れが目立ち数日もしない内に限界が来る事だろう。


 視線を灯籠から明るくなった室内へ移す。その人は、さも当然にリュウシンと会話するが彼の身体は深手を負い過ぎていた。至る所に巻かれた包帯は鮮血が滲み出ており、極めつけは胸元の()()。酷い有様だ、あらゆる延命処置も彼の怪我の前では役立たない。


「序に言うと耳も殆ど聴こえん。雨音にすら気付かない、リュートの調子だって合わん」

「…それじゃあ楽器を弾く意味なんて」


「己の為に弾く訳じゃない。意味はある」

「……」

「死の淵に咲いた奇縁はせめて血染めで無いと祈ろう。僕の名はラルゴ、坊主は?」

「……リュウシン」


「良い名だ。リュウシン頼まれてくれるか?ちょっとしたお使い」

「?…僕に出来るなら」


 リュウシンの耳には今も雨音が聞こえる。然し、ラルゴには届かない。数センチの距離ならいざ知らず、部屋の端に行かれてはもう彼の両耳は機能しない。恐らく両眼も同様の事態に陥っているとリュウシンは悟った。


 音の出処は彼が弾く楽器だった。リュートを手放さない理由とは何なのか、リュウシンが知るにはまだ早い。現在軸より幼い思考回路では経験値が足りなかった。


 其れから、ラルゴは身の上話を始めた。故郷がスコアリーズである事、リーズ一族である事、故郷に妻子が居る事、元騎士団所属でとある目的の為に潜入していた事。

 リュウシンも包み隠さず話した。生き別れた妹が居る事、故郷が失くなった事、妹を探す為に一人旅をしている事。


 お使いの内容を聞く前にラルゴは仮眠を取ると言って寝てしまったのでリュウシンも仕方無く灯籠の明かりを消して眠りについた。



「それで、お使いって言うのは?」

「吟遊詩、眠る願い星を詠い続けて欲しい。リュートに合わせて。継いでほしいんだ」

「歌は兎も角、僕はリュートなんて弾けませんよ。…いや、歌も人前で歌えるほど上手くない!」


「この詩だけは途切れさせたらいけない。眠る願い星はな、原曲の星合とユメビトに辿り着く為の道標なのさ。リーズ一族の命と同義の存在。擲ってでも繋いでいく誇りだ。王族に奪われた命を取り戻す日まで生きると決めたんだが……。魔鏡の解放方法も中々見つかりっこない。おっと、ゼファロ出身のリュウシンには縁がない話だったな。無縁の頼み、嫌なら断ってくれ」


 翌日、我慢出来ずに話を急かすリュウシン。昨日も今日もラルゴは父性溢れる笑みを絶やさないが、確実に死へと近付いていた。


 折角知り合ったにも関わらずラルゴは死ぬ。現実逃避するようにリュウシンは明るく提案に苦言を呈した。昨日より、話す速度が一段遅くなったが二倍熱を込めて声を絞り出す。


「返事をする前に一つ質問させてください。故郷へはどうして帰らなかったんですか?怪我が酷くなる前に帰れたのに、故郷があるのに、どうして!?」


「合わせる顔がなかった。漢が目的背負って故郷に背向けて旅立ったんだ。そう易々と帰る訳にはいかん。リュウシンにも分かる時が来るさ」

「分からなくて良い……」

「で、返事は?」


「楽器鳴らせば注目される、注目されたら噂も集まる、妹も見つかるかも知れない。やるよ。…僕に務まるとは思えないけど」

「ありがとう。感謝する。音弾けば自ずと縁が出来る。良い出逢いがあらん事を」


 スコアリーズは滅びていないと知っている。そして、目の前でゼファロが滅びた。帰る場所が在るラルゴに何故と問うてもイマイチピンと来ていないリュウシンは不機嫌そうに目を逸らした。


 リュウシンの内心を知りつつ、再度返事を訊く。ゼファロの風使いとスコアリーズのリーズ一族が不思議な縁で結ばれた瞬間だ。


 其の日から吟遊詩人としてのリュウシンの稽古が始まった。稽古と言っても一日数分、楽器と吟詠を教わるだけだが二人にとっては充実した日々だった。稽古以外の時間は他愛もない会話で暇を潰す。雨宿りにしては随分長いが、稽古にしては随分短く終わる。


「託したぞ。…必ず、詠い切れ!」

「ラルゴさんの思いに応えてみせます。欲を言えば…まだもう少し教わりたかった」


 出会って一週間も経たない内にリュウシンはまた一人旅を始める。彼がラルゴの意志を受け継いで詠い続ける道中、クラールハイトに立ち寄ったのは別の話―――。


――――――

―――


「ラルゴさんの思い無駄にはしない!!〈法術 風囲い(サークルストーム)〉」

「〈法術 アンプリファイア〉」


 リュウシンVSソプラの戦場。

 戦いやすいのは紛れも無くソプラの方だ。スコアリーズで育ったので細やかな地形も頭に入っている上に際限も躊躇いも無い。対してリュウシンはソプラを説得させなくてはいけないと自らに課した縛りがある。


 発動した法術は互いを中心に円形状に広がり激突し合う。少しでも力を弱めれば自身の領域に侵入され、負傷は免れない。


「運命は誰かの犠牲の上に成り立っている。だから残酷だ。だったら皆が残酷な思いをしなくて済むように救済してやるんだ!!」


「たとえ残酷な運命でも星座のように、点と点が線で繋がるように、世界が生まれた。救済したとして君は何百人の運命を背負うつもりなんだ!」

「背負ってみせる。それが僕の成す夢…!」


「世界を旅した事あるか?!自分の目で見て歩いて!!史書眺めてるだけじゃ現実の人間の思いは分かりっこない!!」

「今から実現するんだよ!最初の一歩目だ!偽物の街は僕の夢には要らない!!!」


 衝突し合うのは何も法術だけでは無い。リュウシンとソプラは胸中を曝け出し、思いを叫ぶ。一歩も引く訳にはいかない。思いの強さは精神エネルギーを介す法術を一層強化する。


 ラルゴとの出逢いと別れを経て、人生観が大人に近付いたリュウシンとファントム所属のローグとの出逢いで闇に落とされたソプラとでは言葉の重みが違う。


 ソプラに寄り添えるのは誰か。彼等の付近で見守る家族だろうか。


―――


(このままで良いの…?)


 激情の声はルルトアにも聞こえた。胸に置く手は震えている。彼女は二人の言い分を聞き、今にも泣き出しそうだ。


(ずっと家族になるのが怖かった。また死んじゃうんじゃないかって、私を置いていってしまうんじゃって思わずに居られなかった。でも、でも!新しい家族は暖かくて居心地が良くて…。こんなことお義母さんには言える訳なくて。独り言言ってたらソプラに聞かれちゃって…そしたら夢を語ってくれたっけ)



『……おにいちゃんの夢って?』

『僕の夢は誰も泣かない世界を作ること!』


(嬉しかった。また家族と笑えるんだって。なのに…ソプラの夢には何時の間にか家族が消えてた。……何も言い出せなかった。何か違うって分かってたのに、変わってしまうのが元に戻れなくなるのが怖くて踏み込めずに地面ばかりと目が合う…)


 口を開かなければ、他人の心は分からない。前を向かなければ、他人の心理が分からない。幼少期に体験した家族との別れと無残な姿が彼女を内気に閉じ込める原因の一つになっている。震えるのは抗っている証拠だと誰も教えてはくれない。


 何かが変わるのが怖くて足が引っ込む。そんな自分が嫌になる。深呼吸すれば少しは楽になった。


(私は、私の家族と一緒に居たい。傷付く姿なんか見たくない…!!怖い、上手く呼吸が出来ない…。このままで言い訳無い!!!)


 ルルトアは前を向いた。杖を投げ捨て、出来る限り小走りに近寄り腹から声を出す。


―――


「もう止めてお兄ちゃん!!!!!」

「「!?」」

「はぁはぁ…お兄ちゃん……!!」


 ソプラとリュウシンが反応した拍子に法術を解除した。男二人は困惑と驚愕を交えて目を丸くする。ルルトアが息が整う前にソプラは硬直を解き、あくまで冷静に装う。


「ルルトア、邪魔するなら先に天国へ行く?」

「……」

「此処は危険だ!今すぐ下がって」

「…らない。……はぁ…もう下がらない!!」

「!」


「私はお兄ちゃんを止める…」

「どうして?止める意味が分からないよ。あと少しで夢が叶うと言うのに」

「お兄ちゃんの夢の為に、私やお母さんは犠牲になれって?」

「…そうだね」


 ソプラが足先をルルトアへと向け、掌を翳す。それが攻撃体勢だと気付きリュウシンは避難を促すがルルトアの意志は固かった。彼女の意志が声となり、無理矢理下がらせる訳にはいかなくなった状況でリュウシンは何時でもルルトアを守れるように義兄妹を見守る。


 途切れ途切れにソプラの願望の確認を取る。足の痛みは既に無く、両足をきっちり地面に付けソプラを見上げるルルトア。然し、震えが止まる事は無かった。


「それの何処が夢だって言うの!!?私に聞かせてくれた夢は…もっと未来があった…!」

「本当の家族が死んだから、犠牲になったから今のルルトアがいる。そうだろう?」


「っ止めて」

「本当の家族と一緒に居たかったろう」

「居たかったよ!!でも私は今の家族も本物だって思ってる!本物に決まってる!!」


「いいや、偽物だ。何時までも偽物の世界に居る事はない。残酷な運命の中で生きる必要は無い。楽にしてやる…!」

「…」


 兄妹喧嘩も時と場合が違えば死と隣り合わせだ。決して目を逸らさないルルトアの覚悟は重い。彼女を曇らせようとソプラは事実を誇張して突き付けた。


 敢えてソプラの主張を肯定する。した上で自分の主張を上乗せし、返す。言い合いと話し合い、思い違いが溝を深めていく。

 力を込めるソプラの近くで同様に警戒を強め一歩足を擦り出すリュウシン。妹を失った彼にとっては義妹を手に掛けようとする義兄が許せないのだろう。


「っ運命なら乗り越えた!!」

「は?」

「目の前で居なくなって苦しかったけど私は今笑えてる!夢だって見つけた。お兄ちゃんだってとっくの昔に乗り越えたはず!!」


「乗り越えられねぇ連中をこの手で救済するんだ。救いようのない奴等を!」

「…生かすより殺す方がよっぽど簡単だからね。楽な生き方選んだな…!!」


「大体、お兄ちゃんには誰も殺せないし、命を背負える訳無い。軽々しく言わないで!」

「時間の無駄だったな。誰も泣かない世界、泣かせる奴は消えてしまえ」


 ルルトアは泣き出していた。ソプラの位置からでは流れる水滴が雨か涙か判別は出来まい。涙だと知ったところで、今更狼狽えたりはしない。ソプラだって目には見えない水滴を沢山落とした。


 二人の会話に介入するつもりは全く無かったリュウシンだが、堪忍袋の緒が切れた様子でワナワナと拳を震わす。手を出さないのは、ルルトアに対する最大限の尊重だ。


 翳した手を収める。改心した訳では無くて、反りの合わない対話に付き合い切れないと言った諦めから来るもの。手を降ろした瞬間、天の悪戯がルルトアを襲う。


「「「!!」」」

「そん、な…」

(しまった、間に合わない…!!)

(杖…は無い!?さっき投げちゃった…)

「る、…!」


 治まった筈の雷がルルトアの背後の民家に落ち屋根瓦が彼女目掛け降ってきた。ソプラに集中していたリュウシンは出遅れ、ルルトアも咄嗟には動けない。ソプラは無意識に手を伸ばすも身体は踏み出す事を拒否した。


 目を瞑り来る筈の衝撃に耐えようとするが何時まで経っても衝撃が来る事は無かった。天の悪戯か、それとも。ルルトアはそっと目を開け目の前の光景を見やる。


「盾、変化…」

(何処から!?)

(…っ)


――――――

天音Side


「させないからね!!そんな事!」

「その調子です」


――――――

 魔鏡越しに天音が発した盾変化は完璧に近く屋根瓦なら受け止められた。思わず手が出た天音の盾は周りの人間と比べたらひよっこも良いところ。ヒビ割れる盾に今度こそ駄目だと覚悟した時、何者かが俊足で駆け付け屋根瓦を粉々に叩き割った。ほぼ同時に天音の盾も割れた。


「怪我は無い?」

「おかあさん…っ」


 天音は盾が割れた拍子に転倒しそうになるがこの場に居る人間にとっては知る由もない。さて、ルルトアの窮地に駆け付けたのは義母カノンだ。負傷を感じさせぬ堂々とした登場にルルトアの涙腺が緩む。


「ソプラ」

「何の用だ」

「ルルトアを助けようとしてくれたでしょう?ありがとう」

「えっ」


「してない。する訳無いだろっ」

「貴方は己に負担を掛けているだけの行為を、己に厳しいと勘違いしているだけに過ぎない」

「…僕の事は本物の親にしか分からない」


 カノンは屋根瓦へと向かう中、ソプラの矛盾した行動を両目で捉えていた。素直に御礼を言えば即拒否された。混乱した様子でソプラを見るルルトア。彼女の期待よりの瞳と合わせづらくなり、誰にも聞こえない極小の舌打ちをした。


 屋根の上に乗るソプラを見上げる形でカノンは言葉を続ける。意識を気取られないようにカノンの心を揺さぶる。表情が変わらないので何方が優勢かは分かりかねない。


「降りなさい」

「はぁ?」

「頭主を仕留めるチャンスですよ」

「…」


「私に勝つ事が出来たらスコアリーズを差し上げましょう。さぁ」

「良いぜ。今のとーしゅ様はボロボロだしな一捻りだ」

(戦うの…今!?心の準備が…!)


 檜扇をソプラに向け、上下に動かしながら反応を見るカノン。言葉巧みに誘導して彼を屋根から降ろし対面させる事に成功する。構えるソプラと檜扇を微動だにさせないカノンとを見比べて焦燥感に駆られ、心臓が大きく一跳ねしたが彼女はそれすらも気付かないほど切羽詰まっていた。


 どうにかして止めなければと、笑う膝を伸ばし立ち上がるルルトアを一瞥しカノンは懐からラルカフスを取り出した。


「ソイツで縛るつもりか?」

「いいえ、必要ありません。駆け付けて安心しました。貴方には要らない物よ」

「そーかい」


「はっ!」

(真正面…避けて背後取って終わりだ!)

「なに!?」

「目先に囚われている時点で負けです」

「く…!」

(待って、戦わないで)


 幾ら頭主に勝てる確信があるとは言え、ラルカフスで拘束されてしまえば勝ち目が無くなる。警戒を強めるソプラだがカノンは使う気が無く、後方にラルカフスを放り投げた。

 打ち鳴らされる金属音にルルトアはビクッと肩を上げ、二人から目を離した。


 真正面から駆け出すカノン。檜扇を首元まで持ち上げるのを目視し、ソプラは回避準備に入ったが眼前にはカノンでは無く、彼女の創り出した盾変化であった。盾はエフェクトなので近くで見れば背景が透けて見えるが、背景の先にカノンは居なかった。


 視界から消えた直後、ソプラの頬スレスレに檜扇を差し出すカノン。その気があったなら彼は既に殺られていた。


「ま、待っておかあさん!」

「傷付けたりはしないから、大丈夫よ」

「…!」

「隙ありっ!」

「ふっ」

「ー?!」


「話は全部聞いていたわ。誰も泣かない世界を創る、と…」

「スコアリーズは小さな犠牲だ」

「夢を追い掛ける余り、夢に囚われている事に気付きなさい」


 最も戦わせたくない二人を止めようとするルルトアに対し、カノンは優しく言って聞かせ微笑んだ。卑怯にも一瞬緩んだ空気を狙い、ソプラは喉元に手刀を喰らわせんと振り返るが逆に手首を掴まれ捻り倒される。


 脱出を試みるが手首を押す指の圧が強く、抜け出せない。檜扇を下ろすとカノンはソプラに語り掛けた。盛りの息子と盛りを過ぎた母親、軍配が上がったのは母親だった。頭主としての強さか、舞子としての強さか。母親としての強さ……か。


「…囚われても良い。良いんだ!!」

「ソプラは私の前では泣かない子だったね。反対にルルトアは私に泣きつくのが癖だった」

「「…」」


「二人とも優しい私達の子、ソプラが独りで泣いているのを私は知ってた。貴方はね、泣き痕を隠すにはまだ子供過ぎた。介入したところで踏み込ませてはくれない」

「……」


「大勢の人が涙を枯らしたら、涙を掬う人も居なくなる。人前で泣けなかった貴方は自らの手で拭う他無い。結局、自分自身が救われたいだけなの。大衆が笑ってさえ居れば自分も救われた気分になる、幻視で終わらす事に心の何処かで妥協してしまった」

「………」


 古い古い、頁を捲るように世界に言の葉を記した。雨粒でさえ不思議がりて耳を傾ける。


 ソプラとルルトアはカノンの言葉を静かに聴く。ルルトアは兎も角ソプラも大人しい訳は脱出出来ない状況下も理由の一つだろうがその実、本人にも分かり得ない。薄暗い雨雲で隠れて見えないが時刻は暁を迎えていた。


「夢とは将来像を思い描く事。自分に誇れる自分を創造する事。貴方が泣いていたら意味が無いじゃない。私は知ってる、今でも泣いているのを。何時から涙が弱さの象徴になったの?」

「……僕は、引き返せない。…引き返さないつもりで進んできた。今までの全部が間違っていたとは思いたくないっ」


「人生は一本道では無い。無数に枝分かれした道が彼方まで続く。進んできた道に疑問を抱くなら隣の枝に飛び移りなさい。やり直す時間は母が作ります」

「〜…沢山壊した。沢山傷付けた。…僕は」


「沢山泣いた…」

「ー!」

「貴方の手で、生きている人間の涙を掬いなさい」


 何故か苦しい。藻掻き苦しむ様は一刻前の態度とは大違いだ。人が変わったように目が泳ぐ。指の圧は既に無くなり拘束力もほぼゼロに近かったがソプラは逃げようともしない。現状になって初めてカノンの言葉を心に留める。


 最後に、ソプラの頬から流れる水滴をカノンの慈愛に満ちた指が掬う。滴るは涙か雨水か何方でも構わないと思えるほど一同はソプラとカノンのやり取りに注目していた。


「…」

「しっかりなさい。貴方は次期頭主でしょう?」


「…っどう、して…そこまで」

「言ったでしょう。私達の子だって」

「ーーかあさんっ」


「おかあさん、お兄ちゃん!うっっ……!」

「ルルトア?!」

「うぅっ!!」

「ルルトア、よく頑張ったね」


 ソプラはスコアリーズを裏切り続けた。自覚しているからこそ、出会った日のような笑みを絶やさない義母が理解出来なかった。


 カノンは子供に対して態度を変えた事など一度もない。何故ならソプラもルルトアも彼女にとっては掛け替えのない大切な子だから。最後の一言がトドメとなり、ソプラの目には雨上がりの光のように輝きを取り戻した。


 低い声のソプラに被る高い声のルルトア。我慢出来なくなったのか、ルルトアは脇目も振らずにカノンとソプラに飛び付いた。二人の顔も碌に見れずに堰きを切ったかのように感情の趣くまま、大声で泣き出す。


 何も言えずに、けれど言いたい事は伝わる。そんなルルトアの震える身体を抱き締めた。


「ルルトア…本当にごめん……謝って許される事じゃないのは分かってる…」

「…良かったぁ…ソプラっ……」

「償いなさい。私も一緒だから」

「はい…」


「ぅっ…」

「ルルトア、聞いてる?」

「…、…?」

「涙を掬う、か。遠回りし過ぎたな……」


 ルルトアには声が届いていた。然し、脳内処理が追い付く前に涙となり流れてしまう。それほどまでに彼女は今、様々な感情が入り混じった涙を流している。


 再度、ソプラが呼び掛けるとカノンの胸元に埋めていた顔を上げキョトンと見上げる。ソプラは目頭に溜まった涙を指先で救った。



 ようやっと回り回って地に足がつく。屋根から飛び降りたリュウシンと少し遠い場所で一部始終を見届けたビワが空気の和みを悟ると同時に雨雲も去っていった―――。

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