第122話 不興メヌエット
真夜中の大鐘も大地に轟く流星群も、見向きせずリゲルは地点空間を飛ぶように駆け抜けた。そうして発見したのは『マドカ・ファウストの書』
幾千年巡ってようやっと存在を露わにした魔導書に幾許の憤怒と哀訴と寂寥を混ぜ込んだアストエネルギーを放つ。
「消えよ。永劫に!………―――っ!?!」
魂心の力、法術ではないにしても書物を消炭にする程度の力を備えた一撃だった。油断も隙もない賢者を嘲笑うように、ブラックホールより昏い魔導書はパラパラ捲れ巡り、空白の頁に行き着いた。
リゲルの放った眩い光は魔導書に吸い込まれ、インクへと変換されて都合の良い軸を立てた。
「子供の姿に戻って!?…おのれ!只では渡さぬ気か」
達筆に書き連ねた羅列は"現在"を"過去"へと置き換える防衛術。"未来"のリゲルの攻撃を予測して"現在"から弾き出したのは大賢者の姿を未成熟な少年に変えてしまう退化術。
少年姿に戻ってしまったリゲルはそれでも魔導書を睨み、声を荒げる。
「マドカ先生。貴方は宝玉の義の前夜、我等に呪いを仕掛けた。何故、不死の呪いを!」
《叡智の賢者リジルの子、リゲル……あぁ"現在"は七幻刀のリゲル・ノースグレイだろう?手に取るように判る……リゲル、苦しいのだろう?悲しいのだろう?》
「いいえ。今は只、呪われた身に暇を」
さも神託であると自称する、脳内に降って掛かった声は不愉快に反響し立ちどころにリゲルを焚き付ける。然しながらリゲルは死期を見誤った老師、より戻した彼は脳内の声に惑わされる事無く振り切り地点空間を震わせた。
「〈超法術 星落〉」
《過去となれ。未来となれ》
煌々と放たれた光は無残に打ち消され、老師は再び少年となる。触れる事さえ叶わず掌で転がされる姿は嘸や無様に映るだろうが、リゲルが止まる理由にはならない。
四、五分経過した地点空間にて。リゲルの息は正常のままに術の名を口にし続けていた。たかが年代物の書物、されど神話の魔導書。一筋縄ではいかない上書きに幾度目かの少年姿を晒した刹那、地点空間に穴が空く。
「〈超法術 星落〉」
「〈超法術 ポラリスハーツ〉」
「!」
「チッ。虚を突いたと思ったが」
「遅かったではないかシリウス」
木漏れ日の様な金糸に特徴的な下睫毛を揺らす少年はシリウス。今し方放ったポラリスハーツは只の紙であれば塵と化す威力を持ち合わせていたのだが、魔導書には通じず相殺されてしまった。
防ぎようもない術を塵に変えた魔導書は矢張り侮れない。舌打ち一つ、シリウスとリゲルが並び立つ。
「貴様、その格好は何のつもりだ。子供時代が愈々恋しくなったと?」
「マドカ先生の質の悪い悪戯だ。子供時代、重力の扱いには苦労した」
「フン。貴様の子供時代は見飽きた。それより本当だろうな?星の不死の呪いが解けると云うのは」
「あれから三千年……。解呪法はマドカ先生の、今尚発動し続けるアスト能力を解除する他無い」
「……此処に至るまでの道筋は永過ぎた。とっとと始末させてもらう」
漆黒の外套はとうに脱ぎ去り純白の翼は大いに羽撃いた。三度、老人姿へ戻るリゲルに悪態を付きながらも彼と共に足並みを揃え、迎撃態勢を取る。
シリウスが空けた裂傷は彼等の端々で筋を作る。まるで其れが狙いであるかのように。
――――――
―――
地点は移り変わって真夜中の地上。不揃いの絡繰人形を引き受ける騎士団の戦闘音がやけに耳障りに反響する。
「さて。そんじゃ攻略するかね」
「つっても……。ホワイトマザーの取り込んだネロって絡繰人形は物体を擦り抜ける能力を持っていた」
「やれやれ。面倒な」
「面倒事押し付けるあんたが言うな」
銀河色のブリオッシュは今にも超新星爆発を起こさん勢いでアストの歯車を回していた。四重からなる歯軋りは甲高い悲鳴を上げリオン等の思考を阻害する上、粘着質に脳内へ残るので気力をも奪い始める。
背景色は派手やかに。近所迷惑な戦闘音を響かせる騎士団の内、数名がノーヴルとリオンの会話を聞き飛び出した。
「悶々としててもしゃあねー!俺は行くぞ」
「オイラも」
「オレだって、オレだって!見習いだけど騎士なんだから!!」
「さっすがは選りすぐりの血の気。これでは野蛮人と変わら」
「イータ危ねぇぞ」
「がっ!?」
先頭を走るは悪友リリック。彼を皮切りにビル・グリズリーと気合十分なゼンマが後に続く。あぶれた絡繰人形を凍らせ、悪態ばかりで手を動かさないイータに放り投げたレグルスは、切り込み隊の動向を探る視線を向けた。敵の能力、発動条件、視覚から得られる情報は多い。
「《これだから凡人は賤しく、阿呆で困る。このブリオッシュに一点の死角無し!全員仲良く我が銀河の星となれ》」
「ーっ」
「うおっ」
「本当に擦り抜けた〜…!」
「オレ、だって戦える」
「《愚かで無様で嘆かわしい弱者……。時空の主となるブリオッシュに触れられると思うな》」
「ぐわっ!!」
ブリオッシュを目前に萎縮したゼンマを置いてリリックとビルは先陣を切ったが、術を叩き込む直前でまるで引き寄せられたかのように発生した引力に抗えず、気付けば虚空を通り過ぎて元の位置に戻っていた。
"背後に着地"ではなく"元の位置に着地"である。時空と虚空の噛み合い恐ろしく、手の出しようもない状況下で恐怖を振り切ったゼンマが走った。
然し、ブリオッシュの眼下に映らぬゼンマでは彼女に近付く事も出来ず広範囲の風発で吹き飛ばされてしまった。幸運にもノーヴル達の近くまで転がり込み、命に別状はないが差し出された掌を不器用な彼は何時までも掴めずにいた。
「くっそ、攻撃が無効化されやがる。ノーヴル団長……何か案を!」
「攻撃が効かないってなら結界、若しくは封印術を使ってみっか」
「団長が封印術を使えるとは初耳だ。すっげぇ」
「いや。すまん無理」
「おい!」
(もしかして彼なら……!)
攻撃が当たらなければ物体ごと囲ってしまえば良いと、何とも安直且つノーヴルらしい提案に一度は期待を寄越した団員だが、彼は次の瞬間には当然のように平謝りする。ノーヴルをよく知る騎士団は彼らしい言動に爽やかな殺意を抱く。然しながら封印術とは高等技術、どうにも責め切れず握り締めた拳の落としどころを奪われる。
齷齪とした現状、それまで口に手を当て考え事をしていたリュウシンはノーヴルの言葉を突破口に奇策を講じた。人知れず駆け出した彼が向かった先とはこれ如何に。
「って事で封印術に長けたお方を呼ぼう」
「《させぬぞ。愚か者》」
「お」
「《〈超迎撃法術 エンプティレート〉》」
「良いところだったのにな。レグルス、レス!もう一度陣形を組むぞ」
さて。ブリオッシュが奇策の披露まで大人しく末席に座ってる訳も無く、エンプティレート第二撃弾が愚者に降り注いだ。粛清の流星群は無差別に誰も彼も襲い、ノーヴルが掲げた通信小鳥を射抜いた。正確で無慈悲な一撃はエンプティレートの操術を意味し、一同はより防御に力を込めた。
一撃目同様、ノーヴルを中心とした陣形で相殺し事無きを得たが、超法術の連発はそう何度も続くまい。次策の為のピヨピヨも消されたとあれば、やる事は一つ。
「イータ!ひとっ走り行ってこい」
「副団長、その提案は戴けない。どう考えても俺以外の無駄に鍛えた輩の方が適任だ。それとも副団長は人を見る目が無いのかな。であれば仕方無い、教養の無い仕方無い人……」
「副長命令が聞けねぇならコッチも仕方ねぇな」
「ひっ、はい!その任務やらせて戴きます」
「イータが戻るまでもう一踏ん張りだ」
「《そうは行かぬ。ブリオッシュが何の策も無しに此処に立っているのだと、本気で思うまい》」
饒舌なイータに"封印術に長けた人物"を呼びに行かせようと圧を掛けるレグルス。超法術の二度撃ちによりアスト残量は減り、一段と鋭い眼光に射抜かれてしまえばイータであろうと行かざるを得ない。
期待の眼差しを向けるノーヴルに任務開始を悟り、重い腰を上げ鈍足に駆けた。鈍足であるが故に早々にブリオッシュに察知され、流星群の一部を発射させた。
「〈法術 水龍斬〉!」
「ひっ、ひぃぃっ」
「行け!」
(お前、行かない気だな!!)
「《ふっふっふ。足は進ませぬ》」
「ぎゃあぁあーーまた来たぁぁ!!」
「〈法術 辻風〉!ここは任せて」
(お前も行かない気だな!!)
歯車が僅かに微動した直後、逸早く駆け付けたリオンがイータの窮地を救う。元騎士長らしい動体視力と運動神経に腹立たしく思うイータの元に背後からの追撃が襲う。
別の目的で辺りを見渡していたリュウシンが即座に反応して見せ、リオンの援護を担う。信頼に足る者達を足蹴に、憂き目を抱きながらイータは駆けた。だが、矢張り鈍足な彼は屡々標的にされ続けた。
「《まァ良い。時は満ちた。死を奏でる鐘に祈りは届かぬて》」
「来るぞ!!」
「レグルス!レス!配置に……っ!?」
「《護るばかりでは時は止まらぬ。絡繰人形と一体化した我が力、只の人であると思うなかれ》」
(―――時間差!?)
「団長、先の攻撃より範囲が広がっている」
「総員退避だ!〈超法術 アクションファイア〉」
四重奏の歯車が三度目の衝天を迎えた。ノーヴル、レグルス、ワースの三名は直ぐさま配置に付くが対策を見越した対策返しにより一同は選択を迫られた。三度目の流星群が降り止まぬ内に四度目の追撃が始まった。
謂わば超刻のエンプティレート。歯車の合間合間に出現した半透明の歯車はまるで四重奏の写し鏡。派手な攻撃に隠された本命の弾幕に陣形はとうとう崩れた。
皆がバラバラに逃げては敵の思う壺だが、統率の取れる状況でもない。ならばと思案したノーヴルは右拳を地面に突き立て、法術を放った。火力を上げ火柱となった術はノーヴルを起点に円を描き、皆の退避先の支柱となった。
が然し、ノーヴルにも限界はある。超刻のエンプティレートの収まる時が彼のアストの限界だろう。
「ティア。ウチらも退避しよう。肩の傷を治療しなくては」
「あたしは一人でも……。…」
(傷が治ってない?)
ティアナに手を貸すパウルは彼女の負傷を鑑みて手を貸したのだが、それがティアナの視野を広げてしまった。ブリオッシュばかりに注目していたティアナは漸く滴る血の音を聞く。治まらない出血が意味為す事実に、堪らず彼の姿を捜した。
「スタファノ!」
「ティアナ、……早く逃げ」
「……っ」
「オレは平気だよ〜。ティアナもココから離れて」
「星霊族の法術は未完だと全て己に返ってくるリスクの高い技ばかり。守護法術も然り」
「!キフトちゃん詳しいね〜…」
「〈法術 スパイクドライバー〉!ティア、時間が無い!退避だ!!」
長耳をピクリと反応させたスタファノはなけなしの力を振り絞って形の良い笑みを作った。意地っ張りな虚勢であると自白しているようなものだ。ティアナの感情を助長させたキフトを見つめる余裕も無く、スタファノは目を伏せた。
長く綺麗な睫毛が頬に影を作る。揺れはしない、ただ震えるのみで。時が進み、パウルが超刻の流星を蹴り飛ばし火柱の位置を確かめた同時刻、ティアナが半歩後ろに下がった。
「あんたの傷は寝覚が悪い。一人で傷付くな」
「!ティ、アナ……」
呆れ果てた顔が近寄り、淡い吐息が黄色の髪を撫でる。一々離れようとするなと告げ、彼の返事も聞かぬままに袖を引っ張る。流星群を避けつつ火柱の影に隠れ、赤赤と燃える頬の色に、ティアナはまた呆れた。
鐘の音を模する半透明の歯車がようやっと落ち着く。何とか振り切れた現状に一息整える者も出ようかと言う時、戦場の全体が見えているブリオッシュが甲高い笑い声を上げた。其れはブリオッシュにとって勝利を意味するファンファーレであった。
「《お前達はまだ理解していない。この戦に一縷の希望など無い。―――時は進み、世界は回る。我が裁量に依って》」
「何回続くんだッ!」
「ブリオッシュ様!!止まっーーっ!?」
火柱により暖められた空気は対流となり、宙のブリオッシュへと流れていく。不可抗力に、不規則に流れを持つ。風に煽られたブリオッシュは複雑に絡み合う歯車を操作し次なる超刻を産み落とそうと。
三重奏の終と四重奏の始が重なり合うよう最初から計算していたのだ。皆が疲労困憊となる時刻を見計らい嫌がらせのようなタイミングで、命を軽んじる。
「……エラミスは問答しない」
「〈法術 突風陣〉やった当たった!」
「《エラミス。勝手に動いては駄目じゃない》」
軽んじるが故に、弄ぶが故に、ブリオッシュは虚を突かれた。己と己に仇なす者達のみ、視界に入れていた彼女は纏わりつく風のしつこさを後になって識る。
何処ぞで生還してるやもとエラミスを捜したリュウシンは開口一番、協力を願った。一度対峙したからこそ言える嘘偽りない申し出をエラミスは拒んだのだが。
(僕の予想は間違ってなかった)
『理解した。然しホワイトマザーがエラミスの能力を知らぬ筈も無い。効く訳も無い……』
『確かにそうだ……。あ!じゃあホワイトマザーを狙うんじゃなくて』
『!』
「ネロ・プラスを引き剥がす」
「ウ、…グゥ……」
狡猾なブリオッシュが絡繰人形の刃渡りを知らぬ筈が無いと軽くあしらうエラミスだったがリュウシンの素朴な思いつきには思わず聞き耳を立てた。エラミスとてホワイトマザーを好いてる訳ではなく、打破出来るなら願ったり叶ったりだ。
"人知れず結ばれた協力関係"はリュウシンの自然の風と、エラミスの機械羽とエラーが合わさり見事、銀河の黒を引き剥がした。
「これでホワイトマザーへの攻撃が当たる筈です」
「でかした!」
「舐めるな人間如きがッッ!!」
「あぐっ!?」
「ホワイトマザー、マザー……!ネロ、はまだ貴方の役に立てます!もう一度、命を!」
「《この役立たずがッ!》」
「ァ……ア、ア…ぅあ、ああああーー!!」
別々の地点に着地したリュウシンとエラミスだが、意識が蘇ったネロにより重い一撃を喰らってしまった。相変わらずの超俊足に彼の凄みを改めて感じる反面、狂信的な性格には面食らう。
暗黒の造体に非愛が反響した。厭わしく突き放したブリオッシュにネロは、死より哀しく救いのない情緒に支配され訳も分からず泣き叫ぶ。まるで人間のソレと似通った感傷に風は凪いだ。
「ネロ、の命はまるごとマザーの物……。役に立たないネロは……!ネロでなくなる、せめて障害を消し去るのみ!!!〈超迎撃法術……」
?「そこまでだ」
?「此処から先は我々の出番ですね」
?「……なんでオレまで」
「ぜぇ、はぁぁ……」
せめて引き剥がした二人を己で始末しなくては。内側に眠る闇黒に呑み込まれて跡形も無く消えてしまう前に。止まったままのアストの刻を無理矢理叩き起こし、超級の術を放った。
否。放とうとしたが、何者かの手によって摘み取られた。ぷっくりとした唇と目元を隠す兜が特徴的な女は快活に場を盛り上げた。
「〈法術 疾風回旋〉」
「〈法術 鹿十ノ熨〉」
「くっ…」
(絡繰人形と一体化した弊害か……!)
「ーっマザぁー!」
酸欠状態のイータが彼にしては上々のタイミングで数名引き連れ戻って来た。右から笑顔のピオ、真顔のカエデ、不興顔のアイニー。彼等はイータの要請を受け駆け付けた。
早速、アイニーの超広範囲技である疾風回旋が炸裂しブリオッシュとネロの間に風の擬似的な結界を作り出す。透かさず鹿十ノ熨で牽制したカエデは極々僅かに視線を泳がせ、弟子の位置を見やる。
「寄らせはしない。〈法術 蝴蝶ノ旗番〉」
「……や、引き離されてく」
「アイニーさん頼みました」
「人に手を貸すのは今回限りだ。特に七幻刀の頼みはな」
カエデの視線が逸れた途端、ブリオッシュの元へ帰ろうとするネロに蝴蝶ノ旗番を放つ。瞬間、ブリオッシュとネロの手の甲に出現したのは炎の蝶形。法術 蝴蝶ノ旗番とは法術発動と同時に二箇所に刻印を施し、"反転"させる事が出来る。
例えば風の向きを変えるだとか、雨を昇らせるだとか、炎の蝶形が人に止まったのであれば行動を逆転させる。これがカエデのアスト能力であり七幻刀足る由縁である。
「〈法術 旋風陣〉!」
「がぁ!おのれぇ……、あたくしの邪魔は罪と心得よ」
「悪いねぇ。その罪、ツケで〈封印法術 ローズガーデン〉」
続けざまにハリケーンの如く盤上を揺らしたのはアイニーの法術 旋風陣。リュウシンやゼファロの長、バオとそう変わりない技だが威力の桁が違った。全身に風を纏わせる突風陣に対し、旋風陣は足先の一部にしか作用されない。故に直撃した際の衝撃と即座に体勢を整え二撃目に移れる切り替えの速さが旋風陣の強みである。
優勢に転じた気を逃さぬ内にピオはブリオッシュに封印法術を仕掛けた。既に彼女への攻撃はヒットするが、念には念を籠めたって損はなかろう。
「マザーの願いは刹那足りとも奪わせない」
「!蝴蝶が砕けた」
封印法術が成される刹那、反転の能力によりブリオッシュに近付く事を禁忌とされたネロが強引にもカエデの術を解いた。雁字搦めの糸を解くような強情は一瞬の隙を突いてブリオッシュの元へ飛んで行き、暗黒造体を散らせた。
先の戦いで負傷した懐古時計が人の手に及ばぬ"バグ"を引き起こし、ネロの暗黒をホワイトマザーに流し込み彼の人生を終わらせた。
「クッ。罪深い事を」
「《最後の最期にホワイトマザーの元へ還るか。ネロの生涯を罪悪にはせぬ》」
「リップさん、封印はどうです?」
「二人纏めて封印出来るんだ。都合が良い。……だが残念、少々火力不足だったようだ」
再度、虚空がブリオッシュへ流れ込み彼女の身体を人ならざる暗黒物質へ変換させた。エンプティレートの歯車四重奏と白黒が濁り混ざり合う超刻の構造結晶体、振り出しに戻ったのかと思いきや、ブリオッシュの右目付近にはネロの罅割れが再現されており、胸元のオパールも何処となく陰りを持ち合わせたように見える。
現状分析は瞳に映し出された光景が全てだ。ブリオッシュの身体に絡み付いた刺々しい蔦は点々と花を咲かせた。紫味を帯びた罪深い光沢と気高き咲きざまは他者を寄せ付けないブリオッシュ宛ら、赤の情熱を宿す金剛石と錯覚させるほどの壮美であった。
「封印は為された。然し発動時間まで暫し掛かるようだ」
「其の時が来るまで炎の文字盤でも作りましょう」
「気が利くねぇ。有り難い」
「この女、既にオレ達を見ていない。標的を変えたようだが」
「うん。分かってるって、アイニーの力が必要になる。頼まれてくれる?」
「……」
「お願いしますよアイニーさん。ポスポロスの命が懸かってるので頼みます」
「……はぁ。この件が片付いたら暫く誰の頼みも聞かん」
封印法術ローズガーデンは対象を封印し解除の鍵として一輪の薔薇が体現される術である。直前にネロの奇襲に遭い掛かりが甘くなった法術はブリオッシュの姿を未だ現空間に留めていた。
その内にカエデが放った花火が壊れかけの歯車を押し退け、円盤として世を照らした。ピオの鞭が火玉を文字とし、此処に炎の文字盤が出現する。
月明かりは火の光を受け、より鮮やかになる一方で陰気な空気を纏わせたアイニーが左右の頼み事にうんざりしマフラーの位置を高くする。次第に劣勢に落ちる彼は眼球を背後に居る人物に向け、無言の圧を高登らせた。
彼に睨まれ、いたたまれなく仰け反った人物は嘘臭い笑顔を浮かべてピヨピヨを羽撃かせる。
「やぁリオン、遅くなったね」
「シオン!お前も来てたのか」
「手短に状況を説明するから聞いてくれ」
夜も更けてきた頃合い、アイニーに睨まれたシオンはリオンの隣でにこやかな笑顔を作った。スタミナ切れのイータを放ったらかしに彼が告げたのは戦況。封印法術と炎の文字盤、それから|とある作戦について少しばかり自慢げに話した。各個に散らばる皆にピヨピヨを通して話が伝わると、ある者は烈火を燃やし、ある者は怖じ気付き個性豊かな反応を示した。
「……と言う訳だ。風使いにしか出来ない、手伝え」
「!……えーっと詰まり、ホワイトマザーが行動に移す前に風の結界で閉じ込めて時間まで迎え撃つって、事です……よね」
「嗚呼。同じ事は言わん」
「…僕は風使い……!やります。やらせてください」
ピオとカエデもブリオッシュから距離を置き、作戦の合図を出し無言で頷くアイニーは弟子にさも当たり前に風の力を寄越せと言った。一人では成し得ない結界術に、頼られた事を嬉しく思う反面ぶっつけ本番の術に少々気圧された。
自然の風は気紛れにアイニーのマフラーを、リュウシンの髪を靡かせ挑発した。数秒の沈黙の後、風の挑発に乗りかかったリュウシンは意を決して力強く頷く。
「私も風使いの端くれ、手伝います」
「君は確か騎士団の…」
「ラーニャです。お見知り置きを」
「エラミスも微力ながら風を広げよう」
「準備は整えたな、風を纏わせろ」
「「〈結界法術 風見殿〉」」
意外な風使いとも力を合わせ、発動した風見殿は発動者を中心に風の軌道を描き世界を呑み込む。火柱の焦げ後が色濃く残る草木を目印に、順調に事を進める。真横の風発に此方の身体が持っていかれそうだと唾液を喉に通し、リュウシンは今一度踏ん張りを利かした。失敗は許されない。
「《フッ。無駄な事。結界も封印も所詮はロザリオの時の支配からは逃れられぬ。おのが凡人共に挑む資格無し!》」
?「〈迎撃法術 原初の星〉」
「《なに!?》」
「今のも作戦か?」
「……いや、違う。誰だ」
「《〜〜おのれぇ。何者だ!我が肉体を穿つ貴様は何者だ!?》」
風見殿が円を描き切る、僅かな狭間に弩の如く射出された金色の光がブリオッシュの胸元を穿つ。忍ぶ策略は潰え、砕けたオパールが輝きの欠片を暗闇に落とし、怒り心頭のブリオッシュは何者とも判らぬ相手を見ようとして金目を見張った。
何も仰天しているのは彼女のみではなく、七幻刀も騎士団もリオン等も正体不明の光の矢に視線を奪われた。特にシオンは顕著に驚いた様子で、去りゆく足音に思考を加速させた。
「敵か味方か分かりっこないねぇ」
「……ぼくが追います」
ピオの言葉にハッとしたシオンは誰の顔もろくすっぽ見れずに足音を追い掛けに急遽、戦場を抜けた。鍵を回すように極々自然と一人分の結界を解き、再び閉ざすシオンの姿を一瞥したアイニーの舌打ちは風に掻き消えた。
「スタ!無事、ではないか」
「ピオさん……」
「ガーディアンの守護法術を使って無事ではいられない」
「!キフトちゃんってば密やかにした方が良い事もあるよ」
「ガーディアンの里の秘術を持ち出すとは驚いた……。済まない、よく頑張ったなスタ」
(未完の技を使ってでも守りたかったと言う事か)
厳重に閉ざされた気流の渦、少しばかり顔色が良くなったスタファノがピオの声に長耳をピクリとさせた。弟子の様子に只事でないと察した彼女が問うより早くキフトは答えを提示した。師範の手を離れた弟子の笑顔に危うさを覚える一方、志の高さに感嘆の声を漏らした。
刻の鐘は祈りを掻き消し、炎の文字盤は一夜を差す。鉱石がポロロと崩れる様は醜き事この上なく、苛立ちを隠し切れないブリオッシュは自ら目元の傷を広げる。
「《揃いも揃って時の支配を拒む愚か者よ。その愚行に敬意を評して、生命を終わらせてあげる〈超迎撃法術 エンプティレート・エンドプラスター〉》」
「……生命エネルギーを使うとは…死すらも支配の内、と……」
「薔薇が泣いちゃうねぇ」
エンプティレート・エンドプラスター。壊れかけの玩具を無理矢理動かすよう発動したエンプティレートは迎撃の意思を持たず目元の裂傷を頬に伸ばしていくのみで、エンドプラスターと銘打った毒々しい装甲により刻を計る。生命を象るエネルギーは精神を象るアストエネルギーと似て非なる物、凶荒の果てに選んだ未来に七幻刀は厳しい眼差しを注いだ。
瞬間、溢れ出た金色のエネルギーがブリオッシュを包み、彼女に力を齎す。
其れは生命、幾億の結晶であり肉体を取り巻くエネルギー。決して触れてはならぬ禁域で深淵より冥き、深遠より悠き伝導なり。
七幻刀の合図により総力戦は最終段階を迎える。放っといてもブリオッシュは時期封印の薔薇に覆われるだろうが、絡繰人形屋敷の主が暴発を起こす前に此方も迎え撃とうではないか。
「〈鹿十ノ熨〉!」
カエデの一撃を切っ掛けに皆が精神エネルギーを放つ。
「〈法術 滾清流〉」
「〈法術 幻日・七連舞〉」
「〈法術 ソリッドソード〉」
「アスト砲弾!」
「時は進む。時間だ」
「《―――っ!!!このブリオッシュが、おのれ、良い気になるなよ下郎が!》」
呪詛を吐き捨てブリオッシュは一輪の薔薇に姿を換えた。裂傷から漏れ出した生命の星は尾を描き、数多の星の流れる夜とした。
ピオが薔薇を摘み、アイニー等が結界を解く。ようやっと訪れた永い夜の終わりに数名、煩雑とした性根を抱いた。
「ブリオッシュ様……、貴方は望み過ぎた。人間、星には手が届きません」
「クグロフ、笑わない?」
「どうでしょう。笑えるものなのでしょうか」
クグロフを始め、ハンクもエラミスもキフトですら主無き世界で広きに畏怖した。
一方で警戒態勢を解いた皆はドッと押し寄せた疲労と安堵に呼吸を思い出す。
「ネロ、ネロ・プラスはどうなります?」
「さぁて、それは一輪の中の本人次第だろうね」
と、ピオとハンクの会話が聞こえる。
「シオンにも伝えてやらねぇとな」
「アイツなら気付くだろ」
と、ぼやくリオンとレグルスの声が漏れる。
「娘っ子、ウルターナーさん、怪我は無いようで」
「怪我、しているんだが」
と、不躾な呟きがパウルを笑わせる。
鐘は、とっくに鳴り終わっていた。
―――――― ――――――
生命綻ぶ時、精神も綻ぶ。表裏一体の世界でシオンはフードを深く被る謎の人物を呼び止めた。
「貴方は何者ですか。貴方の術は素晴らしかった」
「……」
「正体を話さなければ此方にも手はあります」
「……」
自分と辺りの建物と謎人物を比較して、大まかな身長と体格を割り出す。隠れていない口元を見るに女性の、それも随分と若い。無言を貫く人物に痺れを切らしたシオンが手先に纏わせた自然の風でフードを取っ払う。
「残念だったね」
「今は、遊んでる暇が無い」
「本当はこう言うのには向いていないんだ。君も私も」
アストエネルギーを阻害する仮面を身に着け、素顔を護る。声質やその他の要素を加味しても女性と見て間違いないだろう。彼女は明後日の方向を見ながら空想の月を浮かべる。
「残念な君に私を教えよう。私は君と同じ時代の同じ種族……」
「……は?」
「破滅を呼び創造主となる、同じ生命だ」
湖上を跳ねる様に、月見酒を煽る様に、柔らかに浮いた声音は女性の目的を霞ませる。視線の噛み合わない路地、二人の同じ種族は違う月を見ていた。
呆気にとられたシオンは結局、彼女の姿を見失い謎が増えただけの邂逅に言葉を失った。
追々漂う香りは白百合いっぱい、何処までも密やかに広がった。




