第117話 鍾愛のアストロロジー
女は人形を愛した。自ら生み出した造形美に心酔しているのでは無く、母が子に対して想う慈悲深い無償の愛だった。
『ア、イ…してる……から』
『…、ワタシも……』
____ _ ____ _ ____
ドールハウスにて。
「さぁて。アナタの名前は?」
鐘の音が聞こえない。暗黒の地点空間でブリオッシュとメリーさんが対峙していたが、ブリオッシュの策略に嵌ったメリーさんは金の双眸から光源を失くし、朦朧とした意識の中で彼女の暗示に掛かる。
「クリス・シャン・メリー」
「アナタの主は?」
「ブリオッシュ様……ホワイトマザー」
「アナタの宿命は?」
「ワタシは時を支配するロザリオの器、唯一の適合者……此の身浅ましき心は要らず、ホワイトマザーに捧げます」
「よぉく出来ました……。貴方は最高峰の至宝。あたくしの邪魔立てばかりするプラズマ女に奪われた事もあったが、あの女は死した」
心の消失は記憶の消失でもある。懐古時計を掌握されたまま虚構の世界線を構築され、傀儡の王と化す。自分が今、立っているのか座っているのかすら自覚出来ずに言葉を紡ぎ出した。
心の消失に伴い、全身の力が抜け切ってしまったメリーさんを丁寧に抱き起こしたブリオッシュは真っ赤な爪先で彼を一撫で擦り、一歩また一歩と離れていく。
(死ンダ……誰ガ、…?何も考えラレナイ)
「準備は整った。いでよ……懐古の宇宙。我に力を!」
(ワカラナイ……ワタシは……)
「―――ッッヴァアア゛アアァ――!!!」
「アッハッハッ!!!この力だ。この力さえ在れば、唯一つの玉よ!大いなる力よ!!」
眩い光源は眼下、床板。ブリオッシュの靴音と共鳴するように描かれた法陣は幾何学模様を印し、軈て出現した"糸"は央のメリーさんを拘束した。造体が締め上げられようとも眉一つ動かさなかったメリーさんだが、法陣の発動に伴う衝撃には堪えたようで痛々しく慟哭した。
投げ放たれた懐古時計がメリーさんの頭上に到達した瞬間、待ってましたと言わんばかりに回転を始め、その内に電光を帯びたトライアングルが時の器を囲み、時計の針を乱回転させていく。
「おぉ…!これがロザリオ……!麗しの貴公子このあたくしに永遠を捧げなさい。さすれば曖してあげる」
「ア……イ…?」
(アイ……藍、逢い、愛、………哀…)
「涙を流しているだと?心は確かに消失した……。おぉ哀しき事、三千年の時を辿りようやっと適合者が現れたと云うのに、小癪な概念を埋められてしまって可哀想ね。ゆっくりと脚色してあげるから安心して尽くしなさい」
「……」
(聞き取れない……呂律が回らない……脳の不作動……自動修復機能、破損確認。ロザリオの顕現確認…)
時は満ちた。逆さの三日月は大地を嘲笑い一時の支配を目論む。
懐古時計の放電が収束しメリーさんの体内に吸収されたのを切っ掛けに、円環状の超凝縮アストエネルギーが出現した。
或いは花環の様に、或いは星環の様に、或いは王冠の様に、金色の環はメリーさんの額に預けられた。取り巻く宝飾・装飾具はローズ、ローズマリー、コスモス、アストランティア、サンダーソニア、白百合、スピカ等、豪奢に飾り立てられ時の王の生誕を祝福す。
定めの時、顕現したロザリオは触れ合いを厭う。運命の刻、祝福のベルは懐古の来訪者を告げる。
『アイとは触れ合いの心。慈しみ尊ぶ、心。愛しの機巧士、よくお眠り……私のタカラモノ』
「っーーっハァ!?!」
タカラモノを切望した、其れは夜空に流れる流星に非ず。時と共に回る満月であり心の拠り所、依り処。ロザリオの顕現に紐付けされた胸臆にポッと光が灯る。
「……は…」
「んー?」
「……は、…ドコ」
「何を?」
「ノエルはドコ……!?」
「―っまさか、いやそんな筈はない!あのプラズマ女の事など憶えている訳も思い出す訳もない、……ロザリオはあたくしが発動させた。主はあたくしのみ」
懐古に遺る白衣の淑女は確かに"タカラモノ"と口にした。失われた心根を安らかに抱き止めメリーさんを目覚めさせたのは他でもない白衣の淑女ノエルだ。ノエルなる人物はブリオッシュの知人、彼女の話すところ"プラズマ女"である。
拘束用の金糸が解れ、地に還る。されども当人は互いの瞳に己を映すばかりで、無情の時計も音を奏でない。
「ノ、エル…ノエル……!ワタシ、タカラモノを忘れてた……やっと思い出シ……ノエル」
「有り得ない。メリーエンドシッターが効かない!?」
見合った二人が醸し出す緊迫した空間、最初に崩れたのはメリーさんだ。彼は幼子のようにさめざめと涙を流し心の鳴動を再確認する。毒気のある唇を引く付かせたブリオッシュは瞳孔を開き、自尊心の瓦解を体感した。
懐古時計はメリーさんと、ブリオッシュとそしてノエルを含む過去を愁い鍵を回した。
―――
―――――― ――――――
―回想―
其れは約二百年前の出来事。メトロジア王国の検問から逃れ続ける絡繰人形屋敷は本日も太陽の昇りを知らず疑似光のお膝元で悪辣な所業を繰り返す。何も全員が全員、組織の闇に呑まれているのではなく中には闇の情景に関わり無い研究員も何名か居た。
その内の一人が白衣の淑女ノエルだった。
アストエネルギーと人体に纏わる作用と、医学・兵学の発展の貢献を名目に様々な良識ある実験を行い、周りの人間を凌ぐ卓越した実績を齎したノエルは正に秀才であった。人当たりが良く、相談事には親身になって寄り添う姿を見せ仕事仲間からの評判や関係性も良好。
「君に良い物を見せよう。付いてきたまえ」
ある時、見慣れない縒れた白衣姿の老人に誘われノエルは一寸先の闇に踏み入れた。其れが彼女の人生を狂わせるものになろうとはビタ一文も思わずに。
「此れはロザリオと称される至宝だ」
「!?……ロザリオ…、…」
(王家の至宝が何故このような場所に?)
「ロザリオは君も聞いた事があるだろう。"生き物の特徴を持ち合わせている"と。王家から直々にご依頼を賜ったのだよ。ロザリオを調べてほしいと」
「然し、ロザリオの出処は、…」
向かった先は最下層、中でも何重もの鍵付き扉を抜けた突き当りの部屋。此処は異様なほど気圧が低く空気が薄い為、一歩踏み入ったノエルは無意識に口呼吸を繰り返した。このような地下に外気を取り込む窓など当然無く、機械換気に頼らざるを得ないがそれも望みは薄そうだ。
そうこう思案中、老人が立ち止まりノエルに声を掛け直す。彼がノエルを連れて来た目的は地下空間に咲かすロザリオ、"本来有ってはならぬ場所に有る至宝"に眉を顰ませた彼女はよくよく観察しようとガラスケースに近寄るが。
「それとね、君になら見せても良い頃合いだと思っていてね。此れを」
「ーっ!人、間…?!……」
(この子、生きて……)
「それは」
(……私には解る、この先を知ってしまったらもう戻れない。いいえ、元から気付かない振りをしていただけ……本当は此処が人の血肉を好む怪物の巣窟だと解っていた。…心の何処かで潔白を信じていたかった)
何時の間にか視線を誘導された。一頻り探究心を刺激されたノエルは老人の声が真横から聞こえ、釣られて視線を移動させた。背中に目でも付いているのか、猫背を正したノエルが老人の声を辿った直後に彼はとある装置の明かりを灯した。
其れは円柱状の培養槽らしき装置で幾つもの管が所々に繋がり脈打っていた。それ自体は対して驚きもしないが、ノエルは絶句した。培養槽の中に裸体の人間が居るではないか。暗闇に一際輝く灯火の様だが役目を停止した彼は眠っていた。
「通称"クリスタルキャンドル"。数多の検証を潜り抜けて素晴らしい結果を残したロザリオの適合者だ。現在は外傷の治癒の為、眠らせている」
「それで、私に何をしろと」
「話が早くて助かるよ。単刀直入に言おう。君にクリスタルキャンドルとロザリオを融合させ器を昇華して貰いたい」
「……」
"ロザリオ"と"クリスタルキャンドル"。双極の宝具は絡繰箱に仕舞われ、厳重に保管されていた。それらの鍵を開けノエルに見せたと言う事は出口を封鎖されたも同義。意図的な外傷に仄かな怒りが湧き上がるが、半ば強引に蓋をし平静を装う。今すぐ白衣の老人に一発入れたい気分だが大人には理性で耐えねばならぬ時がある。
「それと。未報告のアスト能力、実験に役立つと思いますね私は」
「!」
(脅しのつもりか……)
「分かりました。この件お引き受けしましょう」
「良い成果を期待しているよ」
「……えぇ。お任せください」
擦れ違いざま小言を突かれたノエルは拳を握り締めるが暴力で訴えた所で状況は変わらない。寧ろ悪化しかねないので、部屋と部屋に通ずるまでの扉の鍵束を受け取り老人を見送る。培養槽に反射する酷く挑発的な表情が扉の開閉と共に影に覆われた。
(さて……どうしたものか)
「この子、今までにどれだけの苦痛に耐えて……外傷は時間が経てば治るけど心傷は癒えるかどうか……」
人の気が過ぎた空間で目一杯息を吸う。幾ら呼吸しても酸素が脳に回らず、付近の椅子に腰掛け頭を抱えた。ノエルを苦しめているのは酸素不足以外に眼前の根源がある。酸素を体内に入れた直後から溜息を吐き呼吸もままならない。
―――
其れからノエルは老人の命令に服従し、来る日も明くる日も研究に明け暮れた。排他的な闇の中、山のように積まれた資料を整頓し地道に確実に時を計る。
「肉体は一部を除いて絡繰仕掛けに置き換わっている…心臓部の懐古時計も正常に作動している……外傷も完治した。バイタルに異常は見受けられない、……にも関わらず、中々どうして目覚めない。貴方は何時目を覚ますのかな?」
十日が過ぎた頃、融合研究に勤しむノエルは違和感を無視出来ない状況に陥っていた。生命活動する絡繰人形と言えど、十日間以上に及ぶ昏睡状態は看過の域を越えていた。何故クリスタルキャンドルは目覚めぬのか、融合研究の傍ら声掛けしてみても反応は無かった。
さてさて、と首を捻って思考回路を回していると微かに甲高い靴音が脳に届く。それは段々近付き大きくなるが対照的にノエルの息は詰まっていく。
「それにしてもロザリオのパルスがこうも共鳴するとは…、元からなのか、それとも……考えたくもないね全く」
?「不用心じゃない。戸締まりしなさいよ」
「…最近姿が見えないと思ったら闇の中に居たのねブリオッシュ」
甘ったるい声音の正体はブリオッシュ。盛り上がった金髪縦ロールに毒々しい唇を持ち上げて姑息に笑う。眼光鋭いブリオッシュとノエルの只ならぬ雰囲気を見るに二人の溝は幾年の歳月により生まれたものだと予測可能だ。
「こんなところとは随分な物言いね。中枢を一任され偉くなった気で居るのかしら」
「お得意さんが寂しがっていたのを知ってる?貴方の仕入れた宝石は何者よりも玲瓏で美麗だと専らの噂ですよ」
「どうでも良いじゃない、今は。あたくしを体よく追い出そうたってそうは行かない。出ていくのはノエル、貴方」
(大方、時の器の研究をブリオッシュに任せていたけど制御が効かなくなって私が連れて来られたってところ……)
絡繰人形屋敷に四肢を砕かれ自由を失くした者も中には居るだろうがブリオッシュはその狡猾さと実力により有無を言わせず優遇されている。表の職、宝石商を営み都合良く情報通である彼女は事ある毎に視界に映り込む匹婦が気に入らず眉を釣り上げた。
(良い加減、組織にとって"都合の良い"人間の振りをするのは辞めたいが……、今回に限っては良い方向へ働いた。時の器…ブリオッシュの手に渡るくらいならいっそ私の手で)
「昔っからいけ好かないのよプラズマ女!無害で純朴で従順な顔して上層に取り入ってあたくしの前に立つ、その姿が恨めしい!」
「取り入ろうなんて考えてないわ。向こうが勝手に判断するの。何時だってそう、私は貴方と違って選択肢は無い。狡猾で気高く周到なブリオッシュが羨ましく思います」
「貴方が何者になろうとも、あたくしが蹴落としてあげる。忘れない事ね、貴方はあたくしの為に働く駒に過ぎない」
深く、深く、地中に掘られた溝はノエルとブリオッシュの対立を煽り根深いものにする。純朴を装うノエルと狡猾なブリオッシュでは相性の悪さは元より承知、同じ地平に立ち目指す場所も時も等しくあれば尚の事。
大なり小なり仕掛けてくるやもと警戒心を顕にしていたノエルは去り行くブリオッシュに意外そうな顔を晒し、脳内から消えない靴音を消し去ろうと思考をリセットした。
「……ブリオッシュに渡す訳にはいかない」
「……」
静寂な祈りは薄く脆い空気の層を廻り、泡沫に消えた。寝覚の時は近寄り、遠退いて。
―――
其れから満月が七度満ち欠けを繰り返した。相も変わらず二人の絡繰師の関係は改善されるどころか悪化して、廊下で擦れ違うだけでも神経を使う始末。
(懐古時計の位置を調節し、常に外界の時を計る事でロザリオの拒絶反応を一時的に和らげる事が可能。……理論上は問題無いけれどクリスタルキャンドルに掛かる負担は尋常じゃない。適合者と言えど自らの意志で時の器を覚醒させるのは不可能に近い、後一歩が足りない……いや、寧ろ此処で打ち止めるのも一つの選択か)
?「―――、―っ!!」
「何の音!?」
例の部屋へ続く回廊は仄かな人の熱をノエルに報せた。然し彼女は計算したばかりの理論に思考を奪われ、事が起こるまで白衣を乱さなかった。
ノエルの血相を変えさせたのはポスポロスの大鐘に匹敵する警鐘音だった。まるで心臓と共鳴するかのような激震が悲鳴だと気付くのにそう時間は要しない。白衣を靡かせて、目的地に向かったノエルが見たものは……。
「扉が開いて…、うっ此れは!?」
「アッハッハッ!ノエル……今頃到着しても遅刻よ。貴方の理論は正解だった。ロザリオと被験体は互いに癒着し一体となった。時の器は成されたのよ。あたくしの手によって」
「っ止めてあげてください!!」
「危害を加える筈ないでしょう?麗しの貴公子に触れる総てをあたくしは排除する。曖してるからねぇ……永遠に」
「それは道具としてでしょう!?彼に触れる貴方の手付きは邪な思想を思わす。関わらないで」
「……、…」
円柱状の培養槽から追い出され疲弊し切った様子の被験体と、高らかに口角を上げ被験体の艷やかな濡れ金糸を鷲掴む絡繰師の姿。視線だけ此方に向けたブリオッシュが告げたのは机上の空論に過ぎない未検証のデータの強行。
結果としてノエルの研究資料は正解を叩き出していたのだが、彼女にとっては過ぎた記録より目の前の横暴を止める方が何より大事だった。間に割って入るように両腕を広げ、彼を守る。子を守る母親の様であったが其れがブリオッシュの機敏を恐ろしく逆撫でした。
「ノエル。役目を終えた道具は貴方の方…!」
「うぅっ!」
「何の真似」
「撃ちます」
「実験は物の見事に大成功。大団円を迎えた時の器を連れ去ろうと、身の程知らずな考えが過ぎっているな。無謀だ。これから死にゆく者に絶望と破滅を―――」
「何時の間に!?」
(ブリオッシュの創造した絡繰人形と…それより前の時代の兵隊、これほど用意されていたとは迂闊だった)
徐ろに飛び込んできたのはブリオッシュの真っ赤な爪先。血塗られた針のようにノエルに突き刺さり視界を反転させる。胸倉を掴まれ地面に叩き伏せられた衝撃は背中を伝い、全身を駆け巡った。だがノエルとて闇の住人、体勢が崩れる直前に懐から取り出したのは改造袖箭。至近距離の暗器は牽制の意を証明し間一髪、爪先の赤を回避してみせた。
一撃を回避したからと言って脅威が去った訳ではない。狡計で用意周到なブリオッシュは先回りして潜ませた絡繰人形達を我が物顔で披露し空気を慾る。ノエルを生かす気も適合者を逃がす気も無い狂気的な笑みに息が詰まる。
「覚悟を決めるしかないようね」
「の……える」
「「!?!」」
「クリスタル、あぁ目が覚めたのねおはよう。体調はどう?痛いところは無い?」
「ワタシ……は」
「麗しの貴公子覚醒めの時を焦がれていたわ。さぁ此方へおいで、貴方の為のドールハウスだってあるのよ」
「――…!」
「させない」
低姿勢のノエルが改造袖箭を構え直した刹那、か細い声と白衣を引っ張る脆弱な力が場を支配した。それまで昏睡状態で培養槽から追い出されても虚ろとした精神だったクリスタルキャンドルは初めて言葉を発した。手製の暗器を下ろし彼に向き直ったノエルは裸体では寒かろうと白衣を掛ける。
僅かな隙を突くのは定石だとでも言いたげなブリオッシュは両手を広げ寝覚を祝福し、闇よ闇よと手招きするが彼女の行動を先読みしたノエルが一歩速かった。
「パルサー・バインダー起動!」
「っ行け!絡繰人形共!!」
「クリスタルキャンドル…手を!」
「の、える……ドコに……?」
「逃げるの。貴方の灯火を消させやしない」
「…っ!」
予め白衣に忍び込ませた円盤型の機器を素早く場に展開すると、ノエルはクリスタルキャンドルの手を握り締め駆け出した。逃げ道を確保するように起動したパルサーは掌サイズから顔面サイズに変容しながら電光を帯び、辺りの機械に干渉した。機器を破壊する雷光の如き衝撃波はノエルの思惑通り、二人を逃がす。
「なんで、……」
「愛してるから。誰よりも一番に声が聴きたいと思えるくらい、何者からも守ってあげたくなるくらい、幸福な未来であって欲しいと願うくらい愛しく思うから」
「―――っ?!」
衝撃波が発生し辺り一帯を荒天に換えた程度では生身の人間は止められても絡繰人形は停まらない。蠍と孔雀と兎の特徴を其々持ち合わせた絡繰人形が眼前に迫るが、頭に血は上っても冷静さを忘れないノエルはパルサーを次々に起動させ絡繰人形の命、とも云える懐古時計に干渉した。兎の特徴を持つ絡繰人形のみ停止し損ねたが続けざまに放ったのは四つの針、パルサーを起点とし絡繰人形を囲むように散らばった針に電流を流す事で即席の電撃檻を完成させる。これにより絡繰人形は統率が取れず瓦解した。
そのまま空中回遊を得意とする一基のパルサーに乗り上がったノエルは雷天を駆け抜けていく。目覚めたばかりで戸惑う時の器を連れて。
「っ何の音……デスカ!?」
「暁月十夜…!真っ赤なお月様…暁月が来たるまでの十日間、宵闇を奏でる大鐘の調……」
「暁月十夜…、ウッ頭が、痛イ……割レ……ワレ」
(いけない。ロザリオの拒絶反応が著しい、暁月の影響がここまで酷くなろうとは)
「落ち着いて。クリスタルキャンドル……いいえ、クリス・シャン・メリー。貴方は人と変わらない、未知の力に怯える事はない、今はまだお眠り………ロザリオ」
「…ウッー……??」
「お家に帰ろうクリス」
駆け抜けた空は宵闇を迎えていた。低空飛行するパルサーは次第に勢いを抑え、エネルギーを消費し切った。ノエルのアストに依存するパルサーをレッグポーチの隙間に仕舞い込み、夜風に吹かれる彼に向き合う。
時は真夜中、暁月十夜を報せる大鐘に過敏に反応を示すクリスタルキャンドルこと、クリス・シャン・メリーに微笑を零し額をコツンと合わせた。顕現するロザリオは適合しているが彼が使い熟すには少々時が足りず、ノエルは持ち前のアスト能力"電光"を使用しメリーさんの脳波に干渉した。
ノエルだからこそ可能な慈しみの子守唄にそれまで緊迫感を拭えなかったメリーさんは安心し切った様子で瞳を閉じた。睫毛が造り出す影すらもノエルは愛しく想う。
――― ―――
絡繰箱の様な宵闇は十夜過ぎた。ノエルとメリーさんの住む民家はポスポロス郊外の閑散とした一角。小高い山の腹の中に隠れ住み時折、結界を張り直す。
「コレが暁月ですカ?」
「そう。気分は悪くない?」
「ノエルが居てくれるから…でもどうして?」
「あの時も言ったけど、私はクリスを愛してる心から守りたいの」
「ココロって?アイって?」
「アイとは触れ合いの心。慈しみ尊ぶ、心。愛しの機巧士、よくお眠り……私のタカラモノ」
「タカラモノ……ワタシも、ノエルがタカラモノ」
澄み渡る夜空には雲一つ見当たらない。まるで暁月を避け霧散してしまったような偏天にメリーさんは釘付けだった。眩い金色の瞳に暁月色の月影が掛かり、今宵は大人びて見えたが彼の好奇心は幼子のソレと同等であった。
「ふぅ…完成した」
「コレは?」
「ドールハット。金と銀の鈴は雷光を込めた御守、何時の日か心を忘れてしまった時、思い出す為の音色を閉じ込めたから決して手放してはいけないよ」
「ウン。ノエルがそう言うなら」
「永遠の歳月がクリスを蝕もうと私は何時でも味方だ。必ず来る身勝手な別れを理不尽に思っても良い、私を恨んでも構わない。それでも心が残っていたなら鈴の音色を思い出して。其れは大切なタカラモノだから」
「ウン……」
(ワカラナイ。それでもノエルの音色は心地良かった、ワタシの心が満ちていくのを感じた、鈴の色が感じさせてくれた)
暁月の贈り物は黒一色のドールハット。後ろ側に絹の編み込みと長く滑らかな蝶の結わえが夜風に揺られていた。メリーさんに被せるとシャンシャンと正面に飾られた鈴が存在を主張する。金と銀のタカラモノだとノエルは言った。雷光の能力を独創的な方法で閉じ込め、彼に託す。
絡繰人形に寿命は無い。況してやロザリオの適合者はより存える。終古の果てに何を想うのかノエルには確かめようもないが想いを伝え繋ぐ事は叶う筈だ。
暁月の力を借り、幽閉した雷光がギラリと輝いた。ノエルの言葉の全てを理解出来なかったメリーさんは悶々と首を傾げるが横目で流し見たノエルの表情に鈴の音色のような心地良さを感じ、心から微笑った。
―回想終了―
――――――
―――
機械仕掛けの運命は巡り巡りて残酷に造体を蝕んでいた。懐古の念に浸る余裕は無く、頬を伝う涙は無機質に地に溢れていった。今は昔、ノエルの幻像を追い求めたメリーさんは己の欠け月に気付かない。
「何を仕込まれたか知らぬがプラズマ女に拐かされ、哀しき事この上無い。己の記憶が欠けている事も知らずに無垢で無常な貴方に、真実を教えてあげる。ノエルは死した。とうの昔に」
「なッ……!?!」
「無様な最期だったわ。裏切り者に相応しい末路ね」
(ノエルが居ない…………!?ドコにも、イナイ…)
『愛してる』『逃げ…、……!狙…っ!!』
「ワタシを守って死んだ???」
鐘の音が聞こえない。鈴の音が聞こえない。脳内を埋め尽くさんとフラッシュバックしたのは百年前の大戦。逃げ交う人並みの合間、血溜まりに伏せるノエルと呆然とへたり込む己の姿。蒼白の腕が伸び、必死に何かを訴えかけるが記憶はそれ以上の追憶を打ち止めた。
「ヴゥッッ!!!…ゥヴぁ…ア゛ァーー!!」
「みっともなく叫声を浴びせておやり。ロザリオは貴方の不幸を呑み込み、より感味を増すのだ。例えばこんな風に―――」
「ゥガッッ!!」
メリーさんの慟哭に共鳴した大地が地割れを生み、震撼した。此処が地点空間でなく地上であったならその拡がりは計り知れなかっただろう。ロザリオが圧迫する器は綺羅びやかな光源に隠れ罅割れていく。
ブリオッシュが不意に掲げたのは生々しさを失った人骨。メリーさんの背に左手を接触させ、右手で持つ人骨を彼の正面に光らせた彼女は掌底を打ちロザリオの力を解放した。
「此れは途絶えた生命。幾億の結晶となる形骸化した事象。一欠片の宝飾と侮る無かれ、貴方は時系を司る大いなる器。天地を覆し万物を創造し世界を掌握する事すら片手間に。無限の可能性を秘めた開闢の鍵」
「ふっ、…はぁ……ゥ、ッ」
ブリオッシュの手に渡る形骸化した命は、ロザリオの解放と共に真新しい鉱物として天換した。透明度の高いクリスタルの輝きに澄んだ屈折光沢、掌で転がせば遊色効果により色彩豊かな虹色が垣間見える。
其れは幾億の歳月の後、姿を換える鉱物オパール。見目麗しき太古の魔法に見惚れた様子のブリオッシュはオパールを装身具のフックに掛け、背後からメリーさんの顎を持ち上げる。
「創造してごらん。過去に干渉し、未来を造る道すがらを」
(足音が、…誰か来る…、…)
?「クリス!!」
「!あたくしとした事が……ドールハウスの結界が揺らいでいる事に気付かず、みすみす侵入を許してしまうとは」
何度目かの叫声はロザリオと結び絡まり、ドールハウスの結界を消去させた。そうとは知らずに小走りに踏み込んだのは桃髪ポニテの侵入者。メリーさんの現状に黄のアーモンドアイを細めて形の良い唇を噛む。
「あたくしの人形兵は何をしているのかしら。躾け直しが必要ね」
「……!ティア…、ナ?」
「あんたが首謀者だな。クリス、逃げろ!」
「逃げ、……逃げる…、ヴッ!?」
かつてメリーさんと共に盗賊行為を繰り返したティアナは彼に逃げろと語った。尋常でない現状の姿に戦闘には巻き込みたくないと彼女なりの情が働いた証だが、幸か不幸か再びロザリオが器を叩いた。
瞬きの間すら与えずに忽然と姿を消すメリーさん。まるで彼のアスト能力で透明化したような感覚だがティアナの直感が異を唱えた。
「透明化、じゃない。何だ…何が起こった?」
「小娘が。余計な言葉で惑わすものだから夢現の境に逃げ隠れしているのよ。かつての逃亡期の様に」
「何だか良く分からないがあんたを倒せばスッキリする事だけは分かった。あんたの様子を見るにクリスはまだガレット・デ・ロワを抜け出していないようだ」
直ぐにでもメリーさんを捜索したい我欲を抑え、ティアナは首謀者の狂気じみた化生を見据える。ブリオッシュもまた余裕綽々と言った佇まいで侵入者を見下した。
「お生憎、絡繰人形は間に合ってるわ」
「偶には回り道も良いだろう」
ティアナVSブリオッシュ。絡繰箱の仕掛けはまだまだ解かれやしない。




